松岡聡氏(写真左)、クロサカタツヤ氏(写真右)
構成:神保勇揮(FINDERS編集部)
2023年1月24日に、スーパーコンピュータ「富岳」を活用した研究成果や利活用に関する取り組みを紹介するシンポジウム『「富岳」EXPANDS ~可能性を拡張する~』が開催された(イベントレポートはこちら)。
本記事では「富岳」の総責任者である松岡聡氏と、パネルディスカッションでモデレーターを務めたクロサカタツヤ氏による振り返り対談を前後編でお届けする。
今や「世界有数の性能を誇るスーパーコンピュータ」として広く知られている「富岳」だが、今回行われたパネルディスカッションの中で松岡氏は「『富岳』1台だけあってもダメ、これをプラットフォーム化させることが重要」と強調した。「富岳」をプラットフォーム化するとはどういうことか、またそれがどう日本を変えることにつながるのか。改めて語り合っていただいた。
松岡聡
理化学研究所 計算科学研究センターセンター長
東京大学理学系研究科情報科学専攻、博士(理学)。
東京工業大学・学術国際情報センター教授、産総研・東工RWBC-OIL ラボ長を経て、2018年より現職。
東工大・情報理工学院特任教授(兼職)スーパコンピュータTSUBAME発で省電力等の指標世界トップランク。超並列計算機並列アルゴリズムやプログラミング、ビッグデータやAI 融合の研究に携わる。
⽶国計算機学会ACM フェロー(2011年)、スパコン分野最高峰の業績賞であるIEEE Sidney Fernbach 賞(2014年)およびIEEE Seymour Cray賞(2022年)を受賞、紫綬褒章受章(2022年)。
2020年に史上初世界ランキング1位・性能評価四冠(TOP500、HPCG、HPL-AI、Graph 500) 達成のスーパーコンピュータ「富岳」の総責任者。
クロサカタツヤ
株式会社 企 代表取締役慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任准教授
慶應義塾大学大学院修了後、三菱総合研究所を経て、2008年に株式会社 企(くわだて)を設立。通信・放送分野の経営戦略コンサルティングを行うほか、総務省、経済産業省、OECD等の政府委員を務める。近著『5Gでビジネスはどう変わるのか』(日経BP刊)。
計算性能の「高さ」だけでなく、研究者が使いやすい「間口の広さ」も重要
イベントの模様
クロサカ:「富岳」BEGINS(2021年9月)、「富岳」FORWARD(2022年3月)に続いて、今回EXPANDSが開催されました。まず全体の印象からうかがえますか。
松岡:今回は久々にリアル会場と中継のハイブリッド型で実施できたのですが、リレー講演でもパネルディスカッションでも参加者の皆さんからの質疑応答にしっかりとお答えできたというのが会全体として良かったですね。
「『富岳』を新型コロナの研究に使ったのは知っていますが、それ以外にどんな活用をしているんですか?」とよく聞かれるのですが、その疑問に対し発表者の皆さんが「こういったマシンができてようやく世の中の諸問題を解決できるんです」という非常に迫力のある発表をしてくれたおかげで、実感していただく助けになったと思います。
クロサカ:私も、5人の研究者によるリレー講演「『富岳』NOW」パートについて、「専門家の先生の話は難しいと思っていたけど、具体的にどのように壁を乗り越えようとしているのかが非常にわかりやすかった」というようなポジティブな感想を数多く聞きました。
もちろん私自身も、全部理解できるほど各分野に詳しくはないのですが、それでも例えば奥野恭史先生の創薬DXプラットフォームや、井上寛康先生の複雑なサプライチェーンへのチャレンジなど、「富岳」の高さ(性能)と広さ(間口)という特徴を端的に表すような取組ということが、具体的な事例を通じて伝わったのではないかと思いました。
松岡:もちろん、発表者の皆さんがそれぞれのかたちで期待に応えてくださったと思います。これまでの事例では「なぜより速いマシンが必要なのか」という疑問に答える話ばかりでしたが、地震を研究している市村強先生のグループなどは、速いマシンを使うだけではなくて新しい計算手法も生み出していることを紹介してくれました。
松岡聡氏
スーパーコンピュータ「京」から「富岳」は約40倍のスピードアップを果たしていますが、さらに新しいアルゴリズムを開発し約25倍のスピードアップを図った。それらをかけると1000倍ですよね。
ただ、より速いアルゴリズムを生み出すこと自体も難問ですが、スーパーコンピュータが普通のパソコンと同じように使えるようになることも重要です。
例えば奥野恭史先生の創薬プラットフォームの話だと、病気の原因となるタンパク質の特定から臨床試験まで、それぞれ別のシステムが必要になるという複雑さがありますよね。そこで扱われる何十億もの化合物のデータベースがあって、それにアクセスしながらいろんなことをやらなきゃいけない。
それは、現在多くのITサービスがクラウド上で利用でき、サービス同士が横断して使えたり、さらに関連した別のマイクロサービスができあがったりというかたちで運営されている状態と同じです。スーパーコンピュータの技術だけじゃなくて、クラウド上での技術も贅沢に用いて、それらがつながって総合的なサービスになるということを実現しなきゃいけないですね。奥野先生たちが構想するプラットフォームも、それを使いやすいかたちにするためにインターフェースの部分はPythonベースのノートPCを使うようにしているわけです。
それは奥野先生たちに限らず今後のサイエンスの方向性の先鞭をつけているわけで、なぜ「富岳」でそれができるのかというと、それは「富岳」の上にクラウドサービスを載せたり、いろんなサービスをサポートしていたり、汎用的に何でも動くから、クラウド上で開発された多くのコンポーネント(要素)がそのまま動かせるようになっているからなのです。そういう意味でも今回のシンポジウムのタイトルにもしている「EXPANDS」は重要な概念なのです。
オープンソースから「AIドリブンなサービス化」の時代に「富岳」は何ができるか
クロサカ:今回の対談や、シンポジウムでの発表を通じ、「『富岳』のクラウド化」「クラウドの『富岳』化」がいかに次の一手として重要なアクションなのかということが、多くの方にご理解いただけたのではないでしょうか。
松岡:例えば、昔なら気象業務は気象庁が独占していましたが、今は民間企業も参入しています。天気予報を紙やメールで伝えるだけでなく、ウェブサイトでも見られるしAPIを使って別のサービスに組み込めるようにもなりました。
現在、アプリケーションを開発している研究者は、GoogleのようなIT企業がいかに栄えたかを当然皆知っています。プラットフォームを作ってそこに知識やデータが集約されたところが勝つ。昔であれば特定のアプリケーションをOSS(オープンソースソフトウェア)で出していたわけですが、今はもうサービス化していますよね。ローデータを溜めるだけじゃなくてAIも活用しつつ自動で意味あるデータに変換するような取り組みも進んでいる。
そうしたプラットフォームをサポートするITの基盤として、スーパーコンピュータ化したクラウドがあるという世の中になってきたわけです。我々がそうさせたのではなく、科学者のマインドがそうなりつつある。
クロサカ:スーパーコンピュータ関連でのこうした動きは、もしかして革新的と言えるぐらいの大きな変化なのではないかとうかがっていて感じました。サービスプロバイダの市場とユーザーの市場が相対する結節点を確保し、両面市場の仲介や裁定を行うのがデジタルプラットフォームの必要条件ですが、正にこの構造が生まれるのではないか、と。
クロサカタツヤ氏
松岡:最近はChatGPTを筆頭にAIチャットボットがものすごく話題ですが、多くはオープンソースではなくサービスとして公開されていますよね。単にユーザーを増やすだけじゃなくて、いろんなユーザーのノウハウ・知識を、自分たちのコミュニティに取り込もうとしているわけです。
スーパーコンピュータの世界では、ISV(独立系ソフトウェアベンダ)やASP(アプリケーションサービスプロバイダ)のような動きはあったものの、基本的にはソフトウェアを売ることが事業の中核に存在していました。ユーザーの知識などは、それをサポートするエンジニア=人間が「こういう要望があるので」と取り入れるかどうかの判断をしていた。でも先ほど話した通り、今やユーザーの行動を全部データとして貯めて、人間の判断を介さずAIなども用いて自動的に改善する部分も含めて、適宜活用していくというのがStable DiffusionやChatGPTといったAIドリブンなサービスが時代の主流になっていきますよね。
それは研究者の世界でもメリットがあって、単に「業界スタンダードになるプラットフォームが作れれば自分が親玉になれる」という話に留まらない、研究者コミュニティ全体が大きく前進する話でもあるんです。今までは「ソフトウェアのユーザー同士がそれぞれ具体的に何をどう活用しているのかよくわかっていない」という状態から、各々が何をやっているかそれなりにわかる状態に変わる。もちろんある程度情報の権利は守りつつですが、知見が蓄積されていけば全体が急速に進化する。
我々としても、「富岳」やさらにその次のスーパーコンピュータを用いて、個別の課題を解くということに留まらない、「計算/サイエンスの基盤」を制していきたいという目標があります。
クロサカ:車のギアを上げてどんどんスピードアップしていくためには、当然燃料もたくさん必要になります。ここで言う「燃料」とは、多くのユーザーとデータが集まることになるわけですが、今回「クラウドの『富岳』化」で発表されたAWSとの連携は、さらにそれを進めていくための手段のひとつであると考えられるわけですね。
松岡:その通りです。そのためには「富岳」が1台だけあっても無理で、そのために何が必要なのかという話を後編で続けていきたいと思います。