1カ月ほどで改変されてしまった肌質チェックコスメ自販機
高須正和
Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development
テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks
形にしてみて初めて分かるアイデア
深圳に住んで日々思うのは、街を歩いていて変わった試作品、PoC(Proof of Concept)のための実証実験サービスをよく見かけることだ。自動販売機、入退室管理、モバイルバッテリーのレンタル、サブスクリプション…。
たとえば、化粧品の自動販売機に肌質センサーをつけて、センサーの値を元に肌に最適な化粧品を販売するサービス。あるいは、フレーバーを選べる揚げたてポテトフライの自動販売機なんてものもある。
わずか1週間ほどでなくなってしまった、フレーバーを選んで揚げたてのフライドポテトを買う自販機
こうしたサービスの多くはすぐ姿を消すが、こうしたPoCが多く見られるのは深圳をイノベーションの中心地としている原動力だ。
多くのイノベーションは、「話を聞くだけだとダメそうに思えるが、実際に体験してみると良かった」ことから起きる。突拍子もなさそうに聞こえるアイデアでも、実際に形にして使ってみて、初めてディテール含めて評価できることは多い。
アイデアは他人と共有して成長する
深圳で見られる変わったアイデアのほとんどはすぐ姿を消してしまうが、中には改善を重ねてモノになるものもある。アイデアは試作品をつくり、他人が触れられるようになったことで進化し始めるものも多い。
たとえば2019年頃から「高速鉄道駅のベンチ手すりにスマホの充電器を仕込み、会員登録をすると無料で充電できる」というサービスが始まった。得体のしれないケーブルを自分のスマホに挿すのは怖く、会員登録してもどういうメリットがあるかわからないため、ほとんど利用者を見かけないサービスだった。
しかし、2021年になって再確認したところ、問題点が改善されて見込みのあるサービスになっていた。
写真左:2019年に見た充電サービス。QRを読み込むまで何が出てくるかわからない、使う気になれないサービスだった
写真右:大きくステッカーが貼られ、わかりやすいメニューが出ているところなど、「誰のためのどういうサービスか」がわかりやすくなっている
高速鉄道に乗るためには、30分ぐらい前には駅構内に入り、時間潰しをする必要がある。そのスキマ時間を相手に商売しよう、という考え方そのものは悪くない。しかし、当初のサービスでは「充電」を提供することはわかるが、何が起こるか不明な「会員登録」を促していた。
2021年の時点では動画サービス、旅行代理サービスと提携して、映画を観る、列車のチケットを変更するなどがこの端末でできるようになっており、かつ充電もできる。待ち時間を有意義に潰すための会員登録として、「どういう人に向けたどういうサービスか」がわかりやすくなっていた。
これはおそらく、まずアイデアを形にしたことで、動画視聴などの提携サービスの開拓をしやすくした効果や、実際に動くものを触りながらアイデアの焦点を絞り込めた効果もあるだろう。実際に形にすることでアイデアに様々なインプットが生まれて動き出すことは多い。
「思考する手」とは
東大情報学環の教授であり、ソニーCSL研究所の副所長でもある暦本純一博士は多くの発明品を世に送り出している。米アップルと韓国サムスンの間でマルチタッチ(1つの画面の複数ポイントに同時に触れて操作できる技術)の特許について訴訟が行われた時、「アップルの前からマルチタッチの論文はあった」として証拠に出されたのは暦本博士の論文だ。
彼の最新刊『妄想する頭 思考する手』には、発明が生まれる瞬間の秘密がギュッと詰まっているだけでなく、経験に基づく知見からイノベーションを育むための社会ビジョンが込められている。
発明と洞察(Insight)について語る暦本博士のTEDxトーク
暦本博士の語る「思考する手」とは、まさにそうした手を動かしてアイデアを形にすることでよりシャープに、現実味のあるものにすることだと語られている。突拍子もないアイデアでも現実感を持って考えられることにより、さらに大胆な発想に踏み込むことができる。
『妄想する頭 思考する手』で紹介されているアイデアには「遠隔でテレビ会議をしているタブレットを顔の前に置いて、別人になりきって役所の手続きを行う」「他人の視点に乗り移る」など、より未来的でSFが現実化したようなものも多い。
暦本博士の研究室で開発した、他人のスペースに乗り移る「Jack in the BOX」
深圳の市内で見られるPoCはビジネス開発や資金調達のためだが、研究をフィールドにしている暦本博士の紹介するプロトタイプ方法は、よりシャープで本質的に、「一番面白い部分をなるべく早く体感できる/検証できる状態に持っていく」ノウハウに満ちている。
想像を超えるアイデアの作り方
書籍のサブタイトルになっている「想像を超えるアイデアの作り方」は、まさに手を動かしてアイデアをプロトタイプにし、他人も体感できる状態にすることで、アイデアを共有し、さらなるインプットを加えていくことを指している。自分の頭だけにあったアイデアが、形を持つことで別の可能性も想像できるようになる。プロトタイプの意味は、そうやって自分のアイデアを、自分だけの限界から超えていくことにあると思われる。
最終章「イノベーションの源泉を枯らさない社会」は、そうしたプロトタイプを受け取る社会のあるべき姿勢にまで話を広げ、テクノロジーを社会実装していくためのキーになる、寛容さと自由さについて触れられている。
「発明をする」という視点から社会のあり方まで透徹した視点が、この本を発想やアイデアについての本に留まらず、組織や社会をより生き生きしたものに変えていく視点をもたらしている。