CULTURE | 2018/09/20

1973年生まれ同士がU2に会ったエピソード【連載】西寺郷太のPop’n Soulを探して(1)

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ノーナ・リーヴス・西寺郷太さんとFINDERS編集長米田の音楽をテーマにした対談連載がスタート!同じ1973年生まれ同士ということで、お互いの音楽史を振り返りながら、毎月、さまざまなミュージシャンや音楽シーンについて語り合います。生粋のマイケル・ジャクソン&プリンス・ファンとして知られ、彼らに関する著作も出版し、作家としても活動されている西寺さん。ミュージシャン・音楽プロデューサーであり、かつ超ド級のポップ史研究家でもあります。2人が生まれた70年代から10年代までの音楽を引き合いに出しながらも、お互いの独自の批評や体験談を織り交ぜた対談になる予定です。では、第1回はあの「世界で最も売れているバンド」に出会った2人のよもやま話から。

聞き手:米田智彦 文・構成:久保田泰平 写真:有高唯之

西寺郷太(にしでらごうた)

1973年、東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成し、昨年メジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。作詞・作曲家として少年隊、SMAP、V6、KAT-TUN、岡村靖幸、中島美嘉、そのほかアイドルの作品にも数多く携わっている。音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。文筆家としては「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち」などを上梓し、ワム!を題材にした小説「噂のメロディ・メイカー」も話題となった。TV、ラジオ、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在はWOWOWのインターネット番組「ぷらすと」にレギュラー出演中。NONA REEVES

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90年代の終わり、好景気に浮かれていた音楽業界の中で

米田:郷太さんは73年生まれ同士ということで、僕は早生まれなんですけど、一浪して大学に入ってるので、郷太さんとは同学年でもあって。で、僕もその昔はミュージシャンを目指していて……。

西寺:え、そうだったんですか!?

米田:下北沢CLUB Queの昼の部に出たりしてましたよ。Queでノーナ・リーヴスのライブも観たことあるんですよ。

西寺:僕が、ノーナ・リーヴスの前のバンドで、渋谷のLa.mama夜の部に出れなかったみたいな話ですね(笑)。

米田:で、とあるレコード会社から声がかかったんですけど、その時に言われたのが、「君は天才だ、だけどルックスに華がない」って(笑)。それから、「4年間で4,000万円投資するから、回収する覚悟はあるか?」って訊かれたんで、「いや、ないっすね、それは」ってきっぱり言いました。とりあえずタイアップ付けて、ダサい売り方されるんだろうなということは想像できたので。

西寺:色々、ありますよね(笑)。でも4年で4,000万って、今の新人に比べたら4年もらえること自体が優しい時代だった気もしますけどね。今よりレコーディングも宣伝も何倍もお金かかった時代ですし。ま、レコード会社の人の意見って聞くべき部分と無視すべきものがあって。僕らも、デビューして5年後くらいかな?ボブ・サップとデュエットしないかっていう話をレコード会社の人に持って来られたことありましたもん(笑)。もちろん断りましたけど、それをやるかやらないかはその後の信用性に関わることだから。

米田:たしかに。

西寺:米田さんは(パートは)何をやってたんですか?

米田:宅録で全部やってて。大学時代はTREMOLO & AC9Vっていうバンドを組んで、渋谷の屋根裏とか新宿のジャムといったライブハウスで演奏してましたね。大学を卒業してからも4年ぐらいはフリーターをしながらミュージシャンを目指してがんばってたんですけど、なかなかソロデビューできずで。でも、某プロダクションから声がかかって、下北沢の路上で弾き語りをしてる3人組──女性ヴォーカル1人、男性2人っていうドリカム編成で、嘘のストーリーを作ってデビューしないかっていう話もあったんだけど、それってダサくないか?って思ってしまって。今覚えば当時の自分は青かったなあと思うんですが、実際に1年後くらいに深夜の音楽番組をたまたま観てたら、僕が抜けて新しい人が入った3人組がゲストで出てたんですよ(苦笑)。「ああ、メジャーデビューしたんだな」って。

西寺:うんうん。

米田:僕、デモ音源が出来たら、ビースティー・ボーイズのグランドロイヤルとかオアシスやプライマル・スクリームが所属していたクリエイション・レコーズとか、ベックが出してたKレコーズにCDを国際郵便で送っていたんですよ。好きな海外のミュージシャンのいるレコード会社やレーベルにね。そのアーティストが来日した時に、レーベルの人間から電話かかって来るんじゃないかって期待しながら。今考えると相当アホなんですが(苦笑)。それぐらい洋楽にかぶれてたから、邦楽の“ゲイノー”的なのはイヤだと思って、断ると同時に、自分自身もミュージシャンを目指すことに見切りをつけたんですよね。楽器も売って、他人のライブも何年も観に行かなくなって。で、音楽の次に好きだったものが本と雑誌だったので、編集者になろうと考えたんです。

西寺:なるほど。それが98、9年ぐらいの話ですかね。ノーナ・リーヴスがワーナーミュージックからデビューして間もない頃。

米田:で、今回の対談のテーマなんですけど、同じ1973年生まれということで、音楽も近いところを体験してるはずなので、そのあたりをざっくばらんに……。

iPhoneにニュー・アルバムを勝手に入れてきた事件

西寺:米田さん、U2がめっちゃ好きなんですよね?

米田:そうですね、人生変えられたぐらい(笑)。1987年リリースの『The Joshua Tree』を聴いて衝撃を受けてからですから、足掛け30年以上のファンですね。

西寺:僕もね、普通にU2は好きなんですけど、この前ノーナで新作アルバムのレコーディングしてる時に、アシスタント・エンジニアの若い女の子たちとなぜかU2の話題になって。それがあの、数年前にiPhoneにニュー・アルバムを勝手に入れてきた事件。その子が言い出したのかな。で、急に思い出して「俺もとにかくあれでU2を嫌いになった」って言ったんですが(笑)。ま、現場で盛り上がったんですよ(笑)。で、米田さんのこと思い出してて。

米田:ああ、iTunesに自動的に『Songs of Innocence』というアルバムがダウンロードされる件ですね。あれは一部のU2ファンさえからも嫌われましたよ。あれって、ボノのフランスの別荘にスティーヴ・ジョブスが泊まりに行くくらい2人が仲良かったから、ボノがアップルを通じてファンにニュー・アルバムを無料で届けたいっていう想いからやったことだったんですけどね。

西寺:それはわかるんですけど、どんなに好きな食べ物だとしても、寝ている時に無理やり口に入れられたら嫌やろうと(笑)。銀座の久兵衛の寿司を枕元の板前さんから口にねじ込まれるみたいな(笑)。ご馳走かもしれんけど、急になんやねん、オエ~みたいな(笑)。

米田:あの一件に関しては後日、ボノも謝ってましたからね。「やってもうた~」って(笑)。

ヤングマン・西寺郷太の貴重すぎる体験

西寺:でもまあ、時代的に80年代のU2も普通に追いかけていたし、特に90年代初頭の『Achtung Baby』『Zooropa』とかは青春そのものって感じで大好きで。93年の「ZOO TV TOUR」は会場でバイトしてましたから。この前も話しましたけど新宿駅で偶然メンバー4人とも会えたし。

米田:あっ、その話、好きなんですよ。『世界の涯てまでも』(94年に出版されたU2の評伝)っていう本の中で本当に出てくる、東京に来た時に会って話したっていう「若者」が郷太さんだったっていう伝説ですよね。そのことについて、後々にTwitterで僕のフォロワーさんがツイートしてて。それに郷太さんは驚愕したという。

西寺:ひとりのヤングマンが……っていうね(笑)。でも、やっぱりこういうある種歴史的なエピソードってきちんと何度でも残していかないとって思うんですよね。そこで、この場合みたいに「あ!」ってつながる人もいるわけで。

新宿駅にU2

米田:僕、その頃のU2本や写真集はほとんど輸入物も含めて持っているんですが、歌舞伎町でシューティングしてる写真がたくさん載ってて、明らかにZOO TV TOURの時に新宿にいたってことなんですよね。だから、郷太さんが言ってることとちゃんと合致してる。

1993年、新宿駅に立つU2のメンバー

西寺:あの頃はTwitterとかないから、「U2なう」とか伝える術がなかったんですよね(笑)。当時の僕は、早稲田大学に通う大学二年生で、一番何も考えないで24時間音楽にただ夢中になれた時期というか。東中野駅に住んでいて、新宿でバイトしていたんですね。で、山手線のホームに降りたら「U2」が、という話なんですけど。そのへんの証言を読んでると、たしかに、山手線に乗って新大久保に向かって、そのあと新宿に歩いて戻ってくるみたいな。電車で移動するU2も撮られてて。

米田:写真はアントン・コービンが撮ってます。世界一のロック・フォトグラファーですよ。

西寺:あっ、あの場にアントン・コービンもいたわけだ! って、彼のルックスを知らなかったから全然わかんなかったけど(笑)。

米田:巨匠・コービンにも会ってるわけですよ(笑)。

西寺:あれ、改めて話すと、当時僕は新宿の、ジャズ喫茶「DUG」の横の「松竹ビデオハウス・レーザーディスク店」で働いてました。靖国通り沿いの映画館松竹が経営していたショップです。「レーザーディスク」っていう時点で90年代丸出しですけど(笑)。新宿駅に着いたら、U2の4人がホームで写真撮影してたんですよ。もう、めっちゃびっくりして。たしか平日の午後だったと思うんですけど、そんなに人もいなくて、いたとしても年配のサラリーマンがほとんどかなっていうぐらい。その場に100人いたとして、98人はU2だって気づいてなかったと思います。ちょっと変わった外国人観光客が記念撮影してるなぐらいのレベルだったと思いますけど、いやもう、今だったら速攻でツイートして、「#新宿駅にU2」っていうのがトレンドワードになりますよ。

米田:うん、速攻リツイートしますよ、そのツイート(笑)。

西寺:で、撮影中だったから最初はちょっと気を遣って、でも、しばらく様子を伺ってたら、ちょっとだけメンバーが暇そうにしてたんですよ。他に話しかけるような人もいなかったので、よし今ならって近づいていって。まずはボノに。

米田:ほう!

西寺:「僕、あなた方の、大ファンなんですよ」って。それから「実は僕、あなた方のツアーでバイトもしていまして」って言ったら、「オー、サンキュー!」って。ボノは身長が168cmなんで、僕とそんなに変わらなくて。でも、ものすごく胸回りが分厚くて、樽みたいな体型(笑)。決して太っているわけじゃなくてガタイがいいんですよね。

米田:あれだけの声を出せるのはその身体あってこそでしょうね。楽器のような身体。

西寺:で、そのあと他のメンバーとも軽く話したんですけど、僕は当時ドラマーをやってたんで、ラリーとはドラムの話をしましたね。ラリーの、ストイックだけど自己主張がちゃんとあるドラムが大好きなんですよね。

米田:あっ、わかります。ラリーのドラム、すごくいいですよねえ。

西寺:このあと、この話を友達や音楽仲間に興奮して話したんですけど、まあ、信用しづらい話ではあるし、さすがに嘘をついてるとまでは思われてなかっただろうけど(笑)、「ふーん、すごいな、へぇー」くらいの感想で済まされてしまったという(笑)。あと、本の中には、日本人の唯一話しかけてきた若者がウォークマンのヘッドフォンをいきなりボノの耳にねじ込んで「あなたの曲を聴いてます!」みたいなことをしたっていうくだりがあるんですけど、そこまではしてない気がします(笑)。「今、まさに聴いてるところです!」くらいは言ったとは思うんですが(笑)。

米田:話を盛られてるわけですね(笑)。いやあ、この話、めっちゃイイ(笑)。僕ね、1993年12月9日、10日の2日間、ZOO TV TOURの東京ドーム公演は2晩とも行きましたよ。

西寺:僕も行ってます、1日はバイトで(笑)。

米田:あのツアーでは、アンコールでボノが突然誰かに電話する、テレフォンショッキングみたいなコーナーがあったんですよね。で、ボノがマクフィストっていう悪魔に変装して、電話をかける。USツアーではホワイトハウスにかけたりもしてたんだけど、日本公演では初日は当時横綱の曙にかけて、2日目は時報でしたね。

西寺:あと、ボノの顔がプリントされたお金を撒くっていうね。めちゃくちゃ拾ってきたけど、今どこにあるんだろう。ちょっと探してみよ(笑)

米田:後半のクライマックスで、ボノがマクフィストに変身して、「Daddy's Gonna Pay For Your Crashed Car」という曲で登場する時に撒かれるんです。

西寺:で、まあ、あの時に僕のU2好きはピークに達したんですけど、その後のアルバム『POP』(97年発表)でちょっと離れて。でも、2000年代に入ってからの「Vertigo」とかモータウン・テイストもあってポップでさすがだなぁと思った曲だし、まあ、いい距離感でU2を楽しんでたんですけど、iPhoneの一件でめちゃ嫌になって(笑)。

ボノとのツーショットが世界を駆けめぐった!?

米田:(笑)。そう、こないだね、僕もボノに会えたんですよ。ワールドツアーの初日がオクラホマ州のタルサっていう都市で。「どこやねん!?そこ。なんでわざわざをオクラホマにする?」って土地だったんですけど(苦笑)。だいたい彼らのツアーは、北米の西海岸からいつも始まるので。で、本番の前日のリハの時、スタジアムの入口で2時間ぐらい待ってて。僕のほかにもファンが200人ぐらい待ってたかな。

西寺:初生ボノだったんですか?

米田:実は初じゃないんですよ。2006年の「Vertigoツアー」の時に、ボノが慶應義塾大学の名誉博士になるってことでその授与式があったんですね。僕はフリーター時代に時事通信社の社会部で働いてたから、その情報をもらって慶應義塾大学に行ったんですよ。そしたら、三田のキャンパスの入り口に縦の看板が立ってて、「名誉授与式記念講演 ポール・デービッド・ヒューソン氏(U2)」って小さく書いてあって。ポールっていうのは、ボノの本名なんですけど。「こんなん誰もボノってわからんやんけ!」っていう(笑)。

西寺:あはは。

米田:それでも聞きつけたファンも何人か来てた感じで、僕はちょうど慶應の学生だった友達にデジカメを渡して、「絶対にボノとのツーショット撮ってくれ!」って頼んでたんだけど、報道陣とファンにもみくちゃになされて。でも、50メートルくらいボノの肩に手を置いて、話しながら一緒に歩いたんです。で、その後、講演を見て、サインももらえたんですけど、2ショットは撮れなかった……って思ってたら、次の日のニュース番組に僕が出てたんですよ。その日は仕事を早退してボノに会いに行ってたから、上司に「お前、ニュースに出てたろ!」って釘を刺されて(苦笑)。

西寺:すごい!

米田:しかも、今でも「KEIO BONO」で画像検索すると、12年前の僕が出てくるんですよ。AFP通信のニュース記事で、ボノの横に僕が立ってる(笑)。世界に打電されちゃったわけです。

西寺:うわ、ホンマや! もう完全に2ショットやないですか(笑)!

米田:それで、こないだオクラホマで会った時に、僕は12年前に慶應義塾大学で「あなたに会ってたんですよ、講演も聴いてサインもらったんです」ってずっと言ったんですよ。片手でiPhoneで動画を回しながら超緊張して。でも、当のボノは「ああ……」みたいな感じで憶えてなかったみたいなんですけど、僕がボノが音頭を取っているエイズ撲滅のキャンペーンの「RED」仕様の赤いiPhoneを持ってるのを見て、「REDのキャンペーンで行ったような気がするよ。あれはスペシャルだったね」みたいなこと言って。あっ、その時の動画あるんですけど。

ボノと再会!

西寺:(動画見ながら)へぇー、対応が優しいっすね。

米田:そう、これだけのスーパースターなのに、200人ぐらい並んでたファン全員と握手して、サインもしてくれるんですよ。最高じゃないですか。その辺のファンへの優しさもどんだけビッグになっても変わらないU2らしさなんですけどね。

西寺:それは最高ですよ。いいっすね。

米田:まあ、こんな感じで、このあとも郷太さんと音楽話をいろいろとできればと思うんですけど、引き続きよろしくお願いしますということで。

西寺:めっちゃ楽しいですよ、こういうの。よろしくお願いします!


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