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なぜ組織をゼロから再構築しなければならなかったのか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【後編】
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  • 2019.04.02
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なぜ組織をゼロから再構築しなければならなかったのか。東浩紀が振り返る『ゲンロン』の3年間【後編】

前編はこちら

批評家・思想家・作家として、そして出版社「ゲンロン」の代表として日本で類を見ない独自のポジションを築き上げてきた東浩紀氏。同社の事業の核として発行してきた批評誌『ゲンロン』が、東氏の単著『ゲンロン0』を含め3年間で全10冊を刊行し、第一期が終了となった。

このタイミングで東氏にインタビューを敢行し、『ゲンロン』3年間の振り返りおよび、今後の事業展開、そして作家としての東氏がどんなものを書いていくのかということをうかがった。

後編では、今後の事業展開の話題に関連し、SNSで突如発表されて物議を醸した社内体制の大幅変更(同氏が代表退任を申し出る直前のタイミングだったが)の意図についてを中心にうかがっている。前編でも「金儲けのためではなく理念のために会社をやっているし、事業を遂行するスタンスやそのアウトプット自体がすべて理念を反映している」と語ってきた、「経営者」としての東氏がこれまで何を考えてきたのか。率直に語っていただいた。

※この取材は2018年12月7日に行われたものです。

聞き手:矢野利裕 文・構成:神保勇揮 写真:松島徹

東浩紀

1971年生まれ。東京都出身。哲学者・作家。専門は現代思想、表象文化論、情報社会論。 東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。株式会社ゲンロン前代表、同社で批評誌 『ゲンロン』を刊行。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞)、 『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』 (新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『弱いつながり』 (幻冬舎)など多数。2017年刊行の『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン)で 第71回毎日出版文化賞(人文・社会部門)を受賞。

自己啓発的な言説となぜ距離を置くべきなのか

―― 2019年はさらに新しいスクールを立ち上げるそうですが、どういうコンセプトですか?

東:新しいスクールを始めるのは早くても2019年の秋くらいになっちゃうと思うんですけど、新元号が発表されてから名前を決めようかと思っていて(笑)。

―― なるほど(笑)。楽しみです。

東:改元された後に「ゲンロン平成塾」っていうわけにはいかないですし(笑)。今考えているのは、基本的にいろんな人に講義をしてもらって、講義とワークショップを組み合わせて最後に論文を書くだけじゃなくて、例えばイベント企画とか事業計画みたいなものでもいいので、プロジェクトのプレゼンテーションもしくは論文の執筆みたいなアウトプットにすることによって、単に文章を書きたい人じゃない人も入る塾にしようと思っているんですよね。思想とか哲学を学ぶということはアウトプットで思想っぽい文章を書くことだけではないはずなんですよ。ここが今までの限界だったなと思っているんですよね。

―― それこそ2000年代ってITエンジニアみたいな人が思想家、批評家的な要素を兼ねたある種のカルチャーヒーローとしての側面もありましたよね。ニコニコ動画の川上量生さんであったり、スマートニュースの鈴木健さんであったり。そういう流れを経て、今のスタートアップはバンドを組むような感覚でものすごい数が誕生しています。

東:ただ、今のIT系の若い人たちは、本当に単なるバンドというか、お金を稼ぎたい、女にモテたいな部分がどんどん強くなっているように感じます。思想の入る隙もないですよね。

―― 逆にそういう人たちをゲンロン側に引き込んでいくというのは?

東:率直にいうと、どんどん難しくなっていると思っています。そもそも金回りがいいし、わずか3年くらいでスターダムにのし上がれる、みんなが一攫千金と女にモテてウハウハっていうのをイメージして入ってくる人たちがいる世界になっちゃった。若手論客のオンラインサロンみたいなのは、そういう望みをもつ人をターゲットにして、金を巻き上げるべく自己啓発セミナーをやっているという生態系になってしまった。

いずれにしても、あれは一時のバブルであって、数年から5年くらいでまた状況は変わりますよ。あそこには哲学が入る余地はないし、一度入り込んでしまったら戻ってこれなくなる。そっち側に巻き込まれちゃうと、ゲンロンのやっていたことが崩れると思っていますね。

―― それこそ「ビジネスに役立つニーチェの言葉」とかになっちゃうわけですね。

東:そうですね。例えば「批評とは医者みたいなものだ」と定義するとすれば、僕がやっていることは、マッサージみたいなものになるわけです。ガチガチになった体をほぐして調子よくするみたいな。思想や哲学にはそういう機能があると思いますけど、今の自己啓発系のオンラインサロンとか自己啓発系の哲学書はどちらかというと美容整形外科なんですね。「あなたが活躍するために鼻をキレイにしましょう」とか「目元を整えましょう」というアピールで、そのためにメスを入れていく。

金儲けと理想を対立させると、理想ってすごく弱い立場で、「理想はあるだろうけど、現実はこうだよね」とすぐなるわけです。でも大事なのは、現実主義だけで考えると暴走してしまいがちだし、ビジネスとしても壊れるから、ある程度抑制するタガを自分の中で作らないといけないということなんですよ。理想というのはそのためにある。

こういうと、「そんなのは東さんがある程度儲かっているからだ」と言う人が必ずいるんだけど、僕はそう思ってなくて。ビジネスって必ず自己増殖していくから会社が大きくなるし事業も大きくしていきたくなるし、そしたらどんどん最大公約数的というか安易な方向に人は行くわけですよね。それをどう抑制するかを考えておかないと、メディアだったら「誰かを攻撃するような文章の方がPV取れますね」とか「会社が大きくなったんだからキレイ事は言ってられない」とかになって、俺は何のためにやっていたんだっけということになっちゃう。やっぱり現実の暴走をいかに抑制するかを考えていたほうがいいと思うんですよ。

―― 僕がよく感じるのは、いつどこに行っても同じような人が同じようなことを話しているという息苦しさです。言葉の自己増殖と資本主義的な自己増殖は同義的で、商売も絡むと「数字が取れるからあれと同じような企画で」となってしまいがちです。ゲンロンではそれを志向せず、何と何をどうミックスするか、そもそもミックスするような場とはどういうところなのかを考えているということですよね。

東:すごく大雑把に言うと、結局今の社会っていろんなコミュニティがセグメント化されていて、そのそれぞれの分断されたコミュニティの中で自己増殖した言葉がグルグル回っている。

今の若い人たちにとって「どのコミュニティを選ぶのか」ってことは生涯年収に直結するので、金持ちが集まっているコミュニティを選ぶ人が多くなる。最近だと若いうちからインターンに行ってベンチャーの奴らとつるんでいるだけでいつの間にか年収1億になりましたという話になる。だからそういうところに人が集まっているんだけど、本質的にはこんなことはすべてがどうでもいいことです。問題は、人はお金の奴隷だけじゃなくて言葉の奴隷にもなりうるということ。いつも同じようなことばかりしゃべっていると、同じような言葉を使うひとの中でしか生きられなくなってくる。それが不自由なわけですよ。

そうすると、人間というのは自分の中が空っぽになって「俺は何のために生きてきたんだろう」という状態であっという間に年を取ってしまうんですよね。そういう中でもう一度言葉とかお金の主導権を自分に取り戻すってことがすごく大事で、それが結局自動機械化した世界から距離を取るということになるんです。

だから僕らがやろうとしているのは、それをするための手助けをするってことですよね。それぞれの世界の人に対して「あなたがいる世界の言葉からちょっと離れなさい」と言っていく。それが哲学とか思想の機能だと思っている。

尖ったコンテンツ、尖ったコミュニティだからこそ「緩いつながり」を求める

東:「こういうようなことを言っていて本当に金が儲かるのか」という話なんですけど、僕の今までの経験から言うと「意外と何とかなる」と思ってます。なぜかというと、一言でいえば、人は結構気まぐれなものだからです。哲学とか思想に一生コミットするひとは少ないですけど、「月に1回ぐらいなら聞いてみようかな」という人はそれなりにいる。そういう人が30日に1回お金を落としてくれれば、結構なお金になったりする。そもそもインターネットって、そういう風な集金の仕方を簡単にできるようになっているわけですよ。だから昔とコミュニティの作り方が違ってくる。

昔だったら、哲学をやっているなら、哲学のコミュニティに入るか入らないかという感じだった。そんなフィルターをつけたら数十人しかきません。それが今はすごくゆるく組み立てられる。ゲンロンのコンテンツはあくまでも商品だから、有料動画を1回観るだけとか緩やかなコミットができる。別に僕のツイッターをフォローしているだけでもいいんです。そういうふうに緩いコミットの階段をいっぱい作れるのがインターネットのいいところで、1年間のうち360日くらいは哲学や思想のことを考えてなくても、残りの5日間だけそういう気持ちになって金を落とすことがあるんですね。そういう人たちからチャリンチャリンと小銭を集めていると、意外と原資が集まることはあるんです。哲学なんかは、これからはそういうふうにして存在するべきだと思っています。

それが「資本主義とかビジネスの世界から離れた、哲学だけをやっているユートピアな世界を作る」って発想になると、まさに、友と敵、内と外をわけるという発想になって、哲学の内側の世界に入るためにはすべてを捨てて出家しなきゃいけないとかになる。この点で、インターネットのテクノロジーは僕にとって非常に重要で、それこそが、僕が言うところの「誤配」のテクノロジー、つまり、確率的な間違った配達の経路、一生哲学のことなんて考える機会がなかったであろうひとが、確率的にたまたま哲学のことを考えたいという気分になった時に、落とす金を集金できるテクノロジーなんですよ。

―― 面白いです。僕としては、そういうグラデーションのある場として、中等教育に意義を見出だしているところがあります。中高生というまだら具合の感じが刺激的で。東さんは中等教育というものについてはどう思われますか?

東:中高生の本当の良さは、階級横断的な、本来大人になったらばもうできないような類の友達ができることです。それは本当に素晴らしいことだと思うんですが、僕は残念なことに筑波大学駒場高等学校という進学校にいたために階級横断もへったくれもなくて、同級生の半分以上は東大に行った。僕自身も中学校から大学院を卒業するまでずっと駒場東大前の駅で降りていた(正確には中高時代は池尻大橋駅を使っていたのですが、まあそれはそれとして)。だから僕は、いま言ったような豊かさを経験していないんですよね。

逆に言うと、それを人工的に回復しなきゃいけないというのがゲンロンのモチベーションのひとつになっていると思うんです。裏返して今の矢野さんの質問に答えれば、ゲンロンでやっていることと矢野さんとかが中高生の教育に見ているものがどこか一致しているように見えるのは当然といえば当然で、これって、要は普通は思春期にやることです(笑)。思春期にバンドを組んじゃうような。

でも思春期的なものを回復させるのはすごく大事で、頭が緩むってことはそういうことだと思うんですよね。30代、40代になってくると、自分の人生はほとんど確立しちゃってて動かせないものに見えてくる。自分の仕事、人生、家族、これは絶対に動かせなくて、あとはこの人生をどうやって全うするかという発想になっていくわけです。本当は、人生自体はどんなトラブルが来るのかわからないし、全員がゲームとしてまっとうできるわけはないんですね。でも人はそう発想しちゃう。その発想に自分が閉じ込められていくというのを揺るがすのは、ある意味で思春期に帰すみたいなものなんですよ。何でもなれた頃の自分の気持ちに戻すっていうこと。ゲンロンでやっているのもそういう話ですね。

制作と運営が対立するならば、ゲンロンは制作が勝つ会社にしたい

―― では次に今後のゲンロンの経営についてうかがいたいです。以前、「ゲンロン友の会の上級会員専用のFacebookページで今後のゲンロンのミッションを書いた」とTwitterに書いていましたが、どういう内容だったんですか?

東:まず、ゲンロンの運営についてですが、「制作の思想」と「運営の思想」の2つがあるとします。制作の思想というのは人がどんな風にものを作ったりしゃべったりするかを考えることで、運営の思想というのはロジスティクス、つまり本の原稿用紙何枚でいつ出版するか、スケジュール、コンプライアンスはどうかっていうやつです。

ゲンロンはその中で制作の思想が勝つ組織じゃないといけないんですよ。でも僕たちは運営側だし、会社がある程度大きくなってくると、ゲンロンという会社の中でも確実に運営が勝っていくわけですよね。ここ1年間くらい実はうちの会社ってすごくスタッフが増えていて、その結果すごく運営側が強くなっていたんですね。

そうすると僕が、日々社内のなかの運営に頭を下げなきゃいけないみたいなことが起きる。これがイライラしてたんですよね。一方では社員からは経営者になれと言われつつ、他方では僕はうちで最も儲かる商品を作れるプレイヤーでもある。例えば、トークイベントをやるなら延長して盛り上がった方が絶対に儲かる。でもそれは「延長しすぎるとバイトが帰れない」っていう感じで運営スタッフから文句を言われる。

お金も儲けなきゃいけないし、スタッフのことも考えなきゃいけない。運営側の僕と制作側の僕が分裂して、バランスが取れなくなっているのがずっと続いている。外からは見えなかったと思いますが、ここ1年間くらいどんどん経営がやりにくくなっていたんです。それである時にドーンときてしまった。

それで仕切り直すことにして、肥大化した組織をスリムにし、「ゲンロンは基本的には制作者の側に立つ会社であって、運営側のロジックでイベントとか書籍の刊行スケジュールをコントロールするようになったら終わりである」という原点に戻ろうと。ゲンロンカフェがなぜ特異なトークスペースになっているかというと、登壇者でもある僕がトップだからです。これはすごく大事なことで、ぶっちゃけ登壇者は何時間でもしゃべりたいわけですよ。これは僕だけの話じゃありません。休憩を入れたくないとかすごくワガママだったりする。でも運営側からしたら2~3時間で終わってくれないとスタッフが帰れなくて困るし、途中で休憩を入れてくれなきゃ飲食が出ないから困る。終了時間が23時を過ぎちゃうなんて、終演後の物販が売れなくてありえない。細かいところでも、「登壇者はカメラの画角に収まるところに座ってくれ」「動かないでくれ」とか色々あるんです。

でも、ゲンロンカフェは僕がことごとくそれを無視するんです。だから登壇者にとってすごくしゃべりやすい空間ができているわけですね。これは僕がもし登壇しない人間だったら絶対できない。でも実はこれがけっこう大事なことで、常に登壇者の側とか執筆者の側に立たなきゃダメだと。でもこれが社内的には社員とすごく衝突を起こすんですよね。それで疲れてしまった。

―― 株式会社ゲンロンにはNo.2的な方はいらっしゃるんですか?

東:副代表は上田洋子さん(このインタビュー後、2018年12月からは東氏と入れ替わりで代表に就任)です。うちの会社は上田洋子と徳久倫康という人間がいて、この3人が実質的な創業メンバーです。どういうことかというと、2014年くらいにうちはほとんど潰れかけているんですよ。奇跡的になんとかなったんですが、そのときにとにかくスタッフがいなくなったり問題が起きたりで大変だったんです。そのときに残ってくれたのが上田さんと徳久くんです。徳久君はまだ若いんだけど内部のコントロールをしていて、他方で上田さんは僕の右腕として外部との折衝をやっていて、僕が統括という感じなんですね。

ただ、それとは別に、いまはスタッフがワラワラと増えてどんどんシフト表も膨らんでいて、放送も一人が画角の調整、別の人がコメントチェックをして、トイレに行く時のためにもう1人入れた方がいい、だから絶対に3人は必要ですとか、そんな話ばかり聞かされている。人件費がどんどん膨れ上がっているんです。おまけにうちの社員は、そういう会議のあとイベントを平気で入れてくるので、ほんと会社が嫌いになっちゃいますよね。

―― 企業あるいは組織が成長する時に不可避的に起こってしまう軋轢ですね。

東:そして、そうしているうちに、いつの間にか運営側のスタッフ主体でいろんなことが決まるようになっていたんですよね。編集バイトのスケジュールが無理だから刊行スケジュールを遅らせるとか、そういう世界になっていた。じゃあ俺ら執筆側の健康管理はどうなるんだと。主従が逆転していた。

こういう話をすると、東さんは制作をやって右腕で運営をしてくれる人がいて、その両輪でやるべきと言われます。でも、僕はそれは絶対に運営の人に会社を乗っ取られるだけだと思うんですよね。それをやってはいけない。多くの会社がそれをやっているのは、リーダーが神輿だからですよね。「東さんはここで好き勝手なことをしゃべってください、あとは運営がやりますから」って。うちでもそういうことを言い出したひとがいた。そうしないためには、僕自身が制作者かつ運営者でもあることが大切なんですね。

僕自身も、運営側が増長してきたら容赦なく切るくらいの厳しい意識を持っていないとダメなんだというのが、今回学んだことです。運営の思想は資本主義の思想であり市場の論理であり、またコンプライアンスの論理なんですが、今の出版や大学がどうして堕落しているのかといえば、要はみなが全部運営側から発想するようになったからです。例えば、大学でいえば昔は学生会館が24時間開いていたけど、セキュリティ会社が入って22時には全員追い出すとか。どんどんそういうことになっている。コンプライアンスとかハラスメントの問題もあるから教師もなるべく飲み会に行かないでくださいとか、学生と1対1でメールの相談に乗らないでくださいとか、そういうことが平気で言われているわけです。でもそういう運営側のリスク管理を突き詰めていくと、教育ってできなくなるんですよ。

もちろんうちも無制限のリスクを取るわけにはいかないんだけど、ある程度リスクを取るという方針にしておかないと、やっぱり最終的に「運営としてはリスクを取りたくない」という方向に動いちゃうんですよね。

「飲み会」をめぐるジレンマ

―― なるほど。確かに教育現場においてつきまとう問題ですね。

東:ゲンロンではスクールもやっているんですが、これがすごく飲み会が盛んなんですよ。平日なのに20人とかの規模で徹夜しているんですよね。そうすると飲み会を楽しみに授業に来るようになるんですが、これも馬鹿にできないと思っていて。

スクールの中でもSF創作講座が典型なんだけど、飲み会には一流のSF作家さんも来るし編集者も来る。むろん、作家さんはすぐ帰るんだけど、それでも受講者にとってそういう人たちと酒を飲みながら1~2時間しゃべるのは大変なインパクトがある。ちょっと才能があるひとだとそれだけですごい伸びる。人間のクリエイティビティって不思議なもので、自分の気持ちによるドーピングみたいなところがすごくあるし、芸術というのはお互いのコミュニケーションの中からアイデアが出てくることもあるから、飲み会ってすごい大事なんですよね。

カルチャーセンターみたいなところで講座をやっても、蛍光灯の下で2時間しゃべって終わりでは意味がない。授業後の個人的な付き合いは、教育にとってすごく重要だというのをゲンロンで実感しています。でも、これを「このスケジュールで絶対にやります」とカリキュラムには組み込めないわけです。けれども絶対そこが大事で、むしろそっちがメインくらいの感じだからこそ、運営側としてはすごく悩ましい。それは、教育というものを「対価を払ってもらったら何時間教えます」という等価交換のモデルで考えると、絶対に入ってこないものなんですよね。簿記の外にあるものなんですよ。そういう意味でも、ゲンロンがやっているのは、交換の論理ではなくて贈与だと思っています。そこをどうやって維持するかがうちの会社の今後を決めると思うんですよね。抽象的に言うと。

―― すごくよくわかります。

東:これがとても難しいんですね。具体的には、まさか業務命令でスタッフを飲み会に行かせるわけにはいかない。しかし行ってもらわないと困る。そこでブラックと言われてはいけない。どうするんだ。そういう知恵です。

―― 個人的には「俺が言ってるんだからわかるよな」という相互的な信頼関係に持っていけるかどうかなんじゃないかと思っています。そうなると普段の振る舞いや関係性がすごく問われます。

東:そういうことを考えていくと、最終的には授業の単価を上げていくしかないんですよ。「4時間の授業でいくらだと書いているんだけど、実質は4時間の授業プラス2時間の飲み会でこの料金なんだ」という感じで。ただ、現状は飲み会はあるかないかわからないわけですからね。そのなかで投資してもらうしかない。だからこれって資本主義のモデルにすごく弱くって、いまは、明記されたプログラムを豪華にして「この対価がこれです」と言わないと情報として拡散していかないんですよ。そこら辺はずっと悩みどころですね。

うちでやっているチェルノブイリのツアーもそうなんですけど、体験した人は「すごく安い」と言ってくれるわけですよ。僕はツアー中に参加者と毎晩一緒に飲んでいるんです。僕は飲み会くらいしかやることがないので、常に飲み続ける。それで体を壊しそうになる(笑)。とにかく常に飲んで感想を語り続ける。そして上田さんは、朝から晩までずっとウクライナ人との通訳をやっている。集中セミナー+集中飲み会みたいなのが4日間あるわけ。これは大変なプログラムだということは参加した人はわかってくれるんだけど、「東が参加する飲み会があるよ」とは書き込めないでしょう。書いたとしても飲み会が楽しいってなるだけで、これじゃあなって(笑)。

この部分の効果というのは、どうしてもアピールの言葉にならない。もしゲンロンの将来についてビジネスみたいなことを言うのであれば、この交換論理の外側にあるサービスをどういうふうにギリギリ言語化し、対価がもらえるものにしていくのかというところが、挑戦になるんだと思いますね。そこが実は売りなんだけど、売りにできないんですよ。

人は2時間以上相対しないと面白い会話が出てこない

―― でも、いまゲンロンに来ている人は何となくそれを感じ取っているんだと思います。

東:そうだといいんですけどね。時々言っているんですけど、ゲンロンカフェというのは、TEDなら3分でやることを3時間かけてしゃべっているスペースなんですよ。当然、3分の方が効率よく見える。ゲンロンカフェでもパワーポイントを使う人はたくさんいて、最初に情報が一気に入ってくる。で、残りの2時間57分は何をやっているかというと、3分のパワーポイントが面白く自分の中に入ってくるための環境作りをずっとやっている。このパワーポイントを作った人がどういう人なのかがわかるわけです、しゃべることによって。

ゲンロンカフェに登壇する東氏

そして、話す内容に含まれているニュアンスが、色々わかってくるみたいなことをずっとやっているわけですよね。ここの部分を無駄だと考えるか必要な情報だと考えるかということなんです。必要だと考えてくれればゲンロンカフェみたいなスタイルはもっと広がっていく。でも、今のアメリカ型の資本主義だと「時間も消費させない」みたいな方向に行っているので。

―― 大半のトークイベントは90分とかせいぜい2時間とかで終わりますけど、ゲンロンカフェでの3時間超え連発なトークイベントに一度行ってしまうと「ここで終わらせずに3時間やればもっと面白くなるのにな…もったいないな」と感じてしまうことは確かに結構あります。

東:無制限にする必要はないけど、とりあえず3時間にするのがいいですよ。僕の今までの経験から言うと、人は2時間までは何も大事なことはしゃべらないですね。特に初対面の人との場合、その人が今まで言ってきたことの繰り返しみたいなことしかしゃべらない。でも2時間経つと、登壇者も疲れてくるんですよ。だんだんどうでもよくなってくる。ここから先が大事で、そうすると変なことを言うようになるんですよ。「こんなことを言ってきましたけど、ぶっちゃけ全部どうでもいいんですよね」みたいになるんです。その地点に到達して、初めて面白い話が引き出せる。

逆によくトークイベントや座談会が2時間で設定されているのは、2時間ならみんな疲れないからだと思います。だからこそ疲れる時間を設定するのが大事。依頼した時に嫌がられることもあるんですけど、1回ゲンロンカフェでやると「3時間くらいしゃべっても楽しいな」ってなって、次に来る時は文句は言われない。

例えばネット生配信とかの投げ銭システムだと、ある瞬間だけ面白いことを言うヤツが勝ってしまうし、そこの部分だけ炎上する。SNSってそういう傾向が強いところですよね。けれど、ゲンロンカフェのイベントは有料中継やアーカイブ配信をしていて、観るために500円を払うと、批判するために買ったとしてもその他の部分も観てしまうので、「批判されてる部分も観たけど、全体としてはそこまででもないかな」という気持ちになるんですよね。ゲンロンカフェってかなり過激なことを言っている放送もいっぱいあるんだけど、ほとんど炎上しない。なぜかと言えば、結局人間は、一定時間話を聞いてしまうと相手の言うことがわかってしまう生き物なので、そんなに批判できなくなるんです。だから、時間を拘束するのってすごく大事なんですよ。

特に政治的な言論については絶対そうなはずで、意見だけを取り上げて対立させたら解がない。そこで解を見つけるということは、「相手の言っていることにもそれなりの理があるかも」とお互いに思うことしかないんですよね。その空間を作るためにはブログなんかいくら書いても仕方なくて、要は一定時間身体を拘束するしかない。そのための場所をどう作るかが大事になると思います。

哲学的紀行文のようなものを書きたい

―― 最後に作家としてもお聞きしておきたいんですけど、『ゲンロン9』で今後は東さんは紙のゲンロンでは巻頭文を書かない、代わりに毎回長い文章を書いていくと書かれていましたが、どういったことを執筆していくのかなと。

東:前編でプラープダー・ユンの話がありましたけど、ああいう哲学的エッセイみたいなものを書いていきたいなと思っています。『ゲンロン10』に関してはこの間ロシアの旧スターリン時代の収容所を取材してきたりもしたんですが、ちょっと重い記憶とか戦争を訪ね歩いたエッセイみたいなものを、まずはやってみようかなと思っています。

抽象的に哲学のことを議論する論文とか文章というのは、僕としてはもうあまり興味がなくなっていて、紀行文を書きたいんですよね。哲学的紀行文みたいなものを書きたいと思っていて、それは僕が書けるかどうかわからないので挑戦ということですが、ある種の取材もありジャーナリスティックな観点もあり哲学的思索もありみたいな。そういうものも昔はいっぱいあったんですよ。別に新しいものでも何でもない。だけど、今はまったくそういうのがなくなっているから、そういうのをやりたいなと。

―― 面白そうです。確かに今はそういう文章が無いなと思いますね。

東:今は、ガチな取材をして「1年間滞在して現地の声を集めた」みたいなことになっちゃうんですよね。でもそういうことしか許されないわけでもないですし。もっとフラっと行ってフラっと考えるみたいな。

―― それは近年「やっぱり当事者性が重要だ。部外者が好き勝手言うものではない」的なことを言われがちということと関係あるんでしょうか?

東:もちろん関係あります。そうした風潮が強くなると、例えば沖縄とか福島に関しても結局みんなしゃべらなくなっていきますね。僕は福島についてしゃべるんだったら現地に引っ越せと言われたし、沖縄に関しても、あるひとはまずデモに来てトイレの送迎の運転手からやれみたいなことを言われていました。そういう構えに対して、もう少し緩くいろんなものに対して発言していくような在り方、そういう哲学的な在り方があるんだと体現するようなエッセイを書ければなと思っています。


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