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かつてのロックシンガー、そして、今はベンチャーの社長がよく口にする「世界を変える」というフレーズ。そこには前回のコラムで僕が書いた少し青臭い「恍惚」が含まれているようにも思える。しかし、当の本人たちは本気で世界を変えたいと思って、会社を立ち上げ、事業や研究をしているのだろう。それを卑下する気持ちは毛頭ない。
しかし、「世界が変わる」状態とは一体何なのか。たとえば、産業革命は確かに世界を変えたと言えるだろうし、機関車や車といった移動手段は人々のライフスタイルを一変させた。
今も昔も、人々は新しいテクノロジーの登場に胸を躍らせる。そして、新しいテクノロジーが予想もしなかった未来を見せてくれることを期待する。実際、今この瞬間も、AIやブロックチェーン、IoT、ロボティクス、ドローンなどが進化を遂げ、僕たちの生活に入り込もうとしている。
ただ、それらは「世界を変える」のだろうか?
たとえば、スティーブ・ジョブズはiPhoneで世界を変えたのか? 答えはとても微妙だ。スマートフォンというものを発明し、世界に普及させたのはAppleだが、それによって世界は変わっただろうか。パレスチナのような紛争地域に平和が訪れたり、地球温暖化に歯止めがかかったりしたわけではない。
変わったのは世界ではなく、僕らの「生活」なのではないかと思う。
iPhoneが世に出て10年。スマホは僕らの生活をおおいに変えた。朝は目覚まし時計ではなく、スマホのアラームで起きるようになったし、そこからメールやSNSのチェックをするのが朝の習慣になった。また、ひと昔なら、ちょっとしたスキマ時間に新聞や本を読んだり、タバコを吸ったりガムを噛んだりしていたが、電車の乗り降りの時間は言うまでもなく、エレベーターに乗っている時間、スーパーやコンビニ、ドラッグストアに並んでいる時間等々、あらゆる時間にスマホを見るようになった。というか、スマホで暇を潰すようになった。横になって寝る直前までスマホを見ている人もいるのではないだろうか。
データを見るとFINDERSの読者も8割、スマホで記事を読んでいる。もはやパソコンはかなり近い将来、違ったものーータブレットともまた違う、になっているのかもしれない。そんなこともふと思う。若年層はこれから先、パソコンを持たないかもしれない。
そして、僕らの生活で言えば、IoTの普及で、家具がネットにつながるだけでなく、家自体がサーバーとつながり、データをとり、とられ、遠隔操作ができ、カメラであらゆるところを覗けるようになるのだろう。
クロステックと呼ばれるデジタル社会において、スマート・デバイスが結ばれるネットワークは僕らの生活をどう変えるのだろう。
率直のところ、世界が変わることよりも、僕は自分の生活がどう変わるかの方に興味がある。
特にカルチャーの側面が気になっている。雑誌はまったく買わなくなった。ここ数年、書籍を読む回数も激減し、Kindleで買ったものを月に数冊読む程度だ。編集部には毎日のように出版社からの献本があるのに。
音楽に関しても、CDはほぼかけなくなった。iPhoneでヘッドフォンをしてSpotifyで聴けば十分だから。Spotifyにないミュージシャンの音源を聴くのも月に数回だ。
そして、映画館にも行くことも減り始めている。映画だけはエクスペリエンスとして、家ではなく、劇場で楽しむことを大切にする貴重な芸術として自分の中では位置付けていた。でも、ストリーミングサービスで検索すれば一発でお目当ての映画が見つかってしまう。ああ、ますます映画館に行かなくなるし、Netflixのようにオリジナル作品を作り出したネット企業の作品のクオリティも言わずもがな高く、そっちの方をこれから観ていくような気がする。
…と、ここまで、原稿を書いていると、なんだか、最近、自分の文化度が下がっているような気がしてきた。編集者にとって「偏愛」は仕事柄、大切な要素だ。偏愛こそが強いコンテンツを生む。
この原稿は自宅で執筆しているのだが、そんなことを考えていると少し憂鬱な気分になり、ふとデスクの隣にある本棚に目をやった。
本棚には読んでない本も多いが、僕は読んだことのある本をとっておく派だ。自分が気に入った本を時を経て、また読み返すことが楽しい。
何冊か本棚から抜き出し手にとってみた。すると懐かしい、学生時代に買った埃まみれのラングストン・ヒューズの詩集が目に止まった。ヒューズは前世紀のアメリカの黒人の詩人であり、黒人の視点からアフリカンアメリカンの文化や風俗を表現することにより普遍的人間の在り方を描いた人物だ。
詩集を手にとってパラパラとめくってみる。そこにはこんな詩があった。
情報は年を追うごとに溢れかえり、すべては一瞬で流れ、凹凸がなくなり、スーパーフラットになっていく。そんな時代にあって、何かを愛するってことを僕は掴まえられるだろうか。
答えはギリギリまだYesなのだろう。
それは僕がいまだ編集という仕事を愛しているからだ。編集の仕事であれもしたい、これもしたい、と思うことは尽きない。
話を戻そう。
テクノロジーが日々変える僕らの日常。
“Think global, Act local”という言葉が少し前に流行ったが、グローバルな視点はもちろん持ちつつ、僕らの身の回りの生活の変化もFINDERSは追いかけていきたい。それも「偏愛」をもって、取材対象を選び、記事を執筆し、どこにも似ていないサイトの運営していきたいと思う。
世界は変わるべきだが、僕にとって最も重要なのは常に偏愛すべき何かがあることだ。