行き詰まった現代社会へ。ビックリ建築からのメッセージ
―― 紙面の随所に、貴重な建築作品を後世に残していきたいという想いを感じます。特に日本では、短いスパンで街の景観がスクラップ&ビルドされていくばかりですが、この問題についてはどう思われますか。
白井:建築とは、まず街に、そして人の心に残るものだと思います。例えばパリの街は、古いものからモダニズム建築、現代建築まで、各時代の建築を重層的に残していくことで、大きな魅力を放っています。それに対して東京の場合は、価値ある建築が取り壊されてしまう例が後を絶ちません。建築物は50年経てば登録有形文化財の登録基準に達しますが、それを待たずにスクラップ&ビルドを繰り返して経済を回すという、経済や政治的な原理が働くからです。まずは、「この建築には文化的な価値がある」と多くの人が気付くこと。その意識を育むところから始めないといけないと思います。
―― その意識が広まれば、商業主義一辺倒で似たような駅前の景色を量産し続ける現代のビル設計や都市計画のあり方も、大きく変わっていくように思います。
白井:ただ、現代の建築において理念を形にするのは、なかなか難しいことだと思います。というのも、工業化が進んだ現在、画一的なパネル・ガラスといったどこでも手に入る部材が外装・内装に使われます。特別な技術がなくても、誰にでも施工できることを追求してきたわけですから、代わり映えのない街の風景ができるのは当たり前です。事実、1平米あたりの施工時間は60年代に比べると現在は約10分の1になっています。60年代前半に手仕事(職人の賃金)と工業製品の価格の逆転が起きたんですね。これによって、それまで受け継がれてきた高度な職人技が大きな曲がり角を迎えました。その中には、今となっては失われた仕上げや施工の技術もありますし、予算的に不可能になってしまったものも数多い。そうした視点から見ても、50〜60年代のモダニズム建築には理念だけでなく、技術としても魂が込められている。日本の財産として残しておくべきだった建築は、数えればキリがありません。
『WONDER ARCHITECTURE 世界のビックリ建築を追え。』紙面より、西川驍『龍生会館』(1966年/東京・市ヶ谷)写真:伊藤慎一
ーー そう考えると、ビックリ建築の“ビックリ”には見た目のインパクトだけでなく、その建築を実現させるに至った様々な要素が込められているわけですね。
白井:はい。ビックリ建築を訪ね歩くうち、その多くが60〜70年代の作品だということに気が付きました。時代的には、カウンターカルチャーやヒッピームーブメントなど若者文化が大きく盛り上がる一方で、冷戦の激化や環境問題など様々な社会問題に直面していた時のこと。中でも象徴的なのが、『フトゥロ』が誕生した68年に創刊された雑誌『ホール・アース・カタログ』の表紙です。この雑誌はあのスティーブ・ジョブズも多きな影響を受けたことでも知られていますが、この創刊号の表紙には宇宙に浮かぶ地球の写真が使われています。実は丸い地球の姿を一般の人が目にしたのは、これが初めてのことでした。それまでは宇宙開発は米ソ冷戦の延長線上で行われていたので、地球の写真は公開されていなかったのです。それを、編集長のスチュアート・ブランドが情報公開を求めて裁判を起こして勝利したんですね。自分たちが暮らす地球の姿を客観的に目にして、特に若者の意識は変わったと思います。「人間同士が争っていては仕方がない」「次世代にこの美しい環境を残さないといけない」など。こうした世の中の動きの中で、みんなが真剣に地球の行く末を考えるようになり、突き抜けるようなインパクトや理念に溢れる建築が生まれてきたのだと思うんです。
それに対して現代は何もかもがお金優先になり、こうした側面で心に訴えるものが少なくなっているように思います。ですから個人的にはこの1冊に、もっと熱意を持って未来のことを考え、行動していこうよ、という想いを込めたつもりです。
アウグスティン・ヘルナンデス・ナヴァロ『ヘルナンデス・オフィス』(1970年/メキシコシティ)Photo/J-P de Rodliguez Ⅲ
―― 白井さんご自身は、“ビックリ建築探求家”として今後、どんな目標を思い描いていますか。
白井:知られざる建築、忘れられた建築にもう一度光を当て、より多くの人にその価値について気付いてもらうこと。そしてその気付きを、価値ある建築を残す動きにつなげていきたい。そのためにも、世界にはまだ見に行けていないビックリ建築、まだ知らないビックリ建築がたくさんある。その旅路こそが、私にとっての“ビックリ建築探求の道”だと思います。
『WONDER ARCHITECTURE 世界のビックリ建築を追え。』
著者:白井良邦
発行:扶桑社
発売:2020年10月28日
定価:¥3200+税