EVENT | 2023/06/06

検索結果が「ノイズ」だらけなインターネットは再び「冒険」的な体験を取り戻せるか?

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日々テクノロジーが進化し、ビジネスでも生活でもどんどん組み込まれる中で「こ...

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日々テクノロジーが進化し、ビジネスでも生活でもどんどん組み込まれる中で「この技術は結局どういうことなのか」「どう活用すればもっと世の中を良くできるのか」を立ち止まって考えることはなかなか難しい。

であれば技術の知見がある人間がわかりやすく噛み砕いて解説するコンテンツを作ろう、という経緯から運営を続けるメディア『THE TECHNOLOGY NOTE』。「AI」「次世代SNS」「メタバース」などの特集テーマを毎回設定し、クリエイティブとテクノロジーを横断的に理解する「テクニカルディレクター」たちによる興味深い記事が2週間に1回ほどの更新ペースで掲載されている。

そんな同メディア発行人の清水幹太氏(BASSDRUM)、編集長の土屋泰洋氏(Dentsu Lab Tokyo)がお届けするテクノロジー放談企画、今回のテーマは「検索」。

第1回「ChatGPTはいまのところ「天才」ではなく「愛されポンコツキャラ」くらいのほうがいい。テクノロジーに対する「適切な期待値のデザイン」をどうすべきか」はこちら

構成:神保勇揮(FINDERS編集部)

清水幹太

BASSDRUM / テクニカルディレクター

デザイナー・プログラマーなどを経て、株式会社イメージソース、株式会社PARTYでクリエイティブ・ディレクター / テクニカル・ディレクターとしてシステム構築から体験展示まで様々なフィールドに渡るコンテンツ企画・制作に関わる。2018年、テクニカルディレクター・コレクティブ「BASSDRUM」を設立。

土屋泰洋

Dentsu Lab Tokyo / リサーチャー,クリエーティブ・テクノロジスト

広告制作プロダクションを経て、2006年より電通。2022年よりDentsu Lab Tokyo所属。テクノロジーを活用した「ちょっと未来のコミュニケーション」の開発・実装を目指し、生体信号、ロボティクスなどの分野を中心としたプロダクトの研究・開発に従事。

人間の恣意的な「編集」から「自由」になったはずのGoogle検索で起こる不自由

清水幹太(写真左)、土屋泰洋(写真右)

清水:今回のテーマは「検索」です。

土屋:THE TECHNOLOGY NOTEに掲載されている記事の中ではテクニカルディレクターの泉田隆介さん(マニュファクチュア)の「検索に探究心を取り戻す」が面白かったですね。古くからあるインターネットブラウザの名前が「Internet Explorer (インターネットの探検者)」「Safari(狩猟遠征旅行)」「Netscape Navigator(インターネット景観の航海士)」みたいな感じで冒険をイメージさせるものばかりで、情報はわざわざ探しに行くものだったんだという。

昔は個人サイトでもわかりにくい場所に「隠しページ」へのリンクが貼られていることも多かったですが、Googleが登場したことでクローラーに拾われて検索結果に載るようになってしまった(笑)。

清水:私は「さよなら検索」という記事を書きました。

そもそも検索という概念がメジャー化したのはインターネットが普及してからで、それまではそこまで広く使われていませんでしたよね。ビジネス誌などで「検索力でライバルに差をつける!」みたいな身も蓋もないタイトルの記事も何度か見たことがありますが、そこで言う検索力とは結局「コンピュータやデータベースの都合に忖度した検索ワードを選定する能力」でしかなかったと思います。故にChatGPT以降の時代に対話型AIが発達すれば、逆にコンピュータが慮ってくれて「検索」そのものがなくなるんじゃないのかという。

ただ、土屋さんの記事「言葉に依存しない検索は可能か?」、Dentsu Lab Tokyoのなかのかなさんの記事「森の中でゆるふわ検索」ではもう少しマルチモーダル的というか、言葉ではなく音や脳波、はたまた植物(!)を用いた検索というアイデアや研究を紹介していて面白かったです。

土屋:これまでの自分のアクティビティをベースに、アルゴリズムが自動的に自分好みのコンテンツがおすすめされるレコメンド機能が様々なサービスで一般的になってきていますよね。こうなってくると、そもそも人は検索しなくなる流れになってくるのではとも思えてきます。

でも、もっと知りたいとか、未知のものを探したいという、まさに泉田さんの記事で指摘されていたような「探究心」を刺激するような仕組みは、インターネットが有益なものであり続けるためには重要だと思うんですね。検索という仕組みがどう進化すれば、より冒険的に物事を知ることができるのか、という観点から書いてみました。

レコメンドのアルゴリズムは、ユーザにとっては、何をどうしているのかがわからないブラックボックスになってしまっていますよね。ただ、レコメンドされるコンテンツによってはユーザにバイアスがかかってしまうわけで、倫理的な観点からも色々な議論が行われています。

テレビのようにソファに座って能動的にコンテンツを享受する姿勢を「リーンバック」と言ったりします。本来インターネットは、その逆で、アクティブにユーザがコンテンツを探しにいく「リーンフォワード」なスタイルだったわけですけど、スマートフォンやSNS以降、リーンバック的な特性が強くなってきているように思います。それは別に悪いことではないですけど、近年指摘されているような中毒性の問題や、バイアスの問題は、昔テレビに対してされてきた指摘と同じで、リーンバックなメディアならではの弊害が出てきているのかもしれません。

今後はどうユーザーの姿勢をリーンフォワードさせるか…つまりユーザの能動性をいかに引き出してあげるようなUXが重要になってくるのではないかと思います。

とはいえ、誰もが自分が欲しい情報を十分に言語化できる、つまり適切な検索ワードを思いつけるわけではない。となると昔はよくあったディレクトリ型のサイトが再評価されることもあるかもしれないと感じました。

清水:改めて考えてみるとよくわからなくなってきてしまったんですが(笑)、なぜディレクトリ型のサイトは好奇心を刺激する、あるいは興味を言語化しやすいと言えるのでしょうか?

土屋:例えばWikipediaを見ればわかりやすいですが、「機械学習」の項目を読めばその中にニューラルネットワーク、画像認識、音声認識といった分野があることがわかり、ナレッジベースで情報を再構築して掘り下げていくことができます。検索を組み合わせればさらに遠くに行ける。泉田さんの記事には「当時まだディレクトリ型検索エンジンだった Yahoo!は、さながら港町としての役割を担っていたのだと感じる」という記述がありましたが、それは現在だと自然には獲得しにくいスキルになってしまっているのかもしれません。

清水:とはいえディレクトリ型的なあり方は必ず人間の恣意的な意図が入ってしまうわけで、もともとGoogle的なロボット型検索のあり方は「無編集のあらゆる情報を浴びられる」という思想として評価されていたところもあった気がするんですよね。とはいえ今は検索結果に広告が大量表示されますし、いかがでしたかブログ(トレンドブログ)が上位に出ることも一向に減る気配がないですし、SEO対策の負の側面みたいなものがあり、ノイズが入り込んでいることが前提になってしまった。

加えてこの前、アメリカに行くためのESTA(電子渡航認証システム)を申請しようと思ったら、検索で一番上に出てきた代行サービスのサイトがフィッシング詐欺をしていて、自分の情報が盗まれてしまったということがありました。Googleで検索するときにさえそんなことに気をつけなければならなくなったというのは、結構色々考えてしまうところがありました。

土屋:「多くの人が参照しているサイトには質のいい情報があるはずだ」という考え方、つまり「ページランク」という大発明が、裏技的なSEO対策が積み重ねられていったことによってうまく機能しなくなってきている印象がありますよね。

一方で検索エンジン側も、検索ワードからユーザが検索したい情報の意図を読み解く「セマンティック検索」が実装されたり、継続的に検索UXの改善の試みは行われています。

Googleはまだ、MicrosoftのBingのように対話型AIを検索体験の中に入れてはいませんが、そのうち"I'm feeling lucky"ボタンの代わりにチャットが立ち上がるボタンがついたりするかもしれませんね。

清水:確かに、対話型AIの方が誠実に返してくれるんじゃ感はちょっとありますよね。たとえばウェブサイトに表示される画像で「今は全部5枚中の3枚目です」と表すドットのことを「ドットインジケーター」「ドットナビゲーション」と言うんですが、ChatGPTに「ああいう表示のされ方をするやつの名称って何ですか?」ぐらいな曖昧な聞き方をしても答えてくれる時代ですよね。今までは「検索力」みたいなものが必要とされていた一方、より多くの人が使えるようになるかもしれない。ポジティブな変化だと思います。

「知らない言葉」を検索できる時代、人間に求められるのは「ネットへの貢献」?

土屋:検索の課題はずっと「知らないことを検索できない」ということでした。言葉にできないものはできない。2ちゃんねるやYahoo!知恵袋などでたまに見かける「人力検索の奇跡」みたいなものってありますよね。メロディを「テーテレー」というように無理やり文字化して「こんな感じだったと思うんですが曲名がどうしてもわからなくて…」という難題を当てる人が出てくる、みたいなやつ(笑)。

現状の検索の仕組みだとこういう抽象的で柔軟性の高い検索は難しいんですよね。そういう意味で、おっしゃる通り対話型AIがあいまいで抽象的な質問と適切な検索ワードをブリッジしてくれるというのは大きな可能性があると思います。

清水:よくありましたよねそういうの(笑)。そう考えると、インターネット普及初期の理想像のひとつに「お金がなくて良い教育環境にアクセスできなくても、ネットを使えば質の高い情報にたどり着ける」があったことを思い出しました。とはいえ今は既に「ChatGPTのプロンプト作成能力を身に着けてライバルに差をつけろ!」みたいな情報商材屋も登場してきていることもあり、現状と同じように格差が生まれてしまうかもしれないという懸念もあります。

土屋:ただ「検索力で差をつける」というのは実は難しいのでは、とも思っています。僕も仕事柄色々とリサーチをするのですが、例えば「AIと視線認識を使った新しい検索インターフェイスを考えてくれ」というお題があったとして、そのまま検索ワードに「AIと視線認識を使った新しい検索インターフェイス」と入れても参考になる情報が出てくる確率は低いですよね。全く別の場所、別の文脈の知識がないと本当に新しい解決策は出にくかったりする。そもそもオンラインにヒントがあるとは限らない。「能力の差」というのは結局そういうところになってきてしまうのではないでしょうか。

論文検索サービス「Google Scholar」のトップページには「巨人の肩の上に立つ」と書かれています。そこには「偉大な先人たちが積み重ねてきた知識の上にのって、新しい知の地平線を開こう」という理念があるわけですよね。これはアカデミアの世界だけではなくインターネット自体に言えることだと思っています。

昔個人的なブログを書いていた時に心がけていたことですが、既存の情報をとりあげてそれを紹介するだけでは、ある情報のバリエーションが生成されるだけで、情報の接触機会は増えるかもしれませんが、「ネット上の情報」は増えないんですよね。既存の情報をとりあげつつ、例えばこういう考え方は昔こういう分野の人もしてたよ、とか、こういうやり方もいいけど、こういうやり方もあるよ、というように、別の情報とつないでみると情報が増えるのでインターネットにとって意味があるんじゃないでしょうか。

清水:私は土屋さんのことをずっとある種の「検索モンスター」であると思ってきたんですが、そうじゃないということが聞けたのは今回目からウロコでした。今はSNS含めてネットで情報発信する人がどれだけ作り手意識を持っているかわからないですが、Wikipediaのあり方もそうですし、今や個々人の情報発信も対話型AIに用いられる言語モデルの学習対象になるかもしれないと思うとちょっと見え方が変わる部分もありますね。プラットフォームが今後そういう行動を促すようになっていくと良いのかもしれません。


第1回「ChatGPTはいまのところ「天才」ではなく「愛されポンコツキャラ」くらいのほうがいい。テクノロジーに対する「適切な期待値のデザイン」をどうすべきか」はこちら