EVENT | 2020/12/08

毒親「北大に合格しなければクズ」「パニック障害は気のせい」数々の壮絶虐待を受けた古谷経衡が語る、絶縁のススメ

保守系の政治トピックスを扱うことが多い文筆家として知られる古谷経衡氏が、“異色の一冊”とも言える...

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保守系の政治トピックスを扱うことが多い文筆家として知られる古谷経衡氏が、“異色の一冊”とも言える新著『毒親と絶縁する』を出版した。

インタビュー冒頭でも触れている通り、同氏は2018年にパニック障害を患っていることをカミングアウトしていたが、本書はその主因とも言える凄惨な「毒親による虐待」の実態を暴露し、パニック障害の苦しみを吐露し、両親との絶縁に至った経緯を詳細に記した一冊だ。

最近では「毒親もの」とカテゴライズできるようなエッセイやマンガが増えてはいるが、その多くは「母と娘の関係」がテーマであり、男性の経験が記されたものはまだまだ珍しいと言える。

本インタビューでは古谷氏も語る通り「どうすれば毒親の束縛から脱出できるか」という即効性のある方法論が載っているわけではないが、それでも「自分も抵抗したっていいんだ」と勇気づけられる人が一人でも増えることを願っている。

聞き手:米田智彦・神保勇揮 文・構成・写真:神保勇揮

古谷経衡(ふるや・つねひら)

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1982年札幌市生まれ。文筆家。立命館大学文学部史学科(日本史)卒業。一般社団法人日本ペンクラブ正会員。NPO法人江東映像文化振興事業団理事長。時事問題、政治、ネット右翼、アニメなど多岐にわたり評論活動を行う。
著書に『ネット右翼の終わり』(晶文社)、『左翼も右翼もウソばかり』『日本を蝕む「極論」の正体』(ともに新潮新書)、『「意識高い系」の研究』(文春新書)、『女政治家の通信簿』(小学館新書)、長編小説『愛国商売』(小学館文庫)などがある。

パニック障害の公表から両親への絶縁へ

―― 本書は毒親に苦しむ人たちの一助になるような本でもあり、古谷さんのカミングアウトでもあるという二つの側面を持つ本だと思うんです。このタイミングで、この本を書こうと思ったきっかけは何だったんですか。

古谷:本にも書きましたが、去年僕と両親の関係が絶縁というかたちで一応清算されたのです。その時のエピソードをSNSで書いていたら編集者からお声をかけていただいたというのがきっかけです。

―― 古谷さんはこの本の初期バージョンとも言える記事「パニック障害への偏見、無理解と闘った20年―患者視点からのパニック障害超克と共生―」を2018年にYahoo!ニュース個人で発表しています。この時はご自身のパニック障害に関するお話が中心でした。

古谷:実は2014年ぐらいほんの少しだけ本でも書いていたんですけど、大々的にカミングアウトしたのが2018年ですね。

当時、ちょうどジャニーズの人がパニック障害で一時休業というか、入院・加療するということが大々的にニュースになったので、いち患者としては「ここまで認知が広がったんだな」と、まるで10個師団の援軍を得たように心強く感じました。昔だと多くの人は隠していたんですけど、アイドルが公表するまでなったということは、社会的な認知・理解も進んできたんだなということで自分も2、3年前からカミングアウトして、一応講演もやらせていただいております。

パニック障害は遺伝的なものも含めて原因不明で突然かかる人もいることはいますけれども、ほとんどはストレスなどが原因で発症するんです。僕の場合は発症したのが高校生なので、その原点を見つめないと人生の総括にならないなという思いはありました。

生まれた瞬間に生き方が決められ、従わなければ虐待される

―― この本には古谷さんがどんな「教育虐待」を受けてきたかという内容が、読んでいるこちらも辛くなるほど詳細に記されています。毎日のように受ける罵倒と無視、殴打されて耳の鼓膜が損傷、自室の扉を取り払われて常時勉強しているか監視される、弁当にゴミを入れられる、冬の入浴時にガスの元栓を切られる、自慰行為後の使用済みティッシュをわざわざ机の上に並べられる、パニック障害が発症しても「気のせいだろう」と言われ保険証すら渡してもらえない……など、挙げるとキリがありません。それらの虐待の中でも、特にキツかったのは何だったのでしょうか。

古谷:「自分の人生設計を生まれた瞬間から勝手に決められていた」というのが、根本的にはキツいですね。特に父親にものすごく強い学歴コンプレックスがあって「お前は絶対に俺が行けなかった北海道大学に合格するんだ」と決められていました。その北大に行くためには、北大進学率の高い高校に当然行くんだということで、そのためだけに学区がある場所のマンションを買うんですよ。まだ僕が幼稚園の頃の話ですよ!? 知らんがな、と思いますし社会人入試で父親が自分で行けばいいじゃんと思うんですけど、そこまで設計して押し付けてくる異常性というか、それがまずキツかったです。

部屋のドアを取り払って勉強してるかを監視したりして、勉強するようになると思いますか? 思わないですよね。でも、これで勉強するようになるはずだと本気で思っているという、その世界観の狭さが僕は一番怖いですね。それが自覚できておらず善意でやるというところの恐ろしさが極めて怖いです。本当に怖いですね。サイコだと思っていますね、僕は親のことは。

結局「お前の将来のためだ」と言いながら、やってきたのは陰湿なネグレクトと虐待じゃないかと。その強すぎる圧力でパニック障害になったとしか言いようがないし、医者もそう言っているので、まずそこで間違いはないかなと。こっちは高校生なので抵抗する術がないじゃないですか。

それでも一応は一通り抵抗しているんですよ、親に対して。でもやめてくれないんですよね。未成年なので家を出ることもできず、抵抗しきれないところはかなり多々あったということで、どちらかというと「たとえ親を騙してでも、何とかして制限の中で自己実現しよう」という、そっちにずっと全力を注いでいたという感じが強かったですね。そういう人は、あまりいないみたいですが。

医者も「普通は心が折れちゃって、抵抗する気力もなくなる」というふうに言っていましたよ。親が死んだ後に言ったりする人はいますけど、存命中に闘う人はあまりいない。だから、まれなケースだと思います。

―― 子ども時代なんかは特にそうですよね。

古谷:今だったらもちろんできますけど、その制約の中で何とか親を騙しつつ、自己実現していくということしかできないわけですね。「お前はこうなれ」と言われるだけなら僕も反発しないですけど、「そうならないといけないんだ」と言って全て決められていくという、その背後にある両親のコンプレックスやストレスの鬱積が、その当時から僕は見えちゃっていたわけですよ。父親は学歴コンプレックスの塊でしたし、母親は潰瘍性大腸炎にかかってしまってから法華系の新宗教に入れ込んで、遂には「自分の病気が改善しないのは息子が不徳な行いを続けるからだ」と、父親と一緒に僕を責めるようになってしまった。

父親はずっと、すごく内弁慶な人だったんですね。「俺は何でも知っているんだ。その人を見ただけで全部分かるんだ」みたいな感じ。でも何も知らないんですよ。世の中のことを何も知らなくて、その尊大な自意識みたいなものはどこから来るのかなと思ったらコンプレックスなんです。一応、親としては「受験での勝利を与えるのだ」という大義があり、90年代当時は多かれ少なかれ言われていた人も多かったと思いますけどね。

そういう親に親孝行しようとは、僕は今でも思わないですね。何の反省もしていないんですよ、未だに。というか忘れたと言うんですよね。そうしたら、もう絶縁しかないですよね。

―― 確かにそうなってしまいますよね。

古谷:本人は多少なりとも後悔もあるかもしれないですけど、はっきり言って今でも「早くくたばっちまえ!」と思っていますもん(笑)。

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併発する精神疾患の苦しみと名医・貝谷久宣先生との出会い

―― 本では、両親からの教育虐待に加えて、パニック障害の苦しみについてもかなりの分量が割かれています。その中ではパニック障害だけでなく広場恐怖症も発症していたとありましたね。

古谷:英語では「Agoraphobia」と言うんですが、体育館での全校集会みたいに、たくさんの人がいる場所でどうしようもなく恐怖を感じてしまうんです。厳密に言うとパニック障害とは別の疾病ですけれども、僕の主治医が言うには合併していて、どちらかというと広場恐怖症が先行しているとのことでした。ただ、広場恐怖症単体では発作は起こらないんです。ただ怖いとか苦手だというだけで。

―― それはうつに近いものなのでしょうか?

古谷:パニック障害単体で発病する人は非常に少なくて、かつそれはストレスが基になっているので、どうしてもうつ病とか双極性障害を合併すると。一応僕は抗うつ剤を飲んでいます。

自分の場合はこうやって喋れますし、外に出られないということではないですね。よく、物書きにありがちな実存への問いとか、うつ病みたいな感じですし、いろんな人にあると思います。今はほとんどないですが、初期の頃は不眠も結構ありました。そういう症状が複合的に合併していくというのが精神医学的には通常らしいですね。

―― そうした各種症状がようやく改善に向かったのは比較的最近のことで、精神科医の貝谷久宣先生との出会いがきっかけだったと。

古谷:はい。精神科医によって得意分野が当然それぞれ違うわけですけど、内科医が胃も腸も診るのと同じで臨床の場ではある程度何でも診る必要が生じてきます。そうすると、専門ではない先生が診た場合は患者からすると「教科書的にこれが効くと書かれている薬を出されて終わり」という対応になってしまうことも珍しくありません。

そうしたこともあっていわゆるドクターショッピング的にいろいろ転々として、最終的には数年前に妻の紹介で貝谷久宣先生という、日本のパニック症の中では最高権威の一人である方を紹介いただいたことができたんですね。

それで多剤併用療法という、複数の薬を併用していくというかたちを採りまして、パニック症は当然それで抑えられる。合併している広場恐怖症やうつについても、同じ要領でずっと静かにやっていくと。

―― どの病気であっても、自分に合った先生を探すのは難しいですよね。

古谷:患者の側から「この先生はどこの学会に所属していて何が得意です」って調べるのは大変じゃないですか。だから「本当は循環器が悪いんだけれども、循環器系の専門医でなく一般内科に行ってしまって風邪薬をずっと出されています」みたいなことが少なからず起きてしまっていると思うんです。僕は単にラッキーだったと思います。

―― 先生を紹介してもらえたというのは、どんな経緯だったんですか。

古谷:妻の友人がここの医療法人で事務をやっていたんです。

―― なるほど! ちなみに複数の薬を出された際「何がどの症状に効いている」ということは体感できるんですか?

古谷:最初に「この薬はこういう効果があります」と説明はされるんですが、体感ではわからないですね。レクサプロというのが基本的にはパニック症第一選択とされ、僕もそれを飲んでいるんですが、サプリみたいに規定量を8種類ぐらい飲む感じです。どんな薬も1週間、2週間飲んで効くものではなくて、何カ月も続けていくうちに効いてくるという感じです。

ただ、ワイパックスという頓服薬があって、それはパニック発作が起こりそうな時に緊急避難用として飲むんですけれども、今はあまり飲まなくてもいいようになっていますね。これは飲むと明らかに効果が分かります。

―― どんな効果があるんでしょうか?

古谷:患者からすれば、パニック障害は脳の信号が過剰に暴走するというなので、それを鈍らせてやるという感じですね。だからワイパックスを飲んだ後に車は運転できないですね。どよん、となって非常に気持ち良くなる。普通に喋ったりはできますけど、機敏な動きはできないというか、それをさせないことによって緊急避難するので。そのぐらいは分かりますかね。

「謝りたい」と言われて親と会ってみたら…

――2018年のYahoo!ニュース個人の記事では、最後に「親との関係が改善に向かうかもしれない」という結び方をしていましたよね。それから完全な絶縁に至るまでに何があったんでしょうか。

古谷:あれは両親と会う前に書いたからですね。あれを読んで「謝りたい」と言ってきたんです。ただ会ったら結局「自分がやったことは忘れた、そんなことをした覚えはない」と言っていて、こっちからしたら18年間植民地統治されてきたみたいな話ですから、そんな態度で解決できるわけがないと。

向こうからしたら息子が自分たちのことを悪く言ったり揶揄したりするのが嫌なんでしょうね。最終的に「息子に相続させる」という前提で譲り受けた家屋、土地を取り上げようとしたので、こちらも弁護士を立てて戦おうと。そうしたら、内弁慶なのですっと引っ込むんですよ。それでもう終わりです。これまで徹底的に全面戦争でやるみたいなことを両親に対して言ったことが僕もなかったから、ちょっとビビったんだと思います。

当時はYahoo!ニュース個人の記事よりもっと細かいことを書いて200部ぐらい印刷して、親戚という親戚に全部配ってやろうと思ったんです。こっちだって徹底的にやるぞというふうに思ったんですけど向こうが折れてきたので、じゃあ芸の肥やしというか本にしてやろうと思ってこの本になりました。Yahoo!ニュース個人の記事の時点で、僕の親戚側から僕にコンタクトはなくなりましたね。だから、気まずいんじゃないですか。

―― 正直、自分がその親戚だったとしたら古谷さんに対してなんて言っていいか分からないと思います。

古谷:自分の親族がそんなことをしていたという、真偽はともかく、そういうある種の告白がなされたから、たぶん連絡は来ないですね。来なくて結構です。

―― この辺りで印象的だったエピソードの一つは、古谷さんのこの名前が本名を改名したものだったという。

古谷:家庭裁判所を通じて数百円ぐらいでできちゃうんです。僕は親によって教育虐待的なことをされていたので、とにかく親から授かった名前が嫌でしょうがなかったんです。改名する際には「使用実績」が問われるんですけど、僕の「経衡」という下の名前はペンネームでずっと使ってきたこともあり、5、6年間使った名前であれば基本的には社会認知があるということで、相応の理由があれば変更が許可されます。

正直変えなくてもいいんですけど、住民票を取るたびに親の付けた名前がちらほらするのは嫌なので、これで精神的にも書類的にも離別できたなという認証が欲しかったんですよね。それで変えました。

次ページ:「お前のためだ」と言ってもやってることは植民地統治と同じ

「お前のためだ」と言ってもやってることは植民地統治と同じ

―― 親からの教育プレッシャーは大きく分けて二種類あると思っていて、親が低学歴で、その自分の自己実現を子どもに託す場合と、親がすごい高学歴エリートで、それを継がせようとするパターンがあると思うんですけど、古谷さんの場合はどちらだったんでしょうか。

古谷:それで言うと中間じゃないですかね。父親はまだまだ大学進学率が低い時代に帯広畜産大学を卒業して獣医になっているので、十分高学歴と言えるじゃないかと思うんですけど、父親の職場ではみんな北大、東北大ばかりだから、となってしまう。母親は短大出ですが、彼女が入学した1970年の女性進学率は6.5%なのでやはり上から数えた方が早いです。

―― 確かにそうですね。

古谷:結局、人を嗜虐したり差別したりするのは中途半端な人なんですよね。丸山眞男が戦前の「日本型ファシズム」を積極的に支えたのは、中産階級第一類型に位置する、例えば小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、小地主、学校教員、村役場の職員といった、いわば“社会の下士官”であるといったことを書いているんですが、今でもこれは当てはまると思っています。逆に超エリートだったりすると金持ち喧嘩せずみたいなかたちで「別にどうでもいいよ」という親も結構いるわけです。

スクールカーストで言うところの第2グループというか、すぐ近くに上がいて、そのグループには到達できない。でも自分が見下す対象はいると。そうなった時に、ここから自分の位置が動けないんだとしたら、それを息子とかそういう次世代に託すんだという、そういう非常に中途半端な感じですよね。

―― 本では「やり方は厳しかったかもしれないが、お前のためを思ってのことだしメリットだってあっただろう」というようなやり口が、植民地統治時代を肯定する歴史修正主義者の態度と一緒だと指摘していましたね。ネット右翼の矛盾を鋭く突く古谷さんらしい書き方だと思いました。

古谷:非常に似ていますよね。日本帝国による朝鮮とか台湾の統治についてもそういうことを言う人が大量にいる。結果としてはインフラを整備したり教育制度を整えたりしたかもしれないし、生活水準だって向上したかもしれない。でも、同意を得ているわけではないし、あくまでそれら全ては侵略した国の都合でやったわけですよね。それは、世界中の植民地がそうです。

アメリカのフィリピン統治によってスペイン当地時代から所得がすごく上がりましたよ。当時のマニラは沖縄よりも所得が高かったりするわけです。じゃあ今のドゥテルテ大統領が何と言っているかというと、「我々はもはやアメリカの奴隷ではない」と。やっぱり「悪しき植民地時代だった」と言っている。

それと毒親の虐待のロジックも同じなんですね。お前のためにやったんだ、学力が上がっていい大学に行けたじゃないか、いい会社に行かれたじゃないか、だから良かったじゃないかと。

ただそれを個人で抵抗して独立戦争するというのは非常に難しいことなので、大体みんなはさっき言ったように親が死んでから、あれはひどかったと言ったり書いたりする。元NHKアナウンサーの下重暁子さんが書いた『家族という病』も、登場する復古主義者の父親が没してからあれを書いていますからね。大抵はそうなっちゃうんですよ。それはしょうがないんですけど、僕は生きているうちに叩きつけたかった。

―― でも、大半の人は難しいでしょうね。親が存命中に闘うというのは。

古谷:この本ではあまり書きませんでしたけど、僕だって「こんなことをしたって過去は変わらないし意味はないかもしれない。年老いた親と闘って責め立てるのはかわいそうだな」という気持ちはゼロではありません。でも、この本を読んだ100人の中で1人でも闘ってくれれば、やる価値はあるんじゃないかなとも思っています。

親による支配、抑圧は、子どもからするとものすごく強いものなんですね。強いがゆえに、自分は権力者であるということを自覚しないといけないんですね。そうしないと子どもは心が折れちゃって死んじゃいますし変になっちゃいます。それを自覚していない親とは闘ってもいいんだというぐらいまで思ってもらいたいです。闘うということは戦争なので戦争の前段階、武器集めぐらいまではしても良かろうというぐらい、ちょっと一歩踏み込んでいただいても僕は全然悪いことでもないですし、それはいいことだと思いますね。

―― それで言うと、2010年代ぐらいからでしょうか、マイノリティあるいは抑圧された立場にいる人が、人生の選択肢を勝ち取るみたいな、そういう尊さを良しとする風潮が少しずつですが出てきたような気もします。

古谷:そうですね。ただ、それはすごくエネルギーが要る作業ですよね。だから「僕ができたからあなたもできますよ」という話では決してないです。でも、僕からすると死んでから言ったら勝ち逃げされたみたいな感じで気持ちが収まらない。だから書きました。

毒親が存命中でも闘っていい

―― 最近はこうした毒親体験談を描いたエッセイマンガなどを少なからず見かけますが、多くは「母と娘の関係」がテーマなので結構珍しいんじゃないかという気もします。古谷さんはこの本をどんな人に読んで欲しい人に読んでほしいですか?

古谷:自分が毒親に過去に抑圧された、現在抑圧されている、あるいは自分が毒親になってしまうんじゃないか心配しているという、その三者に読んで欲しいですよね。

あとは脳科学者の中野信子さんが書いた『毒親』のように、専門家視点からの「毒親はどういうものか」という本も出てきましたけど、「自身の体験談に基づく、家族という病」みたいな感じにしたかったんです。特に「過去に虐げられていた人がきちんと関係を清算して著したエッセイ」というのは、僕はあまり見たことがなかったこともあって、やれることがあるんじゃないかと思い執筆したところもあります。

読む人に子どもがいなくても「こういう人生があったんだ」という感じで読んでもらうのも全然いいと思いますし、それで何か得るところはないかもしれないけれども、エッセイとして読んでいただきたいと思います。

―― 本書の「楽しさ」の点で言うと、中高生時代の「ワープロ錬金術」のエピソードが、唯一クスっとできる、希望のある話でした(笑)。学校から求められる教材費などの金額を水増し報告して、その差額で古本を買い漁って知識を蓄えたという。

古谷:そうなんです。例えば学校からの「教材費徴収のお知らせ」に書かれた「1200円」を「2200円」になるように「2」の数字を同じフォントで書き直して印刷して糊付けして、コンビニのコピー機で再印刷して改ざん部分をわかりづらくするみたいな(笑)。これで1000円手に入ります。そして本を買う。高校で美術を選択していたので、要求される教材費がもともと多かった。これのせいで教材費の水増しや架空請求は案外やりやすかったのです。この時に使っていたワープロは思い入れがありすぎて、壊れているのに未だに家で保管しています。

―― あれは最後までバレなかったんですか?「なんでロクに小遣いも与えていない息子がこんなに本を持ってるんだ」と疑われなかったかというか。

古谷:結局、下級官吏がゆえに公権力にすごく信用を置いているので、公立学校から送られてきた書類を疑うことはなかったんですね。あとは本の裏側に100円とか50円とか書かれてますし、このぐらいなら良かろうという感じだったんじゃないですか。実際、今は潰れてますけど100円くらいで新書や状態の悪い専門書を売っている良心的な古本屋があったんですよ。あの店には随分と助けられました。今思えばそこで深く疑わないというところが、ちょっとアホなところかなと思いますけど(笑)。