現役の電通社員としてCM製作に携わりながら撮った短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』が、タランティーノやデミアン・チャゼルなどを輩出した、サンダンス映画祭ショートフィルム部門のグランプリを受賞したことで一躍気鋭の若手映画監督となった長久允氏。
だが、「それは大手広告代理店のコネが~」「有名キャストを使ったから~」なんていう要素は一切なく(なにせ有給休暇を使って製作したぐらいだ)、無名のいち新人監督として、作品のクオリティだけで勝ち上がってきたことは、現在Vimeoで無料公開されている同作を観ればすぐにわかるはずだ。
6月14日から全国ロードショーが始まった、初の長編映画『WE ARE LITTLE ZOMBIES』は、日活配給によるいわば“メジャーデビュー作”だが、製作委員会には電通も名を連ねており、長久氏も会社へのプレゼンを経て「社員監督」として本作を撮っている。
『WE ARE LITTLE ZOMBIES』においても、サンダンス映画祭 審査員特別賞、ベルリン国際映画祭 スペシャルメンション賞 準グランプリ、ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭 最優秀男優賞を受賞するなど、早くも海外からの注目も集まっている同氏がいかにこの製作環境をつくりあげたのか、そして映画の魅力や監督の大きなルーツのひとつである「音楽」について、話を伺った。
聞き手・文:神保勇揮 構成:瀬下翔太 写真:立石愛香
長久允(ながひさ・まこと)
映画監督
1984年生まれ。東京都出身。大手広告代理店にてCMプランナーとして働く傍ら、映画、MVなどを監督。そして2017年、脚本・監督を務めた短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』が第33回サンダンス映画祭ショートフィルム部門にて日本人史上初めてグランプリを受賞した。今作が長編映画デビュー作となる。
電通社員のまま映画を撮れる体制を自分でつくった
―― 『WE ARE LITTLE ZOMBIES』は、フリーランスとしてではなく、長久監督が勤める電通の業務としてつくったものですよね。どうして会社員として映画をつくったのですか?
長久:とにかく映画のクオリティを上げたかったからです。日本の映画業界では、もし僕がフリーで監督を引き受けたとしても、いただける監督料は100万円くらいです。この金額では、制作を続けていくために別の仕事も引き受ける必要があります。これに対して、会社員としての業務にしてしまえば、給料をいただきながら100%制作に没頭できます。高い密度で作品制作に没頭するために、絶対に社員でいる必要がありました。
―― 元々映画をつくるポジションにいたわけではないですよね?
長久:ええ。最初に撮った『そうして私たちはプールに金魚を、』(以下『金魚』)のときにはCMをつくる部署にいたので、有給休暇をとって制作していました。
長久監督のデビュー作『そうして私たちはプールに金魚を、』。2012年に埼玉県狭山市で女子高生がプールに400匹の金魚を放流し、書類送検された騒動を基にして製作された(事件自体の話題は「一緒に泳ぎたかった」「半裸で一緒に泳いだ」という女子高生のコメントのキャッチーさもあり、映画と関係ないところでも定期的にバズっている)。現在はVimeoに全編アップされ、無料で視聴できる。
『金魚』ではサンダンス映画祭ショートフィルム部門のグランプリを受賞できたので、これをきっかけに役員に対して「うちの会社に広告以外のコンテンツでビジネスをつくる人がいてもいいのではないか」というプレゼンをしたのです。
それで電通のコンテンツビジネス・デザイン・センターというところに異動させてもらって、会社の中で映画をつくる方法を模索し始めました。実際に映画製作に動き出したのが2年前です。コンテンツビジネス・デザイン・センターには、AKBのプロデュースをやっている人や、モーニング娘。が生まれた『ASAYAN』を手がけた人など、いろいろなコンテンツのプロデューサーが在籍しています。ただ、映画監督は僕だけですね。
―― そこからすぐに『WE ARE LITTLE ZOMBIES』の制作を開始したのですか?
長久:いえ、まず予算をつけてもらうために会社を説得しなければなりませんでした。主役の役者に超有名タレントを起用しているわけではないので、この映画が会社にとってどれくらい有益か説明する必要があったのです。
そこで、作中に登場するバンドを実際にメジャーデビューさせるとか、僕が映画のノベライズもやるとか、普通の映画とやり方はちょっと違うけれども、同じくらい露出できるということをプレゼンテーションしました。
『WE ARE LITTLE ZOMBIES』は、事故死・焼死・借金苦で自殺・変質者に殺されるといった痛ましい出来事で両親を亡くしたにも関わらず、まったく泣けなかった=心を失くしたヒカリ、イシ、タケムラ、イクコの4人が主人公。火葬場で偶然出会ったことをきっかけにあてもなく街をさまよい、ゴミ捨て場の片隅に集まってバンドを結成。そのデビュー曲「WE ARE LITTLE ZOMBIES」のライブ映像がSNSでバズり、バンドはメジャーデビュー。社会現象となることでより一層大人たちやネットの悪意に翻弄されていく…という内容。
©2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS
実際、今作のライブシーンを使用したプロモーションムービーは現在200万回近く再生されています。日本だけでなく海外の方にもたくさん見てもらっています。
主人公たちが結成する4人組バンド、LITTLE ZOMBIESのデビュー曲「WE ARE LITTLE ZOMBIES」。全編iPhoneで撮影されており、結成直後のバンドの初期衝動が的確に表現されているだけでなく、「ネットでヤバいバンド見つけた!」とバズっているところまでありありと想像できる内容となっている。特に2分20秒ごろからの屋上シーンは必見。
―― 監督自身がプロモーション設計まで行うというのはなかなかないですよね。自主制作ならあるかもしれないですが。
長久:ほぼないですね。配給会社も最初は戸惑ったと思います。製作委員会の会議に毎回僕がいて「このプロモーションはちょっと」とか言っているんですから(笑)。
映画によっては、宣伝チームとの連携が上手くいかず世界観を壊してしまうこともありますが、今回はプレスリリースの資料からポスターまで全部僕が監修させてもらえているので、そういう心配もありません。
新宿のアンダーグラウンド音楽シーンが、映画づくりのきっかけだった
―― そうまでして映画をつくろうと思った最初のきっかけはなんだったんですか?
長久:映画自体はずっとつくりたかったのですが、直接的なきっかけは2013年頃に新宿のアンダーグラウンドな音楽シーンに触れたことです。仕事でボロボロになっていた頃に、新宿LOFTでNATURE DANGER GANGや、どついたるねん、Have a Nice Day!、Maison book girlとか、そのあたりのグループのライブを観たんです。彼ら・彼女らを見ていて、ただこのまま毎日仕事をしていちゃダメだと強く思い、映画をつくろうと思ったんです。
特にNATURE DANGER GANGの、ユーモアがあるんだけれども全力で戦っているような佇まいに非常に影響を受けましたし、メンバーには『金魚』にも出演してもらっています。
―― 僕もNATURE DANGER GANGが大好きだったので、『金魚』でメンバーが出演したと聞いた時は「この人は信頼しかない…!」と一方的に感動していました(笑)。元々音楽好きだったのですか?
長久:はい。僕は映画を二十歳から撮り始めたのですが、その前はずっと音楽をやっていました。
吹奏楽部でサックスを吹いていた流れで、高校生の頃はSCAFULL KINGやOi-SKALL MATES、THE MICETEETHといったスカバンドのコピーをやっていました。また、Hi-STANDARDとかSNAIL RAMPのようなパンクバンドも好きで、日本のスカとパンクのシーンに深く浸かっていました。
大学ではジャズが好きになり、ギル・エヴァンスのようなカオス・ジャズバンドやDCPRGを聴いていました。その頃にはサックスでプロになりたいと思うようになっていて、血を吐くくらい練習していたのですが、どうしてもこれ以上はうまくなれないと感じて挫折しました。それから写真を撮ってみたりTシャツをつくってってみたりといろいろやっているうちに、映画に出会いました。
―― 『WE ARE LITTLE ZOMBIES』もバンドものの映画ですが、監督の音楽に対する深い愛情が伝わってきました。
長久:ありがとうございます。今作でも音楽にはとにかくこだわっています。120分のなかで90本のトラックを使っているのですが、ミックスの現場にも自ら立ち会いました。普通の監督さんはミックスの現場には行かず、音の仕上げは一日スタジオに行って確認するだけらしいのですが、僕はミックスだけで数カ月やりました。
―― 作中に登場するバンド「LITTLE ZOMBIES」のチップチューンとガレージが融合したサウンドも、ありそうでない線を突いていますよね。特にデビュー曲の「WE ARE LITTLE ZOMBIES」のサウンドはライブ感があって、ドラムの音がめちゃくちゃ良かったです。
長久:ドラムは、NATURE DANGER GANGでもパーカッションを担当していたシマダボーイさんに叩いてもらいました。僕が憧れるミュージシャンたちの生き方と、僕が伝えたいメッセージは同じだなと感じているんです。それは、他人の目や評価よりも、自分の中のエネルギーを放出して今を生きることを最優先にするという価値観です。
ただ、音楽もメッセージも素晴らしいのになかなかメジャーなところに行けないグループも正直なところ多いとも感じていて、僕が微力ながらプッシュして、一緒にステップアップしていかなくちゃという勝手な使命感があります。
シンプルな言葉への抵抗
―― 監督がCM制作の仕事をされてきたことも影響しているのかもしれませんが、カメラワークやカット割りのリズム感も素晴らしいですよね。とりわけ役者さんのセリフのテンポが神がかっているなと。子どもっぽい言い回しやしゃべり方のニュアンスは残しつつテンポは完璧という、なんて高度なことをやっているんだと驚きました。
長久:非常に嬉しいです。テンポ感については、チェルフィッチュの演劇の影響が強いと思います。DVDだけでなく、フライヤーまで全部持っているぐらいファンなんです。
チェルフィッチュの「超現代口語演劇」と呼ばれる、限りなく現実での会話に近い口語体とスピード感を映像の世界に持ち込めないかとずっと考えていて、CMの仕事をする際にも、15秒の中でそういうテンポを活かそうと思いながらつくってきました。
だから映画をつくる際にも、事前に自分でセリフを音読しておきますし、カット割りを事前に大方決めてしまうという意味でも全編通してのビデオコンテも制作しています。それで役者さんが間を持たせてセリフを読んでいる時に「間がなくても全然大丈夫ですよ」と言えるようにしていました。
―― 編集で調整しているわけではないのですね。
長久:ほとんどしていません。僕はシナリオを書く作業って、音楽でいう作曲に近い作業だと思っています。そして、役者さんは楽器奏者です。そうだとしたら、テンポや間の設定は作曲家がやるべき仕事だろうというふうに考えています。
―― なるほど。テンポは監督の作風にとって非常に重要な要素だと思うのですが、一方で、『金魚』から続けて「ここが見どころ!」というカットもパロディも、いとうせいこう・CHAI・菊地成孔といったカメオ出演の有名人も山ほど出てくるという、高密度な映像が全編ぶっ通しで続くので、情報処理するのが辛いという声もあったかと思います。これについてはどのように思っていらっしゃいますか?
長久:今の社会ではシンプルな言葉が流行っているので、自分の作品はそれに逆行して情報過多だとは思いますね。ただ、こういう作品がもっとあっていいと考えています。たとえば、キリスト教の聖書って非常に情報が多いですよね。そのことによって、感動する一行が読むたびに変化したり、100人いたら100人それぞれ刺激を受ける部分が違ったりします。それはコンテンツのあり方として正しいものだとも思うんですよね。
それに、僕はセリフをつくることが好きなんです。だから、自分の作品も、観た人がツイートしたくなるようなセリフをたくさん散りばめたつもりです。誰でも自分が感動したセリフを言語化し、他の人に伝えられる時代においては、このアプローチは理にかなっているんじゃないかとも思いますね。
ユーモアで現実を乗り越える
©2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS
―― 『WE ARE LITTLE ZOMBIES』には、バンドものという要素以外にも、子どもの成長であったり、SNS社会の歪みという時事的な要素であったり、いくつかの軸があるように思います。監督は今作の軸をどのようなものだと考えていますか?
長久:意図的になにかのジャンルをつくろうとしたわけではないですが、子どもたちが経験を積んで成長していく話をつくりたかったので、一種のジュブナイルものとは言えるかもしれません。『グーニーズ』や『スタンド・バイ・ミー』のような物語を、現代的なものとして描きたいと思っていました。
―― 前作の『金魚』で15歳の女子高生たちが直面していたのは「大人になった後の退屈な人生が完全に見通せてしまっている」という辛さだったと思うんですが、今作に登場する13歳の主人公たち現代性は、子どもたちが抱えている「不安」を描いた点にあると思っています。みんな大人たちに翻弄されながら生きていて、この先どうなるかわからない。未来が見えない。
長久:そうですね。ただし、シビアな現実をシビアに描きすぎないようにしました。現実の厳しさはニュースを見れば毎日出ていますからね。僕は映画や芸術がやるべきことは、現実を突きつけることではなく、現実と対峙していくためのスタイルを提示することにあると思っています。
特に、ユーモアとニヒリズムが大切だと思っていて、今作では現実に対して妄想的・想像的なフィルターを挟んだり、映画の中で「僕は現実を見下しているんだ」というようなこと、主人公の一人であるヒカリに言わせたりしています。ゲームというモチーフを使っているのも、自分の人生を客観視してゲームのように捉えることで、現実をなんとかやっていけるという感覚から来ています。
主人公の一人であるヒカリ(二宮慶多)。両親をバス事故で亡くし、伯母に引き取られるも、住んでいるタワーマンションを抜け出すところから物語が始まる。バンドではボーカルを担当。
©2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS
大人は「ゲームから離れて現実と向き合え」とか簡単に言いますが、そんなことをしたらマジで辛くて死んじゃいますよ。僕自身、実は小さい頃に少しいじめられたことがあったのですが、そのときから現実と向き合ってもいいことなんてひとつもないじゃないかと思っていました(笑)。ゲームとかやったり妄想したりしていたほうが、生きていられます。
―― 『金魚』では、冒頭のあたりで「私たちは生まれてこのかたゾンビだよ──born to be zombie.」という印象的なセリフがありました。ゾンビというモチーフや、将来に対する絶望感は、今作ともリンクさせている部分もあるのではないかと思ったのですが、いかがでしょうか?
長久:そうですね。続編をつくろうと思っていたわけではありませんが、僕には心を殺しながらサラリーマンとして働きゾンビのように生きているという、現実に対するどこか諦めたような感覚があって、それは両作に影響していると思います。
僕は諦める念と書いて「諦念(ていねん)」という言葉がすごく好きでよく使うのですが、両作の共通点に「諦め」があると思っています。『金魚』で描いた子どもたちは、15歳ながら諦めることを知っているところがありますが、『ウィーアーリトルゾンビーズ』で描いた子どもたちは、さらに若い13歳にもかかわらず、諦めを知っている。
これはネガティブな意味ではありません。特に『金魚』では、「現実は厳しいけれども、そこそこ幸せだと思えたらいいんじゃない?」というような、幸せをきちんと感じ取る能力を肯定的に描きたいと思っていました。
―― なるほど。『金魚』や『WE ARE LITTLE ZOMBIES』で10代の役者の子たちと接している中で、現実の若者、特にティーンエイジャーについては、昔と変わってきたなと感じることはありましたか?
長久:意外と自分たちの頃と変わらないと思いました。みんな、特別悪くもなってないし、とりわけ良くもなっていないです。
しいて違いを言えば、学校ではあだ名をつけちゃいけない、という話を聞いた時は驚きました。あだ名はいじめの発端になるから、名字で呼び合っているそうなんですね。社会が真面目で優しくなっているんだなと感じました。それから、教育のおかげかわかりませんが、「SNSをやりたくない」という意志をはっきり持っている子がいたことも印象的でした。世界と直接つながることに興味がない、みたいな。ただ、いずれにしても本質的には全然変わらないなという実感が強いですね。
―― 子どもたちを取り巻く大人たちについては、どのように描こうと考えていましたか?
バンドを発掘し、マネージャーとなった望月悟(写真左:池松壮亮)と江口栗子(写真右:初音映莉子)。子どもたちを利用し、バンドを売ることで自己実現を図ろうとするが、どこか憎めない一面も。
©2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS
長久:基本的に子どもにとって大人はモンスターというか、敵に見えるように描きました。ただ、彼らは敵になりたくてなっているわけではないし、悪い人間たちでもありません。それぞれが頑張って生きていこうとしていて、その結果、狡猾にならざるを得ないだけです。そんな大人たちの生き方を否定するような撮り方はしたくないと思っていました。
これも大人になると気がつくことですが、僕たちは社会を変えることはできません。だからこそ、僕の世代でいうとスチャダラパーや真心ブラザーズ、忌野清志郎のような人たちが持っていたようなユーモアの重要性を描きたかったのです。ユーモアを持っていると、ちょっと楽になれますからね。
今の世の中は真っすぐすぎて、ユーモアの大切さを言う人があまりいないように感じています。アンダーグラウンドなところにはいますが、メインでは少ない。僕はそこをきちんと描いていきたいと思います。
まずはキツい一足目を履いておくといい
―― シビアな現実の中で音楽などのクリエイティブな活動を続けている人たちに対しては、どのように思われますか? いまはフジロックに出るぐらい評価されているバンドであっても、別の仕事の正社員としてフルタイムで働きながら、二足のわらじを履いて活動を続けていることが当たり前になりつつありますよね。
長久:自分に関して言えば、最初の映画をつくることができたのは、会社の労働が本当に辛くて、その反発があったからだと思っています。今は仕事として映画をつくっているので、一足になりましたけどね。
そのうえで言うと、まずキツい一足目を履いておくといいんじゃないかということです。そうすると、反動でなにかつくれることがある。学校の校則が厳しいからパンクバンドがやれた、みたいな話ですけどね(笑)。
また、本業を真面目に頑張っていると、別のところでも使えるということもあります。僕の場合、広告の仕事の中でも、この音の使い方は新しいなとか、このカット割りのタイミングは新鮮だなとか、毎回必ずなにかひとつ新しいことを学ぼうと思って仕事をしてきました。手を抜かなかったことが今の作品につながっていると思います。
グローバルに映画を撮る
6月5日に開催された、日本外国特派員協会での記者会見の模様。写真左は日活のプロデューサーの高橋信一氏。「今作は海外の観客にも見せることを想定してつくられたのか、そうであればどんな工夫をしたのか」という質問に対して長久監督は「僕が信じているものをそのまま全力で手を抜かずにやったものが評価されたと思っていますし、今回も同じように手を抜かず死ぬ気で作った、というだけです」と答えた。
©2019“WE ARE LITTLE ZOMBIES”FILM PARTNERS
―― 長久監督ご自身は、今後どのような作品をつくっていきたいと考えていますか?
長久:今日お話したテンポ感や音楽の重要性、ユーモアや諦めといったテーマは今後も扱っていくと思います。そのうえで、ラブストーリーのシナリオを書いていたり、SFやアニメーションの企画をしたり、いろいろと準備していますよ。
また、『金魚』が台湾やアメリカで評価をいただいたこともあって、海外で撮ってほしいという話もあります。僕は国内の有名タレントを起用した作品をつくりたいというような気持ちが全然なくて、むしろ例えばトラックメイカーのSeihoさんのような、海外でも受け入れられそうな人を主役にできたらという気持ちがあります。ですから、海外で作品制作できないかと強く思っています。
―― 長久監督のテンポの良い作風は、1本の映画としてだけではなく、例えばNetflixでの連続ドラマなどで展開されたら一気にグローバルに受け入れられそうな感じもします。劇場映画以外の表現媒体についてはどのように思われますか?
長久:たしかに僕の作品のテンポ感はネット向きだと思います。もちろん映画は撮っていきたいですが、Netflixのようなかたちにも興味があります。
僕の作品の課題として、テンポ感を出すためにどうしてもカット数が増え、予算がかかってしまうという点があります。このことを考えると、いまの段階では映画が一番つくりやすいのですが、もしNetflixのようなところで予算がつけば、映画以外の作品をつくることもできるのではないかと思います。
―― 海外に進出すると、会社員として撮るかフリーランスとして撮るかという問題も出てきそうですね。
長久:そうですね。本格的に海外に行くとなれば、働き方も変わっていかざるを得ないと思っています。海外では、日本の会社の社員とは契約できない場合もありますからね。一方で、日本で制作を続ける限りは、社員でいたほうが絶対にいいと思っています。自分の制作環境についても、考え続けていくことになるだろうと思います。