CULTURE | 2020/02/25

大阪の「社会主義的風景」写真集『OSAKAN SOCIALISM』は、ヴェイパーウェイヴ以降の「失われた未来」の文脈と接続する

Twitterで話題になっていた、大阪の「社会主義的風景」の写真を収めたZINE『OSAKAN SOCIALISM』。京...

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Twitterで話題になっていた、大阪の「社会主義的風景」の写真を収めたZINE『OSAKAN SOCIALISM』。京都の誠光社や大阪のシカク、東京のReadin' Writin'など、本好きが集まる独立系書店にも置かれ始めている。

例としてこの写真集に挙げられた、どこか空虚な風景に「なるほど」と感覚的に伝わるものがあったのだが、「社会主義的風景とは何なのか?」ということを言語化するのは難しい。ただロシアのアンドレイ・タルコフスキーの映画にも通ずる、寂しさや人気の無さ、薄ら寒さ、終わった未来……そういった風景との共通性はあるように思う。

今回、著者の麗日さん(編集)春菊さん(撮影)になぜこの主題に至ったか、どうつくっていったのか話を訊いてみたら、日本のZINEや同人誌のシーンと世界的な若者の懐古趣味とのつながりが見えてきた。

聞き手・文・写真:平田提

大阪の風景ってどこか社会主義っぽい?理由がちゃんとあった

―― 『OSAKAN SOCIALISM』のテーマ設定が面白いなと思ったんですが、写真集をつくるきっかけは何だったんですか?

麗日:根底には、幼少期に感じていた「明るい神戸と、暗い大阪」というギャップがあるように思います。私はもともと小さい頃は大阪の福島に住んでいて、その後神戸に移りました。神戸では山陽電鉄の沿線に住んでいたので、須磨あたりの、海沿いをずっと電車が走っていて、たまに遠くに「さんふらわあ」号が見えて……という車窓からの風景が鮮やかな記憶として残っているんです。親戚がいるからたまに大阪には行くんですけど、そうすると、大阪の地下鉄はなんだか暗いし、古いし、めちゃめちゃ人がいるし……これは恐ろしい場所に来てしまったな……と幼心に感じたのを覚えています。もちろん、今はそういう大阪も大好きですけどね。

それとは別に、大人になるにつれて、いわゆる「共産趣味」的なカルチャーに染まっていきました。大阪と京都に店舗のある梁山泊さんとかが好きでよく覗きに行くんですけど、新左翼系の本がいっぱい置いてある古本屋ってあるじゃないですか。そういうジャンルの本って今のご時世あまり人気がないのか、比較的安いものが多くて手に取りやすくて。これはコスパいいじゃん!と、いつしか読み漁るようになりました。今のところ何かの役に立ったこともないんですけど……。そうこうしているうちに段々と、そういった広い意味での社会主義への興味と、小さな頃に抱いていた薄暗い大阪のイメージがつながっていったんです。「大阪の風景って社会主義っぽくない?」と。

『OSAKAN SOCIALISM』の撮影をしてくれた春菊さんとは古くからの友人で、ふたりとも「デイリーポータルZ」的なものが好きという共通の話題があって、以前から「大阪で社会主義っぽい風景を探してみた」みたいな記事ってありそうじゃない?という話はしていたんです。それで、ある時実際に街歩きをしてみようということになって、そこで偶然WTC(大阪府庁舎)の内部空間に出会って、「これならいけるかもしれない」と、そこから本づくりが本格的に始まりました。

『OSAKAN SOCIALISM』より、大阪府咲洲庁舎のWTC(ワールドトレードセンター)タワー、別名「さきしまコスモタワー」。

―― 表紙のWTCの風景が最初のきっかけなんですね。場所の選定はどうやって進めたんですか?

麗日:場所選びにおけるひとつの大きな基準は、「ガイドブックには載ってない」ということです。大阪って、観光ガイドはもちろんですが、建築ガイドもけっこう出版されている。建築好きのひとだったら、そういうガイドに取り上げられているような名建築はすでに知っているだろうし、なるべくそういうのとは被らないようにしようと意識はしました。そのうえで、ある程度先に理屈を立てて選んでいった場所と、あとは、偶然街を歩いて見つけたとか、もうちょっと行き当たりばったりに、感覚的に選んでいった場所のふたつがあります。

前者は、簡単にいうと団地と地下鉄のことです。この辺は、日本政治思想史の専門家でもある原武史さんの仕事から影響を受けました。原さんは、日本における戦後の「ソ連化」ということをおっしゃっている。有名なところだと野口悠紀雄『1940年体制』のように、戦中と戦後の連続性の方を強調する議論もありますが、一般的には、戦前・戦中の日本は戦争遂行のために中央集権的で全体主義的な体制をつくったけれども、戦後はGHQによって財閥が解体されたり、文化や習俗もアメリカナイズされていったと言われている。でも原さんはそれだけじゃなくて、日本は都市のインフラ(下部構造)を中心に、戦後に「ソ連化」していった部分もあるんだと指摘している。その例として出てくるのが、団地と地下鉄なんですね。

たとえば、戦後の住宅不足という問題に対して、日本はアメリカのような一戸建てよりはソ連のように郊外に集合住宅を建てるのが適していたし、じっさいに日本住宅公団の視察団がソ連を訪れていたという記録が残っている。交通網に関しても、都市部に鉄道を中心とした公共交通機関が発達した日本は、モータリゼーションの進んだアメリカよりはずっとソ連に近い。そんな背景もあって、「社会主義っぽい風景」といえば、まずは団地と地下鉄なのかなと。

―― 例えば千葉の浦安の海沿いとかも大きなハコの建物が多くて人が少なかったりするんですけど、そういった他の地域の風景と、大阪ならではの社会主義的風景の違いってなんでしょう?

『OSAKAN SOCIALISM』より、大阪メトロの風景。

麗日:確かに、そうした風景自体は、探せば日本全国で見つかるんじゃないかと思います。浦安にはディズニーランドもありますが、その中の「トゥモローランド」には、レトロな未来像という点で社会主義っぽいイメージに共通する雰囲気を感じます。ただ、大阪は戦前だと、当時のマルクス主義を意識しながら自らの社会改良主義的な立場を形成していった関一市長だったり、戦後でも、特に1970年代はずっと共産党系の府知事が政権を担っていたりして、上部構造というか、イデオロギーの次元でも「社会主義的」だったといえる時期が比較的長かったのが特徴かなと。そういう都市は日本でも限られてくると思います。それで、当初は先ほどいったような都市のインフラ(下部構造)と、政治的な上部構造がある意味フィットしていた、70年代くらいまでの大阪の公共建築を「社会主義建築」と再定義して撮ってみたらおもしろいんじゃないか?というところからスタートしました。

とはいえ、実際に街を歩いてみるとやっぱり偶然の出会いがあって、それがたとえば表紙になったWTCタワーです。ああいう大阪の湾岸部に残っている、80年代以降のバブルの遺産のような風景の中に見出せる「社会主義っぽさ」が途中からおもしろくなってきて、だんだんそっちの部分が膨らんでいったんです。

ヴェイパーウェイヴと社会主義的風景を結ぶ「近過去への憧憬」

―― 「社会主義っぽい風景」というのは感覚的に伝わりました。12、3年前に中国の桂林に行ったことがあるんですが、観光客の通る道はきれいなビルが多い一方で、一本入るとオート三輪が走っているような農村のようで。どこかハリボテのような感覚がありました。そういう風景の「社会主義っぽさ」って何なんでしょう?

麗日:これは写真集をつくり終わってから意識し始めたことですが、「社会主義っぽい」と言っていたものの一部は、実は、ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave)的なイメージに近いんじゃないかなと。『ユリイカ』のVaporwave特集で、近現代美術史家の松下哲也さんが「Vaporwaveと『シコリティ』の美学」という論考を書いていて、そこで美術作品の経年劣化から生じる「シコリティの体験」について、「美でも崇高でもない中間領域の美的体験とは、鑑賞者に作品の緩やかな死を予感させるような、静かでしみじみと恐ろしい体験のことだ」といっています。Vaporwave的なイメージは、特徴的なエフェクトによって、データには存在しないはずのそうした経年劣化を人工的に捏造していると。「社会主義っぽい」風景の体験にも似たようなところがあると思います。

※ヴェイパーウェイヴ(Vaporwave):2011年頃からネット上で流行した、1980~1990年代の音楽やカセットテープの音源、VHSの映像をあえて粗くリミックスしたような実験的音楽・映像・デザインのムーブメント。スーパーマーケットでかかっていそうなチープな曲をアレンジしたり、日本のシティポップもサンプリング対象になっていたりする。

―― 空虚な感じと、厳かな感じも同様にあるというか。

麗日:そうですね、強引に都市の文脈へ翻訳すると、均質な郊外の美を愛でるわけでもない、かといって、摩天楼や廃墟の厳粛な崇高の前に佇むわけでもない…...そういう中間領域に「社会主義っぽさ」を積極的に見出していこうとする態度は、人工的に劣化を模したエフェクトに耽溺するVaporwave的な感性と近い部分があるんじゃないかなと。

―― 木藤富士夫さんの『公園遊具』、『屋上遊園地』や、大山顕さんの団地の写真とか、そのあたりともベン図的に『OSAKAN SOCIALISM』は重なる部分があるかもしれないと思いました。

『OSAKAN SOCIALISM』より、大阪・住之江区の南町ポートタウン。

麗日:あえて重なる部分を抽出するなら、そこまで遠くない過去に対するレトロスペクティブな視線ということでしょうか。それって日本だけじゃなくて世界的な同時代の気分のひとつになっている気がしていて、ヴェイパーウェイブから派生したフューチャーファンクをよくYouTubeで聴いてるんですけど、シティポップの再発見だったり、Lo-fi Hip Hopにも同様の志向があるかもしれない。

韓国のDJで、フューチャーファンクの代表的なアーティストに、Night Tempoさんという方がいます。最近はもうフューチャーファンクじゃなくて「昭和グルーヴ」って言ってるみたいですけど、主に80年代の日本のアイドルソング・歌謡曲にアッパーなビートを足した音楽をつくっていて、日本だけじゃなく海外でも聴かれているんです。バブル期の日本文化を海外のひとがdigってるという、そういう異国の失われた文化に対する眼差しは、いま日本人である私たちが社会主義っぽい風景に魅せられるのと交差するような気がしますね。

※Lo-fi Hip Hop:わざと音質を悪くしたようなジャズ音楽をサンプリングした、チルアウト系のインストゥルメンタルが中心の音楽とそれに付随するカルチャー。

春菊:じつは海外でも、社会主義建築の写真集がこの5年ぐらいで続々と出ています。目につくものだと、クリストファー・ハーウィグの『Soviet Bus Stops』や『Soviet Metro Stations』などの一連の作品、ロベルト・コンテ/ステファノ・ペレゴの『Soviet Asia: Soviet Modernist Architecture in Central Asia』、マリアム・オミディの『Holidays in Soviet Sanatoriums』あたりですね。ちなみにこれらの作品は、ソ連を題材にした作品を数多く出版しているFUELというロンドンの出版社が版元です。

ソ連が崩壊して30年弱経って多くの建築が取り壊され始めることになり、なくなる前にそれらを記録していこうという動きがあって、それが写真集としてまとめられているようです。大阪も2025年に大阪万博があって、写真集をつくっているあいだにも風景の着実な変化を感じました。僕も撮影していて、今しか見れない風景を記録しようという思いは強かったですね。

日本に存在する「失われた未来」の風景を求めて

『OSAKAN SOCIALISM』より、大阪・住之江区の「なにわの海の時空館」。

―― 人のいない時間に写真を撮るのが大変ではなかったんじゃないかと気になったんですが、どうなんでしょう。

麗日:それはたまに聞かれるんですけど、特別意識したことはなかったです。もちろん、無機質な風景を撮るのに無人が向いてるのは分かるんですけど、今回撮影した場所ってそもそもあまり人がいない所が多かったんですよね。特に大阪の湾岸部のエリアは、当初の壮大な都市計画がしぼんでいって、期待されたほどには人が集まらなかったという事情もあると思います。だからこそ、再活性化のために夢洲に万博を誘致しようという思惑も働くわけですが。

―― 社会主義的な風景を選んでいたら結果的に人がいなかったというのは面白いですね。本をつくってみて、反響はいかがですか?

麗日:「社会主義っぽい」って結局何なの?というのは最後まで手探りでしたけど、思ったより多くの人が共感的に見てくれていてうれしいですね。

あと、この本をつくるに当たって、最近の人文系同人誌のシーンはけっこう意識していました。去年、小澤みゆきさんという方がつくった『かわいいウルフ』というヴァージニア・ウルフについての同人誌がネットを中心に人気を博していて。内容的にはあまり関係ないんですが、『かわいいウルフ』を取り扱っている書店のリストを参考にして私たちもメールを送ったり、かなり具体的に見習わせてもらいました。ここ数年、制作だけじゃなく流通の面でも「やっていき」を感じる同人誌が増えている印象があって、逆に同人だからこそ工夫できる部分もあると思っています。

春菊:制作途中から、流通も含めてトータルに設計していきたいという意識はありました。僕は、もともと大学でクリティカル・デザインを学んでいて、それは単に実用的な大量生産品を設計するのではなく、そういったものに作品を擬態させることで、手に取った人に現状への批判や未来へのヴィジョンを届けるという類のものです。当時は、理論や事例に触れていただけだったのですが、今回の写真集では、ほんの少しだけ実践に踏み込めたかなと考えています。

具体的な流通の話をすると、この本はB5短辺の182mm四方という少し変わった判型で、大きな写真を見てもらいたいという欲と、逆に大きすぎると書店で面陳されにくいという事情のせめぎ合いの結果のサイズでした。

また、Web通販もやっていますが、今回は既存のネットショップを利用するのではなく、自前のWebページを用意して、単一ページで注文完了できるようにしてます。これも画面遷移を減らして、より簡単なプロセスで手に取ってほしいという考えが根底にあります。こういう細かな部分を積み上げた結果、おかげさまで想定より多くの方に手に取ってもらえたのかなと思います。

―― 若林恵さんが『来たるべきコンテンツメーカーのかたち:ヒップホップコンテンツのプロ集団〈Mass Appeal〉に日本のメディアやレーベルが学ぶこと』というnoteの記事の中で「コンテンツとディストリビューションはもはや一体ではない」というようなことを書かれていたんですけど、まさにそれですね。

春菊:実は、僕は生まれも育ちも東京で、毎回小旅行という感じで大阪には来ています。東京にも大きな団地やモニュメントなど社会主義的な香りを放つ風景はありました。ですけど、この10年ほどでそれらは急速に「小綺麗に」なっていった印象です。翻って、大阪はまさに過渡期という印象で、2025年の万博を前によくも悪くも漂白化されていく過程のように映ります。

麗日:そういえば、FINDERSでも記事になっていましたが、最近、中井治郎さんの『パンクする京都』がよく読まれていたり、地域論に対する関心は依然として高いように思います。関西人はみな、心のどこかで『よ〜いドン!』のロケが近所に来るのを待ちわびているのではないか?というのが私の持論ですが……。

―― ネット上でどこからでもつながるからこそ、ローカルのネタで集まりたいという思いもあるかもしれませんね。

麗日:そうですね、家族や会社、学校の外でコミュニティをつくりたい人にとって、地域が有力な選択肢であるという状況はしばらく続いていくような気がします。

「旅行誌を擬態する批評誌」というコンセプトの『LOCUSTvol.3』の巻頭言で、批評家の太田充胤さんが「たとえば『坊っちゃん』を携えて松山・道後を訪れれば旅の様相が少し変わる、というようなことが起こればいいなと思って作っています」と書いていて、その精神には非常に共感するところがあって。だから、写真集なら写真だけでもいいんですけど、読者の視線に角度をつけることができるような言葉とセットで提示することにはこだわっていきたいですね。

『OSAKAN SOCIALISM』より、大阪・住之江区の住吉団地。

―― 確かに本によって視点をインストールしたうえで旅ができるのは面白いですよね。『OSAKAN SOCIALISM』のフィルターをかけて大阪を巡ったらまた違う感想が出てきそうです。

麗日:色んな感想をいただいてどれもありがたいんですが、自分も触発されて社会主義っぽい風景を撮ってみたよって方もいて、そういうのを見るとすごくうれしいです。ものの見方は誰の専有物でもないですし、もともとこの本は妄想の産物、読んでくれたひとの妄想の世界が少しでも豊かになったとしたら、それ以上に光栄なことはありません。

―― 異本とか、亜種が出てきていると。お話を聴いていたら僕もZINEをつくりたくなってきました。お二人が今後何かつくりたいものはあるんですか?

麗日:次は神戸をテーマにした本をつくりたいなと思っています。『OSAKAN SOCIALISM』のテイストは大事にしたいですが、「SOCIALISM」とは別の言葉を探したいとも思っていて、「ロスト・フューチャー」というか、同時代的な「失われた未来」の感覚により深く接続しつつ、レトロスペクティブな視線を徹底化していった果てに何が起きるのか、そういう仕掛けのある本にしていきたいなと思っています。

春菊:単なるノスタルジーや、それっぽい風景を薄暗く撮るだけではつまらないと思います。神戸にどういった歴史があり、それがどのような形で街に表出しているのか。たとえば、ポートアイランドが造成された経緯や阪神淡路大震災が神戸に与えた影響といったトピックですね。そういった歴史の重層性を踏まえた上で、制作を進めていきたいです。