(C) Shinya Uchida
今月、大谷翔平選手がメジャーリーグのアメリカンリーグ新人王を獲得した。全米野球記者協会所属の記者30名による投票の結果だが、評価のポイントとなったのはピッチャー兼バッターとしての二刀流での活躍が鍵となったようだ。
プロ野球の世界で二刀流という二足のわらじを履くのは容易なことではないが、大企業を中心に副業を解禁するケースが増え、会社員をしながら他の活動もするという二刀流のケースは昨今多々あるようだ。ヤフー株式会社の社員でありマジシャンでもある内田伸哉氏もその一人だ。日本のビジネス系メディアにはヤフー社員の肩書きで登場することも多いが、海外メディアにはiPadマジシャンとして紹介されることが多い内田伸哉氏に色々と話を訊いてみた。
取材・文:6PAC
内田伸哉
ヤフー株式会社 ブランドマネジメント室 室長マジシャン
慶應義塾大学大学院理工学部卒業。2007年に新卒で株式会社電通に入社し、12年にはヤフー株式会社へと転職。18才の時、大学のサークルでマジックを始める。2010年にYouTubeに投稿したiPadを使ったマジックが世界中で話題となる。今年の11月にはiPad Proを使ったマジックを公開。
ヤフー社員でもマジシャンでもなく「世の中に“驚きを仕掛ける人”」でありたい
新型iPad Pro発売前夜の11月6日に投稿した新作マジック。12月13日時点で約280万回も再生されている。
内田氏がマジックという魔法の扉を開いたのは大学生だった18才の時。学生とプロマジシャンという二足のわらじを履いている先輩から、「人様からお金を取れるくらいのクオリティにならないと真のエンターテインメントとは言えない」という言葉を聞き、感銘を受けたことがマジシャンとしての人生の始まりだったという。ヤフーは副業を許可しているので、平日の日中はヤフーの社員、平日の夜と土日はマジシャンという棲み分けをしている。
ヤフーでの仕事とマジシャンの共通点は、本質的に「世の中をアッと言わせる」という点だと語る。マジシャンとして、普段は企業のパーティやメディア出演、ソーシャルメディアでの作品公開などをしている。専業のマジシャンということになると、チップを貰えるような「稼げる手品」を披露しなくてはならないが、兼業だと純粋に「作品としての手品」だけに挑戦することができることから、「専業でやるより充実しているのかと思っています」とも言う。
内田伸哉氏
(C) Shinya Uchida
自身ではヤフーの社員ともマジシャンとも思っておらず、「世の中に対して“驚きを仕掛ける人”でありたいと思っています」と言い切る。ヤフーでは3Dプリンタを使い、検索したものを実体化する「さわれる検索」や、銀座ソニービルの壁面に、3.11時の津波で最も大きいものがどのくらいの規模だったかを示した「防災広告」などを仕掛けた実績がある。マジシャンとしては、言うまでもなくマジックで世の中に驚きを提供している。”驚き”という共通のキーワードで、会社員としてもマジシャンとしてもアウトプットをしているイメージだと語る。
その“驚き”というキーワードで、世の中というよりは世界中をアッと言わせたのが、2010年にYouTubeで公開したiPadマジック。CNNやウォールストリートジャーナルといった著名な海外メディアも取り上げることとなった。その後、海外のマジック公演やテレビ番組に呼ばれたり、TEDxに誘われたりと、国際的な反響が大きかった。
初代iPadが発売された2010年に投稿された、最初の「iPad magic」。
また先日の新型iPad Pro発売にタイミングをあわせ、ツイッターでiPad Proを使った最新のマジック動画を投稿。再生回数はすでに270万回を越え、前回同様海外にも拡散し続けている。中国や台湾のメディアからの取材依頼も入っているそうだ。
デジタルデバイスによるマジックは“不思議に魅せる工夫”が難しい
(C) Shinya Uchida
iPadマジックを始めたのは「“話題をつくりたい”と思ったのがきっかけです」と語る。ブラウン管テレビの時代にテレビ画面を使ってマジックをやったことがあるそうだが、結果は鳴かず飛ばずだったそうだ。この結果を受け、観客は「新しい手品」自体にそれほど興味はないという結論に辿り着いた。この時、手品という枠を超えて考えなければヒットは生まれないと思ったことから、「マジシャンではなくプロデューサー的な視点に変わりました」という。
言い換えると、マジックを披露する感覚ではなく、世の中に対して話題を仕掛ける感覚だとのこと。初代iPadの発売に注目が集まっていたことを受け「iPadを使ってマジックをやればみんなが注目するかも」という動機で作った動画は、狙い通りに大きな話題となった。
iPadマジックの難しい点について訊ねてみると、「最も難しいのは“不思議だと思ってもらえるように魅せる工夫”が普通のマジックより難しいところです。例えば、紙に描いた犬が動き始めたら不思議ですよね。でも、iPadに描いた犬が動き始めたらそれは映像だと理解できます。電子機器というのは、それ自体が魔法のようなデバイスなので、それを使ってさらに不思議に魅せるにはどうしたらいいのか、というのはマジシャンの業界においても未知な領域だったため難しかったです」と答えてくれた。
マジックのタネは1,000個くらいはストックしているという。しかし、人前で披露できるだけのしっかりとした手順に落とし込んだタネとなると30個前後に激減する。今回のiPad Proを使った最新マジックも、一つの手順の中には約12個のタネと18個のテクニックにパントマイムが組み合わさっているものだ。
iPadマジックというと、海外ではドイツ人のサイモン・ピエロ(Simon Pierro)氏が有名だが、「サイモンさんとは何年か前に会いました。彼が日本のショーに出る時に向こうから連絡をくれたのです。その後はフェイスブック上でよくネタの案出しや相談をしています」と、友達といった感じの間柄だ。同じiPadマジックを披露する者同士だが、違いは「サイモンさんはクオリティを追求するタイプですが、僕は動画のアップタイミングと音楽テンポを追求するタイプです」になるという。共演する予定について訊いてみると、「今後は一緒に何かやってはみたいとは思っていますが、物理的に離れている関係と、僕が兼業であるという関係でなかなか企画までは至ってないです」とのこと。
マジシャンとして最も大切なのは“間”
サイモン・ピエロ氏とツーショット
(C) Shinya Uchida
マジシャンとして最も大切なのは「“間”です。逆にタネの重要度は10%以下だと思っています」という。鳩のマジックで世界で最も有名なランス・バートンというマジシャンが好きだそうだが、「ランスさんのマジックのタネはすべてわかるのですが、それでも何度も観たくなるんですね。なぜタネを知ってるのに何度も観たくなるのかと考えた結果、やっぱり演者の“間”やしなやかさ、美しさが観たいからなんですね。一流のマジシャンは作品そのものが魅力です。タネとかそういう細部ではなくて、全体の空気感や“間”がある。今回のiPad Proを使ったマジック動画では、一番最初にリンゴの画像を広げてハンカチを出し、それが吸い込まれて玉を取り出す部分があるんです。自分で言うのもなんですが、この部分って“間”が気持ち良いと思うんですよね。そういう空気を、タネやパフォーマンスを元に構成してつくるのがマジシャンの仕事だと考えています」と語ってくれた。
マジシャンとしての収入に関しては、具体的な数字は聞けなかったものの、本業の収入を超える月もあれば、0円という月もあるとのこと。ただ、マジシャンとして稼いだ収入はすべてて新しいマジック道具の購入費用や、レクチャー費用、後輩マジシャンの食事代など、マジシャンとしての肥やしになることに投資している。
SNSの隆盛もあり、いまや誰でも世界に向けて情報発信できる時代だ。iPadマジックのように誰でも理解できるコンテンツは、言葉の壁を超越して世界中で拡散される時代でもある。英語が苦手な日本人でもユーチューバーやインスタグラマーとして「成功したい」と考えている若者達へのアドバイスを最後に訊いてみた。
内田氏のYouTubeチャンネル。2010年から多くの動画を投稿している。
内田氏は「自分が良いと思う仕掛け、コンテンツ、写真、動画などをとにかく作って、考え、何度もトライすることです。僕はマジックでの成功例が多いですが、それ以外にもかなりのチャレンジをしています。正直失敗のほうが多く、10個に1個ぐらいしか当たりません。大体、年に実験的なプロジェクトを3つ程度やっていて1つも成功しないことも多々あります。それでも挑戦し続けることが大切です」と自身の経験を踏まえ、話してくれた。
さらにオススメだという書籍2冊も紹介してくれた。
・ジェームス・W・ヤング『アイデアのつくり方』(CCCメディアハウス)
・ローラ・ジョーダン・バーンバック/マーク・アールズ/ダニエル・フィアンダカ/スコット・モリソン編『CREATIVE SUPERPOWERS』(左右社)
→本書に所収の、クリエイティブディレクター原野守弘氏が執筆した「ものづくりを成功に導く7つの原理」が特にオススメとのこと
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