CULTURE | 2018/09/25

「オールアジア系俳優」で全米に旋風を巻き起こしたロマンチック・コメディ『クレイジー・リッチ!』【連載】添野知生の新作映画を見て考えた(3)

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真の名手とは“うまさ”を感じさせないものではないか。ただ水が流れるように物語が進み、観客は「普通にいい映画を見た」という満足感だけを胸に映画館を後にする。ハリウッド映画の、とりわけ黄金時代といわれる1930~40年代には、そういう映画の作り手がおおぜいいた。久しぶりにそんなことを考えてしまう新作を見た。

そうはいっても『クレイジー・リッチ!』は現代のハリウッド映画であり、後ろ向きなところはどこにもない。原題は "Crazy Rich Asians" 、原作小説の邦題も『クレイジー・リッチ・アジアンズ』で、「ありえないほど金持ちのアジア人」を意味する。改革開放以降の中国の資産家や、1980年代の日本人などを遙かに超える、シンガポールの支配階級の人々「プラナカン」の世界を舞台にしたロマンチック・コメディである。

ハリウッド映画が、ほぼアジア系の俳優しか出演していない映画を製作するのは異例中の異例。しかも、それが大ヒットしているとなると前代未聞である。米本国では8月に封切られ、3週連続で1位に輝き、興収はすでに1億5千万ドルを超えている。国内興収が1億ドルを超えれば大ヒット作であり、アジア系という人種的少数派が、映画界のこれまでの常識を突き崩すという大事件になった。2月に公開された『ブラックパンサー』が、アフリカ系の俳優を中心に、アフリカ人としての誇りをテーマにした内容で大ヒットしたことと並べて論じる報道も多い。

というわけで、目下のところ『クレイジー・リッチ!』について語る時は、どうしても現象面が中心になりがちだが、ここは新作映画評らしく、映画の中身の話をしよう。

添野知生(そえの・ちせ)

映画評論家

1962年東京生まれ。弘前大学人文学部卒。WOWOW映画部、SFオンライン(So-net)編集を経てフリー。SFマガジン(早川書房)、映画秘宝(洋泉社)で連載中。BS朝日「japanぐる~ヴ」に出演中。

若い女性と王子のラブストーリー

映画は1995年のロンドンの場面から始まる。雨の夜、会員制の高級ホテルに東アジア系の女性と子供たちの家族が駆け込んでくる。彼らは最上階のスイートを予約していたが、マネージャーは中国人に対する人種差別を露骨に表明し、宿泊を拒否する。小さな男の子と女の子を連れた母親は、せめて電話を貸してくれと頼むが、それすらも断られる。

彼らはじつは中国系シンガポール人で、18世紀以降に東南アジアに進出して莫大な富を築いたプラナカンの一族。プラナカンはシンガポールの政財界に君臨する支配階級だが、家族の歴史や資産を誇示することはなく、世間の注目を避けて暮らしている。文化的なルーツは旧宗主国イギリスにあり、イギリスの寄宿学校と大学で教育を受け、完璧なイギリス英語を話す。それでも、第二の故郷といえるロンドンにいてすら、差別を受けることがある。この悔しさ、この描写があとで効いてくる。

場面は一気に飛んで、現代のニューヨーク市。この映画の主人公であるレイチェル・チュー(コンスタンス・ウー)は、恋人のニック・ヤング(ヘンリー・ゴールディング)と、カフェで仲良くケーキを食べている。レイチェルは29歳でNY大学の経済学教授、ニックも同じ大学の教授で32歳。二人は夏休みの休暇をニックの実家があるシンガポールで過ごす計画を立てている。移民二世の中国系アメリカ人で、貧しい母子家庭から身を起こしたレイチェルは、ニックの家族のことは何も知らず、自分の境遇と似たようなものだろうと想像している。

だがじつは、ニックは23年前のロンドンにいたあの男の子であり、レイチェルはこのあと、想像を絶するクレイジー・リッチの世界に飛び込んでいくことになる。つまりこの物語は、映画以前の時代からくりかえし語られてきた、貧しいが聡明な若い女性と、身分を隠した王子のラブストーリーなのだ。

シンガポールに到着したレイチェルはまず、大学時代の親友ペク・リン(オークワフィナ)を訪ねる。彼女の父親は不動産王で、新築の実家はロココ調の豪邸。いわばスーパー・リッチを先に見せておいて、さらに雲の上の存在のクレイジー・リッチの世界に移行する。まるで怪獣映画のような二段階の見せ方がうまい。

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原作は2013年に発表され、ベストセラーになった長篇小説。映画公開に合せて日本でも翻訳が出たのでさっそく読んでみたが、なるほどこれは巻を措くに能わない読み物で、上下2巻の長さを一気に読み切ってしまった。

著者のケヴィン・クワンはシンガポール出身のアメリカ人で、彼自身がプラナカンの世界にいて見聞きしたことが、このデビュー作のもとになっているという。だから、小説でも映画でもまず私たちを惹きつけるのは、外からはうかがい知れない、これまで聞いたこともない富裕層の世界をのぞき見るというエキゾチズムだろう。

さらに映画では、熱帯アジアのカラフルな風景がそれを倍加させ、観光映画としての魅力も十全に発揮されている。ランドマークとしてくりかえし登場するマリーナベイ・サンズの屋上庭園や、クアラルンプールにあるというベランダハウス(ニックの母の別邸として登場する)の偉容には圧倒されるし、マーケットの屋台から祖母の屋敷の台所まで、念入りな料理の見せ方には、観光気分を超えた食文化の尊重が感じられる。

よくできているからこそ大ヒット

じつをいうと、最初にこの映画を見た時は、起伏の大きな物語にただただ押し流され、泣いて笑ってまた泣いてをくりかえすうちに終幕。二度目に落ち着いて見直して初めて、この『クレイジー・リッチ!』という映画がいかによくできているか、ていねいに慎重に作られているかに気づいた。

つまり、大ヒットしたという現象ばかりが語られがちだが、なぜヒットしたのか、私のような東アジア人が見ても、アジア系以外の人々が見てもおもしろいのはなぜかと考えると、よくできているから、細部に至るまで考え抜かれているからという、至極あたりまえの結論にたどりつく。とりわけ脚本の完成度が突出しているが、そのうえに出演者の魅力を引き出す演出の機微があり、さらに撮影と編集のうまさ、目標の高さがある。

原作者とプロデューサーは、企画の当初から、ヒロインを白人に変更して有名女優を起用するといった安全策を望まず、配信ドラマのミニシリーズにするというリスクの少ない提案も拒んだという。オール・アジア人俳優による劇場映画を製作し、その成功で社会にインパクトを与えたい。そのために準備期間を長く取り、ハリウッドのベテラン脚本家と、マレーシア出身の新人女性脚本家を共同で起用。原作小説の魅力を損なわずに、現代の2時間の映画にするにはどうすべきかを、徹底して考え抜いた。

そこからもたらされた最大の変更点が、ニックの母親エレノア・ヤング(ミシェル・ヨー)の人物像を拡大し、人間性を掘り下げ、主人公レイチェルの前に立ちふさがる宿敵として対置させたこと。物語の根底に一対一の対決という中心線を引くやり方は、いかにもハリウッド映画が得意としたわかりやすい単純化だが、これが最高の効果をあげている。

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二人が最初に顔を合せる台所の場面。階段の踊り場での対決。冒頭にポーカーゲームの場面を配し、クライマックスにもうひとつのゲームを設定することで、二人の女性の勝ち負けを超えた人間の大きさを描いたこと。すべて原作にない、映画オリジナルの脚色の成果である。

また、最初のロンドンの場面の女の子であり、三人目の主人公といえるアストリッド(ジェマ・チャン)の、すべてを持っているのに幸せになれないドラマも、絶妙の配分で組み込まれている。原作の人物配置を変え、レイチェルとアストリッドがそれぞれの理由で涙を見せながら、偶然に行き会う設定にしたのは、天才的な脚色といえる。

親友の結婚式で歌われるエルヴィス・プレスリー「好きにならずにいられない」のカバー。それを聴きながら、声に出さずに目と目を見交わすレイチェルとニックの感情の高まり。黄金時代のハリウッドのロマンチック・コメディではなく、現代の映画でこんな場面が書かれたことだけでも奇跡に感じられる。

大がかりなパーティの場面は、ただでさえ撮影の難しいところだが、よく見ると、視線に対する切り返しのショットが、正確にその人が見ているはずの構図になっている。大勢の人で混み合うシーンでは、わざわざ人垣越しに目標をとらえている。現代ハリウッド流のマルチキャメラ撮影で、目標を“抜く”のではなく、黄金時代のハリウッド映画のように、撮影も編集も正確を期していることが、こうした場面でよくわかる。

また、物語の中盤でレイチェルとニックは、親友の男女それぞれのバチュラー・パーティに参加するのだが、ここで2つのパーティをずっとクロスカッティングで見せる仕掛けがあり、すばらしい編集の力を見ることができる。

ミシェル・ヨーにアカデミー賞を

レイチェルとニックを演じるのは、テレビシリーズ「フアン家のアメリカ開拓記」ですでに魅力も才能も知られているコンスタンス・ウーと、まったくの新人のヘンリー・ゴールディングだが、このコンビネーションの良さにも驚かされる。最初に登場した瞬間、二人でひとつのケーキをつつく様子から、二人が充分に長くつきあっていて、互いを思いやる心があることがわかる。

演技の演出は他の登場人物についても巧みで、テレビシリーズ「ヒューマンズ」の主演で知られるイギリス人女優ジェマ・チャンが演じるアストリッドもまた、冒頭のそっと子供に声をかけるシーンがすばらしく、たったそれだけで観客は彼女を好きになってしまう。

『オーシャンズ8』のとっぽい演技が最高で、もっと見たいと思わされたばかりのオークワフィナが、親友ペク・リンを演じてくりかえし場面をさらうのも大きな見どころ。アメリカ人のコメディアンで歌手でラッパーの彼女が、違和感なくシンガポールに溶け込んで、我々を自在に笑わせたり泣かせたりするのだから驚くほかない。

そして、全出演者のなかで最大のスターが、母エレノアを演じるミシェル・ヨーである。いまやハリウッドで活躍するアジア系女優のトップスターといえる彼女だが、考えてみればマレーシア出身の中国系マレーシア人であり、イギリスで教育を受けた経験があり、クレイジー・リッチなプラナカンの世界に近いところで育った、これ以上ないくらいの適役といえる。

とはいえ、かつてミシェル・キングとして香港映画界にデビューし、『レディ・ハード/香港大捜査線』『皇家戦士』で、若く美しく強い新世代のアクション女優として世界に衝撃を与えたころを思い出すと、感慨無量になる。たった4本の主演作を残して結婚のため引退。復帰後の『スタントウーマン/夢の破片(かけら)』が自伝的な内容の良心作で、これがキャリアの総括かと思いきや、翌年『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』で世界デビューしてまた驚かされ、これがシリーズ屈指の傑作となって、ジェームズ・ボンドと対等かそれ以上の女性が活躍するヒロイン三部作(ミシェル・ヨー、ソフィー・マルソー、ハリー・ベリーと続いた)に道を開いたのだから、彼女の功績は計り知れない。

本作のエレノア役も、ミシェル・ヨー以外ではありえない貫禄と繊細さを備えた人物で、ここまでなぜか無冠のままの彼女に、オスカー像をもたらすのではないかと期待してしまう。

ハリウッド映画にできること

『クレイジー・リッチ!』はあくまでハリウッド映画であり、『ブラックパンサー』がアフリカ人の自画像ではないように、シンガポール人の自画像ではない。

(c) 2018 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND SK GLOBAL ENTERTAINMENT

『ブラックパンサー』は、英米の俳優が演じ、米南部アトランタで撮影されたアメリカ映画にもかかわらず、アフリカ系アメリカ人だけでなく、世界中の人々を慰撫し、勇気づけた。『クレイジー・リッチ!』はさらに一歩進んで、世界各国から東アジア系の俳優を集め、すべての場面をシンガポールとマレーシアで実際に撮影している。より精緻に、他者の物語を自分のものとして考えられるようになるなら、ハリウッド映画であっても現実に良い変化をもたらす可能性があるのではないか。

アジアの物語なのに、日本の存在感がほぼゼロなのは残念だが(日系イギリス人の女優ソノヤ・ミズノが、難しい役を好演しているのはうれしい)、50~70年代の中国語ポップスが多数選曲されているクレジットの中に服部良一や三木たかしの名前があるのはささやかな慰めになる。

挿入歌といえば、クライマックスの最重要シーンに、コールドプレイ「イエロー」の中国語カバーを選曲したセンスは恐るべし。原曲では解釈の難しかった「イエロ-」の語も、アジア人が歌えば全肯定に引き寄せることができる。

そして、そうなるとどうしても気になるのは、エンドロール1曲目で使われている、ミゲルの新曲「Vote」。「Vote for a good time(良い時代に投票しよう)」という詞がくりかえされるこの曲は、私には「この映画はシンガポールや中国の政治体制を支持しているわけではありません」という意思表明に聞こえる。


『クレイジー・リッチ!』

9月28日(金) 新宿ピカデリー他 ロードショー

監督:ジョン・M・チュウ『グランド・イリュージョン 見破られたトリック』 

原作:ケビン・クワン著「クレイジー・リッチ・アジアンズ」(竹書房より)

出演:コンスタンス・ウー、ヘンリー・ゴールディング、ミシェル・ヨー、オークワフィナ、ソノヤ・ミズノほか

配給:ワーナー・ブラザース映画 宣伝:スキップ

2018年/アメリカ/カラー/シネマスコープ/英語/121分/原題:Crazy Rich Asians