BUSINESS | 2023/10/11

言葉が通じない?文化が違う?そんなの関係ナシに「好きなことへの興味」でつながれる時代のビジネス

メイカーフェアバンコクで会った、インドネシア人/香港のウォリス、マレーシア華人のユン、日本人の自分。この3人が商談すると...

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メイカーフェアバンコクで会った、インドネシア人/香港のウォリス、マレーシア華人のユン、日本人の自分。この3人が商談するときは英語か普通語を使う

【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(39)

本連載は今回で最終回になる。今回のテーマは「新しいことに触れるのはどういう人達か?」だ。

2000年頃の飛行機利用客は、世界全体で16億人程度だった。それがコロナ禍前の2017年には40億人を突破している。これはインターネットの利用人数とよく似たカーブで増加していて、一年に何度も飛行機に乗って外国に行くことは、インターネットを使うことぐらい当たり前になってきている。

新しいビジネスを始める時は、いろいろな国で「何かしら新しいものに勘が働く」人たちと働くことになる。その国にルーツのない移民は、そういう新しいことに飛びつきがちだ。

高須正和

Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development

テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以 後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
X:@tks

テクノロジーへの興味が外国人たちをつなぐ

2019年1月のバンコクで行われたDIYテクノロジーの祭典「メイカーフェアバンコク」で、僕の友達のウォリス・キャンドラ(Waris Candra)とジミー・ライ(Jimmy Ray)は広東語で近況を話し始めた。僕が途中から話に入ったので言語は普通語(標準中国語)に変わり、ちょっと込み入った話題になると自分がついていけなくて、英語になった。

ジミー・ライは深圳のスタートアップのCEOだ。広東省東莞市の出身で、両親と話す言葉は広東語。34歳まで中国の国営企業で優秀なエンジニアとして働いていたので、普通語と呼ばれる標準中国語だけでも仕事ができるし、アメリカ資本のアクセラレータで起業したので、英語でもビジネスができる。

ウォリス・キャンドラもCEOで、香港でビジネスをしている。香港での日常会話は広東語だが、ビジネスだと普通語もよく使う。彼はインドネシア出身でイギリスの大学を卒業しているので、インドネシア共通語(バハサ)、英語、標準中国語、広東語でビジネスができる。おそらく簡単なジャワ語もできるだろう。

僕は日本語が母語で、2019年当時は英語でビジネスをしていたが、最近の商談は標準中国語だけのことも増えてきた。

ちょっと込み入った、1回のフレーズに2、3の名詞が出てくるような話、たとえば「深圳のメイカーフェアは、規模は縮小したけど目的とコミュニティがハッキリして、これまでより良いフェアになったよ」みたいなことを言おうとすると、当時の自分は英語でないとつらかったが、相手の応答は標準中国語でもそこそこ理解できた。

3人が商談をしたバンコクでは多くの、中国にルーツを持つタイ人たちがビジネスをしている。 中国の南方、潮汕(広東省の、福建省寄りの部分)にルーツを持つ人たちが多い。タイは20世紀からしばしば、中国語の禁止や中国にルーツを持つ人への同化政策などを行っているので、ずっとタイで暮らしてきたタイ人と、数世代前にタイに移民してきた華人の境目は間違いなくあるが、外国人が一発で見てわかるほどくっきりとはしていない。

たとえばメイカーフェアバンコクの主催者パン・トゥラバディ(Pan Tulabadi)はタイ生まれ。アメリカで起業し、2015年にタイに戻ってきた実業家のタイ華人だ。中国語はしゃべれず、アメリカ人と遜色ない英語と、もちろんタイ語を話す。

メイカーフェアバンコクで、僕とパンはステージで対談したときは、彼がタイ語で話して僕が英語で話すような形で会話を続けた。

写真中央の白いシャツの人物がパン。聴衆向けにはタイ語で話す必要があるので、日本語・タイ語の通訳が入った

日本では誰でも日本語が話せて、外国の人はまず日本語が話せない。別の外国語で、日本語と語彙や文法などがよく似ており通訳なしで通じるぐらいの言葉もない。これは世界的にけっこう珍しく、僕の場合は「外国」や「国境」という概念を、日本を出てからいろいろ考え直すことになった。

ほとんど国はだいぶ状況が違う。ウォリスやジミー、パンたちのような、複数の都市で働いたことがあって、いくつか共通語がある人たちは年々増えている。シリコンバレーの起業家は移民が多いし、今もGoogleとマイクロソフトの今のCEOは、英語が母語でないインド出身だ。

「移民と新規ビジネス」の共通点

その人がどこの国籍か、何語を話すか、どこの国でビジネスをしているか、どこの文化圏に属するかよりも、「新しいものにすぐ飛びつくかどうか」が、このときはバンコクにいた僕らを結びつける源になっていた。

そうした新規事業は常に小さく、国からの補助は期待しづらい。結果として自分たちでコミュニティを作り助けあう文化が生まれ、グローバルになりがちだ。華僑や客家、ユダヤ人など、グローバルな移民の多い人たちの間では、そうした新規事業を始めやすい共通する文化があるように思う。日本の歴史を見ても、日本全国から“移民”が集まる都市だった江戸はこれまでの伝統にない新しいものを歓迎する場所だった。

自分の生まれた国から出ること、違う国で仕事をすること、周りに外国人がいることは、世界のどこでも、どんどん特別ではなくなっていく。飛行機に乗る人が今後も増えていくように、複数の言葉を話す機会も増えていく。

『ハードウェアハッカー』の著者バニー・ファンは、日本語訳の出版に際したメッセージを「自分の経験をシェアすることで,みなさんももっと共同作業のリスクを取る意欲を高めてほしいと思っている。しばしば,いちばん変な人たちが,いったんよく知りあえば,最も素敵でユニークな人だったりするのだから」という言葉で締めている。

テクノロジーで変化する社会では、この視点がますます重要になっていく。


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