ITEM | 2021/05/04

「日本のgoogle」を作ったかもしれない男から考える、令和時代の「モラル」【大西康之『起業の天才!: 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』】


神保慶政
映画監督
東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はも...

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「いずれ持続しなくなり、発展しなくなり、朽ち果てる」とわきまえておくモラル

ただ、もちろん「腐りやすいもの」をつくろうとは江副は思っていなかっただろう。江副が注力していたのは「今」だ。活き締めされた魚のような「今」を、なるべく遠くに投げて、それが腐らぬうちに全速力で追いかける。そして、自分だけではなく他人の「今」にまで包丁を伸ばすことも、江副は得意としていた。

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江副は自分を含めた社員に対して「こうしろ」とは言わない。社員が常々、不満を持っている事業や、自分が「やってみたい」とか「変えなければいけない」と思っている事柄について「君はどうしたいの?」と問いかけるのだ。(P125)

「君はどうしたいの?」という言葉は、1937年に出版された吉野源三郎『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)と、それをスタジオジブリが目下映画化していることを想起させる。『君たちはどう生きるか』は、コペル君という少年の成長を「おじさん」が見守ることがストーリーの主軸となっているが、それとは違って、自分の人生を自分で演奏するのが江副のスタイルだった。

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「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
江副の組織論はこの社訓に凝縮されている。「世の中は自分より優秀な人間ばかりだ」というコンプレックスを抱えていた江副は、年間に60億円のコストをかける「狂気の採用」で、日本中から優秀な学生を集めた。
そして「君はどうしたいの? じゃあ君がやって」と新しいアイデアを出した本人にその仕事を任せた。「言い出しっぺ」のカルチャーは若い社員たちに「圧倒的な当事者意識」を植え付けた。(P449-450)

カリスマ性には欠けるが、自分にない才能を持つ人材を見出し、当人のモチベーションを動力源にその人を活かす名人が江副だった。その手腕の他方で、本書の冒頭に2019年に47歳の若さで亡くなった投資家・瀧本哲史の見解も掲載されているが、江副には、コペル君にとってのおじさんのような存在がいなかった。瀧本氏の言葉を借りると「良きエンジェル投資家」の不在であり、その状況は現在(2018年のインタビュー当時)でも変わりはないという。

全ての人が起業家然としなければいけないわけではないし、「現代の江副」を支援できるような投資家然としなければいけないわけではない。多くの読者は「江副の人生など、自分の人生には関係がない」と思うことだろう。しかし、冒頭にもご紹介した通り、本書の真のテーマは江副の激動の人生ではなく、「モラル」の問いかけにある。なるべく持続し、発展し、かつ明確な目標を立てようとするトップダウン式で聞こえの良い横文字――いわゆるSDGs)持続可能な開発目標)――の概念はほどほどにいいとこ取りして、いずれ持続しなくなり、いずれ発展しなくなり、いずれ朽ち果てることをわきまえながら「今」をひたすらボトムアップで更新せよ。長大な伝言板に江副から残された書き置きのような本書から、そんなメッセージを、駅に白チョークで書く伝言板が設置されていることを記憶しているギリギリの世代の筆者は受け取った。


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