日本の高齢化が進んでおり、それに伴って介護の需要が激増していることは、今さら語るまでもないだろう。たとえば訪問リハビリの受給者数は2007年4.0万人から16年には9.2万人(厚生労働省「介護給付費実態調査」)と、10年ばかりで2倍以上に増加している。介護業界従事者も増えているものの、その有効求人倍率は全産業より高く推移しており、人手不足はことさら深刻だ。
仕事は増える、人手は足りない。それならば業務を効率化しなくてはいけない。今回紹介するMoffは、介護業界をITやウェアラブルデバイスで効率化し、かつ新しい価値を生み出しているスタートアップだ。
取材・文:納富隼平 写真:神保勇揮
高萩昭範
株式会社Moff 代表取締役
京都大学法学部を卒業後、A.T. カーニーに就職。その後、メルセデス・ベンツ日本および外資系食品メーカーで商品企画を担当。2013年1月に大阪市で開催された『ものアプリハッカソン』への参加をきっかけに、ウエアラブルデバイスの開発を目指してMoffを設立。
ハードウェアはシンプルに。ソフトウェアで拡張を
Moffはウェアラブルバンド「Moff Band(モフバンド)」を開発し、連動するさまざまなアプリケーションやサービスを開発・運営しているスタートアップだ。その事業は大きく「キッズ」向けと「ヘルスケア」に分けられる。
Moffの事業の全体像(取材をもとに筆者作成)
Moffのすべてのサービスの礎となっているのが、前述のモフバンドだ。手首や足首などに装着することで、「手を振る」「足を上げる」といった体の動き(各種身体能力や認知能力など)を認識・計測できる。
モフバンドというハードウェアでできることはとてもシンプルで、機能はアプリケーションを用いて拡張する。この構造はそれは高萩氏が起業時に訪れたシリコンバレーでの経験が元になっているという。
「2013年にモフバンドの原型を持ってシリコンバレーに行きました。当時はちょうどハードがインターネットにつながる時代になると言われていたころ。ハードウェアの良し悪しだけにこだわるのではなく、ソフトウェアで機能を拡張していく思考が重要だとアドバイスをいただきました」(高萩氏)。
当時はまだビジネスモデルは考え抜かれていなかったというが、モフバンドの魅力はシリコンバレーでも受け入れられたという。具体的なサービスについては後述するが、以下の点が評価され、今ではMoffは「体験をデザインすることに成功したサービス」としてデザインスクールのケーススタディにもなっている。
●ハードウェア(モフバンド)をシンプルにした
●ハードウェアとソフトウェアを組み合わせて拡張できる汎用性
●子どもや高齢者が自然と体を動かして元気になっていくユーザー体験のデザイン
レポーティング機能に着目し、ヘルスケア業界に進出
Moffが最初に始めた事業はスマートトイ。これは子どもがモフバンドを手首に装着して動かすと、その動きを検知してさまざまな遊びが体験できるというものだ。たとえばアプリを起動してドラムを叩く動作をすればドラムの音がするし、野球の素振りをすればカキーン!という音がする。
スマートトイ事業では各社と提携して、アプリケーションの共同製作もしている。たとえばバンダイナムコエンターテインメントとは往年の名作「パックマン」と腕の上下左右の動きを連動させたゲームを製作しているし、学研グループとは紙芝居に音を加える「おとしばい」を開発した。
そしてMoff社が現在注力しているのが、「モフトレ」「モフ測」「Moffロガー」からなるヘルスケアのBtoB事業。主に介護やリハビリなどで利用してもらうサービスだ。
モフバンドはスマートトイとして展開していたものの、当初から介護やリハビリなど医療・ヘルスケア領域での利用も視野に入れており、地道に研究を重ねていた。その社内研究の延長にあるのが「Moffロガー」だ。
これはモフバンドで計測した各種モーションデータをCSV形式で出力するサービス。大学や研究所などで、高齢者の動作やスポーツ選手の運動フォームといった研究・分析に活用されている。モーションデータを取得する他のサービスは、専用スーツを着たり大掛かりな撮影機材が必要だったりと、導入・運用の負担が大きい。しかしモフバンドだけならひとつ数千円で済むし、複雑な取り付け作業も必要ない。高萩氏は「全身ではなく身体の一部の動きを測るなどの限定的な用途なら、数千万円するようなサービスでなくともMoffロガーで十分に有益なデータが取得できる」と話す。
上記のようなMoffロガーの技術を、介護やリハビリに応用したものが「モフトレ」と「モフ測」だ。「モフトレ」はモフバンドを使った介護予防プログラムで、「モフ測」はモフトレで実施した運動を見える化して記録するサービスだ。介護施設などにいる被介護者に装着してもらい、タブレットのアプリに従って運動をしてもらう。すると「○○さんは腕を5回上下した」といったかたちで運動内容を計測・記録してくれる仕組みになっている。
従来の介護施設による運動プログラムにはいくつも課題があった。まず運動をしてもらうには要介護者の前で職員が実演しなければならないが、専門外の人だとノウハウがなく実演に苦手意識をもっていることも多いし、専門の担当者が常勤していない施設は多い。前で実演するだけでなく、横で高齢者をサポートする人も必要だ。そしてなにより介護報酬の加算請求の申請の都合で、誰がどんなプログラムを行ったのかをレポートする必要があり(手書きでやる施設も多い)、これに結構な労力と時間がかかってしまう。
こんな時に出番となるのが、三菱総合研究所と共同開発した「モフトレ」と「モフ測」だ。
介護施設の利益アップと職員の負担減を両立
モフトレには約20種類の介護予防プログラムが用意されており、それをタブレット経由でテレビなどに接続するだけ。つまり実演の必要がない。単純に人手がかからないし、苦手なことをするという精神的苦痛からも解放される。
またモフバンドは装着した人の動きを解析して取得してくれる。被介護者がどういった運動をどのくらいやったかというデータを、モフ測を使えば自動でアウトプットできるのだ。これを出力するだけで、申請に必要なレポートが完成するので、今まで費やしていた時間が大幅に節約される。
モフ測では被介護者の運動を自動計測・出力する。上記はイメージ
介護施設はビジネスモデル上、稼働率を上げたほうが収益性が高くなる。そうすると重要になってくるのが、ケアプランの作成や介護施設との調整を行うケアマネージャー(介護支援専門員)からの紹介だ。ケアマネージャーは当然、しっかりと運営していて評判の良い事業者から紹介してくれる。つまり、モフトレやモフ測は省力化だけでなく介護施設の売上アップにも寄与できるのだ。
一般的な施設が手書きのレポートを作成している(品質にばらつきもあるだろう)のに対して、モフトレを導入している施設からは、「どんな人がどんなプログラムを受けていて、どんな効果があったのか」といったビジュアル付きのしっかりしたレポートが報告されてくる。そうするとケアマネージャーからの評判が上がり紹介も増え、施設の稼働率が上がるようになる。とくに近年は要介護者が増えているといった事情もあり、寝たきりを防ぐような事前予防や寝たきりからの自立支援にも対応しているモフトレはその必要性が高まっており、施設の評価上昇にも貢献しているようだ。
確かに一般的に介護施設(とくに中小の施設)には、大規模な投資ができるほどの体力がある事業者は多くはないだろう。しかしモフトレを導入すれば稼働率の向上による売上増大や、職員の負担軽減に伴う離職率の低下が見込める。デイサービスで個別訓練ができれば売上アップにつながるし、前述のモフトレの自動レポーティング機能は職員の作業時間を大幅に低下させる。
つまり介護施設からするとモフトレは単なる便利ツールではなく、増収と経営効率化を期待できるITシステムなのだ。単なる投資はしにくい介護施設も、経営に寄与するとなれば話は別。実際にMoffのことを知った介護施設や事業者からの問い合わせも多く、商談の成功率はかなり高いそうだ。
「介護施設のIT化」には多くの可能性が眠る
ここまでの話では、たしかにMoffが提供するソリューションは介護施設にとって喜ばしいように思える。しかし一般論として、介護施設そのものがIT化していけるのか、また高齢者、とくに認知症の人がモフバンドというIoTデバイスを装着しての運動は、問題なくできるのだろうか。その点高萩氏は「まったく問題ありません」とする。
導入時のセッティングなどは利用者ではなくMoff社や施設側が行い、高齢者はモフバンドを装着して30分程度の運動するだけ。リズムに反応して動くというのは人間の根源的な活動だそうで、認知症の人でも問題なく運動できるという。
「モーションバンドを高齢者に装着して運動していただき、データを取得するということは未知の世界でしたので、われわれも当初は不安でした。なので介護施設の方々に相談したのですが、皆さん口をそろえて『絶対に喜んでやってくれる』と言うのです。実際にやってみると、確かにみなさんやってくださったんです。自分たちで言うのもおかしいですが、認知症の方までやってくださったときは本当に驚きました」(高萩氏)。
モフトレは現在デイサービスに導入されているケースが多いという。デイサービスではボランティア介護を手伝うこともあるそうだが専門家ではないため、入居者の話し相手などしかできないといったケースも多かった。その点モフトレなら、ボランティアが運動の補助もできるようになるかもしれない。介護業界の人材不足が叫ばれる中、業務を効率化したり各人のできることを広げていくのはITの重要な役割で、Moffは今後もさまざまなことができるよう、さらなる機能追加を画策しているそうだ。
ハード・ソフト開発に留まらず、ビッグデータの活用にも意欲
モフトレを導入することで介護施設の課題解決をしているMoffだが、レポーティングなどの機能を提供しているだけでなく「誰がどんなトレーニングをすることで、症状がどれだけ維持されたり改善されたか」というビッグデータを取得しており、このデータの活用も考えている。ニーズがありそうなのは「保険」の分野だ。
既存の保険システムだと一定年齢以上はリスクが高いとされ、加入できないといったケースがある。しかし実際には年齢が低くてもリスクが高い人もいれば、その逆もある。モフトレで取得したデータによって「こういう運動をすればリスクが低くなる」といったことが判明していけば、リスクコントロールが定量的にできるようになるのだ。これにより今まで全く保険に入れなかったような方でも保険に入れるかもしれないし、保険会社は新たなビジネスチャンスになる。将来的にはモフトレのこのトレーニングをしてくれれば保険料が安くなる、といったこともできるかもしれない。
また同様の考え方は老齢リハビリだけでなく、交通事故からのリハビリのリスクコントロールなどにも使える可能性がある。リハビリを支援する理学療法士も、「理学」だけあって定量的なデータを扱うことには積極的。むしろ今まではなかなかリハビリの定量的な効果を示せなかったものが、Moffの取組みによって「2週間でこれだけよくなった」といったことをデータを用いて患者に示すことができれば、説明もしやすくなる。
最後にMoffの今後の展開について伺った。
「既存の介護業界には多くの課題があり、モフトレやモフ測をその一部だけでなく全体をカバーするサービスに拡張していきたいと思っています。対応疾患を増やしたり、すでに様々な情報が入力されている介護請求ソフトと連携させたり。リハビリの総合ソリューションとなるべく、積極的に医療やヘルスケア分野を攻めていきます」(高萩氏)。