神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「100年に一度」の開発が進んでいる渋谷の街
ハーバード大学院/太田佳代子『SHIBUYA! ハーバード大学院生が10年後の渋谷を考える』(CCCメディアハウス)は、上から下まで大変革が目に見える形で行われている渋谷を、ハーバード大学デザイン大学院の学生たちが分析し、今後のまちづくりに向けての提言をまとめた一冊だ。
この大学院からは、2012年以降ほぼ毎年学生が「スタジオ・アブロード」という海外研修プログラムで、世界各国に約三カ月の短期留学をしに来ているという。本書は、2016年に「スタジオ・アブロード」に参加した12人のうち5人の論考と、それに対する講師からのフィードバックで構成されている。
筆者も渋谷に多くの経験をもらってきた一人だ。中学高校の頃はNBAショップ、映画館、タワーレコードやHMVなどのCDショップによく通った。大学に入ってからはライブハウス・クラブ・レコードショップ。社会人になってからは松濤のこぢんまりとした店を巡るなど、年を重ねるにしたがって筆者にとっての渋谷という街は奥深さを増して行っている。
留学に訪れたハーバード大学院生たちは都市論・建築に関しての知識は豊富だが、ほとんどの学生は日本に関する知識がさほどない状態だったという。そうしたフレッシュな目に、「100年に一度」といわれている都市開発が進行している渋谷はどう映ったのだろうか。
学生たちは決して手放しで渋谷を賛美しない。渋谷マークシティとJRの連絡通路(岡本太郎の『明日への神話』が展示されている通路)に関してはこう書かれている。
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特別の光景が目の前で繰り広げられているというのに、渋谷マークシティとJR渋谷駅をつなぐ通路を設計した人はどうもそのことには無頓着だったらしい。歩行者はとびきりの見物ができるかもしれない場所にいるのに、実際に目に入るのはパッケージに包まれた光景であり、衝撃(っぽいもの)はそのうち駅構内やショッピング街の日常空間の中に吸収されていくのである。 (P30)
たしかにこの通路にはよく観光客が立ち止まって写真を撮っている姿を目にする。通路ができた当時(マークシティ竣工は2000年)はSNSもスマートフォンも存在しなかったし、訪日観光客の人数も今では当時の比にならないほど増加している。現在行われている大改革は、数十年後を見据えたものであるべきだという示唆に富んだ指摘が冒頭からなされている。
宝探しをさせてくれるような、渋谷という街の「らしさ」
渋谷は日に日に縦へ縦へと伸びている。副都心線と東横線の直通化によって地上の駅が撤去されて以降、地下奥深くの駅で乗り降りするという運動によってそのことを実感している方も多いだろう。
街が下に伸びている分、上にも伸びているのも容易に実感できる。まず渋谷ヒカリエが2012年に出来て渋谷駅前は大きく上に伸びた。そのヒカリエへの連絡通路に貼られている「SHIBUYA+FUN PROJECT」のポスターに、2027年までの渋谷イメージ図が描かれているのを連日見ていた学生の一人はこう分析している。
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駅周辺の再開発では、中小規模の建物が集約されて超高層ビル化していく。そうすると、中小規模のまま残っている建物の価値は相対的に下がるのかもしれないが、私はそれらの建物に「眠れる価値」がないかと探し、それを育てることに一つの可能性があるのではないかと思っている。 (P88-89)
この意見は、決して高層ビルの建設やその中に出店する店を否定しているわけではない。渋谷は地形的にも文化的にも文字通り「谷」であり、街にいくら高層ビルが増えようとも、窪地には水がたまる。そこをチャプチャプ歩くような楽しみも必要なのではないかという指摘だ。
たしかに、筆者の渋谷での思い出の多くは奥まった場所にある。森の中に分け入っていくような、洞窟構造になっているような、そんな場所が渋谷には多い。円山町の奥深くにあるクラブ「WOMB(ウーム)」のドアを初めて見た時は、「こんな小さいドアの先に巨大クラブがあるのか」と驚いた。スペイン坂にある「人間関係」というカフェではいつ行ってもだいたい「席は空いているので先に頼んでください」と言われる。入口から見ると中の広さがわからないので、中の120席が満席になることがあまりないのだ。
こうした渋谷の特徴を踏まえて、学生の一人は中小規模の建物のモデルとしてはシェアオフィスのようなインタラクティブな空間が「渋谷らしい」と意見している。
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今日、働く環境に関して起こっている価値観の最大の変化は、他者との対話、発想や刺激のやりとり、といったものを重要視するようになったことだと思う。つまり、考え方やものの見方の多様性が、ものづくりやクリエイティブな世界に限らず仕事に価値をもたらす、と考えられるようになってきたのだ。(P111)
多種多様な物やサービスが選ばれた状態で提供されるだけでなく、選択・案内がないまま自らの手で探索していくのが「渋谷らしい」というのは、初めて渋谷に来た学生たちもすぐに肌で感じることができるほど深く根付いた風土なのだろう。
「想定外」を歓迎する街・渋谷
渋谷区では同性カップルにパートナーシップを認める条例が2015年に施行されたが、「深さ」という意味合いだけではなく「多様性」という意味でも、「森」というのは渋谷を表す重要なキーワードであるようだ。渋谷区の「渋谷駅中心地区まちづくり調整会議」の副座長であり、再開発を牽引する建築家の内藤廣は渋谷に必要な方向性をこのように表現している。
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渋谷に必要なのは、どこまで行っても同じパターンが続く「水田」ではなく、あらゆる種類の人間を惹きつけ、あらゆる種類の営みを受け入れる、つまり多様性を受け入れる「森の中」なんだと。(P124-125)
現代日本人は特に東日本大震災後、想定外を極端に恐れるようになってしまったのかもしれない。目の前に昆虫が飛んできたら振り払うように、全てを極力「想定しきりたい」という欲望は、まだ見ぬ価値・可能性との出会いを制限してしまう。想定外を生みやすい因子としてではなく、都市空間をより豊かにする存在として少数派をとらえる姿勢は、本書に掲載されている学生たちの主張に共通している。
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都市を設計する人々は、
ものづくりには大きく分けて二つのアプローチがあるように思える。ドーナツを思い浮かべてほしい。ひとつはドーナツの輪そのものを作る方法。もう一つは、暗中模索して空洞の形を探り当てていくことで、見えないドーナツの実像を浮かびあがらせる方法だ。どちらかが正しいということではなく、両者の程よいブレンドが都市という巨大な存在も含めた「もの」をつくっていく。
何を言うかではなく、何を言わないか。何をするかではなく、何をしないか。1960年代から1970年代にかけて渋谷スクランブル交差点が自然とうみだされたように、新たな渋谷の流れを形作る視点を本書は教えてくれる。