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森元首相の「女性蔑視発言」が問題視されてオリパラ組織委員会の会長を辞任した件、(今のところ)後任は橋本聖子氏に決まりましたね。
この人事にはいろんな人がいろんな思いを持っているでしょうがそれはとりあえずさておき、この騒動を振り返りながら、日本における「女性活躍」がもっと進むにはどういうことが必要なのか?について考える記事を書きます。
特に、日本社会で本当に「女性の活躍の場」を広げていくには、「今のタイプのフェミニズム」には一歩「やり方」をアップデートしてもらう必要が出てきていると私は考えていて、そのことについて書きます。
とはいっても、「フェミニストは黙れ」的な話ではなく、本来的なリベラルの理想から言ってもそう悪い話ではないと思っているので、脊髄反射的に反発せずに最後まで読んでいただければと思います。
倉本圭造
経営コンサルタント・経済思想家
1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。
1:「森発言のその後」はネット右翼ですら怒ってる?
「森発言問題」について、個人的にはかなり初期から「今回はおそらく辞任まで行くんじゃないか」みたいな感覚がありました。
というのは、私は経営コンサル業のかたわら色んな「個人」と文通しながら人生について考えるという仕事もしていて、(あまり政治的な話をすることは多くないけどあえて党派的に言えば)“右”の人も”左”の人もクライアントにいるんですけど。
そのクライアントの中でも、私自身と比べてもかなり「保守派」の女性ですら、この問題については「もうほんとイライラします」って言っていたんで、これはちょっと擁護しきれない空気になるだろうな、という感じがしていたんですよね。
辞任報道が出る前日には、トヨタ会長の豊田章男氏が「アレは良くない」って会見で言った…みたいな話がトップニュースになっていましたけど、「トヨタの会長ですらそう言うなら」的な空気の変化はあったように思います。
これは「トヨタが大企業だから影響力がある」みたいな話ではない(それもあるけど)んですよね。そうじゃなくて、例えば新興ITベンチャーの社長が「日本社会って遅れてるよね」みたいなことを言っていてもそりゃアンタはそういうことを言うタイプですよねって話なんですが、トヨタ的に「日本社会の最も保守派の良識を司っていると思われているタイプの会社」の代表が「良くない」と言った…ことが大きいという話なんですよ。
つまり、今回辞任にまで至ったのは、フェミニストや「左の人」だけじゃなくて「保守派の多くの人まで至る広い範囲の合意」が得られたことが大きいのだ…という話がしたいわけですね。
日本社会を本当に変えていきたいのであれば、そういう「一種の政治的過激派」の外側まで共感の輪を広げていく作業が欠かせないはずで。
ある種の政治的潔癖主義の人からすれば、「保守派の人間と話すことなど何もない!」って思うかもしれないけど、たとえばコレはさっきたまたまこの話題についてSNSを検索していてひっかかったサイトですが…
「保守速報」っていう、いわゆる“ネット右翼さん御用達”のまとめサイトみたいなところでも、橋本聖子氏について自民党の竹下亘氏が「スケート界では男みたいな性格でハグなんて当たり前の世界だ」と問題発言の追い打ちみたいなことをした件について、
…というように非難轟々になっており、
「あまりにも価値観が“昭和”すぎる高齢世代からそろそろ権力を移譲してほしい」という気持ちは、政治的に右だろうと左だろうと日本社会に渦巻いている
ことがわかります(私も普段から保守速報的なサイトをフォローしているわけではないので、さっきたまたま見に行って「案外そうなってるんだな」という感じで認識を改めました)。
別にありとあらゆる話題で同意するべきというわけでもないし、変に媚びたりする必要はないわけですが、もしあなたに政治的に「敵」の人がいて、自分の方が100%完全に正しいことを言っていると思っていたとしても、その「敵」をガス室に送り込んで抹殺したりすることはできないわけだから、何らかの「協力」を取り付けないと民主主義社会は動かせないわけですよね。
そこを「ガス室送りにするわけではないが、敵を徹底的に遠ざけて切り離す」かたちで強引に押し切ろうとしたアメリカでは、トランプ支持者のバックラッシュが起きて国会議事堂が暴力的に占拠される民主主義存亡の危機にまで陥ったわけですから。
「アメリカ的な社会の徹底的な分断」に陥らないためにも、さっきの「保守速報」にすらわだかまっているエネルギーと「協力して」物事を動かせるか…を考えることが重要になるわけですよ。
なんせフェミニストが考えるレベルの「理想」を本当に実現したいなら、単に森喜朗氏という老人を「ひとり」やめさせたら済む話じゃなく、社会の津々浦々で起きているいろんな問題をいろんな考えを持った市井の人たちとの協力関係を取り結びながら丁寧に解決していかなくちゃいけないわけですからね。
2:「トーンポリシング」はよくないが「フェアな議論」をするべき
とはいえ、いわゆる「トーンポリシング」がしたいわけではないんですね。
「トーンポリシング」というのは、こういう「政治的正しさ」系の話題では定番の用語なんですが、要するに「社会に対する告発」があった時にその「内容」には反論せず「言い方」にケチを付けて、「あんなひどい物言いのヤツの言うことなんか一切耳を貸すべきじゃない!」と抑え込もうとすることです。
別にムカついたらムカついたと言っていいし、許せないなら許せないと言っていいと私は思います。
「トーンポリシング」について日本でよく例に出る「保育園落ちた、日本死ね!」も、結局強い言葉で言ったから話題になって実際に物事が動いたわけなので、アレはとても良かったと私は思います。
ただ、「日本社会に対する告発者(女性活躍問題で言えば広義のフェミニスト)」の振る舞いで一番良くないというか、今後コレだけはやめるべきだと思っていることは、
過剰に理想化した海外の事例とかを持ってきて、日本社会側の事情に全然聞く耳持たない感じで批判しまくるアンフェアな議論をする
…コレなんですよ。本当にコレが良くない。無駄に敵を増やすし、結局解決に向かって一歩も動くことができなくなる。
3:ジェンダー問題の外側にある経済・社会問題も全部ジェンダーで斬らないように
たとえばの例として、これは私が何度もいろんなところで書いていて、この記事をたまたまネットの海でクリックしてくれたあなたにもぜひとも今後覚えておいてほしい論点なんですが、一部の私立大学の医学部が女子受験者に不利な採点をしていた件がありましたよね。
あの件において、なぜそういう配点がなされていたかという「事情」をまずはちゃんと理解するっていうことが大事なんですよ。
以前、「はてな匿名ダイアリー」っていう匿名で記事を書けるサイトで、
という趣旨の投稿があってすごく印象的だったんですよね。
日本の医療って、例えばアメリカみたいに金持ちだけしかマトモな医療を受けられないとか、イギリスなどの欧州でありがちな「無料なのはいいがちょっとした診療を受けるのも何カ月待ち」みたいな事にもならず、「世界に冠たるレベルのクオリティの医療をそこそこのお金で貧困層でも」受けられる体制を、必死に医療関係者の努力で維持しているじゃないですか。
上記リンクの匿名女医さんが言っているように、女性医師が増えると、「女医はキツイ診療科に来たがらない、田舎にも行きたがらない(傾向がある)」みたいな事情があって、現状の制度のままではこの「日本クオリティの医療体制」がユニバーサルに維持しづらいという「事情」があるわけですよね。
で!
ここで大事なのは、「だからオンナは医学部に入れなくても我慢しろ」っていう方向に行かないことは当然大事なことなんですよ。
でも、ただ単に「医学部入試を傾斜配分していた人」を「悪者」にするだけで解決する問題でもないっていうこともわかりますよね?
結局「日本の医療関係者が必死に土俵際で維持している国民皆保険的医療」が、アメリカやイギリスみたいな形に崩壊していけば、それで困るのは男だろうと女だろうとLGBTだろうと、経済的に弱者の人が困るわけじゃないですか。
だから、女性差別をしないことは当然のこととして、それと「日本レベルの医療クオリティを差別なく社会全体で共有できるようにすること」を両立するためのアレコレの具体的工夫を沢山積んでいく必要があるわけですよね。
そこで、
的な理解でいたら解決に向かえるはずがない。
日々「日本レベルの医療」をどんな田舎でも崩壊させずに維持しようと頑張っている多くの人たちから見て、上記のような発言がいかに「カチンと来る」か、想像すればわかるはずです。
何も今年受験して不利な扱いを受けた高校生の女の子にそこまで考えろって話じゃなくて、そういう女の子に辛い思いをさせないぞ、と本当に思うんであれば、「その事情」の方までさかのぼって問題を解決していこうとする議論のリードぐらいまでは男女問わず「大人のフェミニスト」が先導せず言いっぱなしになってしまうと、あなたたちは永遠に社会にとっての「お客さん」でしかないのか?って話ですよね。
この点については本当に日本のフェミニストの一番良くないところだと私は常々思っています。
4:「自分たちの方が、日本社会をもっと良く運営できるんだ!」というガッツが必要
さっきの「保守速報」の話じゃないですが、「いかにも昭和!な80代の老人がすべてを決める」みたいな状況を変えたいと思っているのは、政治的に左とか右とかあまり関係なく結構日本で共有されている感情だと思います。
しかし、じゃあそれで「その先」において、単にアメリカ型の過度な実力主義で自己責任論が蔓延する格差社会になってしまうのでは?っていう恐怖心があるわけですよね。
「改革を望む勢力」が、単なる個人のエゴを暴発させているのではなく、ちゃんと「日本社会の細部の運営事情」にまで目を配る意思があるのならば、そこであと一歩「信頼」させてくれるのならば、手に手を取って変わっていければいいと思っている人たちは政治的立場を超えて多くいるはず。
端的に言えば、
「森元首相的なご老人」の方が、「日本をアメリカ的な格差社会から守るためにはマシだ」と思われているから彼のような人が権力を握り続ける
わけですよ。
フェミニストに限らず日本社会のあらゆる「改革勢力」は、
単に「アメリカ(欧米)みたいになんでできないの?馬鹿じゃないの?」
って言いまくるだけじゃなくて、森元首相的な人物よりも、
「ほかでもない“この日本社会”をちゃんと運営する力量がありそうだ」
という信頼を勝ち取る必要があるわけですよね。
5:問われているのは「言い方」ではなく「ローカル社会の事情に向き合う意思があるか」
なぜ「アメリカの例」を単純に持ってくるだけではダメかというのは、特に「医療」の話を持ってくればよく理解できると思います。
「アメリカでは」の時に出てくる例は、大抵「アメリカのほんの一部の恵まれた階層で実現していること」であって、「そういうのを完全にあきらめてしまったような層」が大量に置いてけぼりになっているわけですよね。
「アメリカを理想化したい個人主義者」から見れば鈍重に見える日本社会のアレコレの「理解し難い部分」は、「アメリカのような格差」をつけずにとりあえず「みんな」を包摂しておこうとする関係者の必死の努力が背後にあるわけですよ。
「そこへの敬意」さえあれば、つまり「ちゃんとローカル社会の事情を理解して一緒に解決していこうという意思」があるのであれば、「日本死ね」と言ってももっと多くの人がスムーズに問題を理解してくれるはずです。
しかし現状の「日本社会への告発者」はこの視点が皆無と言っていい人があまりにも目立ちすぎており、それが「保守派」ならずとも「一般的な多数の日本人」から見ても反感を募らせる原因になっていると私は感じています。
アンチフェミニストとまでは言えない多くの「保守派」の人というのは、そういう「社会の安定的な運営に対する責任感」を厳しく見ているのであって、言葉がキツイ云々という子供の喧嘩みたいな理由で反発している人はそれほど多くないはず。
反発の言葉としては「言い方」を指摘されているように見えても、本質的にはこの「ローカル社会の事情に向き合う意思があるか」が問われているはずです。
去年の新型コロナに関する問題でも、日本の当局が「こういう理由でこうしている」みたいな説明をいくらしても、「アメリカじゃそんなことやってないぞ!」的な批判をする人沢山いましたよね?(余談ですが、ニューヨークのクオモ知事をやたらめったら持ち上げて日本批判をしていた人は、最近のスキャンダル発覚でもうちょっと反省すべきだと思います…“どっちが正しかったか”は感染者数・死者数を比べたら一目瞭然でしょう)
日本と比べ物にならないほど感染者を出している国の事例を持ってきて「日本批判」をし続ける精神がほんと謎でしたが、先月医療関係者などの好評を得て「最も読まれたnote記事のひとつ」に選んでいただいた記事(←力作ですので良かったらどうぞ)に使った以下の図のように、
細かい事情を一個ずつ配慮しながら変える気がない世論の暴走が起きたら、当局者は社会が崩壊しないようにするために最も保守的な見積もりに引きこもらざるを得なくなるんですよね。
この「細かい事情に聞く耳持たない糾弾の暴走」が「当局者を最も保守的な見積もりに引きこもらせる」って過去20年日本が「変われない」国を続けてきた根本原因みたいなものじゃないですか。
「そこ」さえキチンと向き合う意思があるなら、口調は「日本死ね」でも全然いいし、さっきの「保守速報」に集っている人たちだって一緒になって「日本社会を変えて」いくことに何の異議もない人が多いでしょう。
結局そういう具体的な論点の部分で「単にアメリカの例を持ってきてバーカバーカって言う」以上のことをちゃんとやってないから、ものすごい時代錯誤な発言をしょっちゅうする高齢政治家が「フタ」として必要になって延々付き合い続けないといけなくなるし、もっとデリケートな「生きづらさ」関連の課題を丁寧に紐解いていって解決する気運を社会の中に作ることなんか夢のまた夢になってしまうわけですよね。
6:「ローカル社会の事情」に向き合う気のない傲慢さが、世界中で民主主義の理想を危機に陥れている
これも最近あちこちで書いていることですが、ある「世界街角インタビュー」的なYouTube動画を見ていたら、たまたま話を振られたタイの大学生が流暢な英語で、
みたいなことを、まるでスマホはiPhoneがいいかアンドロイドがいいか…みたいに気軽な口調で述べていたのが衝撃だったんですよね。
「自分こそが正義で、世界は異論を挟まずそれに従うべき」というタイプの「一部のアメリカ的リベラル」の傲慢さは、国内でトランプに投票した7000万人を始めとする多くの反感を持たれているだけじゃなくて、世界中でこういう
的な反応を巻き起こしていることに、もう少し危機感が必要な時代になっているわけですよ。
例えば日本の感染症対策のヘッドの尾身茂氏はポリオを根絶したという超すごい成果を出した人ですけど、こういうのは、現地社会に入り込んで、必要なら紛争地域の権力者にも直接面会に行って停戦してもらったりすることまでしてるから実現するわけですよね。
一方で、ビル・ゲイツがやってるワクチンプロジェクトとか、個人的にはすごいなと思っているんですが、世界中のあちこちで政情不安に巻き込まれて途中で頓挫しているじゃないですか。
そういうのはローカル社会への敬意が足りないところがあるからだというか、欧米人は「欧米文明にのしかかられている側の気持ち」を理解することができないから…だと思うわけですね。
「日本がアメリカのようになっていない部分」には、それぞれ一個ずつ「それなりの事情」があるのだ…ということとちゃんと向き合って、できる限り具体的な話に誘導するようにしていけば、日々SNSで展開される幸薄い罵り合いはどんなにか「マトモな意見交換」に変わるだろうか、と思います。
7:「普通の日本人」を切断しないで一緒に連れていく作戦で、分断に苦しむ世界の架け橋となる
ただ、最近ツイッターで、
と聞かれてみて思ったのですが、アレは彼らなりの責任感というか、自分たちが旗を下ろしてしまったら、世界から「理想」が消えてしまうんじゃないかと思っているのではないかとは感じます。
そういう人たちにとって、「ローカル社会それぞれにそれぞれの事情が」とか言い始めると「またそうやって難癖つけて現状維持するつもりだろう」と、「理想」が崩壊してしまうのではないかという危機感があるんでしょう。
そうした考えに基づいて日本社会を非妥協的に論難しまくっている人たちも、好意的に見ればそういう「理想が消えてしまう危機感」を持っていると言っていいのかもしれません。
要するに、ここにあるのはいわゆるゲーム理論の「囚人のジレンマ」的な状況なんですよね。
フェミニストに限らず日本における「改革を望む者」は、「日本社会の事情」と向き合い、「日本社会の保守派」とも協力して一つ一つ具体的な解決策を積んでいくことができれば、果てしなく高圧的な態度を続けて敵を増やしまくり結局遅々として変化が起きないままでいるよりもいいはずですが、ただそういう「対話路線」を始めても「日本社会の保守派」の方がそれに協力してくれず無視したままだと、「改革を望む者」は「ただ黙らされただけ」で終わってしまうので非妥協的な糾弾をやめるわけにはいかなくなってしまう。
逆に「日本社会の保守派」だって、「改革者」が持っているいろんな改善点を1つずつ採用していければ日本社会にとって良いことのはずだが、単にノーガードに全部受け入れる体制にしてみたら、その「改革者」は日本社会の事情とかをちゃんと向き合う気は全然なく、結局「アメリカ型の格差社会」にマッシグラになってしまう…となっては困るわけですよね。
最近、この記事冒頭で書いた「文通ビジネス」でゲーム理論の研究者の人と話しているのですが、「相互信頼を目指すと単に無視されるだけで自分たちのサイドだけが損をするんじゃないか」という囚人のジレンマ的な不信感を超えて、「共通の利益」を求める動きが始められるには、
「信念(belief)」
が共有される必要があるそうです。
つまり、
お互いに「相手も協力してくれる」という相場観のようなもの
が共有されれば、「囚人のジレンマ」的状況を解決しやすくなる。
巨視的に見れば、気候変動への対処とか、感染症対策でワクチンへの反感を持たないでもらうこととか、
そういうあらゆる「現代の人類の喫緊の課題」は、「欧米的な理想」を「ソレ以外の社会(欧米社会における“弱者層”も含む)」にいかに敵視されずに受け入れてもらえるか…にその成否がかかっていると言っても過言じゃない状況
ですよね?
日本は歴史的に「欧米社会側の事情」もわかるし、「欧米社会にのしかかられている側」の気持ちも理解できます。
それに、いかに「非妥協的」な人でも、日本人なら一応「相手の事情」を理解するように訓練されている人が(アメリカ人に比べれば)平均的には多いと言えるはず。
だからこそ、私が著書の中で7年ほど前からずっと使っている以下の図のように…
ありとあらゆる「過剰に先鋭化したイデオロギー」を「現地現物の工夫」へと読み替えて一つずつ解決していける国…としての旗を掲げていくことは、ついついナチュラルに高圧的になってしまって世界中に敵を作りまくっている欧米のリベラル派にとっても頼もしい存在になりえるはずです。
経済・経営面でも、「政治的正しさ」の面でも、過去20年ほどの日本はかなり「変化に臆病」で、一歩ずつしか変わって来ませんでしたが、その分アメリカのように「民主党支持のアメリカ人とトランプ派のアメリカ人」のように完全にコミュニケーション不可能な分断には陥っていません。同じラーメンとコンビニと漫画を共有していて…みたいなキズナは引きちぎられずに残っています。
大事なのはその「キズナ」を引きちぎらないようにしながら、「党派的分断」を起こさないように配慮しつつ「具体的な解決」を積んでいくことです。
この連載の前回記事で書いたように、日本は「本能寺の変が起きる国」としての特徴を活かし、「ウサギと亀の競争」の話のように、遠回りなようでも「分断」を回避しつつ変わっていける可能性があるはずです。
とにかく、日本社会の鈍重さを単純に「遅れている」とか「男社会のエゴ」だけが原因だと思わないようにすることからスタートなんですよ。
なぜかというとそこには大抵、「アメリカ型の格差」とか「アメリカ型の分断」に陥らないようにする無名の「現場で必死に働く日本人たち」による抵抗が隠れているからです。
「その背後で守っているもの」への敬意を持ち、「具体的な細部の事情」に注意を向けていく合意さえ取れれば、別に「変わっていくこと」自体は相当な保守派の人だって合意しているはず。
米中冷戦の時代に、過剰に先鋭化したイデオロギーから一歩引いて、具体的な現地現物の解決を模索していく役割を日本が果たせれば、この連載で以前書いたように、20世紀米ソ冷戦の時に日本が世界一の繁栄を引き寄せられたようなボーナスステージを、今回も引き寄せることが可能になるでしょう。
過去20年どんどん変化したあげく回復不能な分断に陥っている欧米社会を横目に、「普通の日本人」との調和を常に意識しながら一歩ずつ変わっていく日本社会が、「ウサギと亀の競争」的に新しい希望を生み出す未来を描いていきましょう。
今回の記事は以上です。
これと関連して、「ローカル社会への敬意」の問題さえクリアすれば日本の学術予算は明日にでも圧倒的に増やせる…という記事が最近好評を頂いていまして、興味のある方はかなり興味がある内容だと思いますので良かったらどうぞ↓
連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。
感想やご意見などは、私のウェブサイトのメール投稿フォームからか、私のツイッターにどうぞ。記事中でも書いた「文通」に興味があればこちらへ。
この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。特に今回の連載記事の内容が「そのままもっと深く」書かれているといって良い本で、「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。