神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
「仕事を休みたいと言うこと」と「死」、避けたいのはどっち?
「休」という漢字は、人が木に寄りかかっているというイメージから成り立っているという。木に寄りかかるようにほっと一息つきたいけれども、自分の心、あるいは外部の状況がそれを阻んでしまう。志村和久『頑張りすぎるあなたのための会社を休む練習』(イースト・プレス)は、そうした状況を解消するための方法を模索した一冊だ。
はたらき方改善ナビゲーターとして活動する著者は、自身も過労による病気や上司からのパワハラを受けた経験を持つ。メーカーに勤務する傍ら、社会労務士試験に合格して労働環境を自ら改善し、その後心理面のフォローの重要性を感じて神経言語プログラミングをマスターし、現在は会社員として働きつつNPO法人POSSEで労働問題の解決支援や心のケアにあたっている。そうした道を歩むきっかけとなったのは、働き盛りな30歳の時に、お腹に腫瘍が見つかったことだという。
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会社に理由を説明して休暇届を出し、入院しました。結果的に手術は成功し、運よく腫瘍も良性でした。それでも、その結果を聞くまでの数日間、頭の中は「死」という言葉でいっぱいとなって、他のことは何も考えられませんでした。(P3)
どれだけ頭の中が仕事のことでいっぱいな状態でも、「死」の可能性はその全てをかき消した。死んでしまっては何もかも取り返しがつかない。幸いにも手術に成功した著者は、昔の自分を葬り、「働くこと」と「生きること」の関わりを真剣に見つめ直した。
「休まない方がいい」という思い込みを、「意思」の力で塗り替える
「会社を休みたいけど休めない」という悩みを考える上で、一番やっかいなのは当人の無意識だと著者は断言している。同僚や上司に迷惑をかけたくない、自分がやらなければいけない、休むと評価を下げてしまうのではないかといった責任感に起因する思い込みは根が深い。
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さらにやっかいなのは、このような職場での体験や記憶以外に、両親からの教育、学校教育、テレビや映画、インターネットなどからも似たような状況を見たり聞いたりします。これらについても同様にまるで自分に起こったできごとかのごとく、自分の記憶として脳に蓄積してしまいます。 (P35)
「あるある」というシチュエーションはしばしば文学やドラマ・映画の題材になる。たとえば、朱野帰子の小説『わたし、定時で帰ります。』(新潮社)がテレビドラマ化されているという事実は、無理をしてでもまわりにあわせてしまう日本人の国民性が長らく課題とされつつも、他人の目線や評価を気にして「空気を読む」という慣習が依然として根強く存在していることを示しているだろう。
視聴者は「なぜそうした小説・ドラマが作られるか」という背景を考えれば、登場人物が陥っている境遇を「自分の記憶」としてしまうことを避けられるはずだ。そして、おそらく小説の著者やドラマの製作陣は、「定時で帰れない」状況や悩みを解消したいという思いがあるはずだし、ドラマの撮影現場では、「『わたし、定時で帰ります。』のキャスト・スタッフたちは定時で帰れるか(健全に働けるか)」ということが雑談のネタになっているのではないだろうか。
過去は変えられないが、過去の捉え方は変えられる。今まで無理して働いてことごとく休む機会を逃してきた方でも、変わることができるというのが著者の主張だ。「目の前の仕事は本当に何よりも大切なのか?」という自問自答を求めた上で、著者はこう記している。
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「本当に何よりも大切なのですか?」と質問された瞬間、あなたの脳は、目の前の仕事について客観的に考え、本当に大切にしているものが他にあるのではないかと無意識に探しにいったはずです。そして、答えが出た人と、答えが出ずに空白状態になった方がいるかと思います。 (P130-131)
空白状態になった場合、「目の前の仕事が何よりも大切だ」ということに少なからず疑問があるということだ。そうした潜在意識を変えることができるのは、変えようと意気込む「意志」の力よりも、過去の経験で形作られた刷り込みを粘り強く見つめて考え続ける「意思」の力だと著者は説明している。
思い込みを味方につける――「空気を読む文化」を解体するために
人の頭の中にはそれぞれ違う脳が入っている。これは筆者が映画に関するトークイベントやワークショップでよく口にする言葉だ。当たり前のことなのだが、これが身にしみてわかることが映画製作者の特権だと考えている。
自分の映画を上映すると、個人的な思い出や知人・故人など誰かの存在を連想したという感想を時々観てくれた方からいただくことがある。もちろん製作者は色々な意図をもってストーリーやカットを組み立てていくが、観客の思い出の発露など、映画の外まで全て予測してコントロールすることは不可能だ(その「予測不可能さ」は映画製作者にとって何より楽しみなものだ)。
著者はこの点と類似した問いかけを、「不安は思い込みに過ぎない」という小見出しの章で提示している。
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たとえば、目の前に一枚の「夕焼け」を映し出した写真があります。この写真を見て、あなたは何を感じるでしょう? 幼い日の夕暮れ、旅行に行った思い出、映画のワンシーン……100人いれば100人違う気持ちで「夕焼け」の写真を見ているはずです。それは、100人それぞれの過去の記憶を「夕焼け」の写真に被せて見ているからです。 (P135)
世の中のコミュニケーションは、もっと「違うこと」を前提とするべきであるという考えを、著者はこの例をもって主張しようとしている。自分の価値観を押し付けるクレーマーの怒りのように、「同じでないこと」への負の感情は個人レベルでも社会レベルでも連鎖すべきではない。「空気を読む」という慣習を解体するには、一人ひとりが自分のことを適宜俯瞰して、「違うこと」は気にせずに、「未来への思い込み」をポジティブに形作っていくことが鍵だという。読者にそれを実現してもらうために、著者は『最後のブレーキ「会社の違法行為」を解決する』という章まで設けて、本気でサポートを試みている。
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一般的に経営の三要素は「ヒト・モノ・カネ」といわれています。経営者がこの中でいちばん扱いやすいと勘違いしているのが「ヒト」です。なぜなら、良い悪いは別にして、法律を知らない経営者にとって、いちばん柔軟性をもたせることができるのが「ヒト」だからです。経営側からすれば、社員を都合よく使うために、勝手にルールを作り命令すればいいわけです。(P152-153)
会社を休む意思を持てたとしても、それを根拠なく拒んだり権力だけ振りかざしたりしてくる上司がいる可能性も著者は想定している。そうした状況に知識武装して理路整然と対抗する上での、手引きの役割も本書は果たしてくれる。
自分の代わりは自分しかいない。そして、代われなくなったら一巻の終わり、つまり「死」がそこには待っている。自分が必要なタイミングで「木に寄りかかる」ことができ、互いにそれを勧めあって社会を動かしていくことができるマインドセットを本書から学び取ることができる。