CULTURE | 2021/10/23

野党がこのままでは日本は「決して政権交代できない国」になりそうだが、それはそれでいいのかもしれない

【連載】あたらしい意識高い系をはじめよう(23)

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倉本圭造

経営コンサルタント・経済思想家

1978年神戸市生まれ。兵庫県立神戸高校、京都大学経済学部卒業後、マッキンゼー入社。国内大企業や日本政府、国際的外資企業等のプロジェクトにおいて「グローバリズム的思考法」と「日本社会の現実」との大きな矛盾に直面することで、両者を相乗効果的関係に持ち込む『新しい経済思想』の必要性を痛感、その探求を単身スタートさせる。まずは「今を生きる日本人の全体像」を過不足なく体験として知るため、いわゆる「ブラック企業」や肉体労働現場、時にはカルト宗教団体やホストクラブにまで潜入して働くフィールドワークを実行後、船井総研を経て独立。企業単位のコンサルティングプロジェクトのかたわら、「個人の人生戦略コンサルティング」の中で、当初は誰もに不可能と言われたエコ系技術新事業創成や、ニートの社会再参加、元小学校教員がはじめた塾がキャンセル待ちが続出する大盛況となるなど、幅広い「個人の奥底からの変革」を支援。アマゾンKDPより「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」、星海社新書より『21世紀の薩長同盟を結べ』、晶文社より『日本がアメリカに勝つ方法』発売中。

1:日本の野党は「絶対政権交代などしない野党」になりつつあるのかもしれない?

あと一週間程度に迫った衆院選ですが、いろいろな報道機関や選挙の専門家さんたちが出している動向調査によれば、

・自民党は小選挙区で苦戦するが比例ではむしろ伸び、自・公全体での過半数はよほどのことがないと揺らがない

・野党側で伸びるのはむしろ維新で、立民・共産連合も伸びるが微増に留まる

といった情勢であるようです。

もちろん、全国に接戦区が多数ある今回の選挙では最後まで何があるかわかりませんし、前回の選挙で勝ちすぎている自民党が議席を減らすことは確実視されていますが、岸田総理が掲げる「勝敗ライン」である「与党で過半数」が破られる予想を出しているところはほとんどなかったようです。

正直言ってこのニュースを聞いて私は結構「ほっとした」ところがあります。

私は日本の選挙制度の細部に全然詳しくないので、ツイッターでよく見る

「自民党が勝っているように見えるのは小選挙区制度のバグであり、野党が統一候補を立てて戦って、あとは“ちょっとした風”さえ吹けば政権交代だってありえるのだ!」

…というような勇ましい意見を頭ごなしに否定できる材料がなくて「え、そうなの?本当かなあ?」と思っていたんですよね(一応一般的な範囲での選挙制度とか現状の支持率とかを見るとそうは思えないが、何か自分の知らないどんでん返しのネタがどこかにあるのかも?と思っていました)。

しかしよく考えると、2009年の政権交代の頃はそもそも政党支持率の時点で与野党は拮抗していたのに対し、昨今の野党の支持率は立憲民主党の結党直後以外、一桁台を突破したことがあまりありません。野党が政権交代を目指すなら、まずは「狭いコア層」の外側の「広い支持」を集めていく地道な何かが必要なのではないでしょうか。

私は「政権交代可能な野党」が常に控えていることが民主主義として望ましいと長い間思っており、そういう意味で野党勢力に期待するところは大だったのですが、なんだか年々と「良くない意味の純粋志向」が高まっていく感じがあって…。

「良くない意味の純粋志向」というのは、現与党の政治を非常に純粋主義的に

「絶対悪」

として設定し、それに対して

「絶対善」の自分たち

…という対置をしていく姿勢なんですね。

こういう姿勢だと「狭く深い」支持は取れるでしょうがその外側にリーチできないし、そもそもこういう姿勢で本当に「政権交代後の政治」をリードできるのか、どんどん不安になってしまいます。

この現状のなにが良くないって、野党の国会議員は「こういう純粋志向の糾弾家ばかりではない」からです。もっと広い視野と現実感と具体的な政策知識の積み上げがある人も結構いる。

私は経営コンサルティング業のかたわら色んな個人と「文通」をしながら人生を考えるという仕事もしていて(ご興味があればこちら)、昔は野党国会議員の人もクライアントにいたんですが(落選してしまってから関係は切れましたが今回は立民から立候補されているようです)、その人はほんとうに一般的な「野党政治家のイメージ」とは全然違う深い責任感と広い視野とバランス感覚と知識量のある人で、

「へえ、野党政治家にもこういう人っているんだな」

…と“ものすごく驚いた”ことを覚えています。

私が感じたこういう“驚き”こそが「政権を任せても大丈夫そう」という信頼回復のために一番大事なことであって、「もっともっと華麗かつ過激に純粋悪である自民党政府のダメなところを糾弾してやろう!」という今の野党の基本路線は耳目を集めやすいとしても、それを聞いて「政権を任せても問題なく仕事できそう」と思ってもらえるのかどうか。

結果として自民党の支持率は増減するけれども野党の支持率は一桁台に貼り付いている…という現状につながっているのではないでしょうか。

いろいろな人が旧民主党の失敗で一般国民の信頼を失っていることが今の野党の重しになっているという話をしていますが、その意味での「仕事ちゃんとやれそう」感を回復していくためには、

むしろ「自民党政治(の不正部分以外)を悪魔化しない」上で、「自分たちならココをこうする」という話をしていくことが、「政権交代可能な野党としての信頼」を得るための大事なプロセス

…のではないか? と思っていますし、それを志向している人も少なからずいるのですが、しかし現実には、「実際に自分がやることになった場合のバランス感覚」とかは捨て去って、「自民党政治家を絶対悪化」して全力で糾弾する人の方が野党内でも主導権を握りがちなのが、良いことなのかどうか、私はよくわかりません。

ただ、見ようによっては、

今の日本の野党は「政権を取る気は実は全くないが常に理想論をぶつけて政権の方針に影響を与える役割」という「昭和の日本社会党」のような存在になりつつあるのではないか?

…という指摘が非常に的を得ているかもしれず、ひょっとすると日本の「リベラル派」の願いはその方がスムーズに実現するかもしれないとも最近考えるようにもなってきています。

なぜかというと、要するに社会構造がどんどん複雑化してきて、右を選ぶか左を選ぶか? みたいな単純な路線対立だけで物事が決められなくなってきているからなんですよね。

だから実際に政権を担う人は、「絶対善VS絶対悪」みたいな単純化した構図で話ができなくなるのは当然として、しかしそれだと「極論を言って議論を豊かにする役割」が失われて硬直的になりがちになる。

そこで、「現実に困っている人が目の前にいるんだし、実現性を考えすぎて身動きが取れなくなる方が問題なのだ」という「理想論」を極論としてぶつけるグループが、左に立民や共産、右に維新…と控えていて、それに殴られつつ自民党が融通無碍に舵取りをしていくというのは、非常に「日本人として理想的」な運営方法なのかもしれません。

過去10年ほどの自民党が強引な政権運営や隠蔽的なことまでして与党の座にしがみつき、それでもなお国民が政権交代を支持しなかったのも、本能的総意として「政権交代して任せられる野党がいない(のに情勢の気まぐれで交代してしまったりすると困る)」ことの本能的帰結だったところがあるので、「もう政権交代とかはほぼ無理と実はみんなわかっている」情勢になればなるほど、自民党の方にもスキを見せてもいい安定感が出てきて自浄作用を惹起できる、つまり「あれは間違いだった」と言えるようになるとも思います。

今回はその「現代政治の複雑さ」をいかに民主主義制度の上で乗りこなしていくべきなのか? について考えてみる記事です。

2:アベノミクスは失敗とか成功とかで割り切れる現象ではない

「単純な絶対悪・絶対善という世界観」自体が機能不全な時代だというわかりやすい例として、アベノミクスについての評価があると思うんですね。

たとえばツイッターなどのSNSで野党支持者の中ではアベノミクスはとにかく「完全な失敗政策」だったということになっていて、その10年における日本の平均給与的なものを、しかもドル建てで表示したグラフを持ってきて「ホラ!アベノミクス時代に日本は貧しくなったのだ!戦犯は安倍だ!」というツイートはほとんど毎週どこかで万単位にバズっています。

立民の政策パンフにも載っているこういうグラフですね。

立憲民主党「PDF版 政権政策2021」より

一方で、自民党側では、たとえば安倍政権時代に「データで見るアベノミクス6年の実績」というサイトを作っていて、

同サイトよりキャプチャ
・若者の就職内定率が過去最高水準

・中小企業の倒産が28年ぶりの低水準

・正社員有効求人倍率が(2004年の調査開始以来)史上初の1倍超え

・国民総所得が過去最高の573.4兆円

…といった「実績」がアピールされています。特にこの若者の就職率と、倒産件数の低下というあたりは主観・体感的にも「かなり民主党時代と変わった」部分で、それが第二次安倍政権以降の基礎的な支持を固める要因になっていたとはよく言われることですね。

さて!

ここからが問題なんですが、なぜここまで野党支持者と与党支持者で「見ている世界」が違うんでしょうか?

これは「どっちかが嘘をついている」んでしょうか?

しかしこれは「どっちも現実」なんですね。見る角度が違ったら同じものでも違って見えるという現象にすぎない。

ざっくりと言うと、民主党政権末期に円高になりすぎて産業空洞化が懸念されていたところ、アベノミクスは円安に誘導するようなことをやって、とりあえず国全体で「安売りしてでも仕事を取ってくる」状態にしたことでみんな忙しく働けるようにした…みたいな因果関係があるので。

・“雇用の量”的な面で言えば圧倒的に改善している

・“雇用の質”的な面で言えばかなり厳しい状況に追い込まれた

…というかたちになるのは表裏一体のどちらも真実な現象としてある。つまり「どちらも嘘を言っているわけではない」のです。

昨今ではこの程度の「現実の多面性」すら否定して「敵側の世界観を全否定して内輪で盛り上がる」現象を「フェクトチェック」という名前で行うみたいな笑えない現象もよく見かけるので、みなさん気をつけましょうね。

結果として失業率は世界的に見てもものすごく低い率に貼り付いている一方で、世界的な物価水準比較も考慮した平均所得などは、国際比較で非常に厳しい状況におかれている。

そのあたりが、「なんとなく安定しているんだけどものすごく成功しているわけでもない感じのまま、ジリジリと国際的地位が低下していく」という昨今の「日本的実感」に繋がっているわけです。

例えばアメリカなんかは「平均給与」は同じ期間ですごく上がっていますが、労働省のデータによると「失業率」はいざコロナショックがあったらこんな感じになる↓ような国なんですよね(2019年と21年の間にある、2020年に注目してください。同時期の日本はあふれるほどの雇用助成金によって微増程度で済みました)。

よく指摘されている因果関係ですが、「利益が出なくなったら明日にでもクビにできるなら、給料だって上げてもいいかな」となりますが、よほどのことがないとクビにできない昨今の日本企業が現金を溜め込みがちなのもむべなるかなという感じではあります。

実質平均賃金で上昇傾向が高い韓国経済も、大企業にいても40代〜50代になったら次々と排除される強烈な競争社会だと聞きます。

要するに過去10年の日本社会は「そういうことはしない」という道を選んできたわけですよね。自民党支持者も野党支持者も含めたほとんど本能的合意みたいなものとしてそういう選択をしたのだと言っていいと思います。

野党支持者は「アベノミクス」を「絶対悪」化して、お友達の大企業以外視野にないネオリベ路線だと思っている人が多いですが、決して解雇規制の緩和については踏み込まなかったし、毎年何十兆円もの社会保障費の税金補填もやめなかったし、「世界的なネオリベ路線では普通なこと」はほとんどやらずに、むしろ「“みんなの雇用”を必死に守った政権」だったと言えます。

それ自体に反対、賛成は色々とありえるでしょうが、自民党政権を「絶対悪」に設定したら現実から遊離してしまう理由はこの辺りにあって、

・民主党政権末期の路線のまま、一時は失業者があふれるとしても、先進国に相応しい高付加価値産業へのシフトを推し進めるべきだった…という方針で何らかの具体策を提示する

か、そうでなければ、

・「みんなで寄り集まって我慢して頑張って雇用環境だけはだいたい守ってきた…ことの功績をある程度は認めた上で話をする」

かの、どちらかでなくては、「俺たちにやらせてくれたら魔法のように全方位的に完璧にうまく行きます」的な話をされても困ります…という状況ではあると思います。

ただ、そういうのは「政権交代可能な野党を期待するなら」必要な最低限の議論のマナーなんですが、ひょっとすると最近の日本で見えてきているのは、「政権交代がありえない野党」がもたらす民主主義のかたちなのかも? とも私は思い始めているんですね。

3:「政権交代しない野党」の役割もあるかもしれない

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「アベノミクス的な路線」の弊害的なものももちろん見えてきている現状ではあって、何らかのアクションが必要なことは確かだと思いますが、そこであまり物分りの良いことを言っているだけでは議論が硬直化しがちなので、

・立民・共産・れいわはもっと「分配」を!という方向でとにかく非妥協的に引っ張る

・維新はもっと「改革を!」という方向でとにかく非妥協的に引っ張る

ついでに言えば

・自民党内最右翼(高市派)は「もっと財政出動を!対中強硬を!エネルギー政策における原発の再重視を!」という方向でとにかく非妥協的に引っ張る

…という「細かい議論とかはいいからとにかく信じる方向へ引っ張る」グループがそれぞれの方向にいる中で、宏池会的なバランス感覚を持つ岸田政権が常にバランスを取りながら現実的な舵取りをしていくみたいな光景は、今後の日本が目指すべき世界なのかもしれません。

たとえば「分配」は必要です。ですが、あまりに国際的情勢から外れたレベルの法人税アップとか金融所得課税の一気呵成の上げ方をするのが得策かどうかは別の話で、タイミングが非常に重要になってくる。

この連載の過去記事で書いたように、過去10年〜20年の「ネオリベ」の時代は世界全体で終わりつつあり、アメリカ大統領のバイデン氏が「ウォール街でなく中間層がこの国を作った」とか言う時代なので、法人税を国際協調で下げすぎないようにする協定など、いろいろと「外堀」が徐々に埋まってきつつある情勢ではある。

過去10年に世界中でもてはやされてきた「シンガポール型のネオリベの楽園」みたいなビジョンへの厳しい目が世界的に高まる中で、それに「先んじすぎず遅れもせずに」分配路線に舵を切っていくことが必要だと思います。

読者のあなたが「そんな生ぬるいことじゃダメだ!明日すぐに法人税を倍にしろ!」と思う人なら、全力で立民や共産やれいわを推して、そっち側に引っ張る圧力をかけてくれればいいのかもしれません。

「政権交代する野党」を望むならあまりに非妥協的にそればかりになられると困りますが、「政権交代しない野党」ならむしろその方がいいのかもしれない。

とはいえギリギリの真剣勝負の中で、「分配」を求める声と、維新側のようなネオリベ路線の延長との引っ張りあいの均衡の中で、世界的トレンドからあからさまに遊離して資本逃避が起きてしまうようなことがないタイミングを見計らって、「分配」路線を動かしていってくれれば、自民党総裁選の時に好評をいただいたこの記事で書いた「宏池会路線」への大政奉還の意味もあるでしょう。

でもできれば、野党側にいる人は税制の細かい話をした上で、どこにどういうイビツな構造があるのかを指摘し、真剣に細部を詰める議論も深めていってくれたらと思っています。

特に、議論がかまびすしい消費税問題の影で、社会保険料が年々地味にかなり上がっている(しかもあまり累進性がない)ことがいろいろな問題を引き起こしていると言われています。

結果として、「最底辺層からすると金持ちと言われるかもしれないが、俺たちだって余裕はないんだよ」というようなレベルの層に負担が集中する構造になっていて、最高レベルの富裕層への負担率は低いままになってしまっている現状がある。

「金融所得課税」にしても、あれは「なんとか“億り人”になってFIREしたい」という「庶民の切実な夢」をむしろ直撃する感じだから問題視されているのであって、もっと細かい累進性の制度の細部を工夫すれば今ほどの抵抗感は薄れるかもしれません。

「とにかく議論を一方向に引っ張る野党」の役割はあるにしても、野党を応援するメディアも含めてこのあたりの細部の深堀りにちゃんと力を使うようにしていってくれたらとは願わずにはいられません。

これは「維新」型の「改革を止めるな論」においても同様で、世界的に「ネオリベ路線への共感」がどんどん失われていく情勢の中で、過去10年〜20年とは違った言論環境が生まれていることを考えれば、単に「既得権益」を攻撃するだけの論調が理解を得られづらくなっている状況があるわけです。

「既得権益をぶっ壊せ!」と20年間言い続けて結局「岩盤」に跳ね返され続けたんですから、今までとは別のやり方で味方を募って変えていくべき時期が来ているのではないでしょうか。

この記事などで最近何度も書いている私のクライアント企業で10年で150万円平均給与を上げられた例では、結果的に見れば「改革」自体はすごく進んでいますけど、それは「抵抗勢力を悪魔化してぶっ壊すと騒ぐ」ことで実現したわけではありません。むしろ「横から見ていて歯がゆいほど守旧勢力に敬意を払いながら変えた」ことが成功要因だった。

こういう事を言うとビジネスエリート的な人とか、社会運動家みたいな人はものすごく嫌な顔をするんですが、「世界的なネオリベ路線の退潮ムード」がある中で、「ただぶっ壊すと言えば喝采を受ける」状況でなくなったことは、日本社会を実質的に本当に「変えていく」ために大事な環境変化ですらあると私は考えています。

ただこれも、「そんな生ぬるいことじゃダメだ!」と思う人は維新支持者として「ぶっ壊す!」と言い続けることが必要なのだということなのかもしれませんが…。

そうなると、結局日本は「政権交代はありえないが理想論を徹底的に述べる野党」と「なんだかんだでグニャグニャと落とし所を見つける自民党」のプロレスによって政策を決めていく世界になっていくのかもしれません。

普通の意味での「噛み合った議論」とは別の、国全体の言論状況をマクロに見た時には、「噛み合っていない議論」自体にも意味があるというのが、民主主義の本質なのかもしれず、岸田政権はそれを「乗りこなす」ことにチャレンジしつつあるのかもしれないと思っています。

4:「民主主義の面倒臭さ」と向き合いながら変わっていこう

コロナ禍が最も厳しかった時などには、中国のような強権的体制でトップダウンにやれる政治を羨む声も結構ありましたが、ここ最近はあまりに権力が集中しすぎた習近平政権が、思いつきのように強烈な規制を連発するハンドルの切り方をしてそれに十数億人が従わされるジェットコースター状態なのが問題視されるようにもなっています。

それと比べれば、色々と「民主主義社会」は面倒なことが多いですが、その面倒なことを全体としてうまく乗りこなしていくことができればその可能性は大きいはずです。

「議論」といってもちゃんと「対話」が成り立っているものだけが「議論」ではないのかもしれません。

野党支持者の「与党側を絶対悪化する議論」は、それ自体を見ると「何言ってやがる」的に反発する気持ちを自分は持っていたのですが、「そうまでしてても主張しないと共有できない何かがある」と言われると、「確かにそうかも?」と思うところもある。

ただ、あまりにも「敵を悪魔化する議論」に本気で没入する人が国民の中で増えすぎてしまうと、この高度なバランスが崩れてしまうので、「一応頭の隅では」この記事で書いたようなことを理解していただきながら…ではありますが、

しかし、あえて、今はこの方向で全力で純粋化した主張をする役割が必要なのだ!

…というのならば、それをいかに活かして常にバランス感覚を持ちつつ着実に社会を前に進めていくか? は「自民党側の責任」というか、「岸田派宏池会的存在」の腕の見せどころということになるのかもしれません。 「アベノミクスで引きこもっていないで、多少の雇用悪化や社会の不安定化があってもあそこで社会を前に進めるべきだったのだ」という考え方もありますが、わたしは過去10年「死んだフリ」をしていた意味は必ずあると思っています。

10年前は、「ネオリベ」が世界的に調子に乗りまくっていた時期で、あの時期にノーガードでその風潮に突っ込んでいった国は、たしかに日本より経済パフォーマンスは上だったと思いますが、国の中の分断がひどいことになって、今後色々と問題になってくるはず。

過去10年、「アベノミクス」的に内輪でしっかり守り合って社会の安定を維持してきた日本は、たしかに経済パフォーマンスは不調だったが、一応まだ都会も田舎も富裕層も貧困層も同じラーメンとコンビニと漫画を共有できる部分が、幻想になりかけの土俵際の薄皮一枚繋がっている。

「白熱教室」のマイケル・サンデルが新著『実力も運のうち 能力主義は正義か?』で言ったように、「社会の共通善という感覚」は雲散霧消してしまうと取り戻すのが難しいものです。

「10年前のネオリベ全盛期」には引きこもって自分たちを守ってきたが、今のような「米中冷戦時代」に、「ネオリベのその先」が世界的に必要とされる時代には、その両者の調和を実現するトップランナーになりえる…そういう構造的な「繁栄のボーナスタイム」すら引き寄せられるとわたしは考えています。

そういう趣旨で、来年1月に、久しぶりの著書でその「繁栄のボーナスタイムの引き寄せ方」について書いた本を出します。

こちらのサイトで、序文「はじめに」の先行無料公開をしていますので、よろしければお読みください。

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連載は不定期なので、更新情報は私のツイッターをフォローいただければと思います。


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