ITEM | 2022/01/22

性犯罪、いじめ、投資詐欺…「ネット界の文春砲」の異名を誇る暴露系YouTuberに寄せられるトラブル事例は「普通の人」にも降りかかる【コレコレ『告発 誰も晒せなかったSNSのヤバすぎる闇』】


神保慶政
映画監督
東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はも...

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神保慶政

映画監督

東京出身、福岡在住。二児の父。秘境専門旅行会社に勤めた後、昆虫少年の成長を描いた長編『僕はもうすぐ十一歳になる。』を監督。国内外で好評を博し、日本映画監督協会新人賞にノミネート。第一子の誕生を機に、福岡に拠点を移してアジア各国へネットワークを広げる。2021年にはベルリン国際映画祭主催の人材育成事業ベルリナーレ・タレンツに参加。企業と連携して子ども映画ワークショップを開催するなど、分野を横断して活動中。最新作はイラン・シンガポールとの合作、5カ国ロケの長編『On the Zero Line』(公開準備中)。
https://y-jimbo.com/

「ヤバすぎる闇」は誰もが巻き込まれる可能性があるからこそ「ヤバい」

小中学生(特に男子)がなりたい職業ランキングのトップ、もしくは上位にYouTuberが入っていることは、もはや全く珍しくなくなりました。ですが同時に、YouTuberが事件や騒動を起こしたというニュースを見聞きするということも、往々にしてある世の中になってきました。「YouTuberになりたい!」と我が子に言われた親は、そうした世の中の現状を踏まえると、少々複雑な気持ちになってしまうこともあるのではないかと思います。

今回ご紹介する、コレコレ『告発 誰も晒せなかったSNSのヤバすぎる闇』(宝島社)は、「暴露系YouTuber」として名を馳せおり、一聴すると題名にもある通り「(自分とは無関係な)ヤバい世界」が描かれているのではないかと偏見を持って見てしまうかもしれない著者の、勇ましさと公正さがビビッドに伝わってくる一冊です。

筆者は本書を読んで、初めて存在を知りました。もしかしたら読者の皆さんには説明不要なのかもしれませんが、一応念のため、彼のキャリアを簡単に紹介します。自身は「陰キャ生放送系YouTuber」を自称していて、チャンネル名は「コレコレチャンネル KoreTube」。

チャンネルの本格展開は2016年からで、その前にも05年からニコニコ生放送、13年からツイキャスなどといったプラットフォームで自身によるライブ配信を手掛け、現在はアパレルブランドやアイドルのプロデュースにまで活動の幅を広げています。22年1月時点でのチャンネル登録者数は160万人で、ライブ配信の最大同時接続者は31.6万人を2021年7月に記録したそうです。

彼が現在メインで行っているのは、YouTubeで週に数回行う生放送。評判が評判を呼び、もはや「視聴者からの人生相談」というよりは「スキャンダルの告発」に近いタレコミが多数寄せられ、その暴露と推移報告に皆釘付けになっています。

YouTuberの存在が一般的になるにつれて、次第にそのタレコミ内容は週刊誌など大手メディアも注目するようになり、「有名YouTuberがファンの未成年女性にわいせつ画像を送らせて逮捕」「北海道のセブンイレブンで賞味期限切れのおでんを販売していることが発覚し本社が謝罪」など、寄せられたタレコミをきっかけにメディアや社会が動くことも珍しくなくなってきたことから、一部では「ネット界の文春砲」とも呼ばれるようになってきました。

本書の内容としては、まず配信で扱ってきたトピックや暴露のハイライトと見解のまとめ。緊急事態宣言下の誕生日パーティに31名のYouTuberが集まって飲み会をしたという週刊文春の報道に関する放送など、記憶に新しいものも多く含んでいます。「こんな神回があった」という生放送の採録もあり、まだファンではない読者でもリアルな雰囲気が感じられるようになっています。

次に、やりきれなかった悲しい出来事の振り返り。2019年に北海道の旭川でリアル・SNS双方での性的いじめの末、少女が川に飛び込んで亡くなるという事件がありました。その少女は「コレコレチャンネル」のファンで、彼女が趣味で描いたイラストを評価して欲しいとコミュニケーションを図ってきたこともあったそうです。その後は事件の究明に協力するため遺族とのコミュニケーションも行ったそうですが、チャンネル運営によって社会的影響力を得たがゆえに「事件を防げたかもしれない」という後悔を感じた胸の内が綴られています。

本書を読むのと併せていくつかYouTubeの動画アーカイブを観ましたが、「公正な方だな」というのが私の第一印象です。今年1月初旬に、「自由で公正な社会のために」という標語を掲げたある動画配信プラットフォームが、ある政党から資金提供を受けていたという残念なニュースが報じられたあとにタイムリーにも本書を読んだこともあり、彼のスタンスから「公正とはこういうことを言うのだな」という印象を私は受けました。

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世の中には多種多様な人間がいるように、リスナーを一括りにイメージすることは難しい。ディベートのように議論することが好きな人もいれば、ただ、誰かを攻撃したいだけの危ない奴もいる。それでもやはり目立つのは、善意のリスナーだ。
たとえば「病気で悩んでいる」という相談が来ると、看護師さんなど医療系の仕事をしているリスナーからのコメントが一気に増えたりする。自分の知っていることは伝えてあげたいという人が多いのだ。(P34)

過去には「暴露が好き」というモチベーションでチャンネル展開をしていた時期もあったのかもしれないですが、今現在の彼は、本書の著者紹介欄の言葉を借りると、「生放送で視聴者からの相談や暴露タレコミを受け付け、ネットの集合知を借りながらファクトチェックを進める配信スタイル」です。今となっては「暴露」はあくまで一つの手法でしかないのだと思います。

湯切りパフォーマンス的配信スタイルと、現代社会における「構ってくれる」ことの価値

前述したようなモラル上の問題が明るみに出た左翼系メディアの中枢の人と、コレコレの決定的な違いは、「わからないことをわからないとすぐにハッキリ言う」ということにあると思います。彼が扱う話題は実に多様です。性犯罪、金銭トラブル、いじめ、投資詐欺、マルチ商法、悪徳インフルエンサーなどなど……どれもが「アウトローが集うヤバい世界」の出来事ではなく一般人でも十分に巻き込まれうるトラブルであり、かつ一筋縄にはいかない問題ばかりで、一人の人間が扱うにはキャパシティの限界があります。たとえば、皆さんがライブ配信をするとして、視聴者から下記のような状況を聞いた時に、即興的に何と返すでしょうか。

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あるクラスでは、いじめられている女の子の顔写真がパパ活や援助交際の募集に勝手に使われていたそうだ。それを別のクラスの生徒が見つけて「あの子、ネットでこんなことやってたよ」とSNSでどんどん話が拡散してしまった。本人がどれだけ「私はやってない。私の投稿じゃないよ」と言っても、「いやいや、だってお前の顔で投稿されてるじゃん」「あの子、本当はやってるんだよ」と、信じてもらえず収拾がつかなくなった。結局、この子は噂に耐え切れず学校に行かなくなってしまったそうだ。(P146-147)

彼がどのように考えてどんな言葉を繰り出したのかは、書中でぜひ確認していただければと思いますが、私は彼の配信スタイルを見知っていく中で、ラーメンを湯切りするザル(どうでもいい情報かもしれませんが「てぼ」「ストレーナー」などという呼称があるそうです)を連想しました。次々と熱湯からあがってくる麺を選り好みせずジャッジャッと高低差をつけて湯切りしていき、湯気をなるべく残したままスープの中に入れるというような役回りです。

「本当の配信者は視聴者」という信条のもと、配信を観てくれている人たちの様々な思いの形を、ひたすら湯切りしているというような感じとでも言えばいいでしょうか。そして、配信内容に暴露が含まれているかどうかというのは、湯切りの高低差が大きいのかどうか、湯切りパフォーマンスが激しめなのかどうかというような、単なる「程度の違い」なのだと感じました。

特に若いファンに対して危惧しているのは、自分の頭で考える習慣の欠落や、何でもかんでもすぐに聞く人が増えている傾向だといいます。「湯気が出てない人」が質問をしてくると、湯切り担当としてすぐさま察知しますし、湯気は他所(よそ)で出してもらうしかないので、「全然まだ煮えてないから、もうちょいしっかり煮えてきてよ」とストレートに意思を表明します。

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彼らが真偽を判断する基準は「数字」だ。たとえばTwitter上だとリツイート数やいいね数が多いと、それが真実だと思いこんでしまう人が本当に多い。
人を信用する基準も同様だ。フォロワー数が多い配信者やYouTuberのことを簡単に信用してしまい、騙された挙げ句に私の配信に相談してくるのだ。(P174)

問題が複雑に煮詰まりすぎている場合であっても、このように「ちゃんと受け止めてくれる」「構ってくれる」ということは、今の世の中においてありがたがられる価値になり得るということが、160万人というチャンネル登録者数にあらわれているように思えます。ダメと判断されたが最後、あとはそのままゴミ箱に投げ込むような扱い方をされることが往々にしてある中で、「率直に言ってくれる」存在というのは、今の世の中では希少なのです。

それでもYouTuberやインフルエンサーになりたいか?

本書では、最後に自身の生き方の話が綴られています。YouTuberやインフルエンサー同士のいじめや確執を例に取り、そうした存在に憧れる読者に「それでもなりたいか?」と問いかけます。彼自身は、そうした存在を肯定も否定もしません。

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それでも配信を続けていたのは、そもそも僕にとってライブ配信は金を稼ぐ手段ではなかったからだ。まだスーパーチャットも投げ銭システムもなく、そんな時代が来るとは夢にも思っていなかった。配信でお金を稼げるシステムが確立したのは僕がツイキャスを始めた少し後くらいだった。(P235)

収入を確保できるようになるまでの苦労話を含めつつ、YouTuberではない生き方をも包括しながら発信しているメッセージは「素直に、隠さず、正直でいるべきだ」ということではないかと私は感じました。グツグツと煮えたぎっている熱湯のような、如実で表層的な「熱さ」ではなく、芯から湯気がモクモクホワンと出るかのような、内面からにじみ出る「アツさ」のことです。

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僕が晒してもいいと思っているのは「個人情報」ではなく、僕の「内面」だ。基本的に自分の考えはオブラートに包まず発信しているし、誰かに気を使ったり、世の中の空気を読んだりもしない。
それができるのは、ライブ配信という場所があるからだ。僕も配信に出会わなければどうなっていたか分からない。
幸い好き放題にやってきたおかげで冗談は冗談として通じるし、リスナーもある程度は私のパーソナリティーを尊重してくれている。どんな嫌な奴でも、世の中とズレた考え方でも、ずっと言い続けていれば周りの人間も「しょうがない、あいつはそういう人間なんだ」ということだけは理解してくれるものだ。(P246)

まだ知らない方は「暴露系」というキャッチコピーに尻込みせず、ファンの方は「アツさ」の暖簾分けを受けられる期待をこめて、ぜひ本書を手にとってみてください。


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