CULTURE | 2023/05/22

官民連携で中目黒のまちを育てる新拠点「フナイリバ」が生み出すまちづくりの新機軸

聞き手・構成:赤井大祐(FINDERS編集部) 写真:グレート・ザ・歌舞伎町、FINDERS編集部 写真提供:一般社団法...

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聞き手・構成:赤井大祐(FINDERS編集部) 写真:グレート・ザ・歌舞伎町、FINDERS編集部 写真提供:一般社団法人ナカメエリアマネジメント

中目黒駅から目黒方面に向かって山手通りを歩くことおよそ5分。目黒川沿いに現れる赤レンガづくりの広場と建物を使ったオープンスペース「フナイリバ」が、4月30日にオープンを迎えた。

2700㎡という都心にしては破格の広さを持ち、今後中目黒のまちづくりの拠点となるスペースになるという。「ナカメ」はすでに人気の町として地位を確立しているようにも思えるが、その目的はどこにあるのか。中目黒に編集部を構える『FINDERS』としても気になるところ。

この「フナイリバ」を手掛けた、「一般社団法人ナカメエリアマネジメント(NAM:ナム)」のプロデューサーとして、取り組みを主導した日本デザイン株式会社・大塚剛さんと、NAMのクリエイティブ・ディレクターとしてブランディングやクリエイティブ設計を一手に担うE inc.・石野亜童さんに話を聞いた。

石野亜童さん(左)、大塚剛さん(右)

大塚剛(おおつか たけし)

日本デザイン株式会社 代表取締役/ナカメエリアマネジメント プロデューサー

2006年に日本デザイン株式会社を設立。webや紙、映像など表現的なデザインから商品開発、店舗設計、ブランディングなど様々な思いをデザイン。

石野亜童(いしの あどう)

E inc.代表取締役/ナカメエリアマネジメント クリエイティブ・ディレクター

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「つながりが咲く」中目黒で始まったまちを育てる取り組み

――「フナイリバ」とはどんな施設なんですか?

大塚:NAMという地元の民間団体が運営する、中目黒のコミュニティや文化情報発信を担う、街のランドマークとなるような場所です。大きく「フナイリバ・ヒロバ」と「フナイリバ・タテモノ」に分かれています。

――「ヒロバ」と「タテモノ」。

大塚:「ヒロバ」は街のフードコートとして常にキッチンカーが並び、ご飯を食べたり休憩できるようになってます。定期的にイベントが開かれるので、人が流動し続ける街のオープンスペースって感じですね。「タテモノ」は逆に人が滞留するための場所。コワーキングスペースとして、街の内外から集まった人同士が交流し、なにかが新しく生まれるような場所を目指しています。

「ヒロバ」の様子。イベント時は大勢の人で賑わう。ちょっと足を止めての休憩にも(写真提供:一般社団法人ナカメエリアマネジメント)

タテモノ(撮影:FINDERS編集部) 

―― 運営を行う「NAM」はどんな組織なんですか?

大塚:生活や仕事で中目黒に関わる人、民間企業、行政である目黒区の間をとりもち、町を育てていくための組織です。

当初は、地元主体で中目黒のまちづくりを進めるために設立したのですが、組織として動いていく中で、だんだんと役割が見えてきました。例えばこのフナイリバの運営もそうだし、目黒川沿いの道を活用していく「目黒川道プロジェクト」、そして(石野)亜童さんが中心となって、NAMの理事でもある東京都市大学の末繁雄一先生と末繁ゼミのメンバーと共に運営するローカルメディア「なかなか中目黒」など、色々な形で中目黒との関わりが生まれてきました。

―― 中目黒でまちづくりというのも少し意外というか。一般的に目黒川沿いの桜並木が有名だったり、洒落た人が集まるような、人気の町ですよね。

石野:中目黒ってキラキラしているところがフォーカスされがちだけど、歴史がある街なんですよ。たとえば目黒川沿いの桜並木は今や観光名所のようになっているけれど、もともとは大雨で氾濫しまくる川の治水を目的に植えられたものだったりする。

それに、中目黒は若者だけじゃなくて、家族連れや地域の子ども、じいちゃん、ばあちゃんたちもおられる。商業店舗やオフィスだけじゃなくて、商店街や住宅街など地に足ついた生活がある。かくいう自分も中目黒に住んでいるけれど、実はかなりローカルな一面を持つ街だと感じています。NAMとしてはそうして受け継がれてきた歴史を大切にしながら、人・お店・組織同士の「つながり」を生みだしていきたい。その思いを言葉にしたのが「中目黒、つながりが咲くまちへ」というNAMのコンセプトです。

組織の根っこにあるのは“ご縁をつなげていく”こと。僕らみたいなプレイヤーの世代と、中目黒を作り上げてきた上の世代、これから中目黒に関わっていくかもしれない下の世代。地元の方々、移り住んできた人たち、外から遊びに来てくれる人たち。関わってくれた人たちを紹介したり、なにかのきっかけとなる場や機会をつくっていきたいんです。

運も味方に。たった5年で目黒区と契約を取り付け

―― そもそもフナイリバに使われているこの場所ってなんなんですか?公園っぽくもないし、私有地って感じでもないですよね。

大塚:名前の通り、目黒川から船が資材を運び入れるために1937年に作られた「船入場」だった場所なんですよ。1994年に目黒川の治水を目的とした貯水池がこの広場の地下に作られ、同じタイミングで「川の資料館」として建物が建てられた。でもバブル崩壊後の財政緊縮で資料館が閉館して、それ以来使われていない状態だったんです。

―― ということは行政の持ち物なんですね。

大塚:そうですね。貯水池がある関係上、このフナイリバは河川扱いなので東京都と目黒区が管理しているものです。資料館の建物も行政が建てたものだから、民間の団体であるNAMで、目黒区に賃料を払う契約で借りました。

―― なるほど。こういう使い途が決まっていない場所って日本中色んな場所にありそうですね。

大塚:結構あると思いますよ。使い途が決まっていないというより、元々の用途があって建てた箱物を別の用途で使用する際のスキームがまだまだ手探り状態なんだと思います。もっというと、そこを活用していく事業プランの開発などは行政が苦手とするところなので、今回のように我々民間が事業プランを開発し、行政は場所を使用するための枠組みを作るという官民で連携した取り組みになったんです。

―― なるほど。行政の得意なこと、不得意なことを切り分けてそれに合わせてアプローチをすると。

大塚:とは言え、「河川」を貸し出す取り組み自体全国的に見ても前例があまりなかったようで、正直よく実現できたな…と思っています。タイミングやめぐり合わせに恵まれました。2017年に開始された「Park-PFI」という官民連携型の公園活用の制度に代表されるように、ちょうど僕たちが動きはじめた2019年ごろは、地域内で持て余している公共スペースを民間と一緒に活用していこう、という機運が高まっていたんですよ。

それに加えて、今回一緒に取り組みを進めていただいた、目黒区の街づくり推進部 地区整備課の方々のご尽力も本当に大きかった。行政は基本的に前例の無いことを嫌うものですが、今回のような河川にある既存の建物を利活用した取組みは日本全国でもおそらく初めて。にも関わらず柔軟に対応していただき、中でも同課の池田寿々子係長には、僕たちの思いに寄り添いながら行政内外での調整に奔走してくれて、本当にお世話になりました。彼女に取材をしたらきっと行政視点の面白いお話を聞けるんじゃないかと思います。

といえど、いきなり行政が予算を確保して事業を行えるというわけでもないですし、この時点で、フナイリバの運営は行政のお金で行うべきではないと考えていました。

―― 補助金は必要ない、という判断ですか。

大塚:やっぱり官のお金が入ると、行政が判断できる内容でしか活動できないので、民間としては動きづらくなる。もちろん経営面で補助金は助かるけど、身動きが取れなくなって自分たちの首を絞めていくと元も子もない。

なので、フナイリバではちゃんと事業を組み立て、ちゃんと稼ぎ、そしてその収益でちゃんとまちづくり活動をすることが根底にあります。改めて言う程のことではないくらい当たり前のことなんですが……。ちなみに、この提案をしたのが2019年の終わりごろだったので、約5年ぐらいで契約を結ぶことができました。普通だったら10年とかは平気でかかるようなものらしく、異例のスピードだそうです。

―― 収益を上げるための事業はどのようなものになるのでしょう?

大塚:メインは「タテモノ」でのコワーキングスペースの運営です。外観からは想像しづらいかもしれませんが、窓が大きく天井も高い。とても開放感のあるスペースなんです。座席数はオフィス・リモート・ミーティング・フリースペースあわせて40席で、会議に使える大きな机と、オンラインミーティング用のブース、ランチタイムに使えるようなスペースも用意しています。でも最大の売りは目黒川に面した大きなバルコニーですかね。

本棚の奥には会議スペースが

利用者のためのロッカーも完備

大きな窓の向こうにはバルコニー席

―― 桜の季節にもお邪魔しましたが、さすがに壮観でした。

大塚:ここまできれいに中目黒の桜を臨める場所はそれほど多くないと思いますよ。絶賛会員募集中ですので、ご興味がある方はぜひフナイリバの公式サイトをチェックしてほしいです。

4月上旬頃のベランダからの眺め

もう一つの収益源は、ヒロバでのキッチンカーの出店費用です。ヒロバにはテーブルやイスと共に毎日キッチンカーが出ています。加えて、これを機にNAMでもキッチンカーを新たに用意し、町の人たちがレンタルして使えるようなかたちにしています。それと連動するようなかたちで子ども食堂の取り組みの一環として、ヒロバに机を並べみんなでご飯を食べる、といったことを行っています。他にも、夏は盆踊り、冬はクリスマスマーケット、「オクトーバーフェスト」のようなクラフトビールのイベントなど、年間を通して季節の催しも予定しており、場所や設備の貸し出し費用で賄っていこうと考えています。

中目黒でなにかやりたい人、NAMまでご連絡を!

―― 今さらですが大塚さんはデザイン会社を経営されている方ですよね。石野さんも編集者であり経営者。そもそもなんでまちづくりに携わっていらっしゃるんですか?

大塚:2009年ぐらいに会社を中目黒に移して、飲み歩いているうちに、色々な方とつながって、気づいたらこうなってました(笑)。実は10年くらい前に、ここの広場を使って無料映画祭をやったことがあったんです。100人くらいのお客さんを呼んで屋外で映画の上映とトークイベントを行って、この船入場が塩漬けになっていたこともそのときに知りました。

そのときに初めてしっかりと街と関わり始めて、町会長さんなんかとも知り合い、地域の餅つきに参加したり、神輿を担がしてもらったりと、上の世代の方々や行政の方々とも少しずつ繋がりができていきました。もちろん亜童さんとの出会いも飲みの場だし、NAMの理事として入っていただいている末繁先生なんかもそうです。

石野:僕も家は中目黒だし、普段からよく飲み散らかしております(笑)。編集者として動きながら、まちづくりにも興味があった。中目黒だけを見つめるローカルメディアを作りたいっていろんなところで話していたら飲みの場で(大塚)剛くんを紹介してもらって。話をしているうちに、同じような課題感を抱えていたことがわかってきた。

―― 中目黒って実はデートで使うような店よりも、人が集まる飲み屋が多い町ですよね。

石野:そうそう。チェーン店もあるけど、個人で頑張ってる飲み屋さんが結構あるんですよね。やっぱりそういうところで負けずに踏ん張ってる店主って良い意味で癖がある人が多い。そこにさらに癖がある人たちが集う。地元に根を張るお店に集う人たちって自分の街が好きだから、何かやりたいっていう思想やパワーがあるし、そこから生まれていくものは多いですよ。地域の飲み屋ってそういう人たちの下支えにもなっている場所だと思う。

でも逆に、シラフでふらっと集まれる場所ってそんなに無いんですよね。そういうものを中目黒に作りたいよねという思いがあった。濃密である必要はないし、ゆるやかでいい。街に関わる人同士が一定の時間を過ごせる場所さえあれば、おなじ空気をともにすることでなにかが生まれるきっかけになるはず。「フナイリバ」はそんな機能を持った場所に育っていってくれたら、という思いがあります。

大塚:僕は"交流型コワーキングスペース"って呼んでるんですけど、三軒茶屋にある「三茶WORK」さんはとても参考にさせてもらいました。人の顔が見えるから、三茶で何かやりたい人たちが集まる場所になってるんです。

「何かやりたい」「まちが好きでもっとよくしたい」みたいな思いはあるけど何から始めたらいいかわからない、って人は中目黒にもたくさんいるんです。そういう人たちがこのフナイリバに来たり、NAMに連絡をしたりしてくれればいろんなことが動き出すってことを知ってほしいんです。

―― まずは中目黒の中でどんどん交流を広げていこう、という感じですか?

石野:別に中に限るつもりもないですよ。面白そうだと思って来てくれた人たちのご縁をつないだり、きっかけをつくっていくスタンスが大切。そういう姿勢でコツコツと場を運営していければ、自然といろんな人たちが集まってくるような気がするんですけどね。

大塚:外からもどんどんそういう人たちが集まるようにはしていきたいですね。

―― じゃあ一緒に中目黒に関わりたい、なにかやってみたい、という人がいたらNAMにご連絡を、ということですね。

大塚:公式サイトにイベント利用についてなどの窓口を用意しています。ぜひ、まずは連絡を貰えればと思います。


フナイリバ

ナカメエリアマネジメント