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第1回「BTS“日本進撃”を支えたプロデューサー、齋藤英介が語る「K-POP世界ヒットの裏側」」はこちら
本稿では韓国の「三大芸能事務所」であるSM・YG・JYP 、そしてBTSを発掘したBig Hitがいかにして誕生したかという韓国現代ポップス史を振り返りつつ、「今の日本の音楽業界に足りないものは何か」を語っていただいた。
「日本人アーティストによる海外進出」は基本的にはアメリカ市場のみを想定したものとし、また日本ほどの成功を収めることができなかったケースが大半であると思われているが、第1回で語られたK-POPの南米人気の例からもわかる通り、何も海外市場はアメリカ・ヨーロッパだけではないのだ。
聞き手:米田智彦・神保勇揮 文・構成:神保勇揮
齋藤英介
富仕徳投資公司副総経理
ビクター音楽産業株式会社(現ビクターエンターティメント)洋楽部を経て、邦楽宣伝部に配属。サザンオールスターズ・高橋真梨子・阿川泰子・浜田麻里など多くのアーティストを手掛ける。EZOの全米デビューや、TBS番組『イカスバンド天国』、文化放送「Miss DJ」、フジテレビ『オールナイトフジ』ほか多くの企画も手掛け、宣伝部次長・経営企画・タイシタレーベル(サザンレーベル)・CMタイアップセクションなどを歴任。 1991年、株式会社アミューズ取締役国際部長に就任。「AMUSE香港」「AMUSE台湾」「AMUSE北京」「AMUSE ソウル」を次々に立ち上げ、金城武・BEYOND・林憶蓮・カレンモクなどのマネジメント契約、上海電視台・AMUSE共同制作「全中国オーディション 中華稚星」など数々の企画やプロデュースを行う。
2001年、株式会社イーライセンス(現NEXTONE)取締役、MCJP社長に就任。2005年、株式会社entaxを設立。株式会社アジア・コンテンツ・センターにプロデュサーとして参加し、韓国事業を開始。チャングンソク主演『メリは外泊中』・キム・ナムギル主演『赤と黒』の制作などを行なった。
2013年、台湾に著作権管理会社「ONE ASIA MUSIC」の設立(イーライセンス・SPACESHOWER他出資)と同時に、中国北京に「北京華夏第六視覚公司」を設立。防弾少年団(BTS)の日本でのプロデュースを行う。
2020年、富仕徳投資公司 副総経理に就任し、現在は中国数社のアドバイザーを務めている。
K-POP世界流行の礎を作った、1990年代の歴史的大転換
今回はまず、韓国ポップス史、つまり「K-POPがいかに世界を席巻したのか」という歴史を読者の皆さんにもぜひ知っていただきたいと思います。それはBTSが素晴らしいグループであることと同時に、「韓国エンタメ業界のビジネスモデルがいかに優れているか」というポイントを抑えることが重要だからです。

齋藤氏が作成した韓国現代ポップス年表
それまでの韓国は「トロット」と呼ばれる演歌・歌謡曲が強かったのですが、1992年にデビューした男性3人組のR&B〜ヒップホップグループの「ソテジワアイドゥル」が一世を風靡したことで韓国発ポップスの素地ができました。
もう一人の重要人物は音楽プロデューサーのキム・チャンファン。“韓国の小室哲哉”的な活躍を見せた人です。彼らが活躍した1990年代初頭は今よりも米軍基地の数も多く、クラブでアメリカのR&Bや、ユーロビートが大ヒットしていました。キム・チャンファンによるプロデュースでも特にヒットしたのが男性2人組ユニットのCLON、そして国民的歌手となったキム・ゴンモという男性シンガーソングライターです。
こうした流れの中で、シンガーソングライター、司会者、プロデューサー、実業家と多彩な活躍を見せ、「文化大統領」と呼ばれていたイ・スマンが1995年にSMエンターテインメントを立ち上げます(前身となるSM企画に遡ると1989年に創業)。日本で有名な所属アーティストは東方神起、BoA、少女時代、Super Juniorなどですね。
彼は男性グループのH.O.T.、女性グループのS.E.S.などをヒットさせ、1998年にS.E.S.を日本でも売り出そうと進出をかけるのですが、残念ながら失敗してしまいました。そこで「ちゃんと日本のエンタメ企業と組もう」ということになり、エイベックス、吉本興業とタッグを組んで日本法人(SMジャパン)を設立。そうして2000年代初頭にまず日本でヒットしたのがBoA、続いて東方神起という流れです。
また、1996年にはBIGBANGやBLACKPINKなどで有名なYGエンターテインメントが誕生。創業者はソテジワアイドゥルのメンバーだったヤン・ヒョンソクです。こちらは初期からアメリカのR&Bやヒップホップを強く意識した楽曲を発信していました。
さらにこの年には、後にNiziUや2PM、TWICEなどが所属するJYPエンターテインメントも創業されています。SM・YG・JYPの3社が韓国の芸能界を大きく引っ張っていく原動力となってくるわけです。日本でいうとジャニーズ、ホリプロ、アミューズが出揃ったという感じでしょうか。
JYPはSM・YGと比べて比較的オールドスクールな音楽性のアーティストが多く、初期に日本でもデビューしたアーティストとしては女性グループのWonder Girls、男性ソロアーティストのRain(ピ)などがいます。Wonder GirlsとRain(ピ)はいずれも全米ツアーを行っていたのですが、残念ながらいずれも大ヒットはできなかった。「失敗したのがダメだった」と言いたいのではなく、「チャレンジし諦めなかったことが今のヒットにつながっている」ということです。
今でこそ、YGが新人アーティストをデビューさせる、J.Y. Parkが動くなどとなると日本のレコード会社は「ぜひ当社で扱わせてください!」とお願いする立場になってしまっていますが、彼らは皆日本のプロダクションマネジメント、レコード会社システムを学んで大きくなってきたのです。こうした現状は日本人としてはやはり残念に思ってしまいます。
そしてようやくBTSが所属するBig Hit Entertainment(2021年にHYBEへ社名変更)」が登場するわけですが、設立は2005年で創業者のパン・シヒョクはJYPで作曲家・プロデューサーとして働いていた人間です。Big Hitが初期にやっていたのも、JYPアーティスト向けの楽曲制作でした。そこからBTSのデビュー前後の活躍については前回ご紹介した通りです。
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日本の大手芸能事務所との違い「積極的に投資を呼び込み規模拡大を図る」

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そしてこれはHYBEに限らず韓国エンタメ業界が日本のそれと全く違うところでもあるのですが、とにかく彼らは「ネットワークでビジネスを広げる」ということを重視している。例えばMVひとつとっても、新人でさえ1本1500万円の予算をかける。今の日本では考えられないことです。それだけMVの重要性を理解している。
加えて、日本の音楽番組にも積極的に出演するし、NAVERが提供するライブ配信アプリ「V LIVE」も積極的に活用する。HYBEは有料ファンクラブ機能やEコマース機能もあるプラットフォーム「Weverse」をNAVERと共同で立ち上げたり、CJ ENMというエンタメ企業と合弁会社と新音楽レーベル(BELIFT LAB)を設立したりする。近年では自分の事務所だけでアーティストを育てるのではなく、SOURCE MUSIC(6人組女性アイドルグループのGFRIENDなどが所属)、PLEDISエンターテインメント(13人組ボーイズグループのSEVENTEENなどが所属)といった他の芸能事務所も買収しています。
日本の芸能事務所だと「上場してすごい」止まりになってしまいがちですが、積極的に投資も受け入れ他社との共同事業も展開しています。これらが積み重なって現在の「HYBE」という化け物を構成しているわけです。
これまで「巨大プラットフォームとエンタメ企業のタッグ」で言えば、日本だとAmazonと吉本興業のそれが話題を呼びました。これまではエンタメ企業はコンテンツ=アーティストや芸人を用意できるという部分でプラットフォーム企業にない強みがあるとされてきましたが、HYBEはそれを両立してしまいかねない。
じゃあ日本でも出資を募って同じようなことを始めればいいじゃないかと言われても、それができる人材があまりに少ない。極論を言えば日本の芸能界は40年間何も変わっていないんです。先ほど少し触れたV LIVEでBTSの動画は世界中で5億回再生されていたりする。日本のレコード会社や芸能事務所で「A国ではこれだけのファンを見込み、B国ではこうしていく」と戦略を描ける人がどれだけいるのか。そうなると他国の企業も日本企業ではなく韓国企業と組みたいと感じるのは当然のことです。
日本の音楽業界に足りないもの
日本の音楽業界はある種の権威主義に陥ってしまっていると僕は強く感じています。アーティストも有名レコード会社や芸能事務所じゃないと契約したくないという人が後を絶たないし、レコード会社・芸能事務所でも大物アーティストに対して「ここはもっとこうすれば良くなるんじゃない?」と指摘できるディレクター、もっと言えばある意味「アーティストより偉い、実力のあるディレクター」がどんどん減っている。
そうした状況は結局「ヒットしなくても自分のせいじゃない」「外部から招聘した有名プロデューサーがついてもダメでした」という責任放棄につながってしまいます。こうした状況を変えない限り、日本の音楽業界は韓国に勝てないと思います。
加えて、これからは中国エンタメがどんどん進化してきて、韓国以上のことを成し遂げる可能性だって十分あります。財力もあるし国内市場も大きい。そして世界中に「中国ルーツの◯◯人」もいる。
でも、改めて思い返してほしいんですが、BTSも他の多くのK-POPアイドルも、「外国では最初に日本で成功している」んです。日本の音楽業界で働くみなさんも、BTSやHYBEを特別扱いするのではなく、自分たちにもできるはずだと奮い立ってほしい。
Big Hitを立ち上げたパン・シヒョクは、兄貴分と言えるJ.Y.Parkと「なぜWondergirls、Rain(ピ)はなぜ海外進出に失敗したのか」をちゃんと話し合っています。一方で日本は「なぜPerfumeやBABYMETALが海外で売れたのか」のキモの部分を囲い込みがちになってしまう。韓国とは真逆なんです。
もちろん、自ら海外に出ていくのではなくて、日本で頑張って世界から見つけてもらうという考え方もあると思います。日本のアニメやアニソンはそうした広がり方をしてきましたよね。ただ、配信などの広げ方やビジネス展開についてはちゃんと自分たちで研究する必要がある。その際にひとつだけ注意点としては「全世界・全人種」を同時に相手することはできないということです。アメリカを対象にするのか、ヨーロッパを対象にするのか、アジア系か、その他か。それを注意深く見定めて戦略を決定しなければなりません。
これまで数多くの日本アーティストが海外進出に挑戦したものの、残念ながら国内以上の成功を収めることはできなかった人が大半です。僕が担当しているアーティストで言えば浜田麻里やE・Z・Oというメタルバンドなどが挑戦しましたが、成功と言えるのはグラミー賞(ニューエイジ・アルバム賞)も受賞したシンセサイザー奏者の喜多郎ぐらいでしょうか。
そもそも、特にポップスやロック、R&Bの「本場」と言えるアメリカで日本人が勝つのは非常に難しい。アマチュアでもそこら中に日本人よりも上手いシンガーやプレーヤーがゴロゴロいるし、ラジオなどで流してもらうにも多額の資金が必要です。
自分の実体験で話すと少し古い例が多くなってしまうのですが、個人的には「日本人ミュージシャンのヨーロッパ進出の流れ」を再考してほしい気持ちがあります。古くはビートルズやピンク・フロイドも手掛けたイギリス人音楽プロデューサー、クリス・トーマスに注目されたサディスティック・ミカ・バンドや、日本のレコード会社と契約する前にロンドンのレーベル「ラフ・トレード」からレコードをリリースしたプラスチックスなどの例があります。プラスチックスは僕もビクター勤務時代に関わったことがありました。
今のPerfumeの海外進出にも連なる話だと思うのですが、いきなり一般層に広がるかたちではなくて、どこかの国でクラブヒットを放ちYouTubeやSpotifyなどの再生回数を増やしつつ、その実績をベースに他の国にも展開していくという手法は今でも同じように通用する部分があると思うんです。韓国勢の手法が唯一の正解なのではなく、もっと日本らしいやり方があるかもしれない。
いずれにせよ、ミュージシャン同士でもレコード会社のスタッフ同士でも、横の連携は非常に重要です。そこから新しい時代のチャレンジやヒットが生まれることを期待しています。