CULTURE | 2019/03/22

メイヤー・ホーソーンから見る20年早かった日本人のポップ感覚【連載】西寺郷太のPop’n Soulを探して(7)

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80〜90年代を中心に、邦楽洋楽問わず、さまざまな音楽シーンを取り上げてきた本連載。今回は、2009年に1stアルバム『A Strange Arrangement』で登場したシンガー・ソングライター/プロデューサー/DJ/マルチ・インストゥルメンタリストのメイヤー・ホーソーンの話題を皮切りに、2010年代の音楽シーンを総括します。

聞き手:米田智彦 文・構成:久保田泰平 写真:有高唯之

西寺郷太(にしでらごうた)

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1973年、東京生まれ京都育ち。早稲田大学在学時に結成し、2017年にメジャー・デビュー20周年を迎えたノーナ・リーヴスのシンガーにして、バンドの大半の楽曲を担当。作詞・作曲家としてSMAP、V6、岡村靖幸、YUKI、私立恵比寿中学ほかアイドルの作品にも数多く携わっている。音楽研究家としても知られ、少年期に体験した80年代の洋楽に詳しく、これまで数多くのライナーノーツを手掛けている。文筆家としては「新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「ジャネット・ジャクソンと80’sディーバたち」などを上梓し、ワム!を題材にした小説「噂のメロディ・メイカー」も話題となった。TV、ラジオ、雑誌の連載などでも精力的に活動し、現在インターネット番組「ぷらすと×Paravi」にレギュラー出演中。

僕にとってゼロ年代の序盤〜中盤は「逆風」の時期だった

米田:この連載タイトルは「Pop’n Soulを探して」なので、そろそろ最近のR&Bも取り上げたいなと思っていて。で、少し前にアメリカ人の白人ミュージシャン、メイヤー・ホーソーンを聴いて、まさに「Pop’n Soul」として完成度がすごいなあって思って。日本人好みのポップスというか。それも、郷太さんのラジオを聴いて知ったんですよ。郷太さんのおかげで「見つけた」という。

西寺:そうだったんですか! 番組は何だろう?…「TAMAGO RADIO」かな。だったら5年前ぐらいですかね。

米田:ですかね。白人でこんなファンキーな音楽をやってて、しかも若くて才能ある人がいるんだなって、びっくりして。

西寺:僕は、メイヤー・ホーソーンとは2度会ってるんですけど、1度目はビルボードライブの楽屋で、2回目はタキシードというディスコ・デュオで、相棒のジェイク・ワンと来日した時に対談をさせてもらって。時差ボケで超眠そうでしたけど(笑)。まさに今、対談をまとめてもらっている久保田さんがあの記事もライティングしてくれたんですよね。

米田:(笑)。タキシードというユニットもすごくかっこいいですよね! 昨今のトレンドとなっている80sサウンド、つまり、ブギー/ディスコ/ファンク/ブルー・アイド・ソウルといったサウンドをごちゃまぜにしたような感じで。

西寺:対談させてもらったのはセカンド・アルバムのタイミングだったんですけど、なんかね、メイヤー自身がちょっとタキシードに飽きたんじゃないかなっていう印象がありましたね。2人の仲はめっちゃイイんですけど、そもそもタキシードっていうのはオマケというか、思いきり趣味性の高いユニットだったんですよね。だけど、それが思いのほかウケちゃって、それで、趣味なのに急に仕事みたいになったのが嫌だなって、そんな空気を感じて…。日曜日に庭でDJパーティやってたはずが、お願いします、お願いしますって人が押し寄せ毎日やってくださいみたいな。たぶんそういう感じのタイミングだったと思うんですよ、セカンドは。ファーストはもう、神がかってますけどね。

米田:とはいえ、セカンドでも面白いものを作ってましたよね。

西寺:メイヤーの感覚が素敵だなぁ、と思うのはね、90年代の日本人みたいな音楽の聴き方というか。レコードの海を過去も現代も泳いで、いろんな島にたどり着いて、感動して、みたいなプロセスがクリエイトした楽曲からもすごく感じられるんで。アシッドジャズを聴いたりディスコを聴いたり、レコードを買い漁る、純粋なるレコードオタクというか。

米田:その感覚は音で伝わってきますね。同時代のものを聴いてきたんだろうなあという感じは。

西寺:僕よりも5コぐらい年下だったと思うんですけど、ああいう感じはアメリカ人にしたら変わった趣味だったと思うんですよ。だから、日本でも人気があるんでしょうね。

米田:日本ではディスコとかブギーとか、あとはシティポップとかもそうですけど、クラブとかではここ10年ぐらいでそういう80年代的な音がスタンダードになっている状況がありますね。

西寺:そう、その前のゼロ年代初めぐらいまでは、80年代的思想、感覚へのアンチテーゼが軸。先輩の否定というか、80年代とケンカしないと認められない時代だったと思います。僕なんかはある種のマゾヒスティックな快感を感じるタイプなんで、その空気の中での孤軍奮闘にこそ、やり甲斐を感じていたところもあったんですけどね。ゼロ年代は自分もいわゆるアラサーに突入するみたいな年齢からスタートして、ミュージシャンとしても試練の時期でしたね。そんな中で、2000年代後半からかな、僕個人としては、単に「ノーナ・リーヴスです、よろしくお願いします。僕らの新しいCDを聴いてください」だけじゃない切り口でラジオやメディアで話す機会が増えていって。最大のポイントは、宇多丸さんのTBSラジオの番組『ウィークエンド・シャッフル』で話した「マイケル・ジャクソン・小沢一郎ほぼ同一人物説」ですかね。

米田:「マイケル・ジャクソン・小沢一郎ほぼ同一人物説」は、小林信彦さん、大滝詠一さん、水道橋博士などが反応されましたよね。

西寺:大滝さんに面白がってもらえたのは、嬉しかったですね。2007年秋から、「郷太の話を聞きたい」っていう新たなオファーが活発になっていったんですよね。

で、マイケルが2009年に亡くなって、それで僕の人生がどーんと変わったんですけど。そこからいわゆる「文化人」的な仕事も増えていって。あと、レディー・ガガが「Just Dance」でデビューしたのが2008年で、マイケルも「次のスターは彼女だ」みたいなことを言ってたんですけど、まあ、そういう意味ではそれ以前のゼロ年代は、逆風でしたね。

テン年代はマイケル・ジャクソン再評価の10年

米田:一方、2010年代はどうですか?

西寺:2010年代は、個人的には最高に面白かったっていうか。音楽に限らずですけど。ある種「若さ」へのアドバンテージが、それこそない人間だったんで、良かったんですよね。小中学生でボズ・スキャッグスやクインシー・ジョーンズとかを聴いててかっこいいなぁ、なんて元々思っていた人間ですから。で、少し下の世代でもそれこそメイヤー・ホーソーンみたいな人が出てきて、ダフト・パンクの『Random Access Memories』が2013年に出て…。2010年代中盤までって大きく言うと、マイケル・ジャクソン再評価の10年だったと思うんですよね。

米田:ほう。マイケルにつながりますか。

西寺:79年の『Off The Wall』とか、ジャクソンズの『Destiny』や『Triumph』あたり、それに『Thriller』『BAD』といった80年代近辺のマイケル・サウンドが若い世代にも再注目されたのは、マイケルが亡くなってからの3、4年で。2010年にデビューしたブルーノ・マーズは、マイケルと入れ替わりみたいな感じでスターになっていった感じですけど、歌いながら踊ったりとか、ギタリストやベーシストなど楽器の演奏者がシンガーのバックで踊ったりだとか、完全にジャクソン・ファイヴ、ジャクソンズ・マナーですからね。

そういうバンドのダンス自体、90年代は究極にダサイことだったわけで。ブルーノの登場で、「90年代的美学」が終わった感はありましたね。レニー・クラヴィッツが90年代初頭にベルボトムとブーツ、ドレッドヘアーで登場して「80年代的感覚」を駆逐したように。

米田:うん、確かにそうですね。価値観がガラッと変わったというか。

西寺:まあ、ブルーノ・マーズは、マイケルに比べてもっと良い意味で輩っぽいというか、ヒップホップ的なストリートの普通の可愛いあんちゃんっていう感じで、そこもすごくいいと思うんですけどね。あとはプリンスでいうミネアポリス・ファンク感。ザ・タイムの持っていたムード。あのショーアップされた感じの再評価とかもありましたけど、僕的には、決定打は2013年の『Random Access Memories』でしたね。ジャケットに記されたタイトル文字の筆記体のフォントに『Thriller』のオマージュは見えますし。何より、ミュージシャンも『Off The Wall』で演奏してたジョン・ロビンソンがドラムだったり、ポール・ジャクソン・ジュニアがギターだったり、マイケル&クインシー人脈そのままっていう。

ダフト・パンクが、結果的にその年のグラミーの最優秀アルバム賞を獲り、授賞式ではスティーヴィー・ワンダーとファレルとナイル・ロジャースネイザン・イーストと共にパフォーマンスするという。

米田:あの組み合わせは豪華で、興奮しましたね。

西寺:レコーディング・スタジオを模したセットに「RECORDING」っていう赤いランプが灯っていて、つまりは「家の中でコンピュータだけで音楽作ってんじゃねえよ」っていう(笑)。始めたの君たちだよね、って思うんですけどね(笑)。でも、きちんとお金かけてスタジオで録ります、超一流のミュージシャンが生演奏しますっていうことのメッセージで、そういう古き良き音楽文化の復権、回帰が2010年代にはある面では起こったということなんですよね。反面世界的にEDMが支配した時代でもあって、ダフト・パンクは僕とまったく同世代なんで、次の世代へのカウンターでもあったんでしょうが。そういう意味で2010年代は面白かった。

米田:そのあたりの音楽が好みだったっていうところもありますよね。僕なんかもそうなので、やはり2010年代はもうそろそろ終わりそうですが、面白かったんだろうなって思います。

元号が変わるとともに大きなルール変更が必ずある

西寺:でも、そういう風向きみたいなものって絶対変わるでしょうね。自分はそんなに変わらないと思いますけど、平成が終わって新しい元号になって、なんか、オーバーグラウンドなところでのおっきなルール変更があるんじゃないかと思ってるんです。今、めちゃくちゃスーパースターだったり、この人は絶対って思ってる人の半分ぐらいが2、3年のあいだに消えていくというか。昭和から平成になった時も、例えばアイドルで言えば、田原俊彦さんや光GENJIとかが一気に失速していったんですよ。この人は安泰だろうと思っていた人がメディアとかからの生け贄になるみたいな感じで。

米田:90年代は89年から始まっていたという郷太さんの「1989年論」と同じ、ということですね。日本では元号が変わると、それまでの流行っていたものがなぜだか、一気にダサくなっていくという不思議な現象。

西寺:もうどうでもいいやみたいに。あと、2020年はオリンピックもあるでしょ。

米田:2020年には嵐も活動休止するわけだし、ジャニーズだけじゃなくいろんなとこで風向きが大きく変わることも予想できますよね。

西寺:やっぱり、僕としてはある種の負け惜しみとうか、前回話しましたけど、平成で「大物」になれなかった、結果「中の上」になっちゃったから、次にこそ自分の時代が来る的な、そういうことを論じてみたいんですよね(笑)。でまあ、自分は今、マラソンでいうとトラックを出た第1グループの一番うしろにいると思ってるので、次の時代、街に出た瞬間にどうなったって対処できる場所にいると思っていて。ミュージシャンとしてもしゃべったり書いたりする側としても。どんな変化でもある程度対応したいなって僕は思ってるんですよね。

米田:いろんな意味でイイ位置につけてると。でもまあ、メイヤー・ホーソーンの話からずいぶん違う方向に展開してきましたけど(笑)。

西寺:メイヤー・ホーソーンは、そういう意味では、すごく2010年代的な人かも知れないですね。10年ぐらい前になるんですけど、Great 3の片寄明人さんが「今のアメリカの若い連中の一部は90年代の俺たちみたいなんだよ」って言ってたんですよ。「AORを再発見して、びっくりしながら聴いてるんだよ。ボビー・コールドウェルとかネッド・ドヒニーとか」って。「それって僕らが90年代にやってたことじゃないですか」って言ったら、「まさに、そうなんだよ、20年ぐらい遅れてるんだよ」って。それも2010年くらいの話でしたけど。結局、どんな文化でもネイティヴの人こそ、その面白さに気づくのが遅い…と。片寄さんの当時の発言の体現者のひとりがメイヤー・ホーソーンなんですよ。

米田:日本人ミュージシャンやリスナーの方が20年早かった! それは意外ですね。日本人としてなんだか嬉しくなります(笑)


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