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元任天堂社長の発言録『岩田さん』がアメリカでベストセラー入りの快挙【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(25)
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  • 2021.05.19
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元任天堂社長の発言録『岩田さん』がアメリカでベストセラー入りの快挙【連載】幻想と創造の大国、アメリカ(25)

渡辺由佳里 Yukari Watanabe Scott

エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家、マーケティング・ストラテジー会社共同経営者

兵庫県生まれ。多くの職を体験し、東京で外資系医療用装具会社勤務後、香港を経て1995年よりアメリカに移住。2001年に小説『ノーティアーズ』で小説新潮長篇新人賞受賞。翌年『神たちの誤算』(共に新潮社刊)を発表。『ジャンル別 洋書ベスト500』(コスモピア)、『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』(晶文社)など著書多数。翻訳書には糸井重里氏監修の『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』(日経ビジネス人文庫)、レベッカ・ソルニット著『それを、真の名で呼ぶならば』(岩波書店)など。最新刊は『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』(亜紀書房)。
連載:Cakes(ケイクス)ニューズウィーク日本版
洋書を紹介するブログ『洋書ファンクラブ』主催者。

部外者が想像するより遥かに大きな達成

アメリカで出版された本の売れ行きの85%を把握している「ブックスキャン」の4月11日から17日までの報告を読んでいて、ハードカバーのノンフィクション部門で『Ask Iwata』という本が全米で8位に入っているのに気づいた。著者名はSam Bettとなっているが、これはほぼ日刊イトイ新聞編集の『岩田さん』の英語版ではないかと思った。そこで調べてみたところ、翻訳者の名前が間違って記載されていただけで、やはり『岩田さん』の英語版だった。4月13日にアメリカで発売されたこの本は、ブックスキャンのレポートでは発売から5日間で1万1569冊が売れたということだ。また4月末にはウォール・ストリート・ジャーナルのベストセラーリストにも入った。

ブックスキャンが発表したハードカバー本売上ランキング

これは部外者が想像するより遥かに大きな達成である。

まず、英語圏、特にアメリカの市場は経済的に魅力的なだけでなく、世界に名前が知られる場でもある。世界中の誰もが狙っているがゆえに競争も非常に激しい。「売れる」と説得できなければアメリカの出版社には相手にされないので、翻訳出版にこぎつけることだけでも相当な達成である。『Ask Iwata』は、その難関を乗り越えただけでなく、英語圏で名前が知られている作家に混じって上位に食い込んだのだ。

2019年刊行の『岩田さん』は、ほぼ日刊イトイ新聞によると、(2015年に亡くなった)「任天堂の元社長、岩田聡さんのことばを集めた本」であり、「ほぼ日刊イトイ新聞に掲載されたコンテンツや、任天堂公式ページ『社長が訊く』に掲載された岩田さんのことばを抜粋して再編集。宮本茂さんと糸井重里への特別インタビューも収録」という内容だ。

日本では糸井重里さんや「ほぼ日」を知らない人はほとんどいない。「ほぼ日」独自の文体にも馴染みがあるので、日本の読者はある程度の予測と期待をしてこの本を手に取ったことだろう。しかし、アメリカ人は糸井さんを知らないし、「ほぼ日」も知らない。

回想録や伝記はアメリカで良く売れるジャンルだが、回想録が好きなアメリカの読者は幼い時から経時的に進行する内容や詳細が好きで、500ページくらいある長い本も好きだ。ところが、『岩田さん』の場合は、岩田さん自身の発言と第三者からの伝聞を集めた短篇集、ときには詩集のような雰囲気であり、とてもシンプルで、176ページしかない。つまり、アメリカでよく売れる回想録のジャンルにはまったくあてはまらない。

また、海外で翻訳作品を出版する場合、言語の違いだけでなく、読者の文化背景の違いが大きな壁になりがちである。共通体験がない場合には、どんなに上手に言葉を翻訳しても通じないことがかなり出てくる。小川洋子さん、多和田葉子さん、東野圭吾さんといった日本人作家のファンもいないわけではないが、多くのアメリカ人が知っている日本人作家となると、村上春樹さんと近藤麻理恵(こんまり)さんくらいである。『岩田さん』はそれらの作家の本ともまったく異なる。

次ページ:「偉人の伝記」ではなく「ソウルメイトと出会う喜び」

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