これは2017年に刊行された医学の教科書『A Concept-Based Approach to Learning』の中身で、人種別の痛みへの反応が書かれたものである。以下、その記述の一部を紹介したい。
アラブ人、イスラム教徒
痛み止めの薬を要求するのではなく、それが癒しの医学的プロセスの結果でならば、痛みに対してアッラーに感謝しなさい。痛みは信仰の試練と考えられている。ムスリムの患者は、赦しと慈悲の見返りとして、信仰の証として痛みに耐えなければならない。
黒人
黒人はほかの(民族)と比べて痛みの強さを訴えることが多い。彼らは苦しみや痛みは避けられないと信じている。
ユダヤ人
ユダヤ人は声を上げて援助を要求することがある。痛みは他の人に共有され、認められなければならないと考えている。
ヒスパニック系
ヒスパニック系の人々は、痛みは罰のひとつであり、天国に行くためにも苦しみに耐えなければならないと信じているかもしれない。彼らの痛みの表現方法はさまざまで、ストイックな人もいれば、表情豊かな人もいる。
ネイティブアメリカン
部族のシャーマンによって祝福された薬を受け取ることを好むだろう。もし痛みを数値化したら、彼らは神聖な数字を選ぶかもしれない。
ちなみにアジア人についての記述は、中国人やインド人のことしか書かれていないようだ。その時点でかなりざっくりしているが、中国人の場合、「看護師を重要な仕事から遠ざけないように、薬を頼まないことがある」とのこと。
そんなふうに“気遣い屋”の中国人ってそう多いのだろうか?疑問とともに、むしろそれは日本人によくある傾向では……とさえ思う。
あまりにも人種をステレオタイプに見すぎて偏見があると抗議があり、上の記述はすでに削除済みというが、少なくとも20年前や30年前ではなく、近年まで記述されて出版されていたことに驚く。
もちろん、著者なりに医療従事者に向けて人種別の傾向を悪気なく、大まじめに書いた教科書なのだろう。だが、こうした悪気のなさが時代錯誤を生み、悪気のない常識を蔓延らせる結果になるのかもしれない。