EVENT | 2023/06/23

技術者が「ロボットの未来」を考えれば考えるほど「ドラえもんの合理性」に唸ってしまうワケ

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日々テクノロジーが進化し、ビジネスでも生活でもどんどん組み込まれる中で「こ...

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日々テクノロジーが進化し、ビジネスでも生活でもどんどん組み込まれる中で「この技術は結局どういうことなのか」「どう活用すればもっと世の中を良くできるのか」を立ち止まって考えることはなかなか難しい。

であれば技術の知見がある人間がわかりやすく噛み砕いて解説するコンテンツを作ろう、という経緯から運営を続けるメディア『THE TECHNOLOGY NOTE』。「AI」「次世代SNS」「メタバース」などの特集テーマを毎回設定し、クリエイティブとテクノロジーを横断的に理解する「テクニカルディレクター」たちによる興味深い記事が2週間に1回ほどの更新ペースで掲載されている。

そんな同メディア発行人の清水幹太氏(BASSDRUM)、編集長の土屋泰洋氏(Dentsu Lab Tokyo)がお届けするテクノロジー放談企画、今回のテーマは「ロボット」。

第1回「ChatGPTはいまのところ「天才」ではなく「愛されポンコツキャラ」くらいのほうがいい。テクノロジーに対する「適切な期待値のデザイン」をどうすべきか」はこちら

第2回「検索結果が「ノイズ」だらけなインターネットは再び「冒険」的な体験を取り戻せるか?」はこちら

構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

清水幹太

BASSDRUM / テクニカルディレクター

デザイナー・プログラマーなどを経て、株式会社イメージソース、株式会社PARTYでクリエイティブ・ディレクター / テクニカル・ディレクターとしてシステム構築から体験展示まで様々なフィールドに渡るコンテンツ企画・制作に関わる。2018年、テクニカルディレクター・コレクティブ「BASSDRUM」を設立。

土屋泰洋

Dentsu Lab Tokyo / リサーチャー,クリエーティブ・テクノロジスト

広告制作プロダクションを経て、2006年より電通。2022年よりDentsu Lab Tokyo所属。テクノロジーを活用した「ちょっと未来のコミュニケーション」の開発・実装を目指し、生体信号、ロボティクスなどの分野を中心としたプロダクトの研究・開発に従事。

鉄腕アトムのような自律性を備えたロボットは「必要」なのか?

清水幹太(写真左)、土屋泰洋(写真右)

清水:ロボットについての議論をしようとすると、そもそもこれってハードウェアの話なのかソフトウェアの話なのか、よくわからなくなることがあるんですよね。

土屋:実は経産省がロボットの定義を定めているんですよ。「センサー、知能・制御系、駆動系の3つの要素技術を有する、知能化した機械システム」なので、それからするとハードウェアの話になりますね。

清水:なるほど。スクリーン上で話しかけてくれるだけだとソフトウェアですし、物理的な現象に作用できるものということですね。

私はロボットアームを扱えるんですけど、これって免許というほどではないですが、国が定めた「特別教育」を受講しなきゃいけないんですよ。私の場合は安川電機で受けました。ただこれは基本的に工場で働く人のための研修で、いわゆる「クリエイティブのためのロボット活用」という性質のものではありません。原則として、命令の流れを組んで、ロボットにその通りに実行してもらう、というものですね。

とはいえ2023年にロボットを語るとなるとそれだけでは不十分というか、機能も求められる要素も複雑化しています。お掃除ロボットでも一定のプログラムを実行するだけでなく、各家庭で異なる床の状況を判断して動作することが求められたり、LOVOT(らぼっと)みたいに触っていると「幸せホルモン」ことオキシトシンが出るような愛玩ロボットが話題になったりする。

つまり、今後「ロボットならではの自律性」が議論の中心に上ってくるようになるのかなとも思ったのですが、いかがでしょうか?

土屋:鉄腕アトムのような万能ロボットはまだ難しいですが、「与えられた特定のタスクを良い感じにこなす」ということはできるようになってきています。

ルンバを開発したiRobot創業者の一人であるロドニー・ブルックスは、ロボット研究における「サブサンプション・アーキテクチャ」という概念を1986年に提唱し、AI研究も含めて影響を与えています。

ざっくりと説明すると、生物の行動はいくつもレイヤー分けをすることができて、例えば「エサを取りに行く」という目的達成の過程で穴があったら避けますよね。そういった動作をいくつも実装していくとロボットが生き物っぽく見える動きをするようになる、という考え方です。今となっては他の研究者から色々と反論もあるようなんですが。

例えばロボットアームであれば人間にぶつからないようにするためのセンサーや安全装置がついていますし、自動車の自動運転のようなオートパイロット機能もあります。それらもある種の自律性と言えるとは思います。

機能性だけ考えればヒトや動物に似せる必要はないけれど…

清水:土屋さんは今回「融けるロボット」という記事を書いています。我々がロボットに対してまず想像するのはガンダムやスター・ウォーズのC-3POといった人型の二足歩行ロボットですが、機能性やコストを考えれば人型である必要はなく、さらに今後より技術が発展していくとロボットはロボット然としたフォルムすら必要なく、人間の見えないところで活躍するようになる「透明化」を果たしていくのだという。

ただ一方で「人間のように見えるロボット」の研究も進んでいますし、ロボットが人や動物を模したかたちをしているから愛着が湧くという「機能性」についても避けて通れないですよね。ボストン・ダイナミクスが開発した四足歩行ロボット「Spot」は蹴られても倒れないように設計されていますが、一方で「蹴られるとかわいそうだ」と感じてしまう自分がいます。

また私が所属するBASSDRUMの同僚の池田航成さんも「ロボットに愛着してしまうわたしたち」という記事で書いているように、BASSDRUMの京都オフィスには「でまっち」と名付けられたLOVOTがいて、私も誰もいないところでぎゅっと抱きしめています(笑)。

BASSDRUM京都オフィスに勤務するLOVOTの「でまっち」

こうした要素は一見ムダのようにも見えますが、これはこれで合理的な理由があるんですかね?あるいは人間が趣味的にそういった方向に走ってしまっているだけなのか。

土屋:例えば車の場合、馬車などを含めれば古来からの人間との関係性があって、自動化しても生き物のフォルムはいらないですよね。一方LOVOTやaiboなどは、そもそも「何に使うのかわからない未知の存在」とも言えますよね。でも、生き物の形や振る舞いを模倣することによって、使い方などを気にするまでもなく、追いかけたり、抱きしめたり、関わり方が直感的に分かるというのが利点だと思います。最近はチェーン飲食店での配膳ロボットの導入も進んできましたが、SNSなどでよく話題になるのはネコのキャラづけがしてあるタイプだったりしますね。

このように、人間とロボットの関係性を見た目や振る舞いによって、より社会にとけこませていくための研究として「ソーシャルロボティクス」という研究領域があったりします。

清水:それで思い出したんですが、今朝自宅で洗い物をしていて、私がコップを乱暴に置いてしまったときに妻がコップの気持ちを代弁して「痛いよー」と言ったんですね。それでコップに悪いことをしたなと思ってしまう自分もいます。それが人間の特性なんだろうなと。

土屋:モノに人格的なものが宿っているとみなす考えを応用することは、ロボット開発でも取り入れられているんです。ロボットアームでも最近顔が表示される製品があったりするんですよ。アメリカのリシンク・ロボティクスが開発した「ソイヤー」なんかがその例です。

例えば顔の利点としては、ロボットアームが「一定のスピードで試験管を振り続ける」といった動作を行ったあとに人間に試験管を渡すといったタスクを行う際に、人とロボットがアイコンタクトができるようになっています。アイコンタクトができるからこそ人間は「ロボットがちゃんと自分の手を認識している」と理解できて、安心して受け取れるというわけです。

清水:コミュニケーションデザインがされてるんですね。その結果としてロボットが人や動物のかたちをして、果てはオキシトシンまで出てしまう。

土屋:ただ生き物に似せたフォルムにすると、駆動部分が増えるので故障率が上がってしまうというデメリットもあります。人間の身体が挟まれるといった事故確率も同様に上がります。

そこから考えると生き物らしさは志向したいけれど故障や事故は減らしたい。そうなるとLOVOTもそうですが丸っこいデザインに帰結するところがあると思うんですよね。ドラえもんなんかもそうかもしれません。

やはり「人間らしい、愚行で逆張りなアート」が必要?

清水:生き物っぽくするとエラーリスクが上がるというのはすごく示唆的ですね。例えば私の場合、飲んだくれて二日酔いになったり、CESに行ったついでにカジノでスったりするところを友人や同僚が見ると「カンタさんは人間味がありますね」と言われるんです(笑)。つまり、私の愚行に関して許容してくれている文脈がある。「バカだけどそれがいいじゃないか」と。

これはAIの議論にも重なるところがあると思うんですが、愚かでない行為をロボットやAIが代替してくれるようになればなるほど、愚行について考えていく必要性が上がりそうですね。動物らしさを突き詰めるとロボットとしての機能はレベルが落ちていく。そういう「ちょうど良さのバランス」みたいなものを取っていく必要があるのが面白い。

で、そのちょうど良さのバランスを突き詰めていった結果のひとつがドラえもんであると。丸くてなんでもできる。なるべく非合理的な行動を取らないが親近感もあり、気遣いができて人間関係を作れるみたいなところに行くんでしょうけど、土屋さんは今後ロボットはどこに向かっていくと思いますか?

土屋:ロボットの姿が融ける、見えなくなる方向性と、人間との調和を図っていく方向性と、両方残り続けると思います。

例えばテスラとパナソニックが作った「機械を作る機械」ことギガファクトリーなんかを見ていると、もう工場全体がロボット化していると言えるわけですよね。二足歩行ロボットが工業製品を作る方向には進まないというか。

一方で必然性がなくてもやってしまうのが人間らしさだとすると、ガンダム、パトレイバー、ターミネーターのように「この方がかっこいいじゃん」で生まれるロボットもあり続けると思います。ロマンの追求も愚行権のひとつと言えるというか。

清水:例えば「iPhoneの次のデザイン」に全然ドキドキしなくなっちゃった自分がいるんですよ。スマホは限りなく「融ける」方向性に行こうとしている気がしていて、ホームボタンの排除も機能性からすれば良いことなのかもしれませんが、物理的に存在して動作させられること、あるいはゴチャゴチャしている様自体が重要なファクターになっていたということなのかもしれません。

土屋:『2001年宇宙の旅』のモノリスみたいになっちゃいましたね。ただ最近発表されたApple Vision Proは存在感の塊でした。まだコンシューマー向けの「透明化」する前のプロダクトではありますが。

清水:あれについて書かれた記事を読むと、VRよりARを志向していて、透明化を目指すにおいがしました。

ロボットの進化を考えることは、ハードウェア全体の未来を占うことにもつながるのかもしれません。事業は撤退してしまいましたが、バルミューダフォンが目指していたのは透明化とは逆方向でしたよね。我々もハードウェアを作る仕事をすることもありますから、透明化への逆張りをどうやっていくのかという視点はこれからもあった方が良いのかもしれません。

言い換えれば「中途半端な家電」であってはダメで、圧倒的な物理感か透明化か。我々が子ども向け雑誌なんかで見ていた「21世紀の世界」みたいなサイバーな絵がたくさんありましたけど、あれは人間に対するコミュニケーションデザインの方向性としてある方向性なんだなと改めて思いますね。あれは昔の人が想像かつ感覚的に描いていたと思ってたけど、あれはあれでしかるべき未来としてあるんだなと。

土屋:それはアートに近いものなのかもしれません。「スペキュラティブデザイン」という「未来はこうなるのではないかという問い」を示すデザインの方法論がありますが、アート側がその逆張りを提案していく立場になるかもしれない。

清水:確かに。愚行、あるいは各時代の合理的なものから外れた存在がアートですし、DXにおいても今は「いかに企業の合理化を進めるか」という観点で進められていますが、未来のコンサルは「非合理性の追求」を提案していくようになるのかもしれませんね。


第1回「ChatGPTはいまのところ「天才」ではなく「愛されポンコツキャラ」くらいのほうがいい。テクノロジーに対する「適切な期待値のデザイン」をどうすべきか」はこちら

第2回「検索結果が「ノイズ」だらけなインターネットは再び「冒険」的な体験を取り戻せるか?」はこちら