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連日どんでん返し的なカードの切り合いが報道されて注目を集める自民党総裁選ですが、あなたはどう思いますか?
この連載の編集部から自民党総裁選についての記事を依頼されて、直前まで私は
…という記事を準備していたのですが、記事を書く直前に全然期待せずに観た高市早苗氏の出馬会見が予想の100倍ぐらい良くて、これは本気で日本初の女性首相誕生がありえると思ってしまいました。
一度の会見ですべてが理解できるわけではないとしても、この会見の印象としてはむしろ特異なバランス感覚の持ち主に見え、巷で言われる「極右政治家」的な印象が全然なかった。
その後色々な「最右翼層御用達のYouTube動画」に高市氏が出ているのを観たところ、その「最右翼層の気持ち」を汲みつつ、自分自身は「左翼系の記者もいるオープンな記者会見でも通用する言論」のバランス感覚を維持し続けているセンスには脱帽する思いを持ちました。
高市氏はほんの二週間ぐらい前まで「ネット右翼のアイドル」みたいな扱いで、あまりマトモな候補者とは見られていませんでしたが、今や「次の日本国首相になるかもしれない有力候補の少なくとも三番手」ぐらいまでは来ていて、いつまでもアンタッチャブルな扱いを続けるわけにもいかないわけで、当然ながら民放などのニュース番組でも高市氏をゲスト出演させ声を直接報道するケースも増えてきています。
というわけで、「極右政治家」だという偏見を持って「2時間の会見動画」を観たら印象が全然違って驚いた!!!という新鮮な感情のままに
「おいおい女性首相誕生しちゃうかもよ!?」という直球の記事を自分のブログで書いたバージョン
は、今BLOGOSという言論サイトにも転載されてランキング1位になっている↑のでそちらを読んでいただくことにして…
こちらではもっと冷静かつ中立的に、
今の日本で高市氏という政治家が「次の首相候補の少なくとも第3位」にまで来ていることの意味をどう考えればいいのか?
について考える記事となります。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。
1:日本国民は“対話”に飢えている?
「会見動画を観てビックリした!」という感情のまま書いた記事で何度も書きましたが、高市氏の出馬会見については、「極右政治家でヤバい人らしい」「過激な最右翼勢力限定のアイドルなんだろう」と思っていたら全然違う印象でビックリしたんですよね。
小池百合子氏とか蓮舫氏とかのような「空疎なキャッチフレーズを連呼することが仕事」みたいな「日本の女性政治家のよくあるタイプ」では全然なかった。扱っている政策について議論の全体像を意識しながら非常に解像度高く具体的細部まで縦横無尽に話す能力があるし、何しろ「双方向的」に記者とやり取りしながら議論を発展させていける能力も見えた。
要するになんか、
「普通に優秀そう」
なのがビックリしたというとメッチャ失礼なんですけどまさにそういう印象だったんですよ。
この連載の担当編集が、僕が書いた記事を読んで彼も高市氏の会見を観たところ、以下↓のように驚いたと言っていました。
かなり過激な「最右翼勢力」の支持を受け、その支持者向けの発言や行動も多数あることを問題視する左翼の人も多いと思いますが、むしろそういう層の支持をちゃんと取り付けて基盤としておきながら、会見などの場においては
保守派の原則をリベラル派も理解できる文脈で表現するバランス感覚
を維持するのは、ちょっと魔物レベルのコミュニケーション能力を感じました。
むしろ高市氏が政権につくことで、懸案だった例えば「夫婦別姓制度」とか「歴史認識問題」などの「リベラル派の課題」に新しい解決策が見えてくるのではないかとすら私は考えています。
とりあえず「歴史認識問題」だけを取っても、高市氏だからこそ「一歩踏み込んだ解決」が、単に「中国韓国にもっと強硬に出るべき」みたいなレベルとは雲泥の差で違う高い視点から生まれてくる予感すらあって、それについては別の記事を書いたのでそちらをお読みください↓。
アメリカのアフガン撤退以降の世界的情勢だからこそ可能な「歴史認識問題」のあるべき解決策を考える。
「誰かを絶対悪として非妥協的に糾弾することで自分たちはイノセントな存在でありえる」というような、20世紀の人類社会の諸悪の根源的な欺瞞を克服することでしか、徹底的に多極化する現代社会における「平和への本当の責任」は果たせません。
単なる紋切り型の「20世紀的左右対立」を超える視点からの根底的な解決の可能性について書いています↑。
それ以外にも、例えば「夫婦別姓制度」的なリベラル的課題にすら、
“極右政治家”の高市氏だからこそできる「リベラル的課題の解決」というものもありえるのではないか?
ということを私は考えているのですが、それは別の機会に深く掘り下げたいと思いますので少しお待ちください。
2:「対話」を軽視するネオリベ型“ビジネス右派”の時代の終わり?
今回の記事ではまず、高市氏の「対立する意見の人にも開かれたコミュニケーションスタイル」がもたらす変化の可能性…という点をまず深堀りしたいんですね。
実は、経営コンサルタントの私のようなビジネス的キャリアの人にありがちな価値観として
「政治家は政策をちゃんと実行することと、その政策内容の優先順位をブレずに設定することが最重要だ」
…みたいな考え方の人は、別にスガ首相の会見だってそれほど悪いとは思ってないんですよね。
そういう人は、
って思いがちなんですが、今回担当編集が、
と言っていて、恥ずかしながら私は盲点をつかれたというか、
そういう価値観もあるのか!!!
と思いました(笑)。
安倍スガ時代が「地獄だ!」って言ってるタイプの人は「そういうの」を求めていたのか。「対話」がほしかったのか!なるほどね!!
…みたいな(笑)。
実際高市氏の会見については、私のような“ビジネス右派”みたいなタイプの人からは、例の「原発処理水放出問題」で地元とのコンセンサスを重視するという発言に対して「総スカン」みたいになっており、「高市なんぞ支持するのはアホ」みたいな吹き上がり方をしているグループもあるんですが、一方でこの「対話を求めている層」においては…
例えばフェミニスト的アカウントの人の、
みたいなツイートが大量にシェアされていたり、左派寄りのジャーナリストの人とかが、
についてポジティブな評価を与えているのをチラホラ見ました。
3:「ビジネス右派的強引路線」の限界に直面したのがスガ政権の空中分解
ものすごく直感的な言い方をすれば、日本国民の半分ぐらいは私のような「対話とかじゃなくてちゃんと重点を外さない政策の実行力が大事なんだ」派ですが、一方で逆側の半分ぐらいには「排除されずにみんなが対話している感じ」こそが大事だという層もまた厳然としているのかもしれず、私たちは民主主義国家の基本としてそのことをしっかり思い出すべき時なのかもしれません。
なにより最近私も考え方を考えないといけないな、と思っているのは、
「対話を馬鹿にする路線」だと、「肉を切らせて骨を断つ」的なことはできる
…んですが、
微に入り細に入り配慮しながら色々な現地現物の工夫を吸い上げて国民の総力を引き出していく
…みたいなことが全然できないんですよね。
そのへんが、
評論家タイプの人から批判されまくっても「骨」にこだわって徹底的に世界一レベルの急激な追い上げを実現したワクチン政策の強み
と、
病院間連携の最適化によって病床を可変的に確保するような、いくつかの地域で目覚ましい成果を上げたようなベストプラクティス(最高の事例)が全然横展開共有されずに、不運な人はただ孤立無援に我慢するしかない…というダメなところ
という「スガ政権の二面性」につながる。
私は、スガ氏を批判する人の中でこの「前半部分」を軽視しすぎている人がかなりいることが本当に良くないと考えているんですね。
そういう態度はいずれ最終的に「もういっそ中国みたいな強権的政体こそが21世紀には合理的なんだ」とかいう結論に至りかねない民主主義内における最悪のバグだと思っている。
国際的に既に「人種別(アジア系)」の検証結果も積み上げられていたワクチンについて、野党が強固に「国内治験」を主張したために出遅れた日本のワクチン接種を、スガ氏がその豪腕で世界一レベルにまで加速させていなければ、デルタ株によって世界中で感染拡大が起きた「第5波」において、日本の高齢者層に死体の山が築かれていた事は疑いない。
だからスガ氏の「骨を断つ」レベルへの強烈なこだわりのような「功」の部分を軽視して、「スガはただ自分の権力にしがみつくことしか考えないヤツだった」みたいな矮小化したことを言う人には本当に自分は全力で怒りを覚えるというか、
…と思うのですよ。
しかし一方で、いくら「肉を切らせて骨を断つ」だとはいえ、
という課題に今後答えていくことが、今の日本の最大の課題になりつつあるのかもしれません。
やはり政治家にとって
「俯瞰で見た時の冷静な判断の正確さ」と「人々に寄り添っていると思わせる人間力」の両立
…というのは非常に重要なスキルなんですよね。
そしてそれは単にビジネス右派の人にとっても、「はいはいわかったよ!対話ってやつをやりゃいいんでしょー!チッめんどくせーな」というレベルの話ではなくて、純粋に「ビジネス右派」の価値観の範囲内だけで言っても、
スガ政権のコロナ対策が、柔軟な病院連携による病床確保といった、ビジネス用語で言う所の「ベストプラクティスの横展開」が全然できずにギクシャクし続けたような課題を解決するために今必要な変化
なのだと思われます。
4:“政治談義が好きな一部の層”の『外側』ではすでに高市氏の人気がひたひたと迫ってきているかも?
「政治談義が好きな層」や実際投票する自民党党員、自民党国会議員の間では、高市氏はまだ「三番手」ぐらいの期待度だと思いますが、しかしその『外側』にはかなりこの「高市氏の開かれたコミュニケーション姿勢への期待」が伝播しつつあるのを感じます。
例えばこの記事によると、高市氏が今月15日に出版する著書は予約段階ながらAmazonの書籍総合ランキング1位になっているそうです。
私も自分の著書を出した時によく使った手なんですが、Amazonのランキングには膨大な「サブカテゴリ」があるんで、「●●部門で1位になりました!」みたいな宣伝文句は実際のところ全然たいしたことないというか、私ですら複数部門で一瞬1位になったことがあります。
しかし
漫画や芸能人の写真集やビジネス書などをすべて含めたランキングで、しかも予約段階で1位というのは政治家の本としてはものすごく異例なこと
…だそうで、上記リンク記事では「河野氏の本の3倍は動いているようだ」という都内大型書店員の声も紹介されています。
これは「狭い範囲」の政治に自覚的に関わっている層の中での内輪の順位付けに比べて、
その「外側の世界」において、「なんとなくの国民的空気」としての高市さんへの待望の空気が「ひたひたと迫ってきている」ことを表しているのかも
しれません。
要するに、「政治談義をやるのが好き・興味がある層」以外では、そもそも高市氏のように「誰も排除せずに対話感を出せる」こと自体がかなり切実に求められている部分があり、それこそ
「安倍・スガ時代を通じてずっと満たされなかった対話への飢え」
のようなものを吸い上げる波を捉えることができれば、今の「三番手候補」扱いから今後一気に躍り出て
歴史上初となる女性の日本国内閣総理大臣 高市早苗
…も十分ありえると私は感じています。
5:「対話」は「責任」を生むんですよ!お願いしますよ!
私は現時点で立候補表明している岸田・高市・河野三氏の中で、実際に総理になった時の違いという意味では、
河野氏になるのか、それとも岸田氏あるいは高市氏になるのか
の部分に「大きな違い」があるだろうと考えています。ざっくり言えば
河野氏=90年代の橋本龍太郎政権以降着々と日本が進めてきた官邸への権力集中の流れの延長で、さらにドラスティックな改革を目指していく
岸田・高市氏=平成時代を通じて続いてきた「官邸への権力集中」路線を撤回し、より広範囲の官僚システムとの協業路線に舵を切る可能性が高い
という違いがあると予想される。
この記事で書いた「ビジネス右派」的な「いわゆるトップダウン」路線の延長にあるのが河野氏で、より柔軟な「いわゆるボトムアップ型協業」路線に舵を切ると予想されるのが岸田・高市氏ということになる。
私は、官邸の「強引さ」をそれ単体でダメなことだという議論は民主主義国家の主権者としてのオーナーシップがない失格的態度だと思っていて、
・昭和時代にあまりに官僚組織間の縦割りの弊害が大きすぎたので、平成時代に官邸に権限を集中させようと決めた
という日本の「歩んできた歴史」への敬意がなさすぎると思うんですね。
・「官邸への権力集中が問題だ」となったのなら、「なるほど、じゃあ権限を集中しなくても縦割りの弊害が起きないような仕組みを考えなくてはいけませんね」と考え、主張し、具体的な仕組みを提案していく
こういう姿勢↑こそが、「民主主義国家の主権者」としての私たちの役割なんじゃないでしょうか。
例えば「戦前の日本の反省」だって、陸軍と海軍の縦割りが強すぎて全体としてバラバラでチグハグな全体戦略に突っ込んでいった事が破滅的な戦争になだれ込んでいった元凶そのものと言うことだってできるでしょう。
そういう「過去に必死に生きてきた日本人たち」の結論としての「官邸への権限集中」というものがある時に、ただそれ自体に文句言ってるんじゃなくて、
「じゃあ官邸への権力集中を回避しても、完全にバラバラの縦割り組織で調整がつかない空中分解状態にならないようにするにはどうしたらいいんだろうね?」
という視点について、「自分たちの責任」として主体的に考える姿勢こそが、民主主義そのものではないんでしょうか。
とにかく、“私個人の意見”としては、もうこの「権限集中路線」には限界が来ており、何らかの転換が必要な時期に来ていると思っているので、今回は岸田・高市路線に期待しています。
そして、官僚に限らずなんですが「昭和の日本の組織」というのが本当に強烈な「縦割り」意識に支配されていたことはある程度以上の年齢の日本人なら身にしみてわかると思いますが、平成時代の意識変化を経て、今なら、「横断的な連携」を何らかの形で具現化できる準備は整っている状況なのではないか?という期待も持っています。
しかし、それでも自分としては、
岸田・高市路線では、結局単なる「何も前に進まないグダグダな社会」になってしまうのではないか?という危機感を裏腹な不安を抱えつつ…でも今進むべき道としてこの路線なのだ
とも思っているわけです。
もちろん逆に、
河野氏の路線でワクチン接種については拙速だろうとなんだろうと強引に進めたことが「吉」と出たけど、例えば自然エネルギー導入については「あと100歩ぐらい冷静かつ慎重な目配り」しながらやってくれないとマジで国が破滅するんだけど?
という不安感もあります。
どっちにしろ、単に「権威に中指立ててやったらスカッとするよね」みたいなレベルで解消するような議論でなく、「自分だってその一員なのだ」という目で、どうすれば日本国が、そしてこの日本列島に生きる一億人強の未来の幸せがありえるのか?について考える姿勢こそが、今の私たちに必要なマインドセットなのではないでしょうか。
今、自民党政権の支持率が落ちているとは言っても、じゃあ野党の支持率が政権交代可能なレベルかというと全然そんなことないですよね。
私は経営コンサルタント業のかたわら、色んな立場の「個人」と文通を通じて人生を考える仕事もしているんですが(興味ある方はこちら)、そのクライアントの中で一時期まで徹底的に「反安倍!」だった医療関係者の女性が、最近
…と言っていて笑ってしまいました。
現政権の対策に不備があるなら、「どこは正しいがどこが間違っているのか」について丁寧に腑分けをして現場を混乱させないようにしながら適切に提案していくのがこういう時に野党が政権担当能力を示す「腕の見せ所」であるはずなのに、単純に
「自民党政権がいかに人の命を大事にしない絶対悪であるか」
を全否定的に叫び、人によっては仲間内で盛り上がるためなら科学的に立証されていないような暴論でもどんどん取り上げていくような姿勢が、
「心情的に反安倍・菅だったのに、自分はどこに入れろって言うんだよ!」
…という少なからぬ潜在的支持層の「絶望」を招いていることを、野党関係者の人たちは真剣に受け止めるべきだと思います。
「対話」が開かれるなら「責任」も同じくやってくるわけですよ。
橋本龍太郎政権から25年以上続いた集権化の流れをついに逆流させるのならば、つまりオープンな議論を、対話をするなら、「野党側」だって単なる評論家的批判者ではなく「当事者意識」を持って政治に参加してくれないと困るんですよ!
今回記事はここまでです。
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