清水幹太
BASSDRUM / whatever
東京大学法学部中退。バーテンダー・トロンボーン吹き・DTPオペレーター・デザイナーなどを経て、独学でプログラムを学んでプログラマーに。2005年12月より株式会社イメージソース/ノングリッドに参加し、本格的にインタラクティブ制作に転身、クリエイティブ・ディレクター / テクニカル・ディレクターとしてウェブサイトからデジタルサイネージまでさまざまなフィールドに渡るコンテンツ企画・制作に関わる。2011年4月より株式会社PARTYチーフ・テクノロジー・オフィサーに就任。2013年9月、PARTY NYを設立。2018年、テクニカルディレクター・コレクティブ「BASSDRUM」を設立。
「僕たちは、上の世代が分厚いからなかなか前に出られない」
私は1976年(昭和51年)生まれのいわゆる「ナナロク世代」だ。よく「あなたはナナロク世代ですね」と言われるので、「ああそうか。自分はナナロク世代なのだな」と思っていたのだが、そもそも何で自分の世代が特別扱いされるのかよくわかっていなかった。人口が特段多いわけではないし(団塊ジュニアのベビーブームは数年上の世代)、何をもってそんな言い方をするのかと。
調べてみたら、ナナロク世代とは、「1976年前後に生まれたネット起業家やエンジニアを指す」のだそうだ。デジタル系の商売にしぼった概念であり、つまり「1976年前後に生まれた花屋さん」とか「1976年前後に生まれたラーメン屋」とかは、ナナロク世代ということにはならないらしい。そういう意味では私は一応エンジニアなので。確かにナナロク世代なのだろう。
じゃあ、なんで「1976年前後に生まれたネット起業家やエンジニア」がそんなに特別なのかというと、私たちが大学に入学したくらいのタイミングでインターネットの普及が始まったから、上の世代よりもユーザーの立場からビジネスを発想することができる、ということなのだそうだ。
つまり、ちょうど多感な時期に、インターネットという「文字の発明」とか「車輪の発明」とかそういったものに匹敵する人類の歴史における大きな変化がやってきたゆえに、ちょうど良い刺激を受けた私たち「ナナロク世代」が、インターネットを深く理解してインターネットの黎明期から今に至るまでのビジネスや文化をつくることができた、ということだ。
今までどおりの社会人をやってるつもりでいたらインターネットが突然やってきて、ついていかざるを得なくなったナナロク世代より上の世代、物心がつく前に生活の中に当たり前にインターネットが存在していた下の世代、そのどちらよりも、自分の真っ白なキャンバスに、インターネットという「事件」がどどーんと刻まれたという意味では非常に幸運な世代であると言える。
私たちは、未来のある若者として、「はい。あなたたちはこれを料理してください」とばかりにインターネットという革命を提示されたのだ。これは確かに刺激的だ。確かにそれが無ければ、いまテクニカルディレクターなんていう仕事はしていなかっただろうし、まだやりたいことも見つかっていなかったかもしれない。
一方で、いつぞや日本に帰って若いプログラマーと話した時に、こうも言われた。
「僕たちは、上の世代が分厚いからなかなか前に出られない」と。
我々の世代以降、少子化は進んでいるし、確かにいわゆる「IT企業」と言われた業種も、高齢化(というにはまだ早いが、「おじさん・おばさん化」というか)が進んでいるといえる。
かつて目を輝かせてインターネットと遊んでいた世代はおじさんとなり、それに続く世代は、未来の暗さにフラストレーションを抱えている。それがいまの日本の状況だ。
否定しようのない「日本を超えた未来都市・深圳」
深圳の街並み
中国の深圳が「未来都市」になっているらしい。そんな話が聞こえてきはじめたのは一昨年くらいの話だろうか。
テンセントにファーウェイといった巨大IT企業から、ドローンメーカーのDJIのような個性的なハードウェアスタートアップまで、勢いのあるビジネスが生まれる場所。
徹底したキャッシュレス化が実現され、街では若者が未来っぽい乗り物で移動し、無人コンビニで買い物をする。自転車もタクシーも、シェアリングエコノミーが生活の中に定着し、効率化された暮らしが実現されている。
深圳は今、確かに世界をリードする未来都市であり、本家シリコンバレーよりもスピードが速い、「ハードウェアのシリコンバレー」の二つ名も決して言い過ぎではない。
私自身、中国での仕事は結構抱えているが、ここまでもっぱら上海や北京が舞台だった。上海には2018年だけでも4回は行っている。2017年のうちに中国の携帯電話を入手し、銀行口座もつくっている(原則として、二大キャッシュレスシステムであるAlipayとWechat Payは、中国の携帯電話番号と銀行口座がないと利用できない)ので、「最近の中国といえば」のキャッシュレス社会には、すっかり慣れている。
中国に着いたら、銀行に入れておいたキャッシュから支付宝(Alipay)に中国元をチャージする。ちょっと前までは微信支付(Wechat Pay)を使用していたが、チャット機能がメインになっているWechatよりも、Alipayの方がワンタップ少なくQRコードのスキャンあるいは支払い画面に遷移することができるので、支払いシステムとしてのUXはAlipayの方が優れているのだ。
移動は中国版Uberといわれる滴滴出行(DiDI)だ。「中国版Uber」といいつつ、UIは既にUberより洗練されている。その周辺で車を呼んでいる人の順番待ち人数を表示し、待つ人のストレスを軽減する仕組みがしっかりできている。中国のお家芸だった「パクリ」がパクリの域を超えて「よりよいもの」に向かっているのが、こんなところからも感じ取れる。
短距離の移動はシェアリング自転車のMobileかofoだ。銀色にオレンジのラインが入っている自転車がMobike、黄色い自転車がofo。基本的なサービスは変わらない。そのへんに停めてある自転車についているQRコードをアプリからスキャンすると、自転車の鍵がアンロックされる。で、移動し終わったら鍵をかければOK。基本的にはどこに停めても構わない。つまり、この自転車たちはインターネットにつながっているのだ。
といったところで、巷で言われているような、「中国はすでに日本を超えている」というのが本当なのかというと、本当だ。否定する理由はない。それどころか日本ではUber的なシェアリングカーサービスが規制されていてサービスが成立していない。何を護っているのか知らないが、乱暴な運転で嫌な臭いがするタクシーに乗っても、それを評価して送ることすらできない(できたとしてもロクに機能していない)。この状況で、「まだ日本は中国に追い越されていない」と言ってもそれはまあ無理な話だろう。すべての面で追い抜かれているとはまったく思わないが、こういう領域ではまあそういうことなのだと思う。
深圳が「未来都市」と呼ばれるに足る本当の理由
世界最大の電気街を誇る華強北エリア。電子パーツやガジェットを販売する店舗のみで構成されたビルが数十棟以上立ち並ぶ。
で、深圳はこういった「未来系」中国ベンチャーのメッカであり、ゆえに「未来都市」なんて呼ばれている。
先日、やっと、この深圳を訪れる機会を得た。深圳は、言わずと知れた香港に隣接する街だ。香港が中国に返還される前から、経済特区として政策的に発展を促されてきた。深圳が経済特区になったのは1980年、我々ナナロク世代が幼稚園に行き始めたくらいの頃である。それまでは、何でもない田舎町だったらしい。
ということがまったく信じられない程度には深圳は大都市だ。人は多いし、テンセントなどの大企業が本社を構える南山区には、洗練された高層ビルが立ち並び、街並みもオシャレだったりする。
最近建設されたデジタル家電の展示場である「CEEC」には最新のガジェットがこぞって展示され、未来を感じることができる(といっても、テナントが出ていったりして結構大変らしいが)。このあたりが最近増えている日本人の深圳視察ツアーの定番ルートだ。
先に説明した中国全土に広がるキャッシュレス/シェアリングのメッカであることを含め、確かにここは未来都市なのかもしれない。が、細かい造作にはハリボテ感もあるし、ビルを飾る巨大なLEDのアニメーションも、「ようやるなー」とは思っても、演出的には洗練されていない。急拵えで成長した「掘っ立て未来都市」みたいな部分もあるとは思う。
しかし、深圳を深圳たらしめているのは、こういった未来系技術ではない。それは単純に結果しか見ていないと言わざるを得ない。深圳に、そういったものが花開いた理由というのはまた別の場所に存在している。なぜ深圳ではこんなにも多くのものが生み出されるのか。なぜ、「ハードウェアのシリコンバレー」になるに至ったのか。
答えは簡単だ。それは、深圳にいれば何でもつくることができるからだ。
筆者は普段、ニューヨークに住んで、働いている。ニューヨークは、電子回路やプロダクトをつくる上で決して有利な街ではない。なぜなら基本的に電子部品を通販で取り寄せなくてはならないからだ。つまり「今すぐ部品が欲しい」というタイミングで部品が手に入らない。何なら中国の通販サイトである淘宝(タオバオ)に海外発注しないといけないようなこともある。
なので、日本生まれの私は「ニューヨークに秋葉原があったらなあー」と望郷の念にかられてしまうことがよくある。ニューヨークに、秋月電子や千石電商やマルツパーツ館があったら仕事もやりやすい。ところが、秋葉原も万能ではない。大量生産用にたくさんの部品をバルクで買ったりするような場合は、やはり中国に発注したりすることになる。
つまり、ニューヨークにしろ秋葉原にしろ、結局大元は中国の問屋から部品を買って売っているようなところがあって、じゃあその問屋はどこにあるのかというと、ほぼすべて深圳の、その中でも世界最大の電気街である「華強北」にあるんだよ、ということになる。
世界一の電気街だからこそ培われた「山寨精神」
華強北エリアにある専門店ビルの入口。看板に大きく書かれている「中国電子第一街」とは「中国一の電気街」という意味。
華強北エリアでは、巨大なビル全体で秋葉原のラジオ会館のように部品やガジェットが売られている。その時点で、「秋葉原が化物になったヤツ」と言えるほどの規模を誇るが、そういう巨大ビルが20棟以上乱立している。信じられない量の電子部品/電気製品のお店が、この地域にひしめきあっている。
深圳にいれば何でもつくれる、というのは、華強北に行けばどんな部品でも好きなだけすぐに手に入る、ということだ。行けばわかる。華強北が街に1つあれば、それは当然そこから凄いものから珍しいものまで、あらゆる新しいものが生まれてくるだろう。何しろ街にはファーウェイやDJIといった、そこから物をつくることで世界的大企業に成長した成功モデルがいるのだ。「俺たちもやってやろう」となるのは当然だ。
華強北の電気街はもともと、深圳の産業グループである賽格電子集団(Shenzhen Electric Group:SEG)の人々が1990年代に秋葉原を視察して、「俺たちもああいうのつくろう」ということで、「1m売り場」という小規模の店舗が立ち並ぶ「賽格広場」をつくったのが始まりなのだという。秋葉原のラジオ会館を思い出すのも当然だ。そもそもあそこが華強北のモデルなのだ。
しかし秋葉原と違うのは、これらの店舗たちは基本的にはBtoCの小売ではなく、BtoBの電子部品/電気製品問屋であるということだ。華強北のお店で部品やガジェットを購入すると必ず聞かれるフレーズが「何個?」という質問だ。問屋だから、バルク売りの方が基本で、観光客にバラ売りをするようなビジネスモデルではないのだ。
もう1つ驚かされるのは、お店の人たちに英語がかなり通じるということだ。もちろんたどたどしいながらも、「How much?」とか「How many do you need?」とか、そういう売買系のフレーズを理解しない人はほとんどいない。これが上海の火鍋屋だったら、そうはいかない。
つまり、華強北のお店の人々は、常に部品や製品を海外に卸しているのだ。前述の淘宝(タオバオ)を通して部品を輸出しているのは、この人たちなのである。実際、お店の人たちを観察していると、接客をしている人以外に、お店のカウンターで製品を一生懸命検品して、ラベルを貼っている人を簡単に見つけることができる。海外から淘宝(タオバオ)などを通して発注されたものの発送準備をしているのだ。いつもニューヨークから発注して数日間届くのを待っていた商品は、ここから発送されていたのである。
検品作業中の女性
ここから各種パーツ/製品を世界中へ発送している
そんな環境であるから、とにかくどこよりも高速に製品をつくることができてしまう。深圳には「山寨精神」という言葉がある。欧米で発表されたスマートフォンや、kickstarterで公開された新しいガジェットの模倣品(ニセモノ)を超高速でつくり、何ならよりよいものにして安価に売り出す。そんな「草の根ゲリラものづくり」を「山寨」と呼び、そこに漂う「ニセモノなりのイノベーション精神」を「山寨精神」と呼ぶ。
華強北エリアでたくさん見かけるニセAirPod。価格は日本円だと500円ぐらい。ちゃんと動く。
「山寨」は中国宋代の山賊小説である「水滸伝」に由来する。つまり、「アウトロー」「反主流」のニュアンスがある。そんな山寨ものづくりを可能にするのは、それを実現するためのすべてが、この華強北で調達できてしまうからだ。
そんなわけで、仕事の用事を終え、「未来系」深圳の「視察」もそこそこに、ひたすら華強北を歩き回った。私の日本の会社(BASSDRUM)では、テクニカルディレクターの職能コミュニティを運営しているが、そのコミュニティに紹介しようと思って珍しいガジェットを買い漁ったり、歩き疲れたら、最近は中国の空港などあらゆるところにある「QRコードで支払うと起動するIoTマッサージチェア」を見つけては疲れを癒やしたりしていた。
食事も華強北の建物の中でできる。麺類やら何やらの小吃屋台が電気街の中に入り込んで商売をしている。
お店の人たちもご飯時になるとそういうお店で何かを買って、お店で堂々と食べ始める。ここは、そんな感じで、そこで生計を立てる人たちの生活の場なのだ。
世深圳の未来は「山寨ネイティブっ子」がつくりだす
そんな感じで飽きもせずに何時間も華強北で過ごして気づいたことがある。華強北の電気街には、やたらと子どもが多いのだ。そして、この子どもたちは必ずしもお客さんではない。店舗で電子部品/製品を売っている人々の子どもたちだ。改めて見回してみると、本当に「やたら」と言っていいほど子どもがフロアを駆け回っている。
ビルのエスカレーターを小さい子たちが登ったり降りたりして遊んでいる。めっちゃ危ない。お店の中の机で、子どもが一生懸命算数のドリルをやっている。ダンボールでつくった乗り物を引っ張ってキャッキャ言っている。お店の前にマットを敷いておもちゃを広げて遊んでいる。子ども用の自転車でビル内を追いかけっこしている。ガジェットを買おうと思ってカウンターの中の女性を呼んだら、実は授乳中で、そのまま授乳しながら対応してくれる。とにかくそこかしこで子どもが生活しているのだ。
小さい子どもがいる若い家族がこういったお店を回している。一人っ子政策なんて昔の話だ。華強北の電気街ではどんどん子どもが生まれて、増えているように見える。深圳全体の出生率はここのところ下がっているらしいが、ぱっと見、とにかく子どもが多い。
統計を調べてみると、深圳の人口で一番多い世代は20代後半から30代前半。この世代が多ければ、そういう状況になるのも必然ではある。何より重要なのは、この環境で暮らし、学んでいる子どもが明らかにたくさんいるということだ。
彼・彼女らは、何でも物をつくれる環境と「山寨精神」に囲まれ、その真っ只中ですくすくと育つ。「デジタル・ネイティブ」ならぬ「深圳ネイティブ」「山寨ネイティブ」だ。この環境で育った子どもたちは、この環境から何を受け継ぎ、何をつくるのか。何であれ、この有様から私は「未来」を感じざるを得なかった。
それは、ナナロク世代なりが上に詰まっていて、若いエンジニアが目立つことができず、どんどん子どもが少なくなっていく日本のものづくり界では感じることができない「未来」だ。深圳は、物価の高騰などもあり、今後の成長に向けて課題も多い。華強北のテナントも減少傾向にあるらしい。しかし、私が華強北で見た大量の子どもたちの姿からは、「この場所にはもうワンチャンある」と思うことしかできなかった。
日本が中国に勝ってるとか負けてるとか、そういう次元ではなくて、そこに「未来」があるかどうか。少なくとも、深圳は明るい「未来」とともにある「未来」都市なのであろうと思う。世界にはこういう場所がある。私たちはどうするのか。日本人として、とか、ナナロク世代として、とかではなく、どこかに何か「未来」を残す活動をしているのか。
「ナナロク世代」をはじめとする私たち日本のデジタル屋の中心世代は、もう40代になった。10年後には、みんな50代だ。東京オリンピックも大阪万博も、景気の良さそうなイベントは全部終わってしまっている。私たちは「未来」に向けて何をするのか。国外に出て日本のものづくりを拡大するのか。あるいは、若い人々を新しいステージに送り出すのか。その時きっと華強北の子どもたちは青年になって、新しいものをつくり出す。
華強北の子どもたちは、そんな近い「未来」を突きつける。表層的な未来都市を「視察」して納得している場合ではない。私たちは私たちの「未来」をどう描くのか。難題ではあるが、ともすれば後進のフタをしてしまっているナナロク世代は、そこを考え始めなくてはならない。