CULTURE | 2019/10/30

死ななければ許されない。繰り返される「自己責任論」で叩かれる人の条件とは?【連載】中川淳一郎の令和ネット漂流記(5)

トップ画像デザイン:大嶋二郎
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中川淳一郎
ウェブ編集者、PRプランナー
1997年に博報...

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中川淳一郎

ウェブ編集者、PRプランナー

1997年に博報堂に入社し、CC局(コーポレートコミュニケーション局=現PR戦略局)に配属され企業のPR業務を担当。2001年に退社した後、無職、フリーライターや『TV Bros.』のフリー編集者、企業のPR業務下請け業などを経てウェブ編集者に。『NEWSポストセブン』などをはじめ、さまざまなネットニュースサイトの編集に携わる。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社新書)、『ネットのバカ』(新潮新書)など。

イラク人質事件以降、日本に蔓延した自己責任論

Photo By Shutterstock

2004年3月~4月の「イラク人質事件」以後、ネット上では「自己責任論」が一つの重要なイシューとなった。小泉純一郎首相時代の福田康夫官房長官が高遠菜穂子、郡山総一郎、今井紀明の3氏に対し「自己責任」と会見で述べたことも影響したか、ネット上はこの3人を叩く声だらけだった。

批判者の論点は「渡航禁止区域に勝手に行ったんだから自分が悪い」「こいつらの救出にいくらカネがかかると思っているのだ(犯行組織への裏金なども取沙汰されていた)」「行かないよう求めても、敢えて危険地域に行ったのだから政府に責任を取れと言われても……」というものだろう。3人は「イラク3バカ」などと呼ばれるようになった。ただし、当時の米国務長官コリン・パウエル氏は「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする市民がいることを、日本は誇りに思うべきだ」と述べた。日本のネット世論とは逆の意見なだけに、当時の日本の自己責任論が吹き荒れた状態は世界から見れば異常だと指摘する向きもあった。

以後、災害があっても「自己責任」だし、数年経っても仮設住宅に住んでいる人々はバッシングの対象となる。最近でも重度障害を持つ沖縄県在住の生徒が普通の市立中学校の修学旅行に参加するにあたり、介助者らへの補助金が少ないことに親が異議を呈した件も物議を醸した。これについては、「県立の支援学校に通ってない時点で自己責任かつ普通学校に通わせたい親のエゴ」などとバッシングが発生する。

ただし、不思議なもので、2004年5月にイラクで亡くなったジャーナリストの橋田信介さんと、2012年8月にシリア・アレッポで亡くなったジャーナリストの山本美香さん、2015年1月にイスラム国に殺害された後藤健二さんに対しては自己責任論はあまり出ず、「立派な人だった」という声が多かった。後藤さんの場合は、「I am KENJI」のボードを掲げ、釈放を求める人々がSNSにその画像を公開したり、集会を開くなどした。

他に自己責任論がネット上で噴出した人々の名前を挙げると、安田純平さん(ジャーナリスト)、湯川遥菜さん(民間軍事会社経営)、香田証生さん(フリーター)の3人だ。複数回拘束され、釈放された安田さんに対しては今でもバッシングが存在するが、湯川さんと香田さんに対しては「ミリタリーオタク」「自分探しの夢追い人」的なイメージがあったため生きている時はネット上で相当叩かれた。

香田さんの場合は、ヨルダンのホテルで映画監督の四ノ宮浩氏にイラクに行きたい旨を伝えたが、四ノ宮氏が引き止めたがそれを振り切ってイラクに行ったことなどもあり、「無謀」「観光旅行じゃねーんだよ」のように揶揄され、数日間は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)では批判が多数書き込まれた。

その後、香田さんがナイフで首を落とされる動画がネットに公開され、その様子を描くAA(アスキーアート)も登場し、以後2ちゃんねるではさまざまな局面で使われるようになる。

ただし、香田さんの場合は、両親が「迷惑をかけて申し訳ない」「息子は自己責任で行った」といった会見を行ったことから、バッシングは収束へ。さらには四ノ宮氏も香田さんが物見遊山でイラク入りを目指したのではなく、戦地を知ることの重要性を知っていた勇敢な若者だったと述べた。

安田純平さんと初対面「生きてて良かった」

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上記のことから危険地域に行った人に関する「自己責任論で叩かれる人々」には2つの条件があると思われる。

【1】生きて帰って来た人物

【2】戦地の素人(と感じられる)

【1】の典型例が安田さんであり、【2】が香田さんと湯川さんと最初のイラクで誘拐された3人だ。この3人は【1】でもある。亡くなった人にしても香田さん、湯川さんは生前は無茶苦茶に叩かれていた。バッシングが止んだのは死後である。結局自己責任論については「死んでお詫び」するしかないというのがネットの空気なのだろう。

登山家の栗城史多さんは、エベレストに何度も挑戦したが、あまりにも無謀な挑戦と思われており、ネットには一定数のアンチがいた。だが死後はそうしたアンチも追悼のコメントを書くようになった。今現在叩かれている人は多くいるが、死してようやくその罵倒から解放されるのだろう。実に残酷である。

私の場合、基本的には自己責任論者であるが、それは「オレの努力が足りなかったからうまくいかなかったんだな」と何か失敗した時に思うことや、災害時に自治体や国に何かをしてもらうのではなく、「さっさと新拠点に移って新しい生活をすればいい」と考える点にある。あくまでも「自分」に対してのみ自己責任論を展開する。他人に対してあまり自己責任論は展開しようとは思わない。働けるだけの健康状態があるにもかかわらず、一切働こうとしない者のようにあまりにもどうしようもない場合はその気持ちを抱くかもしれないが、ゴリゴリの自己責任論者というわけではない。

日本における自己責任論の端緒がイラク人質事件だとすると、その2年前の2002年2月に私は戦後まもないアフガニスタンへ雑誌の取材のため行っている。だから戦地へ行く人に自己責任論を振りかざそうとは思わないのだ。首都・カブールでは頻繁に銃声の音を聞いたし、帰りに陸路で経由地のパキスタンを目指した時もイタリア人ジャーナリストが殺害された現場で黙祷をしたり、銃を持った兵士の検問を受けるなどし、時に命の危険を感じた。

いつ殺されてもおかしくはなかっただけに、高遠さん、郡山さん、今井さんに対して嘲笑の声を浴びせたり自己責任論を振りかざす気にはなれなかった。仮に彼らの釈放に対して10億円の身代金が政府から払われたとしよう。身代金については、陰謀論も含めてさまざまな意見があるのでその真相については踏み込まない。あくまでも「仮に10億円だったら」という話だ。すると国民1人あたり8円。他にも減らせるカネはあるのでは、とも思う。

だからこそ、彼らが解放された時は安堵の気持ちになったし、拘束されている時の恐怖と不安感を慮った。それはあくまでも自分にも「当事者性」があったからだ。結局高遠菜穂子さんとは、雑誌『BRUTUS』の「手紙特集」の時に「中東経験者同士」ということで交換日記の企画をするに至った。

こうしたこともあり、その後の中東で拘束される人々を見ても揶揄する気にはなれない。今年夏には安田純平さんと初めてお会いし、酒を飲んだ。「生きてて良かった」とその場にいた人々とはその生還を喜び合った。安田さんについては、同じ時期に一橋大学にいた、というのもある。彼は私よりも1年早く入学しているが、卒業は同じ年だ。たかだか1000人しかいない大学の同期卒業の人間として、勝手に親近感を覚えていたのだ(ただし在学中は会ったことはない)。だからこそ「当事者性」はより強い。

炎上を回避するための「当事者性」のすすめ

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さて、話は被災者の「自己責任論」について。高齢者はさておき、東日本大震災の40代被災者が震災から数年経っても仮設住宅に住んでいる姿を見ると「元気なのになんでさっさと東京なり大阪なりで仕事探さないの?」とは思う。同時に「行政に頼っているだけでなく、長い目で見たらせっかくの働き盛りの今、スキルを活かし、さらには新たに身につけることで安心の老後になるんだよ」と思う。

こんな感覚を抱いてしまうのは、私に当事者性がないからだろう。親戚・友人に被災者がいないのと、あとは「故郷に愛着を持つ」という感覚がまったく理解できないのである。

結局「自己責任論」で批判するかしないかというのは、当事者性の有無による。実感がないのだ。自分の常識とは異なり過ぎる行動をする人の行動原理が理解できず、それでいて「他人様に迷惑をかけた」状態になっていると考え許せなくなり、ネットの大バッシングに発展する。

喫煙者が肺がんにかかっている様を見て「自己責任だ」「因果応報」「ざまぁみろ」と述べるのは簡単なこと。だが、酒飲みである自分が肝臓がんになった時、同様のことを喫煙者に対して言えるか? そういうことなのである。

多分、ネットの炎上は人類に良い影響はもたらさないだろう。不満を持った者にとってある程度のガス抜きになる程度だ。だからこそ、炎上や罵倒の数を少なくするためにもさまざまな当事者性を持つことを勧めたい。その方法は簡単で、以下のような人と接し、そのうえで、その人にシンパシーを覚えれば良いのだ。対象は「身体障害者」「貧困生活者」「戦場へ行く人」「被災者」「基地周辺住民」「同性愛者」などどんな人でもいい。これまでの考えが変わってもいい。変わることは恥ではない。だからこそ、多くの人と会うことは人生を豊かにしてくれ、自らをより「深い」考えができる人間に育ててくれるのである。


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