Ice-Tが監督した『アート・オブ・ラップ』は、アメリカのレジェンドを訪ね歩くドキュメンタリー映画で、ラッパーたちの証言からラップやヒップホップ・カルチャーを辿るのが面白い。ここ日本でもヒップホップのルーツを辿れないだろうかと考えた。
そうした中で、日本のヒップホップ界で最も長く活動するグループのひとつであるRHYMESTER(ライムスター)の司令塔、Mummy-Dさんに今回のインタビューをお願いした。
RHYMESTERでは結成30周年にして初の47都道府県ツアーで全国を駆け巡りつつ、Mummy-Dさんは俳優としても新たな領域を広げ、挑戦者であり続ける。インタビューで浮かび上がったのは、常にフレッシュで、冒険心に満ち、変化し続ける姿勢。それはヒップホップが生まれ進化を遂げてきたプロセスにも通じるように感じた。
前人未到の道を今なお第一線で走り続けるなかで、楽曲の制作スタンスはどう変わったか、そして再び日本の若者にも「ラップ」が浸透してきたこのタイミングで、Mummy-Dさんの「ヒップホップ観」についても話をうかがった。
※この記事は2017年10月10日にインタビューした内容をベースに追加取材を行い、加筆修正したものです
聞き手・文・写真:川嶋一実 構成:神保勇揮
Mummy-D(マミー・ディー)
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ラッパー・プロデューサー・俳優。日本を代表するヒップホップグループ「RHYMESTER」(ライムスター)のトータル・ディレクションを担う司令塔。1989年早稲田大学在学中にグループを結成。日本のヒップホップ黎明期よりシーンを牽引してきた。代表曲は「B-BOYイズム」「ONCE AGAIN」「The Choice Is Yours」など。ライブでは必ずその場をロックする別名「キングオブステージ」。ソロではヒップホップの枠組みを越え、椎名林檎、スガシカオなど他ジャンルのアーティストの作品にプロデュース、客演参加多数。最近はドラマ、CM、舞台などで俳優としても活躍中。作曲家名義はMr. Drunk。
ライムスターはなぜ30年続けられたのか
撮影:cherry chill will.
―― 結成30周年47都道府県ツアーでのライブハウス向けの小箱セットと、アルバムリリースツアー時に行われる大会場向けのプログラムとはどのように違うんでしょうか?
Mummy-D:大箱はシアトリカルな演出や映像を駆使したエンターテイメントだけど、小箱セットはスタンディングのお客さんたちとどれだけ濃密に近い関係を楽しむかだから。大掛かりな演出抜きの人間力勝負だね。身体ひとつで魅せる小劇場みたいなものだよ。
―― これほど長く活動しているグループは世界的にも稀ですが、その秘訣は何ですか?
Mummy-D:若い時はお互いエゴとクリエイティビティでぶつかることもあったけどさ。でもそういうぶつかりあいも、20代のうちですべて終わっちゃってるからね。仮に何かが起きても「あのときのアレだな、大したことないな」ってみんなが思えてるところがいいんじゃないかな。一回そこまでいかないままみんな解散しちゃうから。それに宇多さんもJINも俺もそれぞれに違ったフィールドがあるからね。
―― トライアングルって本当は難しい気がします。2対1の状態で対立してしまう可能性も秘めてるわけで。
Mummy-D:トライアングルはやりやすいんじゃない? 2対1にならないっていうのはずっと俺らのルールだから。そうすると3人みんな割とバランスよくやれる気がするよ。
―― さて、これまでのアルバムを全部聴き直してみてやはり、2017年リリースのアルバム『ダンサブル』からRHYMESTERが新たなフェーズに行ったという印象を受けました。
Mummy-D:そうだね。アルバム制作は毎回前作の反動になっちゃうんだけど、確実にあたらしい局面にいったと思うな。軽やかに風通しがよく楽しいのがいい。メッセージはそこに匂えばいいな。
ヒップホップが生まれ日本に飛び火した当時の若者たちの情景と今とが時を越え交差する「Future Is Born」。MVでは、80年90年代のコスチュームやミキサーなどでその時代を再現。
―― その時代の流行っている音には敏感ですか?
Mummy-D:敏感。いまだに音楽の大ファンだし。その一方で年も食ってきてるわけだから、たとえばブルーノ・マーズみたいなものが流行っていて、ああ、あの感じのリバイバルだなとか分かるんだけど、そこで知った気にならずに「ここらへんがまた新鮮なんだな。だったらこんな風にアプローチできるかも」って刺激的に捉えられるかどうかがすごく大事なところだと思うんだよね。フレッシュに聴けるかどうかは心の持ち方次第でしょ? だからウキウキしながら音楽を聴いてる。それに、ネット社会になってあらゆる流行のサイクルが早くなって、全部がアリになっちゃった部分はあるよね。「この前80’sリバイバルだったのに、もう90’s? もう90’sも終わったの?」みたいな。
ポップであることは尊くて美しい
―― P-FUNK やブルーノ・マーズのコンサートに行くと思わず身体が動き出しちゃう感覚はRHYMESTERのライブと共通で『ダンサブル』でより鮮明になりました。リズムに合わせて自然と体が揺れることの楽しさに溢れていて。
Mummy-D:うん、そうねぇ。でさ、カラっとして明るいじゃん。毎日の中で悩むことも多いし、とにかく明るくなれる音楽を作りたかった。ポップであることは尊くて美しいことだから。 『ダンサブル』以前の3作あたりは、ラップでもしっかり重くて手応えのある言葉、メッセージ、コンセプトを打ち出したかったの。言葉の力を重視するがゆえに精神性に入って、それに自家中毒気味になっていったのかもね。
―― とはいえRHYMESTERのベースには常にファンクがありますよね。毎回作品のトータルディレクションはMummy-Dさんですが、アルバムの方向性から曲作りまで、普段、グループ内でどのように意思疎通をとっていますか?
Mummy-D:メンバー同士でまず「こんな雰囲気のアルバムにしたい」ということを話すのね。たとえば『ダンサブル』なら、みんなと話して「ダンス」がキーワードとして挙がってきたから、「だったらこっちに進もうか」というのは俺が決めたりはする。リリック作りに関しては、作品によるけど、(宇多丸さんと)どっちかが主導になることが多いよね。色々なところから集めてきたトラックに対して、歌いたいことやタイトルを思いついた人が試しにサビや自分のバースを作ってくるの。で、スタジオで録ってみてみんなに聴かせて「あ、いいじゃん。だったら俺こうしようかな」っていうキャッチボールをしていく感じ。
―― トラックの作り方には、トラックメイカーからトラックを集める場合とオーダーメイドする場合の2パターンがあるそうですが、前者の場合、採用されるのはどれくらいなんですか?
Mummy-D:100分の1以下じゃないかな。
―― えー! そんなに少ないんですか!?
Mummy-D:大体みんなストックを大量に持ってるからね。
岡村氏からの「ヤバイ」トラックが沢山あって、コラボは今後も続くそう
―― コンセプトに沿ってトラックをオーダーメイドした「Future Is Born feat. mabanua」や「Diamonds feat. KIRINJI」は煌めきがありますね。
Mummy-D:まあね。掘込高樹さん(KIRINJI)だもん。キラキラしてていいよね。
―― ところでヒップホップ専門誌『blast』の90年代のバックナンバーを読むと、当時20代のDさんは、トラックメイカーやプロデューサーとしてたくさんのアーティストを手がけられていたんですね。
Mummy-D:すごいの持ってきたね(笑)。
―― 当時はアンダーグラウンド志向で、マーリー・マールとの対談からもUSの音楽を意識しながらトラック作りに熱中する姿がうかがえます。当時の楽曲制作はサンプリングがメインですか?
Mummy-D:この時代はサンプリングがほとんどすべてだったね。いきなり鍵盤を叩いてどうとかじゃない。簡単だったし、センスさえ良ければ誰でもできる感じだったから。レコードを聴いて「この音気になるな」っていうところからスタートして、曲をサンプラーに入れてループしたり一カ所を連打したり。だけど、今はもう、トラックに求めるハードルも上がっちゃったし、トラックとリリック両方は時間的に厳しいから、できれば人に任せたいなという感じ。
―― そして他ジャンルのミュージシャンとのコラボを重ねるうちに、楽器の生音も取り入れた現在の曲作りに変化していったということでしょうか?
Mummy-D:そうだね。音楽方向に自分の知識も増えてきて、昔よりもできることが増えてくるから。コードを自分でいきなり押さえ始めるときもあるよ。指を一個一個置いていってちょっとずつ打ち込みし続けて。耳を頼りに打ち込んでいく感じ。
90年代ヒップホッパーの美学を歌ったジャパニーズヒップホップの金字塔「B-BOYイズム」。以降も「ザ・グレート・アマチュアリズム」「We Love Hip Hop」などヒップホップを題材にした作品をRHYMESTERは数多く作り続けてきた。
「ヒップホップの冬」を乗り越えて
―― 2000年代のインタビューで「3度ぐらい冬を味わっている」と話されていましたが、どのような意味ですか?
Mummy-D:それは単純に流行り廃りがあるから。自分たちがいいものを出しても風が吹いてない時はダメだし、逆に未熟でもバブルみたいな時もある。だからそういう季節の移ろいを3度くらいは感じたかなって。自分たちだけがどうこうというよりは、音楽のシーンとしてね。
―― ヒップホップも変化していく中で同時にDさんの曲作りも変化していっていますよね?
Mummy-D:そうだね。ヒップホップは反骨心ゆえに生まれた新しいアートだけど、ポップなことを作りにくいジレンマを抱えるところではあったからさ。
『ダンサブル』の、楽しくポップに洗練してっていうのは、めちゃくちゃ反発を受けることだってあるけど、でもあれを作っていた頃は楽曲のクオリティを上げたい、音楽の強度を高めたいっていう思いが強くて、ようやくそんな境地にたどり着けたんだろうね。30年の歴史の中で「ポップでいいじゃん」って思ったのはほんとここ数年だよ(笑)。
―― 解き放たれたんですね! 反骨精神といえばロックも思い浮かびますが、持たざる者から生まれたヒップホップとは違う部分はありますか?
Mummy-D:違わないけどね。自分がリアルな音楽だと思った時に、ある人は「これがロックだよ」って言うし、ある人は「これがヒップホップだよ」「これがレゲエだよ」って言う。レベルミュージックは特にそう。やっぱり反骨精神を持ってリアルにストリートから訴えかけている音楽は、どれもロックだろうし、ヒップホップだろうし、レゲエだろし、パンクだろうし、ってことじゃない?
サビは数パターン用意。リリック帳に並ぶたくさんのフレーズたち
―― 今回、リリック帳を持ってきてくださったんですよね。何か1曲、制作秘話のようなものを教えていただけないでしょうか。
曲の構成の分析やアイディアの走り書きがノートいっぱいだ。
Mummy-D:『ダンサブル』に入ってる「梯子酒」にしようかな。最初にしたアプローチがいまいちで、今のサビに到達するのに1年かかっちゃった。「はしござけー♪はしござけー♪」まで長い道のりだったよ。
―― 1年! 冒頭のDさんのラップ、「志半ばで去って行った」という歌詞から色々連想してかっこいい曲だなと思いきや…。
Mummy-D:単に一次会で先に帰った人の話(笑)。文学的な出だしにしようと書いたわけだけども。最初は「大宴会」っていうタイトルだったの。2ページにわたって色々書いてあるけど、結局残ったのは右ページの「ドン・チャン・騒ぎ」これだけ(笑)。大体の曲でサビは何パターンも作ってスタジオで試すんだ。書いた翌日にダメだこりゃって思ったんだけど、スタジオで試したら意外とメンバーのウケがよくてね(笑)。
―― どんどんふざけていっちゃうおかしさに吹き出しました。
Mummy-D:その答えに一発でたどり着けるといいんだけどね(笑)。俺は割と思考の軌跡を残しておきたいから作詞の入口は手書き。前だったら必ず歌う用に最後は清書してたんだけど、今はある程度できたらパソコン入力に移行しちゃうの。だからリリック帳はもうアイディアノートでしかないんだ。曲は1週間でできることもあれば、何カ月もかかることもあるし、寝かせて調子のいい時を待つっていう。あとは言葉選びが非常に重要。リズムの出る言葉を選んでいないと、後からどんなに歌でカバーしようとしてもなかなかうまくいかないんだ。
―― リリックは論理的に練っていく感じですか?
Mummy-D:そうね。論理的にやる部分と論理を飛躍させる部分と半々くらいかな。
―― ページをめくっても大丈夫ですか?
Mummy-D:ははは。この部分は完全に酔ってる。別の曲の構成を確認しながら書いてやってるんだけど酔っぱらいすぎててあとで見ても全然わかんない(笑)。リリースはされてないけど作ったものです。
いくつになったって成長したい
―― ラッパーとしての筋肉はどうやって鍛えられてるんですか?
Mummy-D:シンガーから言わせるとまったく違う筋肉を使ってるらしい。腹筋はもちろん使うけど、ラッパーは結局リズムをつくるのが最優先だから。メロディをロングトーンで歌ったり持続音をビブラートさせたりする、シンガーが使う筋肉とは違う、もっと喉の速筋みたいなものを使ってるんだと思う。それで破裂音の連なりをどう使うかとかなんだ。
ツアー中も会場毎にプログラムを変える。「こんだけ曲数あるんだぜ。ま、セリフを覚えるより歌詞を覚える方がマシ。リズムがあるからね」とライブ用の歌詞ファイルを見せてくれた。
―― スキルを磨くための日課はありますか?
Mummy-D:毎日やっている日課はない(笑)。その代わり、レコーディングやリハでスタジオに入った時にあらゆることを試すんだよね。たとえば、同じ歌詞でもちょっと前のめりにラップしてみたり、逆に後ろ気味、余裕気味にラップしてみたり。声帯の別の部分を使ってどんな味わいになるか試したりとか。まあ、要は暇つぶしだよね(笑)。暇つぶしの中から、自分が出せる声のキャラのニュアンスが増えることがある。歌うの大好きだから、一人こもって3時間近く歌ってたりするよ。自分で試してからグループで合流してさ。
―― これだけ長いキャリアのなかで、いまだに出せる声が増えていくってすごいですね!
Mummy-D:役者と一緒じゃないかな。ちょっとずつ役柄の幅が増えてくる、それを面白がることに通じているよね。とにかく、今は制御かけずに「いっちゃえー」ってやってみちゃう。何か思いついたら、その可能性を「ナシ」にせず「アリ」にしてさ。「Future Is Born」や「Diamonds」みたいに、今までだったらキラキラしたメロディを歌わないところも歌っちゃうし、「梯子酒」みたいに文学的な感じのラップではじめて最後はめちゃくちゃふざけるとか。やっぱりさ、いくつになったって成長したいし、常に攻めてるって思われたいじゃん!
―― RHYMESTER主催フェス(『人間交差点』)ではジャンルや世代を越えKOHHやBAD HOPなど積極的に若い才能を起用してきました。次世代にどんな言葉を贈りますか?
Mummy-D:若い時に比べて歳を取っていくと、いろんなものに興味を持ちにくくなっていくんだよね。なぜかといえば、新しいものが出てきてもわかった気になって「はい、次!」っていきたくなっちゃうから。でも若い子たちにしたら初めて見聞きするものでしょ? 普通に考えたら「それムリじゃん?」って無謀なことも、知らないからこそ踏み出せる一歩があってさ。「俺もやってみよう」って向こう見ずに突き進んだ結果、新しいものが生まれたりする。それが若さの素晴らしいところだと思うんだ。ヒップホップがそうやって生まれたようにね。だからいくつになってもいろんなものにウキウキして欲しい! たくさんのことを吸収してさ。
ヒップホップマインドとは「欠乏から生み出される何か」
―― 若い子といえば、昨年末川崎でラップバトルに負けた高校生が罰ゲームで川に飛び込み亡くなった事件がありました。川崎はライムスターが初めてステージに立った場所でヒップホップの聖地でもあります。Dさんはそのニュースを聞いた時、どんな風に思いましたか?
Mummy-D:非常に痛ましい事件ではあるけれども、事件の本質は「ラップバトル」にあるのではなく、いじめ性が合ったかどうかに尽きるだろうと思ったんだ。「ラップバトルの罰ゲームで」の部分は不謹慎な話「時代だなあ…」とも。自分としては特にメディア側の、ヒップホップカルチャーを貶める意味での印象操作みたいなものは感じられなかったです。ラップバトルはこれからもそこら中で行われるだろうし、若い頃なんて(いじめ性がなければ)仲間内で罰ゲームで若干無茶させてゲラゲラ、なんてことは日常茶飯事でしょう? 要は「それをやったらシャレにならないよ、危険だよ」という線引きをしっかり意識し、徹底させることが必要なんだと思う。
「ラップバトル」はストリートで「生き抜く」「生き残る」ために生まれたものなのであり、敗者に罰や恥や死をもたらすためのものではない、ということも、若い世代にはしっかりと伝えていかなきゃならないと思いました。
―― ラッパーは人の数だけスタイルがありそれが面白さである一方、一面的に捉えられ、「ラップ=ヒップホップ=ハスリング」というようなイメージを未だ抱く人もいる中で「そうでない在り方」について今の若い世代に伝えるとすれば、どんな言葉がありますか?
Mummy-D:ヒップホップの一番美しいところは、貧しきストリートの若者が実力でのし上がっていく「ハスリング」にももちろんあるけれど、それ以上に人種や性別、学歴や社会的ステイタスを超えた様々な人々が、同じビートの上で、同じ土俵でそれぞれ持てる武器を駆使して「音楽的に」戦うことなのだと思ってるんだよね。それは不良にとってみたら「成り上がりの精神」や「タフネス」だろうし、僕らみたいなアーティストにとっては「知識」や「語彙」だったりもする。Creepy Nutsを例にとれば、彼らはRHYMESTER 以上に「いわゆる不良性の無さ」みたいなものを逆に武器にしていたりもします。
ある一つのカルチャーが市民権を獲得していく中で、わかりやすくティピカル(典型的、画一的)なイメージを押し付けられるのは世の常。だからこそ、そんな先入観を楽々超えていくようなヒーローが、これからは求められると思う。Creepy Nutsの曲名にもあるけど、「みんなちがって、みんないい。」がヒップホップの真髄だと、俺は考えるよ。
―― こうしてラップが浸透した今、ヒップホップカルチャーの理解がさらに深まるように、あらためて「ヒップホップマインドとは何か」をお聞きしてみたいです。
Mummy-D:ヒップホップマインドとは「欠乏から生み出される何か」なんだよね。70年代のニューヨーク、ブロンクスの非常に貧しいところから生まれた若者の音楽でしょ。自分たちは金もないし楽器もないからレコード2枚を繰り返しかけてそのビートで歌っちゃえ。歌も習ったことがないから好き勝手言葉を乗せて自分の作品にしちゃえ。そもそもゲットーで生まれた音楽だから長いものには巻かれない。その時、力を持っているものに対する反骨心みたいなことだよね。
ファッションにしても、他じゃどうだか知らないけど俺たちはこのジャージ着てカッコつけるのがかっこいいと思ってるんだよ。音楽の理論がわかってる人から見れば、俺たちはめちゃくちゃ間違ってるかもしれないけど、「だから何なんだよ」っていう。つまり、周りがどうだろうと俺は俺のかっこいいと思ったことをやる。そういうヒップホップマインドを中枢に「間違いや事故から生まれる何か」、ある種の「破綻」がヒップホップの核なわけ。最初は洗練の逆をいく革新性みたいなところから出てきてるんだよね。
「47都道府県TOUR 2019」追加公演。テーマは「ライムスターミュージアム」。時系列順に組み込まれたセットリストと作品の時代背景をMCで織り交ぜ過去へと遡る構成は、時空を巡る壮大なスケールで観客を魅了した。
撮影:cherry chill will.
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RHYMESTERは進化し続ける。12月29日超満員の新木場STUDIO COASTで開催された「47都道府県TOUR 2019」追加公演はとびきり最高のエンターテイメントだった。「KING OF STAGE」の異名を持つ彼らは毎回ステージにあっと言わせる仕掛けを潜ませ、ひと時も目が離せないライブを展開する。
フレッシュさと変化を追い求めて、今回も全公演で曲を入れ替え48パターンのセットリストでライブに臨んだという。その実験精神と毎回ベスト記録を塗り替えていくようなライブ内容に圧倒されながら、この公演を観て彼らの止まらない進化の理由が紐解けた気がした。MC中ヒップホップの本質と新しさを追求し続けた試行錯誤の30年間を振り返りつつ「それでも俺らは(不遇な時代も)どんな時も変わらずにライブをキャッキャと楽しんできた」とメンバー同士で語っていたように、彼らの根底にあるものはワクワク楽しむこと、今この瞬間に夢中になること。それらを原動力に未知の可能性と変化の波に身を委ね進化を可能にしてきたのだろう。熟練したスキルと心から楽しむ無邪気さを併せ持つステージングは観客を今この時へと歓喜させる。
30周年記念ツアーを成功させたRHYMESTERは「ライブこそ音楽グループにとって1番大切な本質そのもの」と語り、早くも3月に新たなステージに立つ。2020年代はどんな年になるだろうか。年齢を重ねて一層輝く姿に魅せられて、私もえいやと未知の可能性に飛び込んでみたくなった。
R31 ライムスター クラシックス総選挙 in TOKYO DOME CITY
日時:2020年03月28日(土)16時開場/17時開演
※本イベントは新型コロナウイルスの影響により中止。代わりに配信番組『R31 ライムスタークラシックス総選挙 生配信 From スタジオNOAH Supported by GAREKI』を3月28日・17:00からニコニコ生放送にて行うとのこと。
詳細はこちら↓
https://www.rhymester.jp/info/r31-2/?fbclid=IwAR1XFGNhB4cyZR6hdLVkIYCcu_DbC5uHSHR4Nyh8bpISQMuUth0Yk6lXpFk