名物編集長が退任すると、その去就が噂を呼ぶ。だが、それよりも気がかりなのは、僕らの愛する雑誌やウェブメディアの行方だろう。その一つが『WIRED』だった。
2018年6月1日より『WIRED』日本版の編集長に、松島倫明が就任した。もし、この名前に見覚えがなければ、次に挙げる書籍のタイトルはどうだろう?『FREE』『SHARE』『PUBLIC』、2016年ビジネス書大賞の『ZERO to ONE』、さらには『〈インターネット〉の次に来るもの』……これらの翻訳書を、すべて松島倫明は編集者として手がけてきた。
『SHARE』は、その後の現在にも接続するシェアビジネスの概念を、まさに日本社会にインストールするアップデーターだった。この本をきっかけに、FINDERS創刊編集長の米田智彦は、東京都限定で働きながら都市をシェアするように旅して暮らす「ノマド・トーキョー」プロジェクトを実践。その後のキャリアに大きな影響をもたらした意味では、松島倫明の生み出す本によって人生を変えられたひとりと言える。
そして、筆者である僕も『WIRED』の熱心な読者だ。それだけに、話を聞いてみたかった。なぜ、松島倫明が手がける本は僕らにインスピレーションを与えるのか。新天地で次に何を仕掛けていくのか。
そして、11月13日には雑誌『WIRED』を復刊させるという。今こそプリント版を出す意義を、彼はどのように捉えているのだろうか。
聞き手:米田智彦・長谷川賢人 文・構成:長谷川賢人 写真:神保勇揮
松島倫明
編集者/『WIRED』編集長
1972年生まれ、東京都出身。1996年にNHK出版に入社。村上龍のメールマガジン「JMM」やその単行本化などを手掛け、2004年から翻訳書の版権取得・編集・プロモーションなどに従事。NHK出版放送・学芸図書編集部編集長を経て、2018年6月より『WIRED』編集長を務める。
翻訳書は「自分が知りたいこと」を旗印にする
ーー 松島さんはこれまでずっと「予言の書」を手がけてきましたね。
松島:いやいや(笑)。僕としては、いち早く日本の方に海外の新しい流れを紹介したり、インストールするといいと思える文脈をつないだりしたかったんですね。
『SHARE』でいえば、当時はいわゆるギフトエコノミーなどを含んだ経済圏が出てきて、その先にはシェアリングエコノミーのような事象も見えてきていました。僕は英語しか読めないけれど、英語圏だけでもその種の本はたくさん出版されています。日本に紹介されているものは、いつもほんの一握りしかないわけです。
2010年に出版された、レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース『シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略』。日本ではまだシェアハウスすら一般的な知名度を得ていない時期だったが、前年のクリス・アンダーソン『FREE』のムーブメントを経て「デジタルを用いたあたらしい経済圏の勃興」に着目し、手に取った読者も多かったはず。
同じように、深めたいと思ったことが出てきたときに、広大な世界の中での言説を探すと行き当たる。そういう意味では、僕の嗅覚は「自分が知りたいこと」なんですよね。
ーー ただ、それで「次々にヒット」というのは、なかなか出来ることではないのでは?
松島:翻訳書は300ページを超えるようなものも多くて、編集にも時間がかかります。数カ月かけて、その領域にぐーっと入っていると、すごく思索や思考が深まっていく。そうすると、今ある流れの「次」が見えてきて、社会がそこへ進むためには、どういった文脈なり補助線なりが必要なのかを考えられるんです。
翻訳書は、日本より先行している思想や事例をいち早く持ってくることが期待されています。たとえば、テクノロジーならアメリカ西海岸がリードしてきましたし、金融ならイギリス、哲学ならフランス……というように追うべき文化の流れがありますから、そこは押さえます。もちろん、海外のブックフェアで探すことだってあります。
ーー そういったフェアで翻訳権を交渉するわけですね。
松島:はい。フランクフルトのフェアが最も大きく、他にもロンドンやニューヨークでも開かれていますが、だいたい何千というタイトルを紹介されます。翻訳の世界では、現地で発売している本を探すのではなく、出版社や著者エージェントとミーティングをすると、来年や再来年に出す本の企画が一覧になって出てくるんです。誰が、どういったタイトルで、どんなことを書くか。執筆は進行中なのか、完成済みなのか。そういった段階で判断して、僕らは買っていく。
フェアに参加すると、たとえば「3年後にアメリカやイギリスで出版されるテーマ」がいち早くわかるのも面白いですね。本が刊行されると、レビューが出たり、実践されたりして、その言説が社会に影響を与え、文脈のひとつになっていく。その流れの中で、「このテーマなら何年後に盛り上がるだろう」と少しずつ予測もできます。
その中から、自分にとって興味があり、日本に持っていきたいテーマは何か……みたいなことを、常に考えながら見ていったわけです。
来るべき「ファン経済」のために、ロングフォームの記事を実験する
ーー そして、『WIRED』の編集長に就任されました。期待と共にプレッシャーも感じていられるのではないかと思います。
松島:そうですね。だいたい僕は、雑誌やデジタルメディアを作ってきたわけではありません。それこそ(前編集長の)若林恵さんが退任されて、「これから『WIRED』はどうなるんだろう」としか思っていなかったんですから(笑)。
ただ、僕自身は『WIRED』を90年代から読んでいて、ずっとファンでもあった。それこそ『WIRED』と一緒にイベントもやりました。冗談ですけれど、若林さんには「松島君のほうが『WIRED』っぽいから編集長を変わろうか」と言われたことはあったものの……。
ーー 若林さん、言いそうですね(笑)。
松島:僕はテクノロジーに明るいわけではありません。それよりも、テクノロジーがどのように社会を変えていくかに関心がありました。『FREE』『SHARE』『PUBLIC』にしても社会変革を考察した本です。『WIRED』にも他とは違う視点で社会を切っていくスタンスがある。
僕は『WIRED』が持つそういった側面が好きで、ずっと愛してきましたが、編集長の打診は青天の霹靂です。それに応えた一番のモチベーションは、このままだと『WIRED』がなくなってしまうかもしれない、ということでした。若林さんのようにはなれませんが、僕なりの『WIRED』を新しく作っていきたいと思っています。
ーー その新しさの点として、別のインタビューで「僕の考えるクオリティの高いコンテンツとはロングフォームの記事」だと答えていたのが印象的でした。
松島:そうですね。僕は元々書籍畑なので、コンテンツとしては長すぎるものをいつもやってきたわけですけれども……改めてウェブメディアにも取り組む中で、コンテンツには大きく2種類あると思うようになりました。
「クオリティとインサイトはあるけれども、ロングフォームで読まれにくい記事」と、「読んだ3秒後には忘れられるけれども、短めのニュースでとても読まれる記事」です。
ーー そのどちらかに、濃淡はあれど、ウェブメディアの記事は収まるわけですね。
松島:USの『WIRED』で編集長をしていたクリス・アンダーソンと話していた時に、彼から慰められたことがあったんです。「僕は書籍しか作ってこなくて、雑誌の経験はないんだ」と彼に相談したら、「実は『WIRED』は書籍寄りなんだから」と。もともとはインサイトを乗せたストーリーにこそ価値があり、ニュースのような情報単体には興味がなかったというわけです。
とはいえ、これからは両方をそろえていく必要があると思っています。それこそSEOを意識して作る記事もある。一方で、差別化という意味でも、広告モデルだけでは長続きはしないでしょうから、コンテンツを処理する仕方を考えないといけません。
広告モデルの先には、おそらくサブスクリプションモデルがあり、その先にはサロンモデルや投げ銭モデルといった「ファン経済」と呼べるものがある。それに併せて、コンテンツの消費もどんどん移っていくはずです。その時に、僕らのコンテンツを好きでいてくれる人たちを捕まえ続けるためにも、クオリティの高い、しっかりと長いエンゲージが取れるようなものをそろえていかないといけなければと思っています。
ーー ロングフォームとしての出し方や戦い方の戦略が必要なのですね。
松島:日々、今も模索しています。「もしかしたらプリント版と一緒に展開したら?もっとリアルをかませると違うんじゃないか?」とか。これからいろいろ試していきたいですね。
『WIRED』はライフスタイル誌。その真ん中には人間がいる
ーー 今、プリント版とおっしゃいましたが、復刊されるのですか?
松島:11月の刊行に向けて仕込んでいます(本インタビューは8月30日に実施)。判型、ページ数、定価も変える予定です。
ーー 「雑誌が売れない」時代にあって、読者層はどのように考えられてますか?
松島:『WIRED』は年齢やデモグラフィーで切りにくい雑誌であって、言うなれば『WIRED』的な価値に共感してくれる人たちが読んでいると思っています。
たとえば、ビジネスメディアに対しては「僕らもビジネスを扱うけれど、もうちょっとカルチャー寄り」だと言うけれど、カルチャーメディアに対しては「僕らはカルチャーも大好きだけれど、テックやビジネスもよく分かっていますよ」という独特な立ち位置。それが『WIRED』の創刊からの強みであり、そこを僕は崩したくない。
7月に、創刊編集長のケヴィン・ケリーを取材したついでに、『WIRED』のDNAや編集長としての心得も聞いたんです。彼は「『WIRED』はライフスタイル誌なんだ。その真ん中には人間がいる」という言い方をしていました。それはすごく大切なDNAですね。
今年7月、ケヴィン・ケリーの自宅でのツーショット
©Jason Henry
そして、僕らが扱う「テクノロジー」は、ある種ニュートラルな存在でしかないので、そこにどういう意味と文脈を与えるのか。最終的には意識的で楽観的な立ち位置から、それをエンドースしていくのが『WIRED』ですから、そこはブレずにいきたいと考えています。
ーー 話せる範囲で構いませんが、特集など内容については、どういった想定ですか?
松島:今回の第1特集は「ニューエコノミー」というテーマです。ケヴィン・ケリーが1999年に「ニューエコノミー」という言葉を冠して本を書いていますが、そこではデジタルテクノロジーの出現で実際に経済はどう変わっていくのかを、大きな流れの中で論じています。
そこから20年が経った今、見てみれば、それらの論考はほぼ全て現実化しているんです。「複製が容易なデジタルの時代は、潤沢にあることから、いかに価値をつくるかにシフトしていく」とか「ネットワーク経済になると、1社か2社が独占するウィナーテイクオールになる」とか。「100人や200人がコラボレーションできるようになる」ともあります。
そういった論考が20年経ってどうなったのか。その議論を起点にして、僕らも資本主義経済をアップデートしていかなければというのは、90年代からみんなも感じているところだったはずですよね。その道半ばに僕らはいて、この先には何かが見えている。インターネットによって情報の分散化が起こり、今の世の中があるんだけれども、あまり分散化しきれてないその夢を、今度はブロックチェーンに託そうとしています。
その先には、本当に分散化された社会がやってくるのか。あるいは、ネットワークの分散化によってFacebookやGoogleがデータを独占したような結末に、再びなっていくのか。そういった少し先を見通す一つの提案として「ニューエコノミー」を挙げたいんです。
ーー まさに経済は年代も性別も関係のない、全員に関わるものですしね。
松島:テーマとしてはど真ん中です。あえてそのテーマに寄せ、『WIRED』だからこそできる切り方を提示することで、特殊性や独自性が浮き立つような創刊号にできたらいいなぁ、と思っています。
雑誌は社会へのマニフェストである
ーー 一方で、メディアといっても現在はさまざまな表現媒体やビジネスの方法論があり、単純に「それはプリント版でなければいけないのか」という疑問もあります。
松島:今、紙で作るのは贅沢だと思うんです。かかる費用という意味でもそうですが、形あるものをつくるタンジブルな経験ができることこそ、他との大きな差別化になると捉えています。
僕は『WIRED』という「メディア」は、ウェブ、紙、イベントなどがあり、企業やビッグプレーヤーと一緒に「何か」を社会にインストールしていくためのプロジェクトもある、その総体だと考えているんです。
そして、『WIRED』はコンテンツを出すだけじゃなくて、そのコンテンツに強烈な自分たちのインサイトやストーリー、あるいはコンテクストを付与していく。さらに実際に社会実装までを担っていくのが、これからの使命だと考えています。
その使命において、雑誌の役割はマニフェストなんですよね。『WIRED』の最も尖っている部分を凝縮させていきたいですし、『WIRED』というDNAを最も表せるのは物理的な雑誌なのではないかと思っています。今回の創刊号は、クリエイティブラボの「PARTY」CEOである伊藤直樹さんに、クリエイティブディレクターに入っていただくんです。
ーー それは伊藤さんのキャリアにおいても珍しい仕事といえそうです。
松島:「2018年に雑誌を作ることの意味は何か?」と考えたときに、これまでのように作るのは意味がないと思いました。雑誌の素人である僕が携わる以上、大御所のエディトリアルディレクターを入れることで安定させる手もあったんですが、あえてそこを真逆に振り切ってみようと。「雑誌を作ったことがない編集長」と「雑誌を手がけたことのないクリエイティブディレクター」で雑誌を再構築したら何ができるのだろうと考えたんです。
伊藤さんは空間デザインが得意な方ですし、たとえば『WIRED』のイベントであるとか、場所としての「WIREDラボ」みたいなものもつくっていきたいと思っています。伊藤さんには、そういったところのプロデュースやディレクションでもご一緒していただき、新しい『WIRED』を作っていきたい。それ全体が「メディア」ですからね。
ーー 今日お話を伺って、松島さんは「社会とメディア」という関係性を強く意識されているのだと感じました。
松島:「社会にインストールしたい」という思いは、書籍編集者として過ごしたこの10年でも抱いてきました。刊行した本がどういうふうに日本の社会に受け入れられるのか。それがムーブメントになっていく萌芽が見えたら、それを応援するようなコンテクストの本をさらに出すことで、動きを加速させていく……というアクチュアルなインタラクティビティを感じてきましたから。
ーー 「社会実装」は言葉にするのは簡単でも、実現するのは簡単ではありません。そのために必要なことは、どういった仕掛けだと考えますか?
松島:文脈に補助線を引いてあげることですね。それによって「この本を、なぜ今、僕は読まなければいけないのか。社会にとって、なぜこの考え方が大切なのか」を伝えることが、社会実装においては大切です。そして、それができるのがメディアという仕事だとも思っています。メディアにとっての一番の仕事は「意味と文脈を与える」ということですから。