CULTURE | 2021/10/16

町のとんかつ屋にあるべき理想が全部盛り。「とんかつ おかめ」(下井草)【連載】印南敦史の「キになる食堂」(7)


印南敦史
作家、書評家
1962年東京生まれ。 広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、 音楽雑誌の編集長を経て...

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印南敦史

作家、書評家

1962年東京生まれ。 広告代理店勤務時代に音楽ライターとなり、 音楽雑誌の編集長を経て独立。一般誌を中心に活動したのち、2012年8月より書評を書き始める。現在は「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「ニューズウィーク日本版」「マイナビニュース」「サライ.JP」「ニュースクランチ」など複数のメディアに、月間40本以上の書評を寄稿。
著書は新刊『音楽の記憶 僕をつくったポップ・ミュージックの話』(自由国民社)。他にも『読書に学んだライフハック』(サンガ)、『書評の仕事』(ワニブックスplus新書)、『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)、『プロ書評家が教える 伝わる文章を書く技術』(KADOKAWA)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』 (星海社新書)など著書多数。

町のとんかつ屋にあるべき、理想的なシチュエーション

東京・杉並区、西武新宿線下井草駅の南口を出たら、目の前の商店街を左、すなわち鷺宮方向へ。ツルハドラッグを左に見ながら数十メートル進むと、右側に小さな店が現れる。

白い建物にかかる暖簾も純白で、装飾物のたぐいも少ない。正面には目につきやすいパチンコ店があるせいか、うっかりすると見逃してしまいそうだ。駅前の一等地だというのに。

しかし、地味だからこそ訴えかけてくる不思議な“引き”があるのも事実。なぜだか、とてもキになってしまうのだ。そこである平日、訪ねてみることにした。「とんかつ おかめ」という、かわいらしい名のその店を。

店内は細長く、右側にテーブル席が3卓。左側にはカウンターがあり、その向こうが厨房になっている。左奥のテレビからはニュース番組が流れていて、カウンター手前の角には「ビッグコミック」や『ドラゴンボール』の単行本などが並んでいる。

これは正しい。

町のとんかつ屋にあるべき、理想的なシチュエーションである。無難に整ったイマドキの店よりも、こういう、適度に人間味のある店のほうがずっと魅力的だ。

「A・Bは重さの違いです」

ランチタイムのピークは過ぎたのだろう、13時半の時点で客の姿はない。右側のいちばん手前の席に座ると、奥様と思しき女性が水を持ってきてくださる。厨房内のご主人との2人体制で切り盛りされているようだ。

メニューを見ると、これまた正統的なラインナップである。気をてらったところがないのだ……と思ったのだが、A(730円)とB(860円)の2種類が用意されたロースカツ定食のところに、ちょっと気になることが書かれていた。

(A・Bは重さの違いです)

「重さ」ときたか。早い話がボリュームの違いということになるのだろうが、それを重さで伝えようとしているところに、お店の方の生真面目さを感じる。とても好感が持てたので、思わず重い方のロースカツBを頼みそうになったのだが、ここで一度クール・ダウンすることにした。

理由はいたって単純だ。味にうるさい方々の中では「ロースカツは脂身に限る」ということになっているようなのだが、グルメでもなんでもない私は脂身があまり好きではないのだ。

われながら面倒なやつだなあと思うが、せっかくお邪魔したのだからより好きなものをいただきたい。ということで、ヒレカツ定食(1160円)を選んだ。

本当ならビールの1本でも頼みたいところだったが、あいにく世間は緊急事態宣言のまっただなか。残念だが、仕方がない。

とはいえ、厨房の向こうから聞こえてくる肉を叩く音や油の音などを耳にしているだけでも十分に心地よくはあった。集中して聞くでもなく聞いていたら、小学生時代、父親に連れて行ってもらった近所のとんかつ屋を思い出した。

やがて、男性の2人客が入ってきて奥の席に座る。その時点で彼らも、この店に流れる空気を心地よく感じていることがわかる。そうだよね、いいよね、この雰囲気。

1973年から続く「何もかもがちょうどいい」味

やがて運ばれてきたヒレカツ定食は、どこから見てもやはり正統的な、期待を裏切ることのないルックスだ。キャベツの千切りの手前に、ちょうどいいサイズのヒレカツが4切れ。大きめの茶碗には、温かいご飯がたっぷり盛られている。味噌汁の具は、ネギ、わかめ、油揚げ。お新香の入った小鉢も見える。

それらすべてが、ちょうどいいバランスで“懐かしさ”を演出しているような印象。そして、どこまでも“普通”。こうでなくてはいけない。これこそ、心のどこかで求めていた“昭和のとんかつ”だ。

ヒレカツの肉は必要以上に柔らかすぎず、ほどよい噛みごたえが感じられる。だから “肉感”を楽しむことができ、「肉を食べてるんだなあ」と当たり前のことを感じてしまったりもする。

そんなカツがご飯に合わないはずもなく、味噌汁から感じられる出汁の味わいにもホッとさせられる。お新香も、箸休めに最適だ。

ここまでの記述からもわかるように、派手さのたぐいは一切ない。だが、日常生活の延長線上でとんかつに求めたいものがきちんと提供されている。ここは、きちんとした店だ。

帰りしなにお聞きしたところ、この地に店を構えたのは昭和48年(1973年)とのこと。つまり、第一次オイルショックの年から営業を続けてきたことになる。当時の私が小学生だったことを考え合わせても、なかなかすごいことだ。

この連載のことをお伝えし、「書かせていただいてもよろしいですか?」とお尋ねすると、少し離れた場所にいたご主人と奥様が、ほぼ同時に、恥ずかしそうに小さく笑った。そんな、出過ぎることのない静かな物腰が、長く支持されてきた理由なのかもしれない。


とんかつ おかめ
住所:東京都杉並区下井草2-40-16
営業時間:昼:11:45~15:00、夜:17:00~20:45
定休日:木曜日