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映画館は使いようによってはさまざまな可能性を秘めた場だ。前回に引き続き、今回も紹介するのは、ヒューマックスシネマが手がける「シアタープラスプロジェクト」。
その第一回目のイベントとして池袋ヒューマックスシネマズで開催されたのが、アルバム全10曲のMVを1曲ずつ10人の監督に依頼し、完成したMVの上映をするリリースパーティ「さいとうりょうじ映画祭」だ。
MV上映あり、ライブありで、中身の濃いイベントは、大盛況のうちに幕を閉じた。前編に引き続き、ミュージシャンのさいとうりょうじさん、「シアタープラスプロジェクト」を担当するヒューマックスシネマ 新規事業プロジェクトチームの塩﨑さくらさんのお2人に話を聞いた。
文・構成:庄司真美 写真:神保勇揮
さいとうりょうじ
作曲家/ギタリスト/シンガーソングライター
2016年 1stアルバム「ME AND SIX STRINGS」がiTunesブルースチャート初登場1位獲得し高い評価を得る。2018年 2ndアルバム「My Sweet Allergy」のリリースパーティーを映画館で行う前代未聞の”さいとうりょうじ映画祭”を開催。
P.O.P、RHYMEBERRY、吉田凛音などのプロデュース、NHK Eテレ「シャキーン」や テレビドラマ 「吉祥寺だけが住みたい街ですか?」「ナイトヒーロ―NAOTO」などの劇伴音楽を担当するなど各業界で幅広く活動する音楽家。近年ではタイのスーパースターであるSTAMPやPolycat、台湾F4メンバーのジェリーイェンなど海外アーティストとの活動も多く注目をされる。
子どもの頃の「ダンボールで大きな城を作ろうぜ」と盛り上がるノリで実行
ヒューマックスシネマ 新規事業プロジェクトチームの塩﨑さくら氏(写真左)と、さいとうりょうじ氏(写真右)
―― イベント用のパンフレットの冒頭で、さいとうさんは「コスパやハラスメントやクリエイティブという言葉で身動きがとれなくなった“創作”という尊い行為が前進する道しるべができたら本望」というコメントを寄せていますが、クリエイティブな作業を「尊いこと」と表現した思いはどこにありましたか?
さいとう:今回、音楽業界を中心に、映像やウェブなどプロのクリエイターが何十人も参加していますが、特に僕が彼らの普段のクライアントワークやビジネスクリエイティブへの鬱憤を解消させる場を作るための旗振りをしたとは思っていないんです。みんなが「面白いからやろうよ」と一丸となり、純粋にイベントを作ることに賛同した人たちが参加した流れです。
各々がパンクな精神で日常の仕事に対するフラストレーションを昇華させたクリエイティブというよりは、普段の学業や仕事を飛び越えたビッグ・プロジェクトってあるじゃないですか。子どもの頃でいえば、「自転車で海まで行こう」、「ダンボールで大きな城を作ろうぜ」という、あの感じです(笑)。学校で勉強するのが嫌だからダンボールの城を作るわけではないですよね。みんなの「やりたい!」というノリとタイミングが合って集まった感じです。創作において一番ピュアな部分というか、尊いなと思いました。
―― わかりやすいたとえですね(笑)。さいとうさんのイベントを実施するにあたり、ヒューマックス側はどのようなサポートをされましたか?
塩﨑(ヒューマックス):通常の箱貸しの場合、文字通り会場を貸すだけでチケッティングや宣伝告知まではしませんが、今回のさいとうさんのプロジェクトに関しては、こちらとしても非常に面白いと感じたので、そうしたことも手がけていきたいと考えました。実際にSNSでの告知をはじめ、スクリーンでも映画上映前に予告イベントCMを流したところ、かなり反響があり、うちのスタッフも「これは面白そう!」ということで個人的に観に来た者も多くいました。
当日は全300席の客席がほぼ満員となった
「ノー」を言う存在がいないからこそ、各人が主体的になる
―― 劇場でもイベントの予告CMを流していたんですね。今回のイベントに参加したクリエイティブのメンバー構成はどのようなものだったのですか?
さいとう:僕は今回、クリエイティブディレクターやプロデューサー役は担っていなくて、「とにかく何に対してもノーを言わない」というスタンスでいました。“餅は餅屋に”というかたちで、各プロフェッショナルである映像ディレクター、カメラマン、編集者、デザイナー、照明担当など、それぞれのパートを担当する人たちが集まり、「そこは任せたから自由にやってくださいね」というかたちで進んでいきました。
塩﨑:それであんなに完成度高くまとまっていたなんて、すごい(笑)。
さいとう:本当ですよね(笑)。今回のイベントがあらためて斬新だった点は、ヒューマックスさんと僕らの関わり方はもちろん、“クライアント”がいなかったことです。僕はすべてのクリエイティブに対してノーは言わないし、僕のアルバムを売り込むのが目的というより、「映画館を借りて何かしたら面白いと思うけど、さて、みんなで何をやる?」ということをメンバー全員と共有したかたちです。一方で、クライアントや決裁者がいないことで物事が決まらない場面もありましたが(笑)。
でも、MVをはじめ、パンフレットの制作やイベントの進行もみんなが任意でやってくれたし、それぞれがかっこいいと思うものを作ってくれました。MVの中で、女子高生の格好の僕が出てきますが、自分としてはそんなことは絶対やりたくないわけです(笑)。でも、自分に「ノーを言わない」を課してみたからこそ、結果的にいろんな振り幅のあるMVが完成したのも事実です。
さいとうりょうじバンドによる熱演
―― そうした経緯をオープンにしていくのもドキュメンタリー的な面白さにつながりましたし、今回のイベントは、単純にリリースパーティというだけでなく、MVを手がけた監督それぞれの作品をお披露目する場でもあり、さいとうさん自身のチャレンジや成長を体現した内容の濃いイベントだったと感じました。参加者全員が主役になれる珍しいイベントですよね。
さいとう:はい。かなり珍しいケースだと思います。ヒューマックスさん側としては割に合わなかったイベントかもしれませんが(笑)。
塩﨑:通常こうしたイベントは企業からの問い合わせがメインですが、さいとうさんだけではなく、チームで動いているプロジェクトということで、当初は驚いて「これは一体誰がやっているんだ!?」と社内がザワついたほどです(笑)。
でも、個々のプロフェッショナルが参加していて、やりとりもスムーズで、むしろこちらのケアをしていただく場面も多々ありました。そんなこともあって、社内の人間がみんないつの間にかさいとうさんファンになり、みんな口を揃えて「さいとうさんの案件はどうなった?」と気にかけてくれるようになりました。確かにクライアント不在の稀有な事例ですが、みんなの思いを込めて作る、ほかとは差別化された素敵なイベントになったとあらためて思います。
30年間培ってきたポリシーを全部捨てたからこそ、新しいことができた
―― さいとうさんは映画祭当日の挨拶で「これまであまりリスクを取らない人生を送ってきた」という話をされていました。今回、主体的にチャレンジングなイベントを開催してみていかがでしたか?
さいとう:20歳の頃から15年間、バック演奏や楽曲提供といった裏方的な仕事が中心で、ソロのシンガーソングライターとして活動し始めたのはこの数年のことなんですよね。そうした中で30歳を過ぎてから、「20代の頃の自分のポリシーやこだわりって、全部必要なかったな」と痛感した瞬間があったんです。その自己否定は僕にとって結構絶望的で。でも、これまでのことが全て間違っていたという仮説を立てた時に、僕が日の目を見なかったのはなぜかとか、そういうのが全部つじつまが合うなと思ったんですよ。思考が180度変わるような瞬間でした。
それから30歳を超えて、そうしたこだわりを矯正しようと気をつけるようになったのですが、培ってきたポリシーがまだどこかにしこりのように残っていて、「絶対違うだろ」「なんかムカつくな」などと時々思いつつ、チューニングしてきたのがこの数年です。その結果が、「映画館を借りてイベントをする」という大きなこと、「人にノーを言わない」という柔軟なスタンスにつながったのかもしれません。
意外に思われるかもしれませんが、実は僕、数十人のイエスマンを周りに従えてお山の大将でいたいジャイアン・タイプの人間なんです(笑)。今回のイベントに関しては、各プロフェッショナルが参加しているから大丈夫だろうという安心感はありながらも、まわりが勝手にモノを作っていくことは、実はとても不安でした。そういう意味でも、僕からしたらすごくエポックメイキングな出来事だったんですよ(笑)。
「さいとうりょうじフィルムフェスティバル」の司会を務めたのは、双子のヒップホップグループ「P.O.P」の上鈴木伯周(弟)氏
自分でやってしまわずに人に任せる、できるか不安なことこそやる
―― 「自分で動くのではなく、人に任せる」というのは、マネジメント職に昇進して、働き方を大きく変えざるを得なくなったビジネスパーソンにも置き換えられることですね。
さいとう:そうだと思います(笑)。今回、自分の名前を冠したイベントを企画して、しかも各クリエイターたちに対して一切のダメ出しをしないなんて、パラシュートなしでスカイダイビングするくらい怖いことでもありました(笑)。でも、一度パラシュートを着けずに飛んでみなければ、一歩進んだ仕事はできないとも思っていたのです。
―― ヒューマックス側としては何か不安はありましたか?
塩﨑:さいとうさんの思いを最大限に活かたいと務めましたが、初めてのことばかりだったこともあり、その都度社内のルールの壁にぶち当たって「これはどうしよう?」という場面も多々ありました。そもそも企画を通すにあたり、私自身が会社を巻き込んでいった部分も多くあったのです。でも、さいとうさんやスタッフのみなさんが、劇場側にも最大限配慮いただいたからこそ実現できた部分も大きいです。
今回、ライブ演奏もありましたので、リハーサルの際、チームのみなさんが、わざわざ隣の劇場に入って音漏れのチェックをしているのを見た時、「これまでどうにか突き進んできたけど、正しかったんだ」と実感しました。当日、興味を持って観に来ていた社内スタッフたちは、想像以上に大規模なイベントに驚いて、「本当に大丈夫なの?」と心配されましたが、「絶対大丈夫です!」と言い切って最後まで駆け抜けることができました。
―― 塩﨑さんの場合は、さいとうさんと自分の直感を信じた結果が実を結んだのですね。10人の監督によるMVを劇場で拝見しましたが、それぞれの表現手法に個性が出ていて楽しく、最後まで見飽きませんでした。イベント全体を通じ、来場者の満足度や反響もかなり大きかったのではないですか?
さいとう:来場してくれたお客さんの反応は、僕がこれまでライブをしてきた中で一番良かったですね。Facebookのイベントの投稿についたいいね!の数も過去最高でした(笑)。僕のプロモーションとして活用できたというより、1曲ずつのMVが独立した作品としてみんなに喜んでもらえたのがすごく良かったと思います。
塩﨑:どれも個性あふれる素敵なMVでしたが、当社として特に感激したのは、一般公募の企画があったことです。現在、若い世代ほどなかなか映画館に来てくれないと言われている中、自分が撮るという意味で若い世代にも映画館に興味を持っていただけるいい機会だと思ったからです。
映像には、さいとうりょうじさんが映画祭のために書き下ろした新曲「青い街」のMV製作をプロ・アマ問わず、一般公募。神奈川県立西湘高校1年8組の作品が選ばれた。
さいとう:作品づくりに参加してくれた高校の先生たちも当日、イベントを観に来てくれました。撮影や授業の中で学生たちに僕らがどう見えたかはわかりません。これまで大人が仕事の現場を見せる社会見学的なものは教育の一環としてたくさんあったと思いますが、そもそもこのプロジェクトは仕事ではありません。みんな別々の仕事があって、その中でさらに別の「遊び」でやっているプロジェクトです。この遊びに含まれるいろんな意味を、少しでも彼らに伝えることができていたらうれしいです。それを機に、今後人生の選択が迫られる時に、「あんなふざけた事してても大丈夫なのかも」と少しでも選択肢が広がってくれたらいいなと思います。
―― 両者ともに、今回のイベントはひとつの節目になったようですね。さいとうさんは、今後、これを機にどのような活動につなげていきたいですか?また、ヒューマックスでは、今後の「シアタープロジェクト」としてどんな企画を構想していますか?
さいとう:イベントを終えてあらためて思うのですが、映画館でライブをするだけでなく、楽曲を使った映像祭も同時開催するのは僕の知るかぎり、前代未聞です。映画館で遊ぶのは楽しいし、映画館を利用した活用をヒューマックスさんやほかの会場がしていく中で、ひとつのモデルケースになれたら、今回やってよかったなと本当に思います。
すでにお話しした通り、今回、僕のトップダウンでみんなが動いてくれたプロジェクトではありません。一方で、なんだかんだ僕のイベントなので最終的には責任をとらなければとも考えていました。でも、イベント直前にそう考えるのはやめて、「僕の当日の役割は何か?」ということをあらためて考えました。僕はミュージシャンで、当日の役割は、来場いただいたみなさんに最高のライブ演奏をすること。そう考えたら、当日は100%の力でライブに集中することができました。
僕の人生の中では二度とないと思えるヤバいことだったので、ここからが勝負だなと。こうした新しいことを今後、どうやって発信するかを考えながら、さらに発展させていきたいと思っています。
塩﨑:今後は、ミュージシャンやクリエイターだけでなく、企業などともコラボレーションしていきたいと考えています。11月には、池袋にある天狼院書店と組んで「天狼院の大文化祭」(11月22日~25日)を開催したほか、12月8日にはAdobeとGIFMAGAZINEが開催するGIFアニメコンテスト「the GIFs 2018」を渋谷ヒューマックスシネマで行います。今後はストリートスポーツのWEBマガジンと組んだショートフィルム映画祭やDJによる音楽イベントも企画中です。自社単独だとどうしても、映画を上映する以上の発想が生まれにくいのですが、他業界とのつながりの中で、イノベーションを起こしていきたいです。
今回、さいとうさんが「映画館でイベントをやってみたい」と思ってくださったように、あらためて映画館という場所の力をあらためて再発見できました。ただ単に場所を貸すのではなく、深く掘り下げて開発しながら、当社としても力をつけていければと考えています。
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これまでの殻を打ち破り、新しいことにチャレンジすることは誰しも怖いものである。でも、コンフォートゾーンを打ち破って行動を起こしたその先に見えてくるものは大きい。そんなことを実感させられる「さいとうりょうじフィルムフェスティバル」だった。
メディアやコンテンツが多様化し、巨大メディアというものが実質不在とも言える今だからこそ、「映画館」という空間には無限の可能性が秘められているのかもしれない。
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