写真右がノーナ・リーヴスの西寺郷太さん、写真左がFINDERS編集長の米田智彦
この連載でも過去3回にわたって取り上げてきたU2。今年12月4・5日になんと13年ぶりの来日公演を果たしましたが、あれだけ言及してきて観ないワケにはいかない!ということで、FINDERS編集長米田がNONA REEVES西寺郷太さんと一緒に観に行くことに。
男女平等を訴え、各国で活躍した女性を称える映像を流して話題になった「Ultraviolet」の演出、ライブ1日目にアフガニスタンで亡くなった医師の中村哲さんを追悼するメッセージが急遽追加された「Pride」など、ファン以外での間でもかなり話題となった公演でしたが、ファン歴30年超えのガチオタ米田と、プロのミュージシャンである郷太さんがライブをどのように観たか。ライブの興奮冷めやらぬうちに、緊急対談を実施しました!
聞き手:米田智彦 文・構成:神保勇揮
西寺郷太(にしでらごうた)
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1973年、東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成し、2017年にメジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。作詞・作曲家、プロデューサーなどとしてSMAP、V6、岡村靖幸、YUKI、鈴木雅之、私立恵比寿中学ほかアイドルの作品にも数多く携わっている。音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。文筆家としては「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち」「伝わるノートマジック」などを上梓。TV、ラジオ、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在、NHK-FM「ディスカバー・マイケル」にレギュラー出演中。小説「90's ナインティーズ 」を文藝春秋digitalにて開始。
で、ライブどうでした?
米田:最近、いろんなメディアでこの連載について触れてくださっているみたいですね。ありがとうございます!
西寺:他の連載でも書いたんですよ、FINDERS編集長の米田さんとU2観に行ったって。『BRUTUS』にも書いたし、この前アトロク(TBSラジオの「アフター6ジャンクション」)に出た時も連載第1回の「1973年生まれ同士がU2に会ったエピソード」の話をしましたし。ここでは何回も何回もしてる、1993年にU2と僕がばったり新宿駅のホームで出会ってた瞬間が当時の本に載っていたって話。あれ、ラジオの後、細かく思い出すと、米田さんが言ったというよりは、誰かがTwitterで見て言ったんでしたっけ?
米田:あれはシミケンさんっていう、これまたかなりのU2マニアがいて、彼がTwitterで書いていたんです。もちろん今回の来日公演にも来てました。
西寺:そっか、別のマニアの方でしたか、ごっちゃになってました。
米田:実は僕、来日公演だけじゃなくて11月30日のシンガポール公演と、8日にあったソウル公演も観てきたんですよ。
西寺:そうだそうだ。どうでした?
米田:ソウル公演のあった12月8日はジョン・レノンの命日だったんですよ。だからジョン・レノンを「Peace Maker」と讃えて「Pride」を捧げて、ジョンのカバー曲としても有名な「Stand by Me」をやっていました。カバーのカバーですね。
西寺:へぇ〜。それで日本公演と同じように韓国人の女性達がスクリーンにバンバン出てくるんですか?
米田:ええ、「Ultraviolet(Light My Way)」はそういう演出だったじゃないですか。公演を行う国の偉大な女性たちをスクリーンに映し出して、「Baby Baby Baby Light My Way」と女性に進むべき道を照らしてくれっていうサビの曲です。
西寺:じゃあ、ソウル公演ではさいたまの時の日の丸と同じように、韓国の国旗がスクリーンに出たわけですね?
米田:はい、国旗は最後の「One」の時ですが、「Ultraviolet(Light My Way)」の時の演出は、韓国の女性の活動家とかアーティストが出てきたんじゃないかなと思います。ハングルだったんで内容は全然わかんなかったですけどね(苦笑)。
日本だと、紫式部や緒方貞子さん、草間彌生さん、川久保玲さん、オノ・ヨーコさんなんかが出て、ちゃんとローカライズした演出にしていましたね。今回の「The Joshua Tree Tour」は僕は2017年のバンクーバーの初日から観て、こないだのソウルで長い追っかけが終わって、結局5回観たんですよね。でも日本公演が一番良かったですよ!
西寺:おー!そうですか!
米田:初日も2日目もどっちもよかった! 初日はまず郷太さんと驚いたのが、開演の19時半ぴったりに始まったこと。
西寺:そうそう。さいたまスーパーアリーナは年に1回くらいしか行かないけど、ぴったりに始まったライブ初めてでしたね。マドンナなんて、同じ会場で開始が2時間遅延しましたからね(苦笑)。
米田:あれはなんでかというと、北米ラジオ局SiriusXMと協力し、U2ベースのラジオ局「U2X Radio」を2020年に立ち上げるというニュースの発表を、YouTubeで世界中に生放送してたからなんですよね。それでさすがにボノは遅れられないという。
西寺:次の日は?
米田:次の日は見事12分くらい遅刻していました(笑)。
西寺:でも12分でも全然ですけどね。ホールとかだと準備やもろもろでスタート絶対遅れますからね。
米田:けど、ボノの調子は郷太さんと見た初日が一番良かったですね。声が出てました。今まで何十回とライブを観てきましたが、一番ボノの声が出てたんじゃないかな。
西寺:ライブとしては2日目(5日)の方が安定してました?
米田:そうですね、2日目は2曲目を「I will follow」じゃなくて、セカンドアルバム『October』に入っている「Gloria」に変えたり、「Angel Of Harlem」を「Desire」に変えたり、あと「Every Breaking Wave」を「You’re The Best Thing About Me」に変えたりとか、ガラリと変えてきたんで、通なファンにとっては2日目の方が面白かったですね。郷太さん、率直なところ、感想はいかがでした?
西寺:僕は単純に、2019年の12月にあの「場」に立ち会えてよかったなって。自分一人だと行ってなかったんで、5年前の米田さんとの出会いからの、このFINDERSでの仕事の一環として行ったところも半分あるので。いろんな媒体で、ここ最近U2話盛り上げておいて観てなかったらねえ(笑)。
何より、1980年にデビューしたU2というバンドの重要性が日に日に増していると思いました。僕の人生が徳川幕府とすれば、いい意味での仕切り直しといいますか。「暴れん坊将軍」こと吉宗が登場して一回締めたみたいな位置付けになりそうなライブでした。あのタイミングで吉宗が登板しなかったら続かなかった的な(笑)。自分の、NONA REEVESとしての今後20年のバンド活動を考えた時、あれ以上の刺激はなかったです。
今「'90s ナインティーズ」って小説を書いてますけど、本当に92年から94年、大学生だった頃のサウンドトラックが『Achtung Baby』と『Zooropa』でしたから。
90年代当時、ワム!を解散してソロとして一人勝ちして、その後隠居生活のようになったジョージ・マイケルは別として、チャート上でU2のライバル的存在だった他のアーティストは過去の人になっていました。あれだけ勢いのあったカルチャー・クラブにしてもね。デュラン・デュランは、90年代初頭に「Ordinary World」で久々のヒットを手にしてはいたけれど、どんなバンドやグループもなかなか「80年代」のイメージを抜け出せなかった。その中でU2だけがいまだに世界の頂点に君臨するバンドとして生き続けていますよね。今回のライブは、確かに懐かしの『The Joshua Tree』再現ツアーではあるけれど、単に懐かしいだけじゃなくて映像やメッセージも含め、ちゃんと今の世相とビビットに対応しているバンドであって回顧のみではありません。その上で、全員健康でメンバーチェンジが無いというのは奇跡。さいたまスーパーアリーナでの2デイズが即完売ですからね。
ボノが今59歳。僕とたいして変わらないんですよね。僕も46歳ですから。新宿駅で会った時、あれだけキャリアと貫禄のあったボノもまだ33歳だったのか、とか思うと、今の自分との落差に悲しい気もしますけど(笑)。
U2リズム隊とサンドウィッチマンに見る「阿吽の呼吸」感
西寺:まず、本当にドラムがいいなって。僕ら最前列から7列目くらいでしたかね。メイン・ステージだと、ちょうどラリーの前面が見やすくて。Bステージだと、真後ろからドラムキットが見えて、それもまた楽しくて。ライブ時間の7割ぐらいラリーのドラムを見ていましたね。彼の曲に合わせた様々な工夫、タムの使い方、ハットの使い方、キックの踏み方。無駄なことはしないけど、本当にソリッドなプレイを心がけながらも、やっぱり人間のドラムでしか出せない、さらに言えば何十年と付き合っている間にしか出せない阿吽の呼吸でアダムのベースと絡み合っていて。
この連載でも「時代を超えてゆく条件」として何度も繰り返してきましたが、あの2人の「リズムの画素がきめ細やか」だったからこそ、U2が生き残れたということを今回確信できましたね。
あとはキャラクターの素晴らしさ。ロックバンドを絵に描いたような、ちょっと寡黙だけどハートフルなドラムと、ちょっとイケてる女たらしのベースと、それからギターとキーボードどちらもやる音楽的に最重要な部分になっているエッジと、よくも悪くも味付けの濃いフロントマン然としたボノ。もともと田舎臭い4人だったからこそ、ロック界で一番洒落てるって僕が思うブライアン・イーノやダニエル・ラノワみたいなイケてる先輩の意見を聞いてね。映画監督・写真家のアントン・コービンも「U2なんて嫌いだった」ってインタビューで言っていたけど(笑)、長い期間繋がった歴史の中で、今回の巨大ビジョンの動画も撮影している。
米田:U2みたいなシンプルな8ビート、16ビート中心のロックバンドのドラムの魅力って、ライブで観ると「確かにな」とわかることも多い一方で、どうやって言語化すればいいかいまいちわからないんです。「タイトなドラミング」とか言ってもなかなか伝わらなですし。郷太さんとしてはU2のリズム隊にどんな魅力を感じましたか?
西寺:言ってみれば、アダムのベースとラリーのドラムは漫才コンビみたいなものなんですよ。どんな熟練の漫才コンビでも相方が変わっちゃうと設定や呼吸が狂いますよね。もちろんエッジのギター、ボノのヴォーカル含めての話ですが。
今聞かれたんで例えると、もし例えば急に忘年会とか結婚式の出し物で「漫才」をしなければいけなくなったとして。NON STYLEのようなスピーディーで矢継ぎ早に展開していく漫才を真似するのは、単純に難しいじゃないですか。素人だとあの速さで口も動かないし忘れちゃうみたいな。でも、サンドウィッチマンとかのネタの魅力って速さだけじゃないですよね。覚えて真似すること自体は頑張ればできるかもしれない。ただ仮にハンバーガー屋のネタがあったとして、その設定は100万組ぐらいの芸人がやっているけれど、あの二人がやると一番面白い。僕はミュージシャンなんで、こんな例え出しておいて推測でしかないですけれど(笑)。何より、サンドウィッチマンとU2の共通点は大阪、東京、イギリス、アメリカ中心で展開されてきたお笑い界、音楽界に、普通に考えて有利とは言えない土地、仙台、アイルランドから頂点まで至ったってこととと、富澤さんとボノの樽のような胸板から出る低音ヴォイスですね(笑)。
U2は世界的に受けながら、彼ら4人にしか出せない独特のリズム、間の取り方を確立して磨き、続けてきているバンドなんですよ。皆が全体のことを考えている。
米田:あのリズム隊は足し算ってより引き算という感じがします。
西寺:80年代のドラマーって結構受難の時代で。ドラムマシンが進化して、サンプラーが主流になった時に結構ドラマーが辞めたバンドが多かったんですよね。デュラン・デュランもそうでしたし。TBSラジオの「アフター6ジャンクション」でずっと話してきたことですけど、「デジタルな、コンピューターでしか出せない気持ち良さ」をヴォーカルやソングライターが感じてしまった後に、「下手なドラマー」は駆逐されたか、自分で面白くなくなってきちゃうんですよ。で、逆に「上手すぎるドラマー」、手数の多さや創造性を武器にしていた人たちも駆逐されちゃうし、やる気をなくす。「何もしないでいい」ってことが美学になった場合、簡単には自分のセールスポイントを示せなくなっちゃう。例えば、クラッシュ・シンバルって、基本的なメソッドとしてはイントロの頭、Aメロに入る時、Bメロに展開する時、サビの頭、サビの途中っていうようなタイミングで叩くんですよ。それで風景が変わるから。でもそれって当たり前だからやめようぜって動きも出てきて、それをドラマーが「俺のやることを制限された」って感じるか、ハイハット叩かなくても、スネア叩かなくても、シンバル叩かなくても、キックがなくても、曲が良ければそれでよくね?って考えられたか。
U2は、そういった美学の変化に対して、ラリーが対応できたから生き残ったんだと思いますよ。40年近い流れの中で散々流行が変わったのに、U2は未だにグルーヴィーっていうのはやっぱりすごいなって思いました。
ボノは世界中のメディア記事の内容をチェックしている!?
米田:今回のツアーの話に戻すと、『The Joshua Tree』ってアルバムに関しては冒頭の4曲のインパクトが強すぎてファンもB面の曲はあんまり聴いてないんですよね。だけど、ライブになるとB面の曲が結構良くてアダムとラリーすごく良いなって思うシーンが何度もあったんですよね。中学3年生の時に『The Joshua Tree』を聴いて以来、32年ファンをやってきたんですけれど、それを今回のツアーでようやく「後半の曲も良いじゃん!」って思えたのが新たな発見でしたね。
西寺:米田さんですら前半だけがやばいなと思ってたんですね(笑)。
米田:はい、前半のインパクトがすごかったんで。
西寺:たとえば、ジョージ・マーティンがビートルズをプロデュースする時に、アルバムのLPを制作するにあたって基本的にシングルと同じ考え方をしていると。シングルのA面はヒット曲、良い曲、クオリティの高い曲。B面はやりたいことをやる。B面1曲目だけ元気なのを入れて、次の曲からはちょっとダークなのを入れたりとか。レコードの時代でもひっくり返すのが面倒くさかったんでA面しか聴いてないって人もいっぱいいるんですよ。
米田:確かにそうでしたよね。
西寺:CDの時代になると飛ばせるからちょっと変わるんですけど、よくよく考えるとA面にヒット性のある曲が絶対入ってるんですよね。
米田:今回のツアーでは『The Joshua Tree』をアルバムの1曲目から11曲目まで順番にやって、最終曲の「Angel of Harlem」で第一幕は終わって、第二幕は2000年代のヒットパレードになるわけですけれど、やっぱり「Ultraviolet」が演出も含めて素晴らしかった。僕は感極まって号泣しました。『Achtung Baby』の後半の曲で、シングルカットもされてないですし。あの曲をすごくフィーチャーしていたのが今回のツアーの特色ですよね。女性讃歌、各国の女性運動家とかアーティストとかいろんな人をスクリーンに映し出して、「WOMAN OF THE WORLD UNITE!」みたいなこと言って。あれも一つの新しいボノのメッセージでしたね。
西寺:ちょっと言い方が変ですけど、「良いメッセージをまた見つけたな」って感じでしたね。ボノって地球環境のこととかやってたけど、今一番必要なこととして、「男女平等」ではないか、と。それはもう世界中の人にまったく同じ意味合いでアピールできることだから。人種差別は日本も含め世界中である一方で、それぞれの国や人種の中でいろんな事情やグラディエーションがある。でも、男女間の不平等差っていうのはどの世界でも同じように残念ながら存在しているわけで。
米田:なんかそういうテーマとメッセージを毎回持ってくるのがうまいんですよね。万国共通の誰もが共感できるメッセージみたいなのをやるじゃないですか。
西寺:そう言えばこの前、僕がここ数年関わっている「ぷらすと」のトークイベントがあって。音楽編の出演者は田中宗一郎さん、宇野維正さん、柴那典さんで、俺が司会っていう座組みでした。そのイベントでタナソウさんが『Rockin’on』編集部時代の1993年にU2のインタビューをしにローマに行ったことを話していて。世界中のプレスがローマに呼ばれる中で、日本からも『Rockin’on』が10人クル―を連れていって「ライブが終わってから取材の流れになるから待ってて」って言われて。3時間くらい待たされて、「全然来ないじゃん」と思ってたら、でっかいラジカセを担いだボノが出てきて、一人ひとりに挨拶してくれた、と。「おまえどっから来てくれたんだ?」って聞いてきちんとハグして、「ありがとう」って。
それで9人目くらいにタナソウさんがいて、「from Rockin’on magazine」って言ったら、フッてそっぽ向いて次に行ったんですって。その理由が『Rockin’on』の中に投稿コーナーがあって「U2はクソだ」みたいな素人の投稿を載せてたことを知っていてすごく怒ってたみたいなんです。世界中のU2のマネジメントとかレコード会社に「どんな風に報道されているか逐一訳して送れ」って彼が厳命していたらしくて。だから『Rockin’on』って聞いた瞬間に「俺のことディスってたやんけ!」って反応したという(笑)。
米田:それはすごい話だなあ。ボノのリサーチ凄まじいですね。
西寺:で、上司たちは大抜擢のように見せかけつつ、直接揉めてない若手のタナソウさんにそのことも知らせないまま送り込んだんですって。
その話を受けて宇野さんとか柴さんとかが言ってたのは、「そうやってチェックしてるからボノは生き残ってるんだ」と。まあ今でいうとエゴサの鬼ですよね(笑)。今回のツアーでも、信頼できる各地のスタッフに「功績を残した女性の名前をピックアップしろ」みたいな感じでオーダーして連携を取ってるから新しい情報も入ってるわけですよね。
米田:今回で言えば、中村哲さんですね。ボノが中村さんの死を知って、すぐ翌日、ライブで追悼のMCをやって「彼は偉大なPeace Maker」だと讃えて、「Pride」を演奏した時は号泣しましたね。世界一のボーカリストが日本のニュースを逐一見てくれてるんだと。日本人アーティストでもやらないですもん。リサーチさせてること自体も凄いですけど、スタッフの進言を受け入れて大舞台で行動に移してくれるという器の大きさにも感動します。
西寺:いや、お笑いの世界の話、また思い出して話しちゃいますけど、「20歳の時より60歳の方がおもろい」って言う方いっぱいいるでしょ。
米田:落語家なんてまさにそうじゃないですか。歳を重ねるごとに味が深まっていく。
西寺:サンドウィッチマンなんて60歳になった時の方が絶対面白いはず。ナイツなんかも。最初っからアイドル路線ではなく「オジサン」っぽかった。U2なんて、今も30代とほぼ変わらないし、むしろベースのアダムなんてカッコよさ増してるじゃないですか。今回、生で見てジョン・テイラーかと思いましたからね(笑)。
米田:20代のころはアダムが一番イケてなかったですけど、今一番イケメンですからね。
西寺:めちゃくちゃかっこいい。ラリーもめっちゃかっこいい!まあボノはボノですけどね(笑)。
米田:ボノだけどんどん老けていくんですよ(笑)。
西寺:エッジもエッジのまんまで。漫画のキャラみたいですね(笑)。
米田:エッジも20年くらいまったく変わらないですよね。ボノが日本公演をチェックしてるって話題で言うと、日本公演の2日目で日本側からの提案で水素を使って発電した電気を使ってコンサートをやったっていって話題になってるんですよ。その実現に尽力した福田峰之さんっていう元国会議員の人のブログが今ちょっと話題になってますよ。ミュージシャンのSUGOZOさんも燃料電池車を提供したとか。
西寺:その記事、あとでチェックしておきます。
米田:SUGIZOさんがメンバーのLUNA SEAが、12月に出す新作アルバムのプロデューサーにスティーヴ・リリーホワイトを起用しているんですが、この人がU2の1stから3rdまでプロデューサーをやってたので、そのつながりで実現したっていう。僕も知らなかったんですけど、LUNA SEAも同じエネルギーを使ってさいたまスーパーアリーナでライブをやったことがあったみたいなんです。
西寺:2日目は僕は行けてないですけど、音はどうだったんですか?
米田:音は全然よかったですよ。これまで観てきたライブと遜色なかったです。
あと今回の来日で、なんとかU2のインタビューができないか、実はあれこれ交渉してたんですが、無理だったんで、さいたまでは2時くらいから入待ちをして、ギタリストのエッジに初めてサインを貰いました。これで、メンバー4人のうち、3人のサインはゲットして額に飾ってあります。あとは寡黙でシャイであまり人前に出てこないドラムのラリーのサインをもらえたらコンプリートです(笑)。郷太さん、緊急対談ありがとうございました!