ITEM | 2018/07/17

「孤独だけど一人じゃない」と、胸を張って言えるようになる方法【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

「人が孤独なのは当たり前」という考え方

「あなたは孤独ですか?」と聞かれた時、「私は孤独ではありません」と全否定することができるだろうか。佐渡島庸平『WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE  現代の孤独と持続可能な経済圏としてのコミュニティ』(幻冬舎)は、人間はそもそも孤独(lonely)だと考える著者が、一方で「でも一人じゃない(but not alone)」と日々充足感を得られるような生き方を説いた一冊だ。

著者は講談社で井上雄彦『バガボンド』、小山宙哉『宇宙兄弟』、伊坂幸太郎『モダンタイムス』など人気作品の編集に携わった後に退社し、2012年にクリエイターエージェンシーのコルクを創業した。孤独をつなぎ合わせる「コミュニティ」を作ることこそが、未来の社会形成の鍵を握っている。そう気づいたきっかけについて、著者は冒頭でこう説明している。

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今、僕らは、所属しているコミュニティを失いつつある。誰も僕らの生き方について、指図する人はいない。圧倒的な自由だ。しかし、ずっと欲しがっていた自由を手に入れて、気がついたら安全・安心を失っていた。その二つがトレードオフの関係にあることを、理解している人は少なかった。 (P15-16)

『宇宙兄弟』作中のセリフ「WE ARE LONELY, BUT NOT ALONE」は、本書の題名にもなっているが、著者が目指しているイメージを象徴するワンフレーズだ。インターネットやスマートフォンがあらゆるものを個人の手元に引き寄せ、便利で自由な世界を実現すればするほど、一人ひとりの間をつないでいた関係・連帯は消えていった。

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社会的であるために、人間が無理をしている行為が、山のようにある。
社会が発達すればするほど、人間は、自分を社会のほうに合わせようとしてしまい、社会を自分の心地いいように変えようと挑戦する人はほとんどいない。(P22)

人間は、元来怠惰な生き物なのかもしれない。ひとつの場所で何でも揃うショッピングモール、これが欲しいとクリックすれば手元に届けられるショッピングサイト。注意していないと、こうした便利さに心の豊かさは飲み込まれていってしまうのだ。

余白を作っておくことの大切さ

全てをマネージメントするのではなく、安心・安全だけをしっかりと確保すれば、コミュニティは自走すると著者は語る。

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過去の実績を「信用」して、不確実性のある未来のことも信じて、評価する状態が、信頼だ。片方が一方的に信頼することはできない。信頼は常に双方向だ。だから「信頼関係」になる。
この信頼関係を築くことが、コミュニティにおいては本当に重要だ。(P178)

かつて、日本の多くの商店街で、互いをよく知る人々の店が軒を連ねていた。屋根があり雨が降っても大丈夫で、商店街の中では何でも揃う。商店街は日本の「おもてなし」を象徴するような場所だった。しかし、いまやその多くが失われてしまった。これからは一人ひとりが遠く離れた場所で、色々な場所を飛び回った状態でありながら、私たちは互いに軒を連ねなければならない。

どのようにそれは実現可能なのか。著者は、敷居が高く、去る場合のハードルは低いコミュニティを作るべきだと提唱する。そして、そうした安全・安心が保たれている中では、「何がわかるか」ではなく、「何がわからないか」を共有することによって「静かな熱狂」が生まれるという。

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聖書は、最も売れている本である。聖書がわかりやすいかというとそんなことはない。逆に、わかりにくくて何度も読まないといけない。物語性が高くないから、一気に読むことは逆に難しい。だからこそ、誰もがそれについて語る。(P135)

編集者として、著者は読者に伝わりやすい「わかりやすさ」を意識して仕事をしてきた。しかし、作者のことを信頼しているファン層には、「わからなさ」が最も受容されることに気づいたのだ。

コミュニティの連帯は「わからないこと」から生まれる

実際、「わからないこと」は連帯を生む。筆者は、韓国で映画を監督した時に、基本会話以外は全くわからない韓国語で、韓国人キャスト・スタッフと共に作品を作る経験をした。意思疎通は英語だ。私も多少英語が喋れて、スタッフ・キャストは英語で喋れる人と喋れない人がいた。撮影が終わった後、こうした「通じない」「わからない」状況のほうが、連帯した雰囲気が作りやすかったことに気づいた。それは、「わかろうとする」からだ。

もちろん、日本語でも同じことはできるが、言語が通じてしまう環境で「自分の指示ことがしっかり伝わっているだろうか」と常に懐疑的になることはなかなか難しい。著者も、アメリカ人が見知らぬ人であっても“How are you”と聞いてくるのは、多様なバックグラウンドを持つ人がすぐそばにいるという前提を社会が共有しているという例で、同様のことを説明している。

批判や炎上をおそれて、完全な状態を追求する。そうした「わからないこと」「予測不能なこと」を排除する時代はもう終わり、これからは何かしらの形で不完全なものが市場において価値を増していくのかもしれない。

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これからの編集者の役割は、コミュニティを形成して、どれぐらい未熟なコンテンツを投げ込むかを考えることだと思います。あまりに未熟な状態で投げ込むと死産してしまうし、完成度が高すぎるとコミュニティが活性化しない。そのバランスをとることに、編集者の力量がかかっています。(P245)

言ってみれば、スマートフォンも最初は不完全な状態であり、個人個人にカスタマイズされていく。Eメールで完全なメールを送るのではなく、LINEのように短い文を投げかけていく。納品主義から、「わからないこと」を共有して段々とクオリティを高めていくアップデート主義へ。そんなふうに、著者が「なめらか」という言葉を用いて表現しているコミュニティの理想像は、孤独を輝かせる術を教えてくれる。

これから新たにコミュニティを作ろうとしている方、新たな領域に仕事を広げたい方、そして既に人と人をつなぎはじめている方にも、コミュニティ形成の方法論を確認するのにピッタリの一冊だ。