CULTURE | 2019/09/02

西寺郷太が選ぶメロウな『Pop ’N Soul』入門【連載】西寺郷太のPop’n Soulを探して(12)

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前回はノーナ・リーヴス西寺郷太さんによる全24曲のAORプレイリストがSpotifyで公開されましたが、今回は郷太さんセレクトの初心者向け「Pop ’N Soul」(ソウル~R&B)編をお送りします。

ソウル、R&Bなどのジャンルは、マイケル・ジャクソンはもちろん、スティーヴィー・ワンダー、ホイットニー・ヒューストンなど、音楽好きでない人の間でも名前が知れ渡っているようなレジェンドも多いですが、その分ベスト盤(しかも大抵複数)も含め膨大な音源が出ており、何から聴けばいいのか、そしてどんなサウンドが自分の好みに合うのかが最初はわからず、戸惑ってしまう人も少なくないはず。

今回はノーナ・リーヴスのキャッチコピーであり、ベスト盤のタイトルにもなっている「Pop 'N Soul」、つまりポップでつい踊りたくなってしまうソウル(今回の選曲コンセプトはメロウ)という観点で全24曲を選んでいただきました。今回も全曲解説コメントがありますので、イヤホンで、スピーカーで流しながら読んでみてください!

聞き手:米田智彦 文・構成:久保田泰平 写真:有高唯之

西寺郷太(にしでらごうた)

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1973年、東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成し、2017年にメジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。作詞・作曲家、プロデューサーなどとしてSMAP、V6、岡村靖幸、YUKI、鈴木雅之、私立恵比寿中学ほかアイドルの作品にも数多く携わっている。音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。文筆家としては「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち」などを上梓し、ワム!を題材にした小説「噂のメロディ・メイカー」も話題となった。TV、ラジオ、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在NHK-FM「ディスカバー・マイケル」、インターネット番組「ぷらすと×アクトビラ」にレギュラー出演中。

ノーナ・リーヴス結成直前、1994年までのPop 'N Soulたち

米田:前回はAORのプレイリストを郷太さんに作っていただきました。今回は郷太さんの得意ジャンルである、ソウル~R&Bの初級者編を選曲してもらいたいと思います。

僕は自分なりに色々聴いてきましたけど、まったく知らない人に向けた年代横断型の、それでいてちゃんとした人が選んでいて、かつ誰でも聴きやすいっていう入門編がジャズやロックと比べてまだ少ない気がしているんです。

西寺:わかりました。たくさんありすぎて、困ってしまいますが(苦笑)、とりあえず「Pop 'N Soul mellow」という観点で選んでみました。僕を通じて、いわゆる「洋楽」の「ジューシーさ」を若い人たちにも知ってもらいたいな、と。もちろん同世代、それ以上の方にも懐かしさや奥深さを楽しんでもらえればいいな、と。入門編です。

スモーキー・ロビンソン&ミラクルズ「Ooo Baby Baby」(1965)
スモーキー・ロビンソンは、モータウンの副社長でもありまして(1961年〜1991年)、人気グループのフロントマン、シンガーであり、他者にも楽曲提供するっていう、プロデューサー的シンガー・ソングライターのパイオニアですね。モータウン・レコードの理念は基本的に「政治的な話題」や「人種差別のフラストレーション」を排除して、あくまでも多人種がひとつになれる心地よさを分かち合う、そこがヒットの理由でもありました。特に60年代は。歌詞もシンプルで。日本人が聴いても、わからないようなワードはあまりない。そんなモータウンの一番の象徴がスモーキー・ロビンソン。こんないい曲が世の中にあるでしょうか。歌手としても世界一のファルセッターだと思ってます。

ダイアナ・ロス&シュープリームスとテンプテーションズ「I'm Gonna Make You Love Me」(1968)
「ヒット曲製造工場」と言われたモータウンも、70年代に入ると、スティーヴィー・ワンダーやマーヴィン・ゲイが社長のベリー・ゴーディ・ジュニアに反抗し、自分なりの音楽を作るようになっていく。やがて、創作の自由を求めたマイケルたちもレーベルを離れていく。そういう意味で、「I'm Gonna Make You Love Me」は、華やかなモータウン・レーベルがきらめくスターをたくさん抱えてた、一番良かった時代を象徴する甘酸っぱくてドリーミーな共演だと思いますね。

スライ&ザ・ファミリー・ストーン「Hot Fun In The Summertime」(1969)
ジャネット・ジャクソンが「世界でいちばん好きな曲を教えて下さい」っていうアンケートで「Hot Fun In The Summertime」を挙げていて。その「アンケートの答え方」にしびれましたね(笑)。なんてクールな返し方!と(笑)。スライ・ストーンは勢力的な活動期間こそ短いですけど、すべてのソウル・アーティスト、ダンス・ミュージック、ヒップホップを作り上げてきたアーティストに影響を与えた人だと思います。ドラッギーでアヴァンギャルド、研ぎ澄まされたリズム感覚と、牧歌的なメロディが混じりあったフィーリングが素晴らしいんですよね。

シリータ「I Love Every Little Thing About You」(1972)
スティーヴィー・ワンダーが作詞・作曲・プロデュース。シリータはスティーヴィーの最初の奧さんですね。歌詞がとにかく最高で。「あなたのどんな些細な仕草も私は好きなの」って。僕がミュージシャンになってやりたかったことのひとつが女性歌手のプロデュースだったんですが、それはスティーヴィーやプリンスへの憧れから来ているところもあって、そのひな形がこの曲かなと思ってます。

アイズレー・ブラザーズ「The Highways of My Life」(1974)
ノーナ・リーヴスを結成する時に、「90年代のギターポップとアイズレー・ブラザーズが合体したようなバンドを組みたい」って言って、小松(シゲル)や奥田(健介)を誘ったくらい好きなバンドですね。彼らの大傑作アルバムが、『3+3(さんたすさん)』。まずは、最初の「3」、50年代にロナルド、オーケリー、ルドルフの上の3兄弟でヴォーカル・グループとして始まった。で、60年代の半ばに下の弟2人、アーニー(ギター&ドラム)と、マーヴィン(ベース)、それと親戚のクリス・ジャスパー(キーボード)の若い世代3人がサポートするように。70年代の新生アイズレー・ブラザーズは、弟たち3人が正式メンバーになって、いわゆる「バンド」に。それが『3+3』です。なかでも最終曲、このバラードはイントロのピアノから「世界でこんなええ歌ないやろ」って聴くたびに呟いているぐらいです(笑)。

ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ「Wake Up Everybody」(1975)
「フィラデルフィア・サウンド」の代表格。「フィラデルフィア」の街の名は、ギリシャ語で「兄弟愛」を意味する言葉に由来してて。だから、というだけではないでしょうが、兄弟姉妹たち、つまりブラックの同胞たちに元気を与えるポジティヴなメッセージ、それがフィラデルフィア・サウンドのひとつの特徴ですね。

テディ・ペンダーグラスは、ドリフにおける志村けんさんのような立場の若きフロントマンで(笑)。最初はドラマーだったんですけどね。ハロルド・メルヴィンが先輩で、いかりやさん的立場なのかな(笑)。結果、オマエかっこいいし最高のシンガーだということで抜擢されてドラムからフロントマンに。すぐにカッコいいって女の子が騒いで一番人気になって。結局、独立するんですよ。

テディペンのソロ期は志村さんでいう「だいじょうぶだぁ」に当たるんじゃないですかね(笑)。ソウル・ミュージック・マニアの志村さん、実際にテディ・ペンダーグラス大好きだったようで、大流行した「ヒゲダンス」で彼の「Do Me」のベースライン使ってるんですよね(笑)。

アース・ウィンド・アンド・ファイアー「That's The Way Of The World」(1975)
ノーナでも『Choice II』というカヴァーアルバムで取り上げてます。この曲とアルバムは、アースで僕は一番好きです。アースは「September」や「Boogie Wonderland」のド派手で明るい、もしくは「After The Love Has Gone」みたいな職業作家的バラードのイメージも日本では強いですけど、「That's The Way Of The World」の「紫色」のグルーヴ感、赤と青が混じる夕焼けのような切ない心地よさはいつ聴いても最高で。

スモーキー・ロビンソン「Baby That's Backatcha」(1975)
アルバム『A Quiet Storm』自体、全体が素晴らしいですが、この「Baby That's Backatcha」はそれこそファレル・ウィリアムスをきっかけにR&Bやソウルミュージックに興味を持った若い人なんかもスッと入っていける曲なんじゃないかな。

ミラクルズ「Love Machine」(1975)
スモーキーが抜けた後のミラクルズの全米No.1ヒット。この曲はワム!がファースト・アルバム『Fantastic』でカヴァーしていたんですけど、そこから僕もオリジナルのミラクルズを聴くようになった感じですね。ちなみに、この曲はNONA REEVESも『Choice III』でカヴァーしてます。

マーヴィン・ゲイ「After The Dance」(1976)
マーヴィンは、1984年に牧師で、彼を虐待してきた父親に殺されてしまいます。マーヴィンの音楽は、他の誰よりも「神」へのつながりを感じるんです。僕は仏教徒なんで、なんでやねん、とも思いますが(笑)、ともかく巨大で凄まじい「想い」のパワーと言うんでしょうか。この曲の入った『I Want You』っていうアルバムの、ミルフィーユのように練り上げられたヴォーカルの多重録音。彼の苦悩した魂は、繰り返し声を重ねてゆく瞬間浄化され、昇華されたんじゃないでしょうか。『I Want You』は『Off The Wall』、『Parade』と並んで人生でいちばん聴いたアルバムの一つかな。

ハービー・ハンコック「I Thought It Was You」(1978)
ヴォコードされたヴォーカルと、エレクトリック・ピアノ。ハービーには、もちろんジャズのイメージがありますけど、ソウルやポップ、ファンクの世界もぶつかって侵食し変革していった人。僕は、アルバム『SUNLIGHT』に流れているようなグルーヴィーな心地良さがいちばん好きですね。

テディ・ペンダーグラス「Love T.K.O.」(1980)
ギャンブル&ハフは、70年代に大きなムーヴメントを作ったフィラデルフィアのソングライター・チーム。ケニー・ギャンブルは作詞家兼メロディーメイカー、レオン・ハフはコードワークを司るサウンドメイカー。メロディーと歌詞を生み出す天才とバック・サウンドを作る天才が組んで、たくさんのヒット曲を生み出していきました。流麗なストリングスやホーン、カーラジオが主戦場だった60年代のソウルに比べて奥行きと広がりのあるサウンドは、FM局の普及で車でもステレオ・サウンドが楽しめるようになった時代にうまくマッチしたんです。

テディペン、代表曲はいくつかあるんですけど、ここは僕らNONA REEVESもカヴァーしてる「Love T.K.O.」で。最高!

パトリース・ラッシェン「Forget Me Nots」(1982)
ここに並べた人たちの中でも、彼女は1番か2番の天才じゃないですかね。とにかく才能の量がハンパない、そんな気がしてます。僕自身、ソングライティングに関しては、スティーヴィー・ワンダーやプリンスといった天才とも並ぶんじゃないか、って彼女に関しては思ってますね。96年にジョージ・マイケルが「Fastlove」でこの曲のフレーズをサンプリングしてますし、ヒップホップの世界でも引用は山ほどありますね。

デバージ「I Like It」(1982)
ミシガン州のグランドラピッズ出身の男4人きょうだいと女の子1人、お父さんがフランス系白人、お母さんがアフリカ系。「80年代のジャクソン5」って言われてましたね。「I Like It」「All This Love」といったヒット曲があるんですけど、曲はほとんど彼らが自分自身で作っていたんです。「I Like It」をラジオでたまたま聴いたバート・バカラックが「今かかってた曲を教えてくれ!」と興奮してラジオ局に電話したぐらいなんですよね。何回も言ってますが、こんないい曲ないだろうと(笑)。

ホイットニー・ヒューストン「You Give Good Love」(1984)
元夫のボビー・ブラウンは、ホイットニーが亡くなったというニュースが世界を駆け抜けた日の夜、再結成ニュー・エディションのステージに立っていました。結局泣き出してしまい、DJに「You Give Good Love」をかけて欲しいと頼んだんです。僕は、そのエピソードがすごく好きで。ボビーと結婚した後、ホイットニーは目に見えてボロボロになり、史上最低のカップルとまで言われました。一時は、アメリカを代表するスターだったボビーも空回りするばかりでさんざん叩かれ……。でも、一度は深く愛し合った相手が、亡くなった夜にこの曲を選んで、心から追悼してくれたっていうだけで、ホイットニーの人生は素晴らしいものだったんじゃないかなって思えたんです。ホイットニー作品で、僕はこのデビュー曲がダントツで好きですね。

ジャネット・ジャクソン「When I Think Of You」(1986)
プロデューサー・チーム、ジャム&ルイスの出世作。ジャネットの台頭は1986年以降の世界中の女性ポップス、だけでなく音楽史の流れを変えたと思っていて。『ジャネット・ジャクソンと’80sディーバたち』(星海社新書)にも書きました。

この「When I Think Of You」が収録された名盤『Control』、そしてジャネット・ジャクソンの存在があってこそ、日本でも安室奈美恵さんだったりSPEEDだったり、宇多田ヒカルさんだったり……、90年代のディーバ・ブームが生まれたと僕は思うんです。

スティーヴィー・ワンダー「Dark 'N' Lovely」(1987)
80年代のスティーヴィーを、ずいぶん前から推してるんです。1987年の『Characters』に顕著な、プログラミングされたスティーヴィーのシンセ・ベース。そのメカニカルな世界観を、この10年以上、僕はNegiccoの「愛のタワー・オブ・ラヴ」や南波志帆ちゃんの「それでも言えないYOU & I」っていう曲のなかに忍ばせてきました。スティーヴィーって生演奏だった70年代の作品が至高とされていて、それもよくわかるんですけどね。

ソウル・II・ソウル「Keep on' Movin」(1989)
この曲を聴いた時ほどの衝撃は、それ以前も以降もないですね。僕が聴いたのは89年の春頃だったと思うんですけど、「Keep on' Movin」のリズムとサウンドが世の中に鳴り響いた瞬間に、今まで良いと思っていたものすべてが「ダサく」、ガラガラガラガラって価値観が変わってゆく気がしました。

屋敷豪太さんがプログラミングしてるっていうことでも知られてますけど、2020年代にも日本人が作ったビートや音楽が世界を革新する、自分も含めて諦めずに続けていかなきゃなって思いますね。意外なところ、これまで続けてきた何かの中に突破口はある気がしてるんですが。

ミニ・ヴァニリ「Baby Don't Forget My Number」(1988)
ソウル・II・ソウルの派生というか、より下世話なヴァージョン(笑)。時代の徒花。80年代後半から90年代初頭に大爆発し、実際に歌を歌ってる人は別のおっさんふたりだったっていう替え玉疑惑ですぐに失脚しちゃった2人組です。名作韓国映画『サニー 永遠の仲間たち』のテーマ曲、ボニーM「サニー」のプロデューサーで首謀者のフランク・ファリアンがプロデュースしてます。ミリ・ヴァニリは、イケメンのダンサブルな「ヴォーカリスト」2人組でしたけど、顔がかっこよくて踊れれば、歌は別のヤツでもいいじゃんっていう、奇才フランクの人間の心理を突いた炎上作戦というか。ある種「初音ミク」的というか、現代的ですよね(笑)。

クインシー・ジョーンズ「Septembro(Brazilian Wedding Song)」(1989)
これはブラジルのシンガーソングライター、イヴァン・リンスのカヴァー。僕はクインシー・ジョーンズは日本で言えば、亡くなった立川談志さんみたいなキャラな人だと思ってて。好々爺というより、刺々しい部分もあると思ってます。ジャズメンと毒舌、ブラックジョークはセットというか。マイケルと組んだ3枚目『BAD』の時に、独創性を高めていたマイケルがクインシーにめちゃくちゃ反抗したんですが、その時クインシーはかなり腹を立てたんじゃないか、と。で、オレはジャズの時代から伝説的な天才プレイヤーと闘ってきたんだ、おまえがグラミー獲れたのは俺のパワーだって、この『Back On The Block』で証明したかった。それで『BAD』のために集めていた楽曲も使って。結局、クインシーはこのアルバムで「グラミー最優秀アルバム賞」を獲るんですよね。このカヴァー、最高です。

シャニース「I Love Your Smile」(1991)
プロデュースはナラダ・マイケル・ウォルデン。「I Love Your Smile」は、この後の時代のポップソング、そのひな形になったかなっていう気がしますね。90年代が完全に始まったなっていう感じがするし、僕にとってもアイドルソングを作る時、「こんな完璧なポップ・チューンを作れればいいなあ」っていつも思う曲です。米津玄師さんの「パプリカ」は、このあたりの緩めで心地よいテンポ感をオーバーグラウンドでヒットさせているんで、すごいなと思いますね。

レニー・クラヴィッツ「It Ain't Over Till It's Over」(1991)
80年代の音像からの完全なる脱却。影響されて、今思えば全然関係ない僕ですらベルボトム履いてましたから(笑)。まさかベルボトムがまた流行るなんて、80年代にはみんな思ってなかったはずなので、そういう価値観の変化っていのを気づかせてくれたのがレニーですね。「It Ain't Over Till It's Over」はセカンド・アルバムに収録ですが、思い返しても彼のファーストは衝撃でしたね。

マイルス・デイヴィス「The Doo-Bop Song」(1992)
大学一年の夏休みに1カ月ぐらいパリに留学していて。向こうで学校が始まる前の数日間1人だったんですよね。当然友達もいないし、今みたいにケータイもネットもない時代だったから、パリのレコード・ショップに行ったらマイルス最後のアルバム『Doo-Bop』がお店で展開されていて。マイルスが亡くなってから半年ぐらいのタイミングだったんです。その数日『Doo-Bop』だけを繰り返し聴いて。これなら東京でも同じじゃないか、みたいな葛藤もありながら。京都から東京に行けば、すぐにでもバンド仲間が出来て、バンドが組めると思っていたけど、どうやらそうじゃないと気がついた夏休み。同級生で、ドラムの小松シゲル(NONA REEVES)や、ベースの千ヶ崎学(現KIRINJI)は、先輩のバンドにひっぱりだこで。俺は本当に浮いてて(笑)。谷亮子さんの「ママでも金」じゃないですけど、「地元京都でもダメ、東京でもダメ、どうしたらええねん」みたいな謎のやりきれない気持ちとリンクして、この曲は青春の想い出になってる曲です。マイルスは最後まで時代に則し、若い世代と手を組んで生きてきた人だった。今、僕は40代後半に突入しようとしてますが、身軽さ、勇気に学ぶものがあります。

TLC「Waterfalls」(1994)
90年代に発表された楽曲でいちばん好きな曲を選べって言われたらこれでしょうね。95年にノーナが始まって、96年に初めてのCD『Sidecar』を作ってリリースして、97年にメジャー・デビュー。それ以降は、どうしてもプロのミュージシャンの耳で音楽を聴くようになってしまうので。この曲が流行った頃は、僕が純粋にリスナーとして音楽を楽しんでいた最後の時期かもな、と。DJする時によく選曲してました。

米田:郷太さんセレクションのソウル~R&Bプレイリスト、いかがでしたでしょうか? 今後も定期的に郷太さんセレクトのプレイリストをお届けしていきたいと思います! 次回も乞うご期待!


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次回の公開は9月20日頃になります。