小人は小人を知る
博士自宅の地下書庫には、これまでの執筆活動で用いた資料が大量に保管されている
―― 本の中に「正義」って言葉も出てきますよね。例えば町山さんは権力に対して絶対NOの人じゃないですか。叩くべしって立場を絶対取る。そして権力に媚を売るヤツも絶対に叩く。
博士:ボクも基本、コメディアンはそうあるべきだと思いますよ。町山さんのあの頃のボクに対する影響は、ケンブリッジ大卒の超インテリにも関わらず世界各国で過激なタブーネタとチンコを丸出しで披露して歓声と顰蹙を買ったサシャ・バロン・コーエンを紹介してくれて、ああいう人こそコメディアンという職業なんだということをボクに教えてくれたから。『藝人春秋3』の文庫版追加原稿として彼の話を入れたけど、まさにサシャ・バロン・コーエンの気持ちでやってるんです。橋下徹との論争でも、あのタイミングで降板したら面白いだろうなと思ってやっちゃったりとか(※)。自分はそういう気持ちなんです。
―― でも、ほとんどの人が「博士がサシャ・バロン・コーエンに影響を受けてる」ってことを誰も気づかないという状況がありますよね。
博士:もちろん。そこがボクのダメなことだとわかっているけど。そこがイイんじゃないって気持ちもある。基本、「意味がある」と思われるより「バカなやつ」だと思われたいんです。今まで全部、ボクがやってることは自分で納得してるだけで、本当に誰も気づかない。それに、もともと群れるのも嫌いなんです。一匹狼のルポライター、竹中労からものすごく影響を受けているので。だから最近のTwitterでのハッシュタグデモも周りから参加してくれって言われることもあるけど、自分が思うことは自分の責任で発言するし、周りから言われてやるということはしたくないの。ほんとに一部のひとだけがわかってくれるだけでいいって。清志郎の「君が僕を知っている」でいいんです。
『藝人春秋』で描かれた芸能人・有名人のTV出演回も、全て映像を取り寄せ裏取りを徹底している
―― 博士はこれまで数多くの「気難しい人」と信頼関係を結んできたわけですが、最初に会った時にすべきことは何かあったりするのでしょうか。
博士:例えばボクは猪瀬直樹さんとは個人的に親しいよ。親しいし、彼自身がTV番組で、「論客で馬鹿なヤツいるじゃないですか、水道橋とか」っていう話が出た時に、「水道橋はバカじゃないよ」って止めたぐらい、相手にも一応は評価もしてもらってる。
町山さんはブログで「猪瀬直樹の本は1行たりとも読む必要がない」と書いている。宝島の編集部の時代にいかに猪瀬直樹が偉そうだったかということを、「あんな偉そうなヤツが権力を持つこと」に関して町山さんはあげつらった文章を書いた。でもボクが町山さんに言ったのは、「町山さん、あれだけ猪瀬直樹が嫌いだって書いていたけど、自分には無理だよ。なぜなら過去に猪瀬直樹を全集レベルで読んで、しかも当時、素晴らしいと思ったから。猪瀬直樹のことを軽蔑することができない」と。
猪瀬直樹もかなりのメモを取ってるから、自分で説明できないことはないって書いているんだよ。でもボクが「猪瀬さん、それはスジが通らないよ」ってことを『藝人春秋』の連載で書いて(そのエピソードは『3』に収録)、間違いを指摘したの。「水道橋君、もしあの文章を本にするんだったら俺の家に一度来てくれよ」と言われて、いちばん大事なことは「出会いに照れない」ことだから、そう言われたら、ボクは絶対に会うの。で、家に行ったんだよ。で、例のすごい書庫を見せてもらって、本が好きだからうっとりしてさ。今の奥さんと和気藹々と喋りながら、誕生日が全部一緒という偶然があって猪瀬さんと感激して、「これも星座か」って思って暖炉に火を入れてさ、一緒に一晩喋ったよ。でも、喋ったけど、文庫に入れた文章は1行も直さなかった。あと番組で共演していた時は必ずシークレットブーツの写真を撮っていた(笑)。ボクの中に猪瀬さんのシークレットブーツというフォルダがあるの。そういうのを茶化しちゃうというのは性分だから治らないんだよ。だって職業は、コメディアンだから。
―― 博士がトイレで並んでいる時、猪瀬さんと同じ身長だったんですよね。
博士:小人は小人を知るってことだよ。いくら虚勢を張っても、しょせん自分は小さい男なんだから。自分はバカが治らないバカなんだから。ボクの運転手が社長芸人だから、ポルシェのオープンカーに乗って移動するんだけど、ボクは自分であんな車を買うことはしない。なぜならばポルシェのオープンカーってボクの中では巨根なのよ。あれは「俺、巨根です!」と言っているようなもの。でも自分は所詮、人間の比喩として短小包茎の小人なんだからそんなことしたくない。江藤淳が石原慎太郎を「無意識過剰」と評したけど、大物になれるのはやっぱりそういう振る舞いが出来る人だから。でもボクはなりようがない。ファーストクラスで移動とかしたくないし、銀座で飲みたくないし、長い時間、自分を観察したけど、そういうのになりたくない性格なんだ。
ボクが『藝人春秋』の連載を通じて、前作の「芸能界に潜入したルポライター」という設定を捨てて「芸能界に潜入したスパイ」という設定に決めたのは、ボクのことをあんなに可愛がってくれていた石原慎太郎が、2011年の都知事選中に会った時に「シッシッ」って犬を追い払うようにした瞬間。「お前は東(東国原英夫)のスパイじゃないか!」とその時に言われて、この人はあんなに可愛がっていたボクに対して、こんな風に言うようになったんだってショックを受けて。
ま、正確に言えば、「東のスパイ」じゃなく、オフィス北野のスパイだから「北のスパイ」だけど(笑)、こういうダジャレがわかんないんだね(笑)。それで、東スポにボクが、都知事と東さんの密会を取り持った参謀だって書かれてさ。東さんは、ボクに票読みを頼むよとか、そんなこと一回も言ってないんだから。この本の設定を決めたのがその瞬間です。それまで、ちゃんと尊敬する作家としての石原慎太郎の本も真面目に読んでたけど、そこから資料も取り寄せて、いろんな矛盾点を探すようになったの。それが石原慎太郎と三浦雄一郎の章だけど、長く継続的に本を読んでいたら気が付くはずなの。「殴る、殴る」詐欺とかね。書くだけでなく、しょっちゅう「殴ってやる」って口癖みたいに言うの。「じゃあ、やれば……」ってボクは思うからね。殿は、本当にひとりで「殴る」ひとだから、余計比べてしまうんです。
自分自身をルポライターじゃなくてスパイにしようと思って、石原さんに対して、「貴方は事実を曲げているよ」というのを、一時は懇意にしていたものの立場で言いたい。でも、ボクの希望で言うと、石原さんがこれを読んで「よく調べたなあ」、とニヤリと笑って、「わかった。俺が誤解していたことを認めるよ」と思ってくれたらそれで済むのよ。町山さんは「博士、向こうは絶対それ言わないから。そういう結末はないから」と言われるんだけど。でも、ボクはそう思いたいんだよね。人は何回でも、ミスしたり、誤ってたり、心が病んだり、ブレたりしてもいいんだよ。仮に負け犬だって言われてもいいの。そんときに、強がったり、エラそうにしないでさ、弱い方の立場を慮って、謝ったり、軌道修正したりすればいいんだから。何回でも出直せばいいじゃない。そういう意味ではボクは人をバカにしてるわけでもないの。「人間讃歌」しか書かないって決めているの。