日本最大級のインターネットテクノロジーイベント「Interop Tokyo 2023」が、6月14日から16日にかけて、幕張メッセで開催される。1994年に日本でInteropが初めて開催されてから、今年は30回目を迎えるアニバーサリーイヤーとなる。
私たちの生活に欠かすことのできないインフラとなったネットワークだが、Interop Tokyoでは数年先に大きなトレンドとなるネットワーク関連のトピックを先取りし、さまざまな講演やセミナーを行っている。
これまでInteropはどのようなトピックを取り扱ってきたのか、Interop Tokyoの実行委員およびカンファレンス プログラム委員会の議長を務める江崎浩・東京大学大学院情報理工学系研究科教授が、その運営をサポートする株式会社ナノオプト・メディアの大嶋康彰・代表取締役社長と共に振り返った。
大嶋康彰氏(左) 江崎浩氏(右)
文:青山 祐輔 画像提供:ナノオプト・メディア
米国滞在時に友人からInteropに誘われた
Interop Tokyoでは、会期中に基調講演やセミナーといった、無料のセッションが数多く実施される。これらのセッションでは、通信・ネットワーク業界の大手プレイヤーのエグゼクティブ、最先端の研究開発に取り組む研究者、または新進気鋭のスタートアップのエンジニアといった多種多彩な登壇者が、業界のトレンドや展望、カッティングエッジなテクノロジーの動向について語ってくれる貴重な場となっている。
さらに、これらの無料セッションとは別に、有料のカンファレンスも実施されている。この有料のカンファレンスこそ、ShowNet並んでInteropを特徴付けているもののひとつ。前回の慶應義塾大学 中村修教授の回でも触れたように、Interopでは技術に関する様々な議論や共有を大切にしてきた。
しかし、そうした技術情報のなかには、ベンダーのコアテクノロジーに関わるものや、最先端の研究成果などが含まれることもあり、無償での一般公開がはばかられるケースもある。だが、そうした情報に積極的に触れたいという、ポジティブな人々に向けてディープで有益な情報共有の場として、有料カンファレンスを開催している。そして江崎氏は、このカンファレンス委員の議長として、プログラムのテーマ設定やスピーカー選びについてコミットしている。
そもそも江崎氏が、Interopを初めて知ったのは、1990年頃のことだったという。当時、東芝の社員だった江崎氏は、アメリカに留学しベル研究所(Bellcore)の客員研究員としてネットワークの研究に従事していた。その当時のルームメイトが、後にIPv6の共同開発者であるポール・フランシスだった。
「彼から、Interopに行くんだけどお前は行かないのか、と誘われたのをよく覚えているね」(江崎氏)
当初のInteropは、基本的なプロトコルであるTCP/IPに関するワークショップとしてモントレーで小規模に開催されていたが、1990年からラスベガスに開催地を変え大規模な商業イベントへとシフトした時期だ。だが、残念ながら江崎氏は、その当時は参加することができず、帰国後の1997年のInterop Tokyoを待つこととなった。
そして、その当時東芝にてネットワーク機器の開発を行っていた江崎氏は、ベンダーとしてInteropに参加していた。最新のセルスイッチルーターを持ち寄り、他のベンダーの機器と組み合わせてネットワークを構築し「ソリューション・ショウケース・デモンストレーション」として、IPスイッチングの実演などを行っていた。
「ベル研究所でポール・フランシスと議論したアイデアを日本に持って帰って、事業化したものを出展していたんですよね」(江崎氏)
そして、2001年になると、江崎氏はさらに深くInteropと関わることになった。2001年東京大学大学院情報理工学系研究科電子情報学専攻の助教授となり、プログラム委員会のメンバーとして関わることになった。
「97年以降、しばらくInteropで江崎先生を見かけなくて、気がついたら東京大学の先生になっていた。それならInteropの仕事をしてもらおうと、早稲田の後藤滋樹先生(早稲田大学名誉教授)が言い出した」(大嶋氏)
過去にはキャリア3社によるセッションも
江崎氏は、プログラム委員としてさまざまなセッションを企画し、時には自らスピーカーにもなった。これまでを振り返ってみて、江崎氏は「今と昔で、取りあげているトピックは意外と大きく変わっていない」と話す。そのなかには、なかなか刺激的なテーマもあったという。
「面白かったのは、日本のキャリア3社を招いて、それぞれの違いを話していただくセッションをやったこと。ソフトバンクさんがキャリアビジネスを変え始めた頃で、それについてNTTさん、KDDIさんも交えて議論した。その頃からは、現在のキャリアのネットワークは大きく変わった」(江崎氏)
また、IPv6、デジタルビデオなども先行して取りあげ、10年経ってから本格的なビジネスになったほか、サイバーセキュリティついてもいち早く取り扱っている。
「セキュリティについて騒がれるようになったのは2000年代に入ってからですよね」(大嶋氏)
「我々の仲間の山口英(故人、奈良先端科学技術大学院大学教授)がね、最初にサイバーセキュリティということを言い始めた」(江崎氏)
2000年に開催された「NETWORLD+INTEROP 2000 TOKYO」の様子。右上の写真には右から、中村修氏、江崎浩氏、そして村井純氏
インターネットの利用者が増え、社会インフラとしての認知が広がるにつれて、そこで発生するさまざま事件、事故がクローズアップされるようになり、2000年の不正アクセス防止法や2005年の個人情報保護法などの法律制定にもつながっている。
また、今では当たり前の存在になっている公衆無線LANについても、2001年のInteropでトピックになっている。
江崎氏も、「Wi-Fiは1990年代からWIDEプロジェクトでも検証とかをやっていた。この周波数は、どこでも誰でも使って良いという世界で初めて統一された周波数。決まるまでにはすごい揉めた」と振り返る。
この他にも、これまで取りあげてきた多くのトピックについて江崎氏は語る。2008年の「デジタルサイネージ」は、現在においては駅や街中のみならず電車やタクシーなどの車両のなかなど、さまざまな環境に設置されるようになった。
また、2013年のトピック「次世代データセンター」においては、「実はFacebookとかが2008とか9年くらいからハイパースケールデータセンターの検討を始めていた」と言い、それが2010年代に入ってから実際に表だった動きとして取りあげられるようになった、という業界動向の裏側について触れる場面もあった。
「日本は市場性のある研究所」のままで良いのか
こうして過去30回のInteropをざっと振り返って、江崎氏は「どちらかというとソフトウェア寄りになってきている」と、技術面での流れを指摘。その上で、「やはりハードウェアが重要だとアメリカでは認識されてきて、そうした(ネットワーク関連のハードウェア)プロダクトがスタートアップから出てきています」と、米国の動向を話す。
さらに、米国ではそうしたハードウェアのスタートアップが継続的に出てきて、シスコなどの大手企業がスタートアップを吸収したり、技術を買ったりすることで、自らの製品や技術を向上し続けているのだと語る。
「やっぱりスタートアップは、いろんなことをやってくれるんで、面白いですよ」(江崎氏)
そうした米国の動向に対して、大嶋氏から「日本ではなかなかハードウェアスタートアップが出てこないのはどうしてか」という質問が投げかけられた。それに対して江崎氏は「どうしても米国より遅れている場合が多く、それは大学側の責任でもある」と自省した。
そして、その上で日本でもプリファードネットワークス(主にディープラーニングなどに関する研究・開発を行うスタートアップ企業)のように、ソフトウェアで起業して成長しつつ、ハードウェアにも取り組む日本発のスタートアップが出てきていると、日本におけるプロスペクトを示した。
また、アメリカは世界から人材が集まり、ビジネス化も上手いなどのメリットを述べつつも「日本は(アメリカよりも)早くやっている場合も少なくない」として、iモードなど日本が世界に先駈けることができた事例を示し、「日本は世界から、市場がある研究所だと見られている」として、日本からも優れた技術やビジネスの萌芽が生まれないわけではないことを強調した。
そのうえで、「(日本から出てきたベンチャーが)グローバルに出て行く、その助けを我々がしていかないと。Interopは、その最初の練習舞台になれると非常に良いと思う」と、日本発のスタートアップへの貢献について力強く語った。
iモードに限らず、インターネットやその上で展開されるサービスで使われている技術には、日本で開発されたものも少なくない。そうしたまだ見ぬ優れた新技術とも、今年のInterop Tokyoにおいて出会うことができるかもしれない。
今回のトークの模様も、Youtubeにて映像が公開されている。江崎氏が振り返る、過去30回のInteropのトピックについて、興味を持たれた方は是非ともご覧いただきたい。