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日本人とルーマニア人に共通する「起業を妨げるメンタリティ」【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(8)
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  • 2018.11.27
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日本人とルーマニア人に共通する「起業を妨げるメンタリティ」【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(8)

ブカレストのワイン専門店でマーケティングのアドバイスをすることに…

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渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者

兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。他の著書に『ゆるく、自由に、そして有意義に』(朝日出版社)、 『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『どうせなら、楽しく生きよう』(飛鳥新社)など。最新刊『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)。ニューズウィーク日本版とケイクスで連載。翻訳には、糸井重里氏監修の訳書『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経BP社)、『毒見師イレーナ』(ハーパーコリンズ)など。
連載:Cakes(ケイクス)|ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

共産主義時代の爪痕と灰色のアパート群

老朽化したビルが見えるブカレストのスカイライン

先日、eコマースのサミット主催者の招待で、マーケティングリサーチもかねて講演者の夫とともにルーマニアを訪問した。

ルーマニアは、トランシルバニア、ワラキア、モルダヴィア、ドブロジャの4つの地方がある共和制国家だ。真っ先に連想するのは、ブラム・ストーカーが書いた『ドラキュラ』のドラキュラ伯爵のモデルになった、15世紀のワラキア公国の君主ヴラド3世や、ドラキュラ城として知られるブラン城かもしれない。また、昭和の半ばに生まれた私の世代にとってはモントリオール・オリンピックで史上初の10点満点を取った女子体操選手のナディア・コマネチの出身地でもある。

ドラキュラ城として知られるブラン城だが、観光客は少なかった

ルーマニアは、他のヨーロッパ諸国と同様に国の一部や全体が他国の領土になった歴史がある。1878年にはルーマニア王国が成立したが、1940年から第二次世界大戦終了までソ連とドイツの間の戦いに巻き込まれた。その間に国民は無能な国王を見捨て、親ドイツ派の独裁者を排除したものの、結果的にソ連の圧力で共産主義を受け入れることになった。1965年から共産党の書記長になり、その後大統領として独裁政権を行ったニコラエ・チャウシェスクは、1989年のルーマニア革命で失脚し、公開処刑された。1980年代初頭に英国に住み、ヨーロッパ諸国を旅した私にとって、1989年に次々と起こった東ヨーロッパ諸国の民主化とチャウシェスクの失脚は信じられないような出来事だった。

迎えの車で首都のブカレストに向かう途中に目に入るのは、薄汚れた灰色のコンクリートの建物ばかりだ。第二次世界大戦後にソビエト連邦が支配した東ヨーロッパの国々で建てられた典型的な巨大アパートである。ロシアでは「Panelki」と呼ばれるようだが、迎えに来た人は「共産主義時代のコンクリートのアパート」とシンプルに呼んでいた。都市部だけでなく、田舎でも、ひとつの村の住人をまるごとひとつの建物に移住させたのだという。これまでに訪問した東ヨーロッパのハンガリーやポーランドにも同じような巨大アパートが並んでいたが、見るだけで気持ちが沈む風景だ。

ブカレストに入ると、ようやく西ヨーロッパの都市のようなアール・ヌーヴォーやアール・デコの建築物が見えてくる。「かつては小パリと呼ばれたのですよ」とルーマニア人が誇らしげに語る栄華の名残を感じる。19世紀末から20世紀初頭の建物に加え、中世期のビザンティン建築や正教会の建物もある。だが、それらの美しい建物を威嚇するように取り囲むのは灰色の巨大アパートだ。その合間に、かつて裕福な家族が住んでいたと思われる豪奢な建物が半壊したままで放置されている。ルーマニアに来るのは初めてだが、かつてソビエト連邦に支配されていた東ヨーロッパ諸国特有の異様な風景には既視感があった。

それは「営業努力の放棄」か「足ることを知る充実」か

ウェイターに「質素倹約」の精神が残る、古いワインセラーを改造したレストラン

ルーマニアもポーランドやハンガリーと同様に1989年に民主化したのだが、数カ月前に訪れたハンガリーの首都ブダペストと比べると、ルーマニアの首都ブカレストは共産主義時代からの回復がまだ遅れている感じだった。ボロボロに崩壊した古い建物の多くがそのままになっているし、ため息が出るほど美しい観光地でも人をあまり見かけない。オフシーズンとはいえ、ポーランドやハンガリーならもっと多くの人がいただろう。「ブカレストは隠れた宝物(hidden gem)ですね」と案内してくれたガイドに言ったところ、「隠れすぎて見つけてもらえない。そもそもマーケティングするつもりもないんだから」と苦笑いしていた。

確かに、どこに行っても商売っ気がない。観光地のレストランで珍しい料理の数々をオーダーしたところ、ウエイターが「そんなに多くは食べきれないので、ポテトはやめた方がいい」と止める。夫が「食べきれなくてもちゃんと料金は払うから。味を試してみたいんだ」と言っても「でも、量が多すぎて食べきるのは無理だからもったいない」としつこく繰り返す。ついに夫はポテトを諦めた。

だからといって、ルーマニア人が失礼なわけではない。ほかの多くの国々で感じてきた白人男性の夫とアジア女性の私に対する対応の違いなどはどこでもまったくなく、おしなべて親切だった。ただ、商売っ気がないのだ。ワイン専門店でもレストランと似た経験をした。ルーマニアのワインは同等のカリフォルニア・ワインと比較すると5分の1ほどの価格でお買い得だ。「最も良いワインを見せてほしい」と頼んでいるのに、店のオーナーは「それは高すぎるから」と安い方を薦める。「味見をさせてほしい」と言うと、「今開いているボトルがない」。「そのボトルでなくてもいいから、このぶどう独自の香りを試したい」と頼んでも、「でも開いているボトルがない」とテイスティング用に使っている安いワインを薦める。最初から「良いボトルを8本買いたい」と伝えているのだから、高いワインの魅力を語ればいいのに、それもしてくれない。ついに、夫と私は女性オーナーにマーケティング指導を行う羽目になってしまった。ハンガリーのワイン専門店での熱意ある対応とはまったく異なったのが印象的だった。

ルーマニアもハンガリーも民主化したのは30年前だが、ルーマニアにはまだ共産主義の影響が残っているような気がしてならない。eコマースのサミットの主催者やガイドなどに「ハンガリーでも稀に共産主義時代を懐かしる人がいて驚いたのですが、ここでもいるのですか?」と尋ねたところ、全員が「いますよ。しかも、少なからず」と答えた。

貧乏だった、しかし誰にでも仕事があった

ワイナリーでのテイスティング

チャウシェスクが失脚する前の1980年代、ルーマニアでは庶民が飢えて食べ物を買うために長い行列を作っていた。そのさなか、チャウシェスクは「国民の館(現在は議会宮殿)」と呼ばれる豪華な宮殿を建築していた。人口2,000万人足らずの国なのに、延床面積がアメリカのペンタゴンに続いて世界で2番目の巨大な建物を立てる正当な理由などはない。しかも内部は、豪華な大理石、クリスタル、金箔がちりばめられていて、すべてのシャンデリアを点灯したら、ブカレストが停電になるという。こういった共産主義の実態を知っていながら、なぜ今でもあの時代を懐かしがる人がいるのだろうか?

「国民の館(議事堂宮殿)」の豪華な内部

「誰にでも仕事があった」というのが、共産主義時代を懐かしがる人の主な理由らしい。2日に渡ってトランシルバニアを案内してくれた20代後半のポールは、「仕事があっても食べるものがないほど貧乏だったというのに」と共産主義時代を懐かしがる人の愚かさを嘆いていた。彼はかつて有名な豪華客船クルーズで添乗員として働いていたが、ノウハウを学んだ時点で独立して観光ガイドの会社を設立した起業家だ。「僕のようにリスクを取ってビジネスを始めるルーマニア人は少ない。多くの者は、生活を良くするためのリスクを取るよりも、現在の生活に不満を懐きつつも、自分が理解できる不便さを我慢するほうを選ぶ」とポールは説明してくれた。「彼らにとっては、能力があって努力する者が高い収入を得る世界は、自分の居場所がなくて怖いのだ」と。

「最低限以上の仕事をすると罰されるのですから」

ワイナリーを案内してくれたダン

ワイナリーを案内してくれたのは、私よりやや年上でチャウシェスクの時代をよく覚えているダンだ。本業は数学教師だが趣味もかねてワイン関連の仕事をしているダンは、「身内にも共産主義時代を懐かしがる者がいます」と言った。「でも、それは叔父のように軍人で、共産主義の恩恵を受けていた人です。軍人は上の人におもねるだけで高い地位を得ることができますからね」と苦々しく語った。

ダンは、共産主義の最大の罪は「知識層を庶民の敵とみなして排除したこと」と力説した。他の東欧の国々のように、知識層は逮捕され、投獄され、殺された。ダンの別の叔父も逮捕されて財産を没収された一人だった。「共産主義の間にも、起業家精神を持つ人はいたんです」とダンはある逸話を語ってくれた。共産主義のルーマニアではワイナリーは国の所有物であり、国民が飲むワインには赤と白という2種類しかなかった。質も最低レベルだ。だがそんな環境でも質と生産性を上げる工夫をした者がいた。国に収める生産量を保ったうえで、質が高いワインを作った。そして、余ったワインを廉価で村人に販売した。大部分の村人は良いワインを安く買えて喜んでいたのだが、その成功を許せない者もいた。ワインの生産性を上げたこの人物は、密告により投獄された。

歴史好きでもあるダンは、「国への寄贈」という形で破壊を逃れた古い建物や時計のコレクションがある美術館に連れて行ってくれた。ダンが憤りを覚えるのは、これらのアートを作り出した人々とそれを支えたパトロンが一掃されてしまったことだ。

コンクリートの巨大アパートも、共産主義が破壊した知識と才能の象徴だ。共産主義国家になる前には、豊かな歴史を反映する美しい建築物が沢山あり、才能ある建築士も多く存在した。だが、共産主義国家では「すべての国民に住居を与える」という名目で最低コストのアパートが建てられた。「安くて早い」ことが優先であり、創造性は必要がなかった。その結果、1960年代には、第一次世界大戦頃の建築の知識を持っている建築士はいなくなってしまったという。

「学ぶ意欲がある人や工夫する人が許されないのです。また、監視されて通報されることを恐れて誰も責任範囲以上のことをしようとはしなかった。最低限度の仕事以上のことを試みると罰されるのですから」とダンは憤りをこめて語った。そのメンテリティは、今も消え去ってはいないようだ。

Twitterで見かけた日本人の横並びメンタリティ

「他人と異なることをしないようにする」、「他人より目立つことをしてはならない」という雰囲気は、別の場面でも感じた。eコマースのサミット主催者が招いてくれたディナーの席で、アメリカやカナダから来た講演者たちと私がAmazonの今後について熱い討論を交わしている間、ルーマニア人の主催者は耳を傾けているだけでまったく意見を言わなかった。他のヨーロッパの国ではそのようなことはなかったので、会議で自分の意見をなかなか言わない日本人のようだと感じた。

そんなことを考えている時に、日本語のTwitterである一連の投稿を見かけた。

元の投稿は、ジョンズ・ホプキンス大学医学部麻酔科の助教授(アシスタント・プロフェッサー)をされているケーガン加津代さんが、マイケル・ブルームバーグ元ニューヨーク市長が母校のジョンズ・ホプキンス大学に18億ドル(約2,000億円)の寄付をしたというニュースを伝えるものだった。ブルームバーグ氏自身が、学生の時に親の収入が低く、学生ローンでジョンズ・ホプキンス大学に通うことができた。だから、「親の収入に関わらず、才能のある学生が高等教育を受けられるべきだ」という考えからの寄付だった。

それに対して、「アイビーリーグは、貧困層はいくらがんばっても入れない。単に勉強できるだけではダメで、親が大金をはたいて得られる「経験」がないと入れない。結局金持ち同士で融通しあってるだけ」といったリプライをはじめ、相当数のネガティブな反論が来たようだ。

まず、ジョンズ・ホプキンス大学の医学部は全米で最難関として知られているが、アイビーリーグではない。それは別として、日米どちらでも親が裕福な方が有名大学に入学しやすい環境があるのは事実だが、それが絶対条件ではない。アメリカの有名大学は、人種のみならず社会経済的な多様性も重んじるので、低所得の学生も進んでリクルートしている。また、アイビーリーグの授業料は親の収入により免除が異なる「ニーズベース」であり、低所得者の場合には全額免除になることもある。実際にわが娘のルームメイトは年間合計7万ドル(約800万円)近くになる授業料と寮費が無料だった。

そういった事実はさておき、「才能があっても金がない学生にチャンスを与える」というポジティブなニュースに対して、日本語のTwitterでは「貧困層は何をやっても無駄」、「金持ち同士が優遇しあっているだけ」といったネガティブな反応が多く出てくるというのは興味深い。ポールは、「ルーマニア人は現状に文句を言っている方が好きなんですよ。そういう人にとって、リスクを取って挑戦する僕のような人は、お前はやっていないということを責められているようで目障りなんですよ」と言っていたが、日本人のネガティブな意見にもそういった傾向を感じる。

日本語のソーシャルメディアを観察していると、「他人と異なることをしてはならない」と自粛し、リスクを取って挑戦したり、ポジティブな呼びかけをする人の粗探しをする傾向を感じる。それは、ポールやダンが批判していた共産主義のメンタリティを引きずるルーマニア人と似ているように感じた。どちらも、「やりたいことがあったら、失敗を恐れずに挑戦せよ」、「失敗してもやり直しはできる」と励ますアメリカ的な発想とは正反対だ。

かつて日本で働いた経験があり、その後起業して成功したアメリカ人の友人が「日本は起業しにくい国だ」と言っていた。法的にも社会構造の点でも「失敗を許さない国」だからという。それに加えて、ルーマニア人のように「生活を良くするためのリスクを取るよりも、自分が良く知っている不便さを我慢するほうを選ぶ」国民性や、「他人と異なることをするのはわがまま」と牽制しあう傾向も起業を邪魔しているのではないかと思った。

そこで思い出したのが、私が東京に住んでいた1980年代から90年代初頭にかけて日本在住の外国人がよく言っていた「日本は、世界で最も社会主義が成功した国」というジョークだ。日本経済が最高峰に達し、アメリカ人が「日本がアメリカを追い越す」と戦々恐々としていた時代のことだ。

「世界一成功した社会主義国」日本は崩壊まで同じ道を辿るのか?

投資家向け雑誌『Investment Week』の2001年の記事「中国の資本主義 対 日本の社会主義」にも、「理論上では、中国は共産主義の最後の聖域で、日本は資本主義のお手本かもしれない。しかし、現場の実際は非常に異なる」、「元ソビエト連邦、ベトナム、キューバを何年にもわたって観察してきたが、共産主義が機能している唯一の国は日本だけ、と冗談を言う者もいる」と同様のことが書かれていた。

この経済記者は2001年に中国で10日間過ごした時に、上海の路上で洗練されていない生の「起業精神」と商業文化を見て、「これはソ連型の共産主義ではない」と感じた。そして、中国のユニークな社会主義市場経済と経済成長は1980年代に経済改革と政治改革を別々に行ったことにあると分析している。それと比べて、日本の場合には、中央政府が経済を強くコントロールしている。日本のどこに行っても、上意下達が徹底しているのだ。

2001年の時点で、低迷が続く日本経済は「失われた10年」と呼ばれていた。「1980年代後半に、日本の経済が底なしの穴に滑り落ちていくことを想像する者はほとんどいなかった。そして、アジアで中国がこれほど早く経済的に卓越した日本のライバルになると想像する者もあまりいなかった」とこの記者は書いたが、1980年代後半に東京で働いていた者であれば、彼が書いている感覚が痛いほどわかるだろう。

記者は引き続き「日本がやるべきことは、1990年代に中央ヨーロッパで行われた共産主義から資本主義への転換だ」ともアドバイスしたが、「失われた10年」は「失われた20年」になり、それから17年経った2018年でも日本人の思考や態度はさほど変わっているように感じない。かつて経済大国ランキングでアメリカを抜くのではないかと恐れられたのに、今では中国に大きく引き離された3位に転落している。

ルーマニア中にあるコンクリートの巨大アパートはすべて老化している。ポールもダンも「元々安く作られたものであり、すでに寿命は来ていると思う。中はひどい状態で、いつ崩壊しても不思議ではないとわかっているのに、多くの住民は家を買おうとせずにそのまま住み続けている。いったいどうなるのだろう?」と異口同音に案じていた。まるで、1991年以降低迷している日本のことを言われているみたいだ。

このまま全員が同じレベルで我慢していても、改善はしないとわかっている。ならば、「もっと挑戦したい」と意欲を持つ人が起業しやすく、失敗しても立ち直りやすい環境を作るべきだ。そういった人たちが、日本経済全体を活性化してくれるのだから。現状に満足している人や新しいことに挑戦したくない人はしなくてもいいから、「常識」という名目で互いを監視して目立つ者を叩く慣習は徹底的に排除しよう。

「日本がやるべきことは、共産主義から資本主義への転換」という2001年の投資雑誌のアドバイスは、今でも有効かもしれない。

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次回は12月25日頃、公開の予定です。

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