「お前のためだ」と言ってもやってることは植民地統治と同じ
―― 親からの教育プレッシャーは大きく分けて二種類あると思っていて、親が低学歴で、その自分の自己実現を子どもに託す場合と、親がすごい高学歴エリートで、それを継がせようとするパターンがあると思うんですけど、古谷さんの場合はどちらだったんでしょうか。
古谷:それで言うと中間じゃないですかね。父親はまだまだ大学進学率が低い時代に帯広畜産大学を卒業して獣医になっているので、十分高学歴と言えるじゃないかと思うんですけど、父親の職場ではみんな北大、東北大ばかりだから、となってしまう。母親は短大出ですが、彼女が入学した1970年の女性進学率は6.5%なのでやはり上から数えた方が早いです。
―― 確かにそうですね。
古谷:結局、人を嗜虐したり差別したりするのは中途半端な人なんですよね。丸山眞男が戦前の「日本型ファシズム」を積極的に支えたのは、中産階級第一類型に位置する、例えば小工場主、町工場の親方、土建請負業者、小売商店の店主、小地主、学校教員、村役場の職員といった、いわば“社会の下士官”であるといったことを書いているんですが、今でもこれは当てはまると思っています。逆に超エリートだったりすると金持ち喧嘩せずみたいなかたちで「別にどうでもいいよ」という親も結構いるわけです。
スクールカーストで言うところの第2グループというか、すぐ近くに上がいて、そのグループには到達できない。でも自分が見下す対象はいると。そうなった時に、ここから自分の位置が動けないんだとしたら、それを息子とかそういう次世代に託すんだという、そういう非常に中途半端な感じですよね。
―― 本では「やり方は厳しかったかもしれないが、お前のためを思ってのことだしメリットだってあっただろう」というようなやり口が、植民地統治時代を肯定する歴史修正主義者の態度と一緒だと指摘していましたね。ネット右翼の矛盾を鋭く突く古谷さんらしい書き方だと思いました。
古谷:非常に似ていますよね。日本帝国による朝鮮とか台湾の統治についてもそういうことを言う人が大量にいる。結果としてはインフラを整備したり教育制度を整えたりしたかもしれないし、生活水準だって向上したかもしれない。でも、同意を得ているわけではないし、あくまでそれら全ては侵略した国の都合でやったわけですよね。それは、世界中の植民地がそうです。
アメリカのフィリピン統治によってスペイン当地時代から所得がすごく上がりましたよ。当時のマニラは沖縄よりも所得が高かったりするわけです。じゃあ今のドゥテルテ大統領が何と言っているかというと、「我々はもはやアメリカの奴隷ではない」と。やっぱり「悪しき植民地時代だった」と言っている。
それと毒親の虐待のロジックも同じなんですね。お前のためにやったんだ、学力が上がっていい大学に行けたじゃないか、いい会社に行かれたじゃないか、だから良かったじゃないかと。
ただそれを個人で抵抗して独立戦争するというのは非常に難しいことなので、大体みんなはさっき言ったように親が死んでから、あれはひどかったと言ったり書いたりする。元NHKアナウンサーの下重暁子さんが書いた『家族という病』も、登場する復古主義者の父親が没してからあれを書いていますからね。大抵はそうなっちゃうんですよ。それはしょうがないんですけど、僕は生きているうちに叩きつけたかった。
―― でも、大半の人は難しいでしょうね。親が存命中に闘うというのは。
古谷:この本ではあまり書きませんでしたけど、僕だって「こんなことをしたって過去は変わらないし意味はないかもしれない。年老いた親と闘って責め立てるのはかわいそうだな」という気持ちはゼロではありません。でも、この本を読んだ100人の中で1人でも闘ってくれれば、やる価値はあるんじゃないかなとも思っています。
親による支配、抑圧は、子どもからするとものすごく強いものなんですね。強いがゆえに、自分は権力者であるということを自覚しないといけないんですね。そうしないと子どもは心が折れちゃって死んじゃいますし変になっちゃいます。それを自覚していない親とは闘ってもいいんだというぐらいまで思ってもらいたいです。闘うということは戦争なので戦争の前段階、武器集めぐらいまではしても良かろうというぐらい、ちょっと一歩踏み込んでいただいても僕は全然悪いことでもないですし、それはいいことだと思いますね。
―― それで言うと、2010年代ぐらいからでしょうか、マイノリティあるいは抑圧された立場にいる人が、人生の選択肢を勝ち取るみたいな、そういう尊さを良しとする風潮が少しずつですが出てきたような気もします。
古谷:そうですね。ただ、それはすごくエネルギーが要る作業ですよね。だから「僕ができたからあなたもできますよ」という話では決してないです。でも、僕からすると死んでから言ったら勝ち逃げされたみたいな感じで気持ちが収まらない。だから書きました。
毒親が存命中でも闘っていい
―― 最近はこうした毒親体験談を描いたエッセイマンガなどを少なからず見かけますが、多くは「母と娘の関係」がテーマなので結構珍しいんじゃないかという気もします。古谷さんはこの本をどんな人に読んで欲しい人に読んでほしいですか?
古谷:自分が毒親に過去に抑圧された、現在抑圧されている、あるいは自分が毒親になってしまうんじゃないか心配しているという、その三者に読んで欲しいですよね。
あとは脳科学者の中野信子さんが書いた『毒親』のように、専門家視点からの「毒親はどういうものか」という本も出てきましたけど、「自身の体験談に基づく、家族という病」みたいな感じにしたかったんです。特に「過去に虐げられていた人がきちんと関係を清算して著したエッセイ」というのは、僕はあまり見たことがなかったこともあって、やれることがあるんじゃないかと思い執筆したところもあります。
読む人に子どもがいなくても「こういう人生があったんだ」という感じで読んでもらうのも全然いいと思いますし、それで何か得るところはないかもしれないけれども、エッセイとして読んでいただきたいと思います。
―― 本書の「楽しさ」の点で言うと、中高生時代の「ワープロ錬金術」のエピソードが、唯一クスっとできる、希望のある話でした(笑)。学校から求められる教材費などの金額を水増し報告して、その差額で古本を買い漁って知識を蓄えたという。
古谷:そうなんです。例えば学校からの「教材費徴収のお知らせ」に書かれた「1200円」を「2200円」になるように「2」の数字を同じフォントで書き直して印刷して糊付けして、コンビニのコピー機で再印刷して改ざん部分をわかりづらくするみたいな(笑)。これで1000円手に入ります。そして本を買う。高校で美術を選択していたので、要求される教材費がもともと多かった。これのせいで教材費の水増しや架空請求は案外やりやすかったのです。この時に使っていたワープロは思い入れがありすぎて、壊れているのに未だに家で保管しています。
―― あれは最後までバレなかったんですか?「なんでロクに小遣いも与えていない息子がこんなに本を持ってるんだ」と疑われなかったかというか。
古谷:結局、下級官吏がゆえに公権力にすごく信用を置いているので、公立学校から送られてきた書類を疑うことはなかったんですね。あとは本の裏側に100円とか50円とか書かれてますし、このぐらいなら良かろうという感じだったんじゃないですか。実際、今は潰れてますけど100円くらいで新書や状態の悪い専門書を売っている良心的な古本屋があったんですよ。あの店には随分と助けられました。今思えばそこで深く疑わないというところが、ちょっとアホなところかなと思いますけど(笑)。