デジタル・ジャーニーは続くよ、どこまでも――。デジタルハリウッド大学学長・杉山知之さんの本連載が、この第15回をもって最終回を迎える。しかし、道なき道を進み、自ら先を切り拓く者にとって、旅路が途切れることはない。
今回選ばれたテーマは、「未来のテクノロジーと、社会の変化」。彼が最後に焦点を当てたのは、データを生み出す存在となった人間と、そのアプローチ方法が各社会で極端に分かれた世界の現状だ。五里霧中の現代から未来へ、あなたはどんな旅を続けたいと思うだろうか。
聞き手:米田智彦 構成:宮田文久 写真:神保勇揮
杉山知之
デジタルハリウッド大学 学長/工学博士
1954年東京都生まれ。87年よりMITメディア・ラボ客員研究員として3年間活動。90年国際メディア研究財団・主任研究員、93年 日本大学短期大学部専任講師を経て、94年10月 デジタルハリウッド設立。2004年日本初の株式会社立「デジタルハリウッド大学院」を開学。翌年、「デジタルハリウッド大学」を開学し、現在、同大学・大学院・スクールの学長を務めている。2011年9月、上海音楽学院(中国)との 合作学部「デジタルメディア芸術学院」を設立、同学院の学院長に就任。VRコンソーシアム理事、ロケーションベースVR協会監事、超教育協会評議員を務め、また福岡県Ruby・コンテンツビジネス振興会議会長、内閣官房知的財産戦略本部コンテンツ強化専門調査会委員など多くの委員を歴任。99年度デジタルメディア協会AMDアワード・功労賞受賞。著書は「クール・ジャパン 世界が買いたがる日本」(祥伝社)、「クリエイター・スピリットとは何か?」※最新刊(ちくまプリマー新書)ほか。
データ発生器としての人間を、どう考えるか
「私たち人間は今や、データ発生器になった」――まずはこのような認識を共有することから、始めてみたいと思います。
1995年から本格的に、インターネットが全世界へと普及していった。その時代においてはたしかに、ワクワクする感情が息づいていました。もちろん何かしらネガティブなこともあったかもしれないけど、きっとよいことがたくさん起きていくだろうと信じて、みんなでこのテクノロジーを前に進めてきたわけです。
しかしその結果、たとえばeコマースのように、物の売り買いがここまでインターネット中心に行われるとは、ほとんど想像されていませんでした。そこでは、大量の売買データが蓄積されていきます。あるいは、交通系ICカードで電車に乗ったら、鉄道会社のサーバに自分がどこからどこへ、いつ移動したかが把握されるようになった。医療機関で自分の体をMRIで撮影したデータも保管されますし、SNSのやりとりもデータそのものです。
つまり、私たちが行動すれば、そこでデジタルなデータが発生していく、ということが当たり前になってきたのです。いわば、データによる追跡、トレーサビリティという問題ですが、こうやってデータ発生器になった人間に対して、これからどうアプローチしていくのかという課題があるわけです。
プライバシーがない!――アメリカ、EUそれぞれの反応
このデータ発生器としての人間へのアプローチは、アメリカ、ヨーロッパ、中国と、各社会によって異なるものになってきました。
当初から「これは商売になる」と気づいたのは、アメリカのGoogleやFacebookの面々でした。ユーザーはサービスを無償で使えるが、実はデータをただで提供しているという裏表の関係にあって、しかも彼らは広告モデルで莫大な利益をものにしてきたわけです。
そうやって自分たちが丸裸にされているということに、みんな気づくようにもなってきました。2019年の夏にも、Facebookにジョインした元CIAの人物が「Facebook knows more about you than the CIA(FacebookはCIAよりあなたのことを知っている)」と発言したという記事が、アメリカですごく受けていたように。
GAFAのお膝元であるアメリカでさえ、こうしてノーブライパシーであることにさまざまな反応が生まれてきているのですから、ヨーロッパではなおさらです。そうした状況をもたらしたのはアメリカのテクノロジーですから、より強い反発が生じました。それが2016年に制定され、2018年から実施されているGDPR(EU一般データ保護規則)です。ここまでの文脈で簡単にまとめれば、データ発生器としての私から発生したデータの使い方は、私が決める、ということですね。GAFAのように簡単には使わせない、と。
同じデジタル・コミュニケーションという基盤の上で、ここまでまったく異なる社会のありようが立ち現れてきたのが、今の世界です。
デジタル・アイデンティティは国家のもの――中国の場合
それに対して中国は、「あなたのデジタル・アイデンティティは基本的には国のものですよ」という政策を進めています。「信用スコア」という、一気呵成に進められている国民個人のポイント制度がその象徴ですね。
個人の行動が追跡され、データとして管理される。そのポイントによって、次の行動がとりやすくなったり、逆に制限されたりする。就職できる会社さえ左右されるようになってきているわけです。
街中に監視カメラもあって、まるでジョージ・オーウェル『1984年』の「ビッグ・ブラザー」の世界なのですが、しかしそれは国民であるあなたたちのためなんだ、ということなんですね。各国民が将来的には統合されたデジタル・アイデンティティのデータを持つことになり、さまざまなサービスも受けられ、そうしたありかたは中国国家全体の秩序につながるのである、と。
実際、デジタル・テクノロジーについて中国政府は法的制限をかなりオープンにしているので、技術が発展した都市、たとえば深センでも上海でも、現地で仕事している友人は本当に暮らしやすいといいます。ほとんどキャッシュレスで暮らせるし、こうした社会は、これはこれでアリなのではないか、と言うんです。
最終回答となるモデルのない世界で
こうやって、デジタル・コミュニケーションの共通の基盤の上で、各社会が分断されるようになってきた。インターネットは世界をひとつにする、というのが幻想だった、と言ってしまっていいと思います。同じ技術を使っていても、それ以前から続いてきた文化や価値判断によって、方向性が分かれてきたわけです。ではこれからイスラム圏は? アフリカはどう考えていくのだろう? そして何より日本はどう判断するのか?――課題は尽きないところですが、アメリカ、ヨーロッパ、中国という前例は、考える手立てになるでしょう。
個人的には、アメリカ流の広告モデルは、その人の可能性を狭めてしまう気がしています。AIは過去のデータから分析していくわけで、過去の自分の行動から判断して「これがオススメ」などといってくるわけですが、まったく異なる好みに関心が向く日もあるでしょうし、時に反発したくもなってしまう(笑)。人間のその狭め方、追い込み方は決して面白くはない。
一方でヨーロッパのように、自分のプライバシー、データはすべてコントロールするんだ、というのも面倒くさすぎます。なにせ、人間は動けば動くだけデータを発生させる存在になりました。電車に乗って改札を通るたびに、あるいはタクシーに乗って車中のカメラで撮影されるたびにデータを消してくれ、といきりたって自分の人生を守るのはつらい。というより、悪用されない限り、そこまで守るべきプライバシーはあるのだろうか、と私は感じます。
かといって、中国のようにそこまで自分の行動を監視されて統制されるのも嫌ですよね(笑)。中国の人たちも、うまく裏で自由を楽しみながら生きているところがあるのですが、いずれにしても、どのモデルも最終回答ではないわけです。
生まれ来る子どもたちと、データ。社会を考え直すのは今だ
私としても、最終的な答えがあるわけではありません。しかし、テクノロジーを研究し、実践してきた者として、そして教育者として、思うことはあります。
「今生まれてきている子どもたちは、既にデータ発生器なのである」ということをきちんと大人たちが理解したうえで、国や社会を設計していく、あるいはある地域で人々が暮らすうえでのルールや組織づくりを考える、ということをやっていかなくてはいけないのではないか――根本的に社会認識と設計を変えなくてはいけないのではないか、ということです。
要するに、社会を考える前提自体を組み立て直さなくてはいけないのではないか。これまでの社会の延長線上で、少々の改良を施してソフトランディングさせていく、ということがそもそも無理だろうと思うのです。
私自身、そうした動きにかかわっていきたいとは思いますが、残念ながら、もうだいぶ年をとってしまいました(笑)。だからこそ、これからを生きる人たちに、大きな期待を託したいと思います。大人になって社会を動かしつつあるミレニアル世代の人たち、デジタル・テクノロジーと共にある人たちに、「社会をやり直す」ことに取り組んでほしい。そうやって、この世界の未来を切り拓くデジタル・ジャーニーが続いていってほしい、と願っています。