©2019「ザ・ファブル」製作委員会
添野知生(そえの・ちせ)
映画評論家
1962年東京生まれ。弘前大学人文学部卒。WOWOW映画部、SFオンライン(So-net)編集を経てフリー。SFマガジン(早川書房)、映画秘宝(洋泉社)で連載中。BS朝日「japanぐる~ヴ」に出演中。
新しくて古い、古くて新しい現代アクション映画
『ザ・ファブル』は新しくて古い映画。古くて新しい映画。現代のアクション映画であることを引き受けながら、クラシックな任侠映画・股旅映画の設定に物語をうまく落とし込んでいる。コメディの部分があっても、バイオレンスの凄惨さから逃げない。犯罪組織の非情と不快をきちんと見せながら、殺さないことをテーマに掲げてみせる。デジタル効果で飾った派手な見せ場はアヴァンタイトル部分にとどめ、本編が始まると、的確な撮影と編集で見せる落ち着いた語り口に徹する。総じて、こんなことができるのか! という驚きに満ちている。そこがいい。
アクション俳優としての岡田准一を最初に意識したのはテレビシリーズ『SP 警視庁警備部警護課第四係』(2007年)だったと思う。よく憶えているのは狭いエレベータ内における二対二の格闘・ナイフ戦(第6話)。洋画アクションに近い意欲的なアイデアをテレビドラマで実現したことにかなり驚かされた。それだけに、久しぶりとなる現代アクション映画への出演は待望の企画だった。
今世紀に入ってからの現代アクション映画で、大きな分水嶺となった重要作が2本ある。ひとつは『ボーン・アイデンティティー』(2002年)で、銃撃戦、カーチェイス、格闘戦を現代アクションの“三種競技”のように位置づけ、それぞれにそれまでにないリアリティを加えたバランスの良さが、新時代の幕開けを感じさせた。CQB(クロース・クォーター・バトル)と呼ばれる屋内における近接戦闘の訓練を取り入れて、銃の構え方なども大きく変わったし、格闘戦には総合格闘技の影響が色濃く現われるようになった。「SP」はこうした時代の変化に果敢に呼応して作られたといえる。
また、「ボーン」シリーズのマット・デイモンや、『ザ・シューター/極大射程』(2007年)以降のマーク・ウォールバーグなど、中肉中背で首や肩をビルドアップした体型のスターがアクション映画の主役を演じるようになったことも、スタイルの近い岡田准一には追い風になっただろう。
「『ジョン・ウィック』以後」の潮流を日本映画として見事に踏襲
そして2010年代のアクション映画を変えたのが『ジョン・ウィック』(2014年)である。キアヌ・リーヴスが凄腕の殺し屋を演じ、同業者との対決を制していくこの現代アクション映画は、物語の面でも『ザ・ファブル』の映画脚本に大きな影響を与えている。
アクション映画としての『ジョン・ウィック』が画期的だったのは、デジタル視覚効果で何でもできる時代になって、リアリティを気にしない大仕掛け、大味なアクションが増えていたところに、等身大で生身のアクションを復活させたこと。近接戦闘や総合格闘技の成果を取り入れるだけでなく、映画向けにデフォルメしたスタイルが考案され、例えば、ハンドガンを肘を曲げてコンパクトに体に引きつけて保持する姿勢がここから流行した。
『ザ・ファブル』の美点の第一は、この“『ジョン・ウィック』以後”という世界のアクション映画の潮流を、進んで引き受けて作られたことにある。ファブル(Fable)は寓話のことで、実在しない伝説の殺し屋を意味する。本作の主人公アキラ(岡田准一)こそがそのファブルなのだが、彼と彼の所属するグループは証拠も証人も残さないので、その存在を知る者はわずかしかいない。
幼少時にボス(佐藤浩市)に見込まれて過酷な訓練を耐え抜いたアキラは、超人的な身体能力・判断力の持ち主で、30対1の対決でもあっという間に武装集団を全滅させることができる。まさに『ジョン・ウィック』以後のアクション映画にぴったりの題材で、だからこそこの原作が選ばれたといえる。
ドライで殺伐とした「現代の殺し屋」と任侠・股旅モノの絶妙なミックス
原作は南勝久の人気マンガ『ザ・ファブル』(講談社)で、2014年に連載が始まって今も連載中の同作の、第1巻から7巻までの物語をかなり忠実に映画化している。だから、原作に多くを負っているし、原作ファンが見ても違和感のない映画になっているのだが、その実、映画の脚色は巧妙に登場人物を整理統合し、起伏を整え、2時間の物語としてのまとまりとテーマを作り上げている。
暴力団の幹部・海老原(安田顕)をていねいに描いて、主人公と並び立つキャラクターにしたこと。若い殺し屋のフード(福士蒼汰)の設定を増やして、最終対決の相手に格上げしたこと。原作では単なる町工場だった対決の舞台を、クライマックスの最終決戦にふさわしい、そびえ立つゴミ焼却工場に変更したこと。これらの変更によって、もつれあったさまざまな条件を、主人公の超人的アクションがどうほどいていくかという見どころが、きれいにできあがった。
写真右は暴力団の幹部で真黒カンパニー社長の海老原(安田顕)、そして左は同社社員の小島(柳楽優弥)
©2019「ザ・ファブル」製作委員会
さらに、観ていてもっとも驚かされるのは、巧妙な脚色によって、ドライで殺伐とした現代の殺し屋の物語が、いつの間にか、義理と人情のクラシックな任侠映画や股旅映画の型に落とし込まれていること。
仕事で目立ってしまったアウトローが、「ほとぼりが冷める」までの一定期間、遠くの町に住み家を移す。それがヤクザであれば、遠い地方の友好関係にある組に「食客」「客分」として寄宿する。こうした物語の定型がどこまでさかのぼれるのかわからないが、明治・大正期を舞台にした任侠映画でもよく目にするものだし、さらに江戸時代を舞台にした「股旅もの」にも登場する。そうなると、戦前に流行した股旅映画に源流がありそうだし、長谷川伸や子母沢寛の作品を経て、講談・浪曲の世界にまでさかのぼれるのかもしれない。
主人公アキラは、東京から大阪の見知らぬ町に引っ越し、そこで1年間、一般人として生活するように命じられる。何があっても人を殺してはいけない。殺人マシンとして育てられた彼が、もし1年間ふつうの暮らしができたら、社会復帰させてやろうというのが、父親代わりのボスの親心なのだ。
だが彼に隠れ家を提供するのは、提携関係にある暴力団のフロント企業であり、特殊技能をもつアキラを放っておいてはくれない。普通の暮らしと人情を学べば学ぶほど、それを守るために力を発揮せざるを得ないところに追い込まれていく。現代的な笑いとバイオレンスをまぶしているが、これはまるで明治・大正の時代の曲がり角で苦闘する『日本侠客伝』シリーズの高倉健のようだし、『春秋一刀流』や『座頭市物語』の平手造酒の様子なども思い出した。
原作マンガ内には「今は義理人情を売っても飯は食えん/それがヤクザでしょう。任侠映画のようにゃいかないですよ」というセリフがある。それをわざわざ任侠映画の世界に戻して、古い定型が今もじゅうぶんに有効だと示して見せたことが、この映画の大きな美点なのだ。
原作の人気キャラクターであり、主人公の仕事の有能なパートナーであるヨウコ(木村文乃)もまた、ここでは『ある殺し屋』の野川由美子とか、同じ野川由美子がテレビドラマ『必殺』シリーズの初期に演じたとっぽくて有能で騒々しいキャラクターを強く思い出させる。
主人公アキラの有能なパートナーであるヨウコ(木村文乃)
©2019「ザ・ファブル」製作委員会
対立する二人の暴力団員を演じた、柳楽優弥と向井理の人物造形と演技の強度も忘れがたいし、ここぞという場面に現われて場をさらう佐藤浩市はさすがとしか言いようがないが、全篇を通じてもっとも物語に貢献しているのはやはり安田顕の演技。アウトローの酷薄さと情味を今の世に示す名演と言える。
写真左は「渋谷系ゆとり世代のヒットマン」ことフード(福士蒼汰)、右は真黒カンパニー専務の砂川(向井理)
©2019「ザ・ファブル」製作委員会
迫力あるアクションシーン撮影を支えたアラン・フィグラルズの功績
ファイト・コレオグラファー(格闘振付師)としてクレジットされているアラン・フィグラルズは、90年代からフランスで活躍するベテランのスタントマンでアクション監督。最初に振付けを担当したのが前述の『ボーン・アイデンティティ』であり、その後、『96時間/リベンジ』『96時間/レクイエム』『LUCY/ルーシー』でファイト・コレオグラファーを務めている。俳優としては『96時間/リベンジ』でのリーアム・ニーソンとの一対一の対決シーンが有名だが、7人のフランス特殊部隊の一人を演じた『スペシャル・フォース』(2011年)の好演も忘れがたい。ワイヤー・リグを付けての、ビルの屋上や断崖絶壁から落ちたり飛び越えたりの高所アクションが得意ということで、ゴミ焼却工場への侵入シーンも彼の担当だろう。
大阪といっても日本全国どこでもよさそうな、ごく普通の下町を描きながら、主人公も観客も少しずつ町の風景に愛惜を覚えるようになっていく。映画は、見晴らしのいい屋上に座って、この風景をぐるっと眺めるシーンで終わる。複数の作曲家が参加したグループ制作による劇伴音楽は、歌入りの曲が多く含まれているのが特徴だが、このラストシーンで聞こえてくるのは、まちがえようのない、ブルースロックバンドのザ・ヘルプフル・ソウル、「ルパン三世」の主題歌で知られるラテン歌手チャーリー・コーセイの歌声。歌詞に「ファブル」の語を織り込んだこれが、ごきげんな主題歌に聞こえた。
『ザ・ファブル』
大ヒット上映中
配給:松竹