LIFE STYLE | 2022/04/11

「AIが世界中の仕事を奪う」の(当面は)誤解を正す。日本で評価されなさすぎる名著『AI世界秩序』の慧眼【連載】高須正和の「テクノロジーから見える社会の変化」(23)

写真右は米TIME誌が実施する「100 Most Influential People(最も影響力がある100人)」の選...

SHARE

  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • line

写真右は米TIME誌が実施する「100 Most Influential People(最も影響力がある100人)」の選出記念イベント(2019年)に出席した際の李開復 Photo by Shutterstock(写真右のみ)

李開復(カイフ・リー)『AI世界秩序』は、AI研究でもビジネスでも第一人者である筆者が、「今のAIにできること、できそうなこと、できないこと」を技術と社会実装の両面から総覧し、かつ技術屋が臆病になりがちな大胆な未来予測を行った名著だ。

李開復は台湾人で、キャリアの多くはアメリカで過ごし、1990年代にAppleの音声合成システムを開発したエンジニア。今はAI企業に投資するVCシノベーション・ベンチャーズを創業した著者は、世界でも注目のAIとビジネスの専門家である。アメリカで出版され世界で大人気の本書が、日本でさほど話題になっていない(本稿執筆時点でAmazon.comでのレビューが1500超なのに対しAmazon.co.jpでは16)のは、AIと社会に関するリテラシーの違いかもしれない。

高須正和

Nico-Tech Shenzhen Co-Founder / スイッチサイエンス Global Business Development

テクノロジー愛好家を中心に中国広東省の深圳でNico-Tech Shenzhenコミュニティを立ち上げ(2014年)。以後、経済研究者・投資家・起業家、そして中国側のインキュベータなどが参加する、複数の専門性が共同して問題を解くコミュニティとして活動している。
早稲田ビジネススクール「深圳の産業集積とマスイノベーション」担当非常勤講師。
著書に「メイカーズのエコシステム」(2016年)訳書に「ハードウェアハッカー」(2018年)
共著に「東アジアのイノベーション」(2019年)など
Twitter:@tks

IT技術により貧富の差がますます開く「グレートデカップリング」

ここ数年、「グレートデカップリング」と呼ばれる状態が起きている。アメリカのような先進国で、経済全体は成長しているのに、それ以上の差で貧富の差が開いていき、貧困層はむしろ年々苦しくなっている。日本はアメリカほどの激しい格差はないが、経済成長が低調で貧困層の底上げは進んでいない。

原因はIT技術、さらにはAIだ。IT技術は新しい産業を作り、社会全体の生産性を上げる一方で、いくつかの産業をなくしてしまう。同じぐらい革命的な技術だった蒸気機関や電気は工場労働者やサービス業といったより高収益の新しい仕事を多く生むことで社会全体を豊かにしたが、IT技術やAIの収益はあまり分配されず、ごく一部に集中してしまう。中間管理職が大量リストラされるうえ、ギグエコノミー的に働く労働者の給与は低いままだ。

一方でAIは万能ではなく、配送や仕分け、運転といった業務は人間が行っている。Amazonの倉庫では今も大量の人間が働き、トラックドライバーが配送している。

AI技術への様々な誤解

AI技術がいま現在も社会を変え続けているのは間違いないが、ほとんどの「AI未来予測」は大きく間違っている。今も「中国の街角で共産党批判を話すと信用スコアがマイナスされる」のような、Appleが出している20万円する最新型iPhoneでも不可能な話を軽々しく口にする識者は多いし、「ビジネスでは赤字だが貯まるデータを売って儲ける」と語るスタートアップの大半が赤字のまま短期間で廃業している。

こういう間違いの多くはテクノロジーとビジネス、あるいは両方に対する無知や誤解に基づいている。AIはアルゴリズムだけで成り立つのではなく、現実社会から情報収集するセンサー類と、モノを動かす物理手段を必要とする。今のマイクやカメラとAIには、「人間のように聞きわける・見分ける」ことからは程遠い能力しかなく、自動運転では「そこにあると予めわかっている信号機の色をちゃんと読み取る」ということが今も最先端のテーマのままだ。しかも、そのシステムがカリフォルニアの信号を読み取れたとしても、東京の信号が読み取れるとは限らない。

李開復はその「あと一歩」を可能にするベンチャーにいくつも投資し、また今の技術のままでも役立ててビジネスにしようとして、多くのスタートアップを成功させている。だからこそ、本書で李が語る

・街ごと自動運転に最適化するアプローチのほうが早いかもしれないし、それは中国のほうが向いていそうだ

・世界全体を前進するようなAIアルゴリズムは世界一の100人によるチームが必要なのでアメリカに強みがあるが、特定の商売にそれを反映させるのは10万人の博士と1万社のスタートアップみたいなアプローチになるので中国のほうが強そうだ

こうした未来予測やアイデアは的確だ。

技術的に正確だが多くの人々の直感に逆らうこうした考えは、地動説やワクチンが受け入れられるまでに時間がかかったように、理解されづらいものだ。本書はとてもわかり易い文章と翻訳にも関わらず、あまり日本のネットでの評判を見ない。

彼のVC、シノベーション・ベンチャーズを日本でサポートしている佐野史明氏に聞いたところ、「本書が日本語訳されたことを、チャイナウォッチャー含め色んな人に紹介したものの、あまり評判にならなかった」と聞いた。Amazonレビューの数が英語圏・日本で100倍差があるのは紹介したとおりだ。

AIで仕事は「どうやって」なくなるのか?

Photo by Shutterstock

この本で歴史学者のユヴァル・ノヴァ・ハラリの語る「AIで生まれる無産階級(The rise of the useless class)」というアイデアは否定的に扱われている。ハラリのTEDトークは有名な「AIでなくなる職業」(オックスフォードのベネディクト・フレイとマイケル・オズボーンによる研究)をそのまま引いたうえで、「人間の知性とAIの知性の区別をつけられない」「パン職人はなくなるが歴史学者は高度なパターン認識をニッチな市場に適用するのでなくならない」「進化したAIは人間を滅ぼすかもしれない」といった趣旨の、その後人気になった予測を語っている。

李開復は実際にオズボーンたちの研究に深く踏み込んで詳細を検討し、予測を修正した上で、「機械と人間の共存」を唱えるエリック・ブリニョルフソン(MITの教授)などその道のプロと直接対話することを経て、

・マッチングやギグエコノミーのサービスは、雇用に対してAIよりも驚異になるだろう

・トラックドライバーや荷物の仕分けのような仕事は、低給与のまま、「自動化よりもコスパが良いサービス」として限定的だがかなり長いこと生き残りそうだ(しかし、後述するようにそれを解決策や免罪符にしてはいけない)

・一方で介護などの職業はより重要性を増す。今は一律に収入が低いが、AIには難しい「人間をいい気分にできるような介護サービス」などは、より高い給与を得ることがありうる

・しかし、そうした人間が人間に向かい合うことで生まれる高額なサービスは、IT技術のように指数関数的な成長ができない。この分野のスタートアップは多く生まれるだろうが、成長への考えかたを変えなければならない

など、「AIが簡単にできること、むずかしいこと、そもそも不可能なこと」への正確な知識を基盤に、非常に具体的な予測と解釈をしている。

今上海でのロックダウンが話題だ。一部で持て囃されたドローン配送やロボット消毒は効果を表さず、ギグエコノミー的な共同購入が市民の支えとなっているのは、李の予測の正しさを証明している。

次ページ:アメリカと中国でAIとビジネスを知り尽くした「アイアンマン」李開復

next