家族の輪郭は天気のように変わりゆく 気象学的家族観のススメ
「抵抗(レジスタンス)」というとかなり大掛かりな響きがするが、実は家庭内の些細なやりとりにも宿っているということは、ここまでの説明でお分かりいただけたのではないかと思う。最後に、このような「新しい言葉」は適切に発しないと大きなデメリットにつながる可能性があるということを、本書に記されているここ2、30年ほどの家庭内暴力にまつわる歴史とあわせて考えてみたい。
著者によると臨床心理学の転機は、阪神大震災が起こり北京女性会議が行われた1995年だったという。この年、日本でDV(ドメスティック・バイオレンス)という言葉が初めて使われた。そして2000年には児童虐待防止法、2001年にはDV防止法が制定された。
子どもは「無条件の弱者」で保護されるべきだという認識が、国ぐるみである程度進んでいった。一方、母親は「夫と対等な大人」なので、暴力を抑止する能力を持っているのではないだろうかという見方が少なからず出てくるようになった。「無法地帯」だった家庭内の政治に、DVという言葉が持ち込まれることを歓迎しない家庭も多かったのだ。
また、子どもの前でDVを行うことが「面前DV」と呼ばれるようになってから、DV被害当事者は「子どもにDVの様子を見せた」という理由で加害者とも見なされてしまうという事態が生じている。
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面前DVが登場する前は、DV被害者というポジションだけで対応が求められた被害女性に、新たに子どもにDVを見せた加害者というポジションが与えられたことになる。加害・被害パラダイムが家族関係のどの位相に適用されるかによって、いたずらにDV被害者を圧迫することになったのだ。(P104)
「重さ」に苛まれながらなんとか生きる(サバイバルする)ことが重視されていると、このように言葉の重力に飲み込まれてしまう。しかし、「関係に思い悩む」ことから「その関係がどんなものであるかを客観視する」という発想の転換が行われると、「重み」を次のアクションに活かすことができる。それゆえに、「レジスタンス」という言葉は本書の文脈を最大限に汲むならば、「抵抗」ではなく「重さの転化」と訳されるべきだと筆者は思う。
『天気の子』を参考にしたので天気を例に説明すると、今現在の天気が「そうなっている」こと自体に一喜一憂するのが「サバイバル」のステージで、天気図や予報を見ながら「そうなっている」経緯を知りつつ俯瞰的に状況を眺めて、何かしらの思考や行動を生み出す力に活用していくのが「レジスタンス」のステージだ。
「天気図」が刻々と変遷して変わっていくように、「重み」の重心も変化していく。時には大転換も起こり得る。例えば、著者がカウンセリングを担当していた引きこもりの人々の中には、東日本大震災後、つまりパワーバランスが短期間で覆されて自分の境遇が永続しないことが判明した後に、急に元気になり主体性を発揮する人が少なからずいたという。
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平時には、彼らの精神世界は不安と恐怖に満ちているが、外界がそれを超えて混乱と恐怖に満ちれば、相対的に彼らの精神内界のほうが安定していることになり、おまけに混乱や不安への耐性は私たちよりはるかに豊かであるぶんだけ、落ち着きを見せ、私たちとの役割の逆転が起きるのである。(P149)
自分が重心を置く現在地は更新可能で、永遠ではない。家族像も形は定まっておらず、拡張も縮小も離散も再結成も可能だ。うまく自分の現在地や感情を形作っている重心を把握し、自分にかかっている「重み」を活用し、「作戦」をつくりだした上で自分を進化させていく。そうすると、家族というものの輪郭を思わぬ形に変身させる可能性が秘められていることを本書は教えてくれる。