CULTURE | 2018/12/25

実は5回目の映画化。『アリー/ スター誕生』はこの80年でどう進化してきたか【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(6)

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(c)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

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添野知生(そえの・ちせ)

映画評論家

1962年東京生まれ。弘前大学人文学部卒。WOWOW映画部、SFオンライン(So-net)編集を経てフリー。SFマガジン(早川書房)、映画秘宝(洋泉社)で連載中。BS朝日「japanぐる~ヴ」に出演中。

『アリー/ スター誕生』は、一本の新作映画として見ても、現代的で、感動的で、非常によくできている。主演のレディー・ガガ、主演・監督のブラッドリー・クーパーともに、ありったけの才能と情熱をつぎ込んだことがわかる、まさにいま作ることに意味のある映画と言える。

ところが、これがじつは同じ物語の4度目のリメイクで、さらにその原型になった映画までさかのぼると5回目の映画化になる――と聞いたら驚く人も多いのではないか。

よい機会なのでこれらの旧作を一気に観て、新作と比べてみよう――と気楽に考えたのはいいが、いざ始めてみると、予想外に深い影響関係が錯綜しており、大量のメモを前にぼうぜんと考え込むはめになってしまった。というわけで今回は、なぜ「スター誕生」の物語がくりかえしリメイクされ、ハリウッド映画の題材になり続けてきたのかを、ゆるゆると考えてみたい。

5本の「スター誕生」を一気に観る

(c)2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC

まずは作品リストから。

(1)栄光のハリウッド (1932) 

(2)スタア誕生 (1937) 

(3)スタア誕生 (1954) 

(4)スター誕生 (1976) 

(5)アリー/ スター誕生 (2018) 

ちなみに(1)(2)は今回初めて観た。(4)も70年代以来の再見。(1)は今のところ米盤DVDで観るしかないようだ。

(1)と(2)はクレジット上のつながりはないが、同じデヴィッド・O・セルズニックの製作で、物語も細部まで共通点が多く、製作時に訴訟になりかけた。リメイクないし発展形と見なすのが順当だろう。この5本でトーキー初期の1930年代から21世紀までをカバーし、じつに86年ものあいだ、観客を感動させ続けてきたことになる。ただし、5年、17年、22年、42年と次第に間隔が広がっているので、次の映画化は早くても2098年ごろと思われる。というのは冗談としても、アーティストとスターダムというものがある限り、今後も作られる可能性がある。

5本の映画はどれも、主役は必ず20代の女性と中年の男性である。ショウビジネスの世界で長年活躍し、功成り名を遂げた男性が、ぽっと出の、あるいは努力しているがいまだ芽の出ない女性の才能に気づき、フックアップする。その過程で自然に恋愛感情が生まれ、二人は生活をともにするようになる。女性は才能と努力で大きな成功をおさめるが、男の人気はそれと交差して残酷な下降線をたどり、避けられない悲劇がおとずれる。

5作すべてに共通する、作品の顔というべき決めゼリフもある。「もう一度きみの顔を見たい」というセリフで、(2)から(5)までの作中では二回くりかえされる。その原型が(1)にあって、そこでは「もう一度、声を聞かせて」だった。

(1)の『栄光のハリウッド』は、ハリウッドのゴシップ記者の原案で、実在したサイレント期の人気女優と監督をモデルにしているという。そのため、女優志願のウエイトレスにチャンスを与えるのはベテラン監督であり、この映画だけが主役二人にロマンスが生じない設定になっている。ヒロインは東部出身の青年と結婚したのち、アルコール依存症で落魄した監督の面倒をみる。モデルのあることなので仕方がないとはいえ、このねじれを解消して物語を整理したのが(2)の『スタア誕生』になる。

(2)の『スタア誕生』は、田舎娘のヒロインをスター男優が共演に抜擢するという、男女ともに俳優の物語になり、(3)の『スタア誕生』では女性歌手がベテラン男優の推薦を受け、ミュージカル映画のスターになる。ここで俳優から歌手に半分ずれたことが、男女ともに歌手で音楽界を舞台にした(4)の『スター誕生』につながり、その設定をそのまま最新作である(5)の『アリー/ スター誕生』も踏襲している。

つまり、大前提として、全作に共通しているのはエンタテインメント業界のバックステージものとしてのおもしろさであり、そのなかで映画業界から音楽業界に舞台が移っている。(1)(2)(3)ではハリウッドのメジャー撮影所の内部、撮影現場の様子がふんだんに登場し、それを見ているだけでも楽しいし、さまざまな発見がある。(1)(2)ではハリウッド大通りのウォーク・オブ・フェイムやチャイニーズ・シアターが登場し、(2)(3)ではアカデミー賞の授賞式やオスカー像が重要な役割を果たす。それが(4)(5)ではグラミー賞の授賞式に変わっていく。

(1)のヒロインは『天国漫歩』のコンスタンス・ベネットで、当意即妙のユーモアとブロンド美人の外見がスターへの第一歩になる。(2)の主人公は『第七天国』のジャネット・ゲイナーで、アイダホ州の農村からロサンゼルスに出てきたという設定どおり、親しみやすさと人柄の善さで映画ファンの心をつかむ。

ここでは才能というよりも、外見や雰囲気が観客に支持されるかどうかが重要。「大衆がスターを作る」ということがくりかえし言われ、だからこそ自分の意志ではどうにもならない怖さがある。映画会社もスターは創るものと心得ていて、名前も経歴も宣伝部が一から創作するのがあたりまえになっている。

これが大きく変わるのは(3)からで、主演のジュディ・ガーランドの復帰作としてこのリメイクが選ばれたことから、彼女のソング&ダンスの才能を徹底的に見せることになる。当時映画から遠ざかっていたジュディ・ガーランドが、ここで改めて見せた歌と踊りには凄まじい魅力があり、才能と意志の強さが大きなテーマになっていく。

そして(4)では歌に加えて作曲の才能がクローズアップされ、(5)ではそれが物語の中心になる。(4)の問題は、バーブラ・ストライサンドが歌も演技も一流であることは誰もが知っていることにあり、彼女がいくら劇中で才能を披露しても、楽々やっているようにしか見えず、驚きにつながらない。(5)がいいのは、レディー・ガガが歌えて、作曲の才能があるという周知の事実に加えて、演技ができ、俳優として極めて魅力的であることを広く知らしめ、われわれを驚かすことができたからだろう。

また(4)では、男性の側にも問題があった。当時のクリス・クリストファーソンのセクシーで輝かしい魅力は打ち消しようがなく、落ち目のスターを演じることにそもそも無理があった。(4)だけが結末を曖昧なものに変更しているのも、そこに原因があったのではないか。

(5)はこうした弱点をていねいに研究したに違いなく、まずブラッドリー・クーパーの歌と演奏に凄まじい迫力をもたせて、見る者をガツンと驚かせる。そのあとの繊細な演技は彼の独擅場であり、何の問題もない。

5作に登場するキャラクターの配置にも共通点がある。無名時代のヒロインを助ける気のいい男の友人、二人の後ろ盾となる人物、主人公の男を嫌っている現実主義者といったところだが、この配置は音楽業界に舞台を移した(4)で一度解消される。それが新作の(5)ではそっくり復活していて、ここにも相当に考えた形跡が見られる。男の友人など、ウエイター→助監督→ピアニストと変わったあと、またウエイターに戻っているのだからおもしろい。

ジュディ、バーブラ、レディー・ガガというリレー

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こうしてみてくると、『アリー/ スター誕生』はとくに(3)『スタア誕生』と(4)『スター誕生』に強い影響を受け、この2作がやろうとしたことを引き継ぎ、うまくいかなかった点を見直すことで作られていることがわかる。ここには明らかに、ジュディ・ガーランド、バーブラ・ストライサンド、レディー・ガガという3人の、時を超えたリレーが見て取れる。この3人には(本人のセクシャリティとは必ずしも関係なく)ゲイ・アイコンとして愛されているという共通点もある。アイデンティティが合致しないことの苦しみや、周囲の世界に抗った経験が似通っているからではないか。

(4)『スター誕生』はうまくいかなかったことが多いのだが、製作総指揮もかねるバーブラ・ストライサンドがやろうとしたことには、フェミニストとしての傾聴すべき主張が多々伺える。女性が男たちに名前を変えられてしまうことへの抵抗。仕事の場でさり気なく体に触ってくる男たちへの怒り。プレコード期(ハリウッドの業界団体による道徳的な自主検閲が始まる前)の(1)で目立っていたのに(2)ですっかり姿を消してしまった黒人俳優との共演を復活させたこと。女優が自分の体をどこまでどう見せるかを自分で決定すること。そして何よりも、ステージ衣裳のマニッシュな格好良さ(すべてバーブラの私物とクレジットされている)。これらの多くは『アリー/ スター誕生』に引き継がれている。

(3)『スタア誕生』には、男がジュディ・ガーランドの鼻に触れ、そのままの顔を賛美するシーンがあり、これは(4)(5)でもくりかえされる。(3)ではメイク係にいじられるばかりだったが、(4)(5)では逆に男の顔を愛情をこめていじり返すシーンもあり、メイクされたクリス・クリストファーソンやブラッドリー・クーパーの表情には、のんびりした解放感が漂っている。

また(3)で男がジュディ・ガーランドを“発見”するのは、アフターアワーズの深夜セッションが行われている店。そこではビッグバンド所属のミュージシャンたちが終業後に集まって、自分たちのスタイルで演奏している。「奇妙な連中だから気をつけろ」と言われるそんな店が、(5)でジャックがアリーを発見する、ドラッグクイーンのショウが行われるバーになる。

50年代のクールジャズの演奏家と、現代のドラッグクイーン。そこへさらに、バーブラ・ストライサンドがまさにスターを夢見てニューヨークで下積み生活をしていた時、最初に歌で名をあげたのが、グリニッチビレッジのゲイバー「ザ・ライオン」のショウ出演だった、というエピソードを加えると、すべてが惑星直列のように一列につながった気持ちになる。

『アリー/ スター誕生』で歌われる曲で、いちばん最初に感動するのが、ドラッグクイーンのバーでジャックがギター弾き語りを披露する場面。「メイビー・イッツ・タイム」というこの曲は、「そろそろ変化のときだろう」と控えめに訴える内容で、カントリーミュージック界の大物スターが、偏見も押しつけがましさもない人物であることを早い段階で明かす、重要な選曲になっている。

そして、キャロル・キング(部屋に『つづれおり』のジャケットが飾られている)やローラ・ニーロを思わせるソングライターとして始まったアリーの活動が、映画の後半でソング&ダンスのパフォーマンスに変質していくことには、劇中でも葛藤が描かれるが、それでも見せたかったのは、(3)『スタア誕生』のジュディ・ガーランドの存在を見習っているからこそだろう。

オルタナ・カントリーと『アリー/スター誕生』

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それでは『アリー/ スター誕生』のジャックのモデルは誰だろうか。歌手でソングライターで轟音でギターを弾くその姿からは、まずニール・ヤングが浮かぶ。バックバンドのリーダーとして出演し、曲も提供しているルーカス・ネルソンが、実際にはニール・ヤングの共演者であることからも影響は明らかだろう。

一方で、ジャックがカントリー・ミュージック界のスーパースターという設定は、(4)の主人公がクリス・クリストファーソンだったことの影響が大きいのかもしれない。アウトロー・カントリーの大スターだったクリストファーソンは、仲間のウィリー・ネルソン、ジョニー・キャッシュ、ウェイロン・ジェニングスとハイウェイメンというグループで共に活動したこともあり、そのウィリー・ネルソンの息子がルーカス・ネルソンなのだから、ここにもつながりがある。

アウトロー・カントリーの世界で、クリスやウィリーより下の世代からジャックのモデルを探すとしたら、真っ先に思い浮かぶのはスティーヴ・アールだ。過去にはドラッグ依存症による不名誉なスキャンダルもあったし、妻だったアリソン・ムーアと共演作を作ったこともある。

カントリー・ロックの世界には、グラム・パーソンズにフックアップされたエミルー・ハリス以来、男女デュオの伝統があり、数多くの名演・名唱が残されている。『アリー/ スター誕生』の男女デュエット曲も、その流れのなかで聞くことができるかもしれない。


『アリー/ スター誕生』

12月21日(金)全国ロードショー
配給:ワーナー・ブラザース映画 
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