TRONショウを訪問した小泉首相(当時)に説明をする古川
Windows95の大フィーバーを経て、やがてWindows98へとアップデートしていく傍ら、マイクロソフトはPDA向けにWindowsCEというOSを完成させていた。そこで思い出されるのが、TRONプロジェクトの提唱者である坂村健教授との関わりである。僕は昔から、坂村教授とはたまに2人でワインを飲みに行くほど仲良くさせていただいている。
この当時、TRON(T-Engine)とWindowsCEを合体させたハイブリッドOSが開発され、日本製のハンドヘルドPCに組み込まれていた。これにプリンターをセットにした小型端末をJR東日本の車掌が携帯し、たとえば座席指定券を持たずに自由席で新幹線に滑り込んだ乗客に対し、車内で空席を検索して発券するようなオペレーションが実現されていたのだ。TRONは優れたOSではあったが、ユーザーインターフェースとファイルシステムの実装が必要で、だったらそこをWindowsCEが補完すれば良い、という発想から実現した端末であった。
聞き手:米田智彦 構成:友清晢
古川享
undefined
1954年東京生まれ。麻布高校卒業後、和光大学人間関係学科中退。1979年(株)アスキー入社。出版、ソフトウェアの開発事業に携わる。1982年同社取締役、1986年3月同社退社、1986年5月 米マイクロソフトの日本法人マイクロソフト株式会社を設立。初代代表取締役社長就任。1991年同社代表取締役会長兼米マイクロソフト極東開発部長、バイスプレジデント歴任後、2004年マイクロソフト株式会社最高技術責任者を兼務。2005年6月同社退社。
2006年5月慶應義塾大学大学院設置準備室、DMC教授。2008年4月慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)、教授に就任。2020年3月慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科を退職。
現在の仕事:N高等学校の特別講師。ミスルトウのシニア・フェロウ他、数社のコンサルティング活動
http://mistletoe.co
Think the earth, NGPFなどのNPO活動
http://www.thinktheearth.net/jp/
https://www.thengpf.org/founding-directors/
革新的だった国産OS「TRON」が普及しなかった理由
ところが、この取り組みに当時の通産官僚が噛み付いた。TRONの旗振り役である坂村教授に対し、「マイクロソフトと付き合うなんて、あんた国賊だね」とのたまったのだ。この頃はまだ、純国産OSへのこだわりが強かったからこそと言えるが、この扱いに対し、当の坂村教授は「通産省はいつも我々の足を引っ張る」と怒りを顕にしていたのが印象深い。
ちなみにそのTRONだが、一時期は“産業の米”として各種デバイスや家電製品に組み込まれていた時期もある。医療機器や産業ロボットなど、多くの現場で実はTRONが動いているケースは少なくなかったし、ソニーや家電メーカーもオーディオやテレビをはじめ、大半の製品にTRONを用いていた時代があった。
さらに付け加えれば、HONDAのヒューマノイドロボット「アシモ」は当初、WindowsCEを使ってよちよち歩きの実現に漕ぎ着けたが、坂村教授は「TRONを使っていれば最初から走っていたよ!」と言われるほどだ。TRONとはそれほど評価されたリアルタイムOSだったのである。
そんなTRONプロジェクトが結局は教育用コンピュータとして普及しなかった背景について、新聞やネット上では「マイクロソフトの圧力があったからだ」などと言われているが、これは都市伝説のようなものだろう。むしろその逆が事実に近く、通産省の横槍の方が、よほど障壁としてたちが悪かったはずだ。実はこの時の遺恨は現在にまで引き継がれている。
コンピューターの健全な発展を阻害したのは何者か
TRONとWindowsCEのハイブリッドOSの記者発表会。坂村健教授と古川享
通産省はその後、マイクロソフトへのアレルギーも手伝って、TRONではなくLinuxを推すようになり、LinuxOSのパソコンの普及を図る。具体的には、総務省に働きかけて、LinuxOSのパソコンを地方行政のメインマシンに規定したのだ。
すでにマイクロソフトが市場を席巻していたとはいえ、地方行政のユーザーにとってはWindows PCであろうがLinux PCであろうが違いなどよくわからない時代である。各地の市役所には、お上に言われるがままLinux PCが配備され、さらにここに、国産ワープロソフト「一太郎 Linux版」が実装されることになる。
これによって何が起きたかというと、地方行政で建物や橋梁などを建設する際、その入札条件として、Linuxフォーマットの「一太郎」で作成された書類でなければ申請できないという、まるで笑い話のような規制が敷かれることとなった。つまり、中央の建設会社が地方の入札に参加しようと思ったら、まずLinux PCと一太郎を購入しなければならかったのである。
今でこそPDFでの申請が可能になっているものの、ごく一部の地方都市には、令和の世においてもいまだLinux版一太郎が稼働している。これは官僚がコンピューターの未来を思い描くとろくなことにならないという、典型的な例と言えるだろう。
余談だがそれと同じ頃、通産省や総務省、文部省が一体となり、日本のコンピューター市場の発展のために、補正予算から2300億円ほどの予算をつけたことがあった。当然、こうした垂れ流しに集まるのは、技術開発よりも予算欲しさの企業ばかり。既存の技術に毛が生えたようなチップを掲げてプロジェクトの体を取り繕ったり、複数企業のコンソーシアム(合弁事業)として日本の技術創生プロジェクトの採択を受け、予算をもらったら納品直後に解散するといったような、「国家予算のバラマキ行政」という事案が続出したものである。私は、「納入前後にその価値を第三者に評価してもらうことはしないのですか!?」と発言し、「余計なことを言うな!」と諭されて、2度と委員会には呼ばれなくなってしまった。
これでは日本企業が世界のマーケットに出て、自由競争で戦えるまでに成長しないのも当たり前だろう。シリコンバレーに目をやれば、本当の意味で高い技術や優れた視点を持った企業に投資が集まり、そこで発生したキャピタルゲインを次の開発に投資するといった好循環を経てきた歴史がある。健康的な産学協同も成立している欧米に比べて、官僚への接待と国家予算のバラマキに縋って企業が生き延びてきた日本との違いは歴然だ。
“誰がBTRONをいじめていたのか”
こうした歪な構造が出来上がった要因は、官僚だけではない。一部のメディアの功罪も無視できないだろう。
これまでに何度も、“なぜBTRON(パソコン向けOS)は普及しなかったのか”、“誰がTRONをいじめていたのか”といったテーマで誌面、番組作りが行なわれてきたが、そこには間違いなく、恣意的な官僚のリークとマスメディアによる印象操作がなされていた。
たとえば坂村教授が80年代以降、BTRON標準化プロジェクトに熱心に取り組んでいた頃、アメリカが「スーパー301条」を発動、BTRONは自国のOSを優遇する貿易障壁であるとして、制裁対象となる通告を行なったことがある。つまりアメリカが直接的にBTRONの発展に横槍を入れた瞬間であるわけだが、これを報じる際、あからさまに背景にマイクロソフト製品のパッケージやビル・ゲイツの顔写真を添えたりする、悪質な印象操作がいくつも見られた。悪いのはマイクロソフトだと言わんばかりの構成である。
NHKのドキュメンタリー番組でこうした印象操作を見た時には、さすがにたまりかね、僕は同局の会長のもとに乗り込んでいる。「これは朝日新聞の珊瑚礁記事捏造事件にも比肩する、大変悪質な捏造ですよ」と。
ところが、当の会長は涼しい顔で、「古川くん、そんなこと本気で怒っちゃだめですよ」などと言う。なぜか。信じがたい話だが、会長は僕に対し、「あの番組はドキュメンタリーでは無く当時の記憶をネタにした、ファンタジー(おとぎ話)なんだから。いちいちカリカリしないでくださいよ」と言ったのである。これには怒りを通してガッカリするしかなかった。
個人的にも好きなPxxxxx-Xシリーズ番組で、DVDもたくさん所有していたのだが、自宅に戻るなりすべての好きだったタイトルを捨ててしまったことを覚えている。マスメディアの記事や映像を全面的に信用してはならないなとあらためて思い知らされた出来事であった。
(つづく)