神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。
アイスランドの人口一国分以上の介護人材が足りなくなる
元厚生労働省の官僚、そして介護事業者の革命児と言われている二人による共著、武内和久・藤田英明『介護再編 介護職激減の危機をどう乗り越えるか』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)は、2025年に38万人不足するといわれている介護人材激減の原因と、問題の緊急性を読者に訴えかける。
そもそも、38万人もの介護士不足が生じるような流れの中に、なぜ日本はあるのだろうか(参考までに、長野県長野市の人口は約38万人、アイスランド一国の人口は約35万人だ)。2000年に開始された介護保険制度で民間企業の介護事業参入が可能となった時が、大きなターニングポイントだったと著者は指摘する。
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介護保険が始まると、介護を担う人材が一気に必要になりました。そこでホームヘルパー1〜3級という資格が創設され、助成金もつき、猫も杓子もとにかくまず「ヘルパー3級を取れば介護の仕事ができる!」という世界になっていきました。主婦を中心に多くの人がホームヘルパー資格取得に励みました。(P26)
質より量を重視し、短期的にはうまくいくように思った制度は、低い報酬の固定化や労働環境の悪化を招いた。著者は介護士業務が高度なプロフェッショナル性に基づいているにも関わらず、あたかも誰でも簡単になれるかのような制度によって「量産型介護士」が生まれ、プロフェッショナルさが損なわれるサイクルを生み出したと指摘している。
その背景には、まわりの社会環境も関わっていることを忘れてはならない。3K(キツい、汚い、危険)と言われるようなイメージを助長したメディア、そしてそれを真に受けてしまった一般大衆もそうした風潮を無自覚に醸成してきたのだ。
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メディアは常に、介護職は暗くて、汚くて、きついゆえにかわいそうな職業であるという構図に落とし込んだコンテンツを作成したがります。
うがった見方かもしれませんが、介護職という悲惨な職業集団がいるということを一般のサラリーマンに知らしめて、溜飲を下げるためのツールにしているとさえ感じることがあります。(P56-57)
本書は、今の仕事を辞めて介護業に従事することを推奨する内容ではない。しかし、介護についてはいざ自分が「介護を考えなければいけない状況」になった時に考え始めることが多い。それ以前から介護にまつわる諸問題を「自分ごと」に考えて、サイクルを仕切り直すための提案が本書ではなされている。
「治療」ではなく「寄り添う」、「患者」ではなく「他者」と接する介護業務
介護の「良し悪し」というのは非常に測りづらい。その理由は、介護が回復ではなく維持を目的としているからだと著者は説明する。こうした評価基準の曖昧さによって、現場の介護士たちは業務に対する達成感を得にくいという環境下で働き続けることを余儀なくされた。
また、居住者が他の施設に移る場合、そのデータというのは最近まで(ほとんどは現在でも)紙ベースで行われてきた。ITによるデータベース化がはじまったのは2016年からで、2020年までに大規模なデータベースを作る計画があるものの、紙で蓄積してきたデータをどうするかなど課題点が多くあるという。
報酬が増えたり、労働環境が改善されたりすることはもちろん重要だが、著者がそれより重要だと指摘するのは、「介護という仕事がどのようなものなのかをより多くの人が知る」ということだ。直接業務に従事する立場でなくても、そうした理解が介護という仕事の魅力を高め、関係者のモチベーションにつながるからだ。
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命に係わる度合いが医療より少ないという点において医療より下に見られる傾向があるのですが、ある面では医療より高度な能力が必要だと言えます。医療の場合は、骨折であろうが、がんであろうが、ある程度定型化された治療や処置を行えます。しかし、介護は相手ごとに配慮しなければならず、知性と感性、左脳と右脳が必要とされる仕事なのです。(P94-95)
筆者の映画監督という仕事と介護の共通点を感じたのは、「他者」について考える職業であるということだ。実際、著者は書中で介護の醍醐味は「他者の尊重」にあると記している。当たり前のようだが、介護するのは必ず他者だ。共感できる他者に出会うこともあれば、どうしても理解できない他者に出会うこともあるだろう。
映画も他者を描く。自分を投影させる(自分のような他者の人生を描く)場合もあれば、時には自分があまり好きでないような人物や、自分にはゆかりがない他者の人生を描く場合もある(後者の場合、より綿密なリサーチが必要になる)。
どんな他者であっても「これもまた人間」と受け入れて、他者のストーリーに分け入っていくという点が介護と映画づくりで共通している。本書を読んで、筆者はほんの少しではあるとは思うものの、介護士という仕事について想像できることが増えたように感じた。「仕事は仕事」ということで、どんな仕事であっても相違点に気づくことができるはずだ。
制度と伝統の壁を、外部の存在が突付く必要性
旧来の制度によって柔軟な施策が困難になっている面もある。特別養護老人ホーム(特養)は自治体か社会福祉法人しか開設・運営できないと定まっている。民間企業が運営しているのは有料老人ホームだが、一般的には公的施設である特養の方が利用料が安いため、常に順番待ちの状態が続いている。
社会福祉法人は、介護保険制度がはじまる前には私財をもとに社会福祉を「施す」という性質をもっていた。長らく福祉を担ってきた「お上意識」もあった。介護保険制度が開始された後、一定人数以上の理事・監事を置くことが義務付けられた公益財団法人となったものの、仕組みが形骸化し、従業員は低賃金で役員が収益を多く取るというような事態が相次いだ。
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社会福祉法人という仕組みは、事実上の私有財産に対して、一定の公的な関与や補助を行うというものです。我が国の憲法の枠内でぎりぎり許容される仕組みとして生み出されたものです。そうした立ち位置の微妙さ、繊細さこそが、社会福祉法人の背負っている「業」でもあると考えられます。(P138)
また運営も「背中を見て成長しろ」という形で人材教育の体系化がされておらず、量産されていった介護士たちのやりがいばかりが消耗されていった。
著者がある50年の経験をもつカリスマホームヘルパーに話を聞いた際のエピソードは、介護技能の科学的体系化が未知の領域であることを教えてくれる。訪問介護をしていた末期がん患者のアメリカ旅行に同行し、旅を楽しんだことで免疫力が上がり、がん細胞が減って寿命が伸びたのだという。
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介護現場のノウハウを体系化していくには、介護を科学的に分析できるものにしていかなければなりませんが、その点では事業者も働く人も考え方がまとまっていません。介護は科学的に体系化されていくべきだという意見と、介護は愛情と人間性でやるものだと考える意見は、水と油のように相容れません。(P207)
こうした行き詰まりに、他業種の入る余地がある。介護業界だけではなく、外からの意見が介護を変えていき、そしてお互いを高めあっていくことが理想的であるはずだ。2025年というすぐそこの未来に起きる問題を、少しでも削減できる一翼を担ってみてはいかがだろうか。
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