眼前に深刻な課題がある。避けては通れない課題だ。けれど、解決策はわからない。頼れる人もいない。そんなとき、あなたならどうするだろう。もしかしたら、途方にくれて、その場でうずくまってしまうかもしれない。
だが、会社を、従業員の人生を背負う社長はそうもいかない。たとえ、先が見えないとしても、その場で立ち止まってはいられない。課題があっても挑戦し、道を切り開いていく。
「自分が『なんとかしなければ』という強い気持ちがありました」
そう語るのは、東京都江戸川区でガラス瓶の販売などを手がける関守製作所の関守滋男さんだ。彼も、困難を前になんとか進もうともがいていた一人だった。そんな関守さんの挑戦を、ある公設工業試験研究所(公設試)が支えた。
その公設試とは、地域のものづくりを支援している東京都立産業技術研究センター(都産技研)の城東支所だ。都産技研は、機械部品や生活雑貨などの製品における意匠・機能デザイン、試作・加工、製品評価・性能試験まで、幅広くサポートしている。
町工場をはじめとして、中小企業の製品開発に伴走する東京都立産業技術研究センター(都産技研)は、関守さんの挑戦をどのように支えたのだろうか。
代々続く事業を受け継ぐ覚悟
関守製作所の歴史のはじまりは、大正時代にさかのぼる。初代である関守万平さんが大正4~5年に製作所を起業。創業以来、これまで一貫してガラスの加工、販売を行ってきたが、関守さんの代で変化が起きる。
「父の代までは、ずっとガラス瓶の加工をしていました。ですが、時代の流れで続けるのが厳しくなり、やめることになったんです。私の代からは、お客様の様々な用途に対応できるサービスを提供しようと考え、小ロットでも対応できるガラスの瓶のインターネット販売を始めました」
以前までは、ガラスの瓶キャップを3000個をひとまとめにして販売するといった大量に製造して提供する仕事がほとんどを占めていた。インターネット販売は、代々の関守製作所が持つ様々なガラスの加工業者や同業者とのつながりを活かしながらも、新たなルートを開拓した。
社会に生まれている多様なニーズに素早く対応するための変化は功を奏した。だが、関守さんの挑戦はインターネット販売だけに留まらない。伝統的なガラス工芸の技術を活かした、新たな製品づくりへも乗り出した。
新たな事業への挑戦に乗り出す
関守さんが日頃からガラス製品に触れるなかで、とある醤油差しを販売する機会があった。それがきっかけとなり「よりデザイン性に優れる高級仕様の醤油差しがあっても良いのでは」と考えるようになったという。
関守製作所ではこれまでにも、BtoBやオーダーメイドでのデザインガラスの加工、販売は行ってきた。その経験を活かし、自社オリジナル製品づくりに挑戦したが、デザイン面での支援が必要となった。
「ガラス職人のネットワークはあるので、製品化は難しくはないと考えていました。ただ、単にモノを作れば売れるわけではありません。自分なりに試行錯誤してみましたが、行き詰まってしまいました」
モノを作る技術はあるものの、人々が欲しくなるような製品にするための知見が足りていなかったのだ。とはいえ、小さな会社では専門の人材を雇うのも難しい。
「実現は難しいか」と諦めかけた関守さんの頭をよぎったのが、以前に江戸川区の中小企業相談室で紹介を受けた、都産技研の城東支所だった。
「関守さんからは『スリムでかっこいい醤油差しをつくりたい』と相談されました」そう語るのは都産技研の城東支所の上野明也さんだ。
都産技研は、自社では資金や技術を補えず、現状の課題を打開できない多くの中小企業を支えている。上野さんが所属する都産技研の城東支所では、町工場をはじめとして機械部品や玩具、生活雑貨など、様々な製品における意匠・機能デザイン、試作・加工、製品評価・性能試験まで、幅広くカバーし、挑戦者に伴走している。
上野さんと出会ったことで、関守さんの挑戦は前へと進み始める。
挑戦に伴走し、共に作り上げる
関守さんの頭にある「スリムでかっこいい醤油差し」をどう作るのか。関守さんと上野さんは何度も打ち合わせを重ねて、すり合わせていった。
製品のイメージを決める上で、上野さんはアイデアスケッチを描き、そのスケッチを見ながら関守さんとの打ち合わせを重ねた。丁寧に伴走する上野さんの姿勢に触れ、関守さんの不安は次第に和らいでいったという。
「アイデアを紙に描いていただいて、一つひとつのアイデアを見ながら打ち合わせをしていると、とても安心できました。自分たちが作ろうとしているものの輪郭が少しずつはっきりしてくるんです」
打ち合わせの日々を過ごし、アイデアをすり合わせていく中で生まれたのが、「自立しない醤油差し」というアイデアだ。
「アイデアについて話していく中で、自立しない醤油差しの案が出てきました。不安定であれば、使ったあとに戻す場所が必要になる。茶道の所作のように、その所作も一緒にデザインすることで、面白いものになるのではと考えたのです」
自立しない醤油差しは「syosa」と名付けられ、さらに開発は進む。アイデアが共有できたら、立体での確認作業に移る。より実物に近いデザインを検討する段階だ。この段階では、まず加工しやすい発泡スチロールのような建材の「スタイロフォーム」をイメージに合うように削り出したという。
次は3Dデータを作成する。データを元に商品化が進むため、より実際に近いデザインを検討する段階だ。手にしたときの印象が分かるよう、醤油さし本体のアールを0.5mm単位で調整するなど、複数パターンの石膏モデルを3Dプリンターで作成。デザインとしての美しさ、手にしたときの馴染みやすさを追求していった。
関守さんは製品開発の工程が進み、アイデアが具現化していく楽しみを覚えると共に、デザインに対する捉え方にも変化が起きていった。
「デザインから販売まで“ものづくりの流れ”が理解できたように思います。自社では買えない機器類を時間単位で安価で使うことができ、さらに総合的な支援をいただけるのもありがたかったですね」
3Dプリンターをはじめとする機器類も、自社で揃えようとすると、膨大なコストがかかる。その心配がないため、関守さんは製品をつくるのに集中できた。
隣で支えてくれる存在がいるから、関守さんは安心して前を向いて進める。醤油差しづくりも、仕上がった3Dデータや試作モデルを元に、関守製作所は旧知の職人たちと共に、繊細なガラス工芸を施した醤油差しを完成へと導いた。
完成後も、パッケージや販売戦略に至るまで、商品化にあたって上野さんの伴走は続いた。
挑戦が自信につながった
上野さんが大切にする「デザインや商品ができる過程をなるべくオープンにして、わかりやすく伝える」という過程は、製品の完成を支えたのみならず、関守さんのその後の仕事にも良い影響を与えている。
「下請け構造にある中小企業ではよくあることだと感じますが、自社製品がないと価格競争に巻き込まれてしまったり、販売戦略が思うようにできなかったりします。そこで一つでもオリジナル商品を見せられると、自社のPRにもつながり、反応も広がっていくはず。今回の取り組みを経て、自分たちのような零細企業であっても、しっかりとしたオリジナルの商品を開発できました。アイデアを形にできるのは本当に素晴らしいと感じましたね」
そう語る関守さんの顔には自信が現れている。頭の中では次の挑戦のアイデアが駆け巡っていることだろう。次の挑戦でも、関守さんはきっと上野さんに相談する、「こんなアイデアを実現したい」と。
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