EVENT | 2020/11/24

影響力増す「ハッシュタグの政治運動」にはリアルの軸も必須。津田大介と「ウェブと政治」の10年【後編】

前編はこちら
津田大介氏の「ウェブと政治」にまつわるロングインタビュー後編をお届けする。
文中で少し触れてもいるが、...

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安倍政権を「公文書改ざんしたから全部ダメ」と見るか「良い政策もやっていた」と評価するか

―― 「ネット左派」で言うと今年ぐらいから、一部の左派が「左のネトウヨ」と言われるような、ネット右翼と同様にSNSでの対話がなかなか上手く成り立たない層として登場してきたと指摘されるようになりました。

津田:そうですね。彼らからは立憲民主党など既存野党のやり方がヌルく見えているんだと思います。だから、右派が大衆の情に訴えかけて動員するようなことをやっている。排外主義的なネット保守層は差別感情とかで動員しているんだけれども、それに対しては「同じぐらい強いやり方でやらなきゃいけないんじゃないか?」という危機感があるんじゃないかと思います。

ただし、先ほども言ったように左派の方が、明らかに非対称的に弱い立場にあるわけです。真面目でポリティカルコレクトです、みたいな建前の中でしか言えないとなると、どうしても放言している人に支持の奪い合いで勝ちにくい。それは、この間のトランプとバイデンの討論でもそうでした。

だから、真面目で正しいことを言うのは大事なことですが、真面目で正しいこと、きれいごとを言っている人に対する反感も世の中には確実にあるわけです。もしかしたら世の中の4割とか5割くらいそういう人がいるかもしれない。そういう人たちの感情に火をつけるのがうまいのがトランプ大統領や安倍さんだったのかもしれませんね。

しかし、左派が分裂してていいことは何もありません。これは男性と女性、あるいは同性間の対立もそうですよね。「あいトリ」をやって自分が思ったのは、ちゃんとした理念とか向かうべき方向性を共有しておけば、そこに向かうプロセスの違いは後ですり合わせていけるんだということでした。芸術監督として「あいトリ」で自分がやっていたことは政治そのものだと思いますし、最悪、いろいろ瓦解してしまうかもしれなかったものを何とか次につなげられたことは、自分にとっても決定的に大きな経験になったと思います。

―― ネット左派的なものに求められるものがあるとすれば「菅首相がパンケーキ好きをPRするのってバカにできないよね」ということよりも、言い方とかプロセスとか、子細な部分にこだわって決裂してしまう前に、改めて理想像を共有していることは確認しようよ、ということになるのでしょうか?

津田:「そういう反論の仕方はトーンポリシング(意見に対する反論ではなく「お前の言い方が悪い」という主張で論点ずらしを行う議論テクニック)だろう」みたいに言われちゃうので、それも難しいんですけどね。

例えばこの前、朝日新聞の論壇時評連載で僕が「安倍政権の7年8カ月における女性政策はどう評価するか」という記事を書きました。もちろん、ボロクソに言う人はいますよ。3年間抱っこし放題(※)とか女性手帳(※)とかいろいろあったし、総論としては良くなかったんじゃないかと僕も思うんだけれども、女性のジェンダー問題などを追い掛けている研究者、ジャーナリストの人の意見を読むと全否定ではないわけです。

※3年間抱っこし放題:女性の育休期間を3年に延長してほしいと企業に要請する際に自民党が付けたキャッチフレーズ。働く女性のキャリアが中断されてしまうことに何の配慮もない、「女性は家庭にいてほしい」という家父長制思想の表出であるとビジネス界からも批判が相次いだ

※女性手帳:2013年に政府が配布を検討した「生命と女性の手帳(仮称)」。若い世代に結婚生活や妊娠、出産の知識を広める内容が記される予定だったが「女性の生き方のロールモデルを国が決めつけるべきではない」という批判が噴出し見送りになった

社会起業家もそうですね。「安倍政権で女性政策は結構進んだ」という人が結構いるし、そういう人は菅政権への評価も高い。そのことを含めて、論壇時評で「評価する論者も多い」と書いたら、批判を受けました。書き方のトーンの問題はあるでしょうが、実際に存在しているんですよ。全肯定か全否定しか許されないということであるならば、辛いなと……。

実際、僕は安倍政権って最悪の政権だったと思ってますよ。しかし、確かに個別的な政策を見ていくと、野党が提案したものをそのまま取り入れるしたたかさもあったし、良い政策もやっていないわけではない。

そうなると結局モリ・カケ・桜などの公文書改ざんや隠蔽の話って、良い政策が全部帳消しになるぐらいひどいことじゃない? という立場に立つか、「それはそれ、これはこれ」と言って、プラスマイナスの総合点で判断するか。その対立だと思っているんです。僕は、前者の考えに共感するし、白井聡さんが『論座』で書いた記事「安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である」は、まさにそういう原稿ですよね。書かれていることの9割は同意しているんですが、現実的に国民の大多数は後者だとも思うので、あの原稿も「ちょっと言い過ぎでは?」と思ってしまう。むずかしいですね。

2020年代の「ウェブと政治」に希望があるとすれば

津田:でもね、それなりの手応えもあるんですよ。例えば「あいトリ」では出展アーティストの男女比を半分ずつにしましたが、それまでビジネス界でジェンダーの話題なんて本当に一部でしか上らなかった。でも、今では大注目されるテーマですよね。「あいトリ」が終わった後も東京藝大で「彼女たちは歌う Listen to Her Song」という展示が開催されたり、岩崎貴宏さんが広島で美術業界のジェンダーの問題を告発する「カナリアがさえずりを止めるとき」という展覧会を企画して、それが『美術手帖』のウェブ版で掲載されて、アクセスランキングがしばらくトップになったり。こんな状況は、「あいトリ」以前にはまったくなかったわけです。

もう一つ、この間の岸田國士戯曲賞の受賞者の市原佐都子さんが授賞式で、「選考システム自体がおかしいでしょう」と発言したことも話題になりました。受賞者しか選考委員になれないうえ、女性の受賞者が少ないから無意識的であっても男性が男性を選ぶ構造になってきたという状況があったと。それに対して選考委員の相馬千秋さんも応えたし、同じく選考委員でチェルフィッチュの岡田利規さんが「2人の言っていることは本当にそうだし、権威というものも時代に合わせて変えなきゃいけないから、岸田戯曲賞も変わらなきゃ」と言っていた。

手前味噌で恐縮ですが、「あいトリ」で文化芸術分野のジェンダー問題を可視化する大きなきっかけをつくれたことは本当によかったと思います。正直なところ、自分がこういう問題提起を行っても美術業界のプロパーの人たちからはスルーされるだろうなとあきらめていたんです。でもそんなことはなかった。思ったよりも全然早く、大きなうねりができていることを感じます。これだけでもあいトリをやってよかったと思いました。

文化・芸術には力があるし、まだまだ文化や芸術で社会を変えていける可能性はたくさんある。それを実感できたのがあいちトリエンナーレ2019です。リアルなイベントとか場とかコミュニティとか組織がとにかくこの時代に重要になってきている。Twitterはそれを最大化するための広報ツールとして有効に利用すればいいんですよ。大事なのはリアルとネットのハイブリッドです。自分もそのハイブリッドな活動を愚直にやっていくしかないんだなと思っています。

あいトリ終了後は大分人間不信になって、あまり人とも会わないようにしていました。終わってから半年間くらいは何もやる気が出なくてくすぶっていましたが、6月から「ポリタスTV」という報道番組を初めて自分の中に「戻ってきた」感覚が生まれています。ようやくですね。あいトリで失ったものもすごく多いんだけど、得たものもたくさんあったなと振り返れるようになりました。

―― 2020年代は、色んな意味で歩み寄りが少しは進むディケイドになればいいなとつくづく思います。

津田:今はSNSが全盛でオーディエンスが可視化される時代です。オーディエンスというのは実は多様な存在なんだけれども、同じ意見を持つ一塊の集団のように見ちゃっていて、「ウケる言葉」を集団に最適化した結果、どんどん過激化していくところがあると思います。

あいトリの経験を経て、僕自身は「顔が見えない支持者」はある意味であまり信用しなくなった部分がありますね。ネットで簡単に共感が集められる環境があるので「自分のやることはある程度支持してくれるはずだ」と勝手に期待しちゃうことが増える。でも実際は大して支持なんてされてない。たまたまそのツイートが共感されただけに過ぎない。でも、それに気付かないと裏切られた気持ちになってしまう。そういうのに振り回されるのもヘルシーではないので、まずは顔が見える人とやっていきたいと思ってます。バイデンも勝ちましたし、2016年から続いていた嫌な流れも多少は変わるんじゃないかな。というか、そう信じないとやってられないですよね(笑)。


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