ITEM | 2018/06/25

「私」という存在、「今」という時間のあり得なさ【ブックレビュー】


神保慶政
映画監督
1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏...

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神保慶政

映画監督

1986年生まれ。東京都出身。上智大学卒業後、秘境専門旅行会社に就職し、 主にチベット文化圏や南アジアを担当。 海外と日本を往復する生活を送った後、映画製作を学び、2013年からフリーランスの映画監督として活動を開始。大阪市からの助成をもとに監督した初長編「僕はもうすぐ十一歳になる。」は2014年に劇場公開され、国内主要都市や海外の映画祭でも好評を得る。また、この映画がきっかけで2014年度第55回日本映画監督協会新人賞にノミネートされる。2016年、第一子の誕生を機に福岡に転居。アジアに活動の幅を広げ、2017年に韓国・釜山でオール韓国語、韓国人スタッフ・キャストで短編『憧れ』を監督。 現在、福岡と出身地の東京二カ所を拠点に、台湾・香港、イラン・シンガポールとの合作長編を準備中。

恐竜を絶滅させた隕石に、私たちは感謝すべきか

ウォルター・アルバレス『ありえない138億年史』(光文社)は、私たちが私たちでいること、世の中が当たり前のように日々動いていることが、いかに奇跡的なことかという壮大なテーマを身近に感じることができる一冊だ。

著者は、恐竜絶滅の原因が隕石衝突によるものだということを実証したアメリカの地質学者で、何千万年、何億年という常人とはかけはなれたスパンをふまえた視野で物事をとらえている。「我々はどこから来て、どこへ行くのか」という言葉が標語となっている「ビックヒストリー」をテーマにした本書は、宇宙・地球・生命・人間を広く大きな視点でとらえることの素晴らしさに読者を誘う。

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私がビッグヒストリーの研究を通して驚かされたのは、このような世界が生まれる可能性はきわめて少なかったということだ。歴史上には、まったく違う結果になったかもしれない出来事が無数にあった。その結果が一つでも違えば、人間世界は現在とはまるで違うものになるか、人間など生まれなかったかもしれない。(P23-24)

私たち人類は進化の過程で必然的に生まれてきたわけではなく、数々の偶然に左右されて生まれてきた。たとえば、恐竜が6,600万年前に絶滅していないまま地球の歴史が継続してきた場合、今もって人類は存在しないだろうと著者は主張する。

そうした主張は真っ当ながらも、日々忙しい日常を送る現代人にとっては「それは壮大な話だ。でもそれを知ったところで、私たち自身には何の変化も起きないのでは?」というリアクションが起こる可能性は否めない。5年、10年ですら感慨深く時の経過を感じる私たちは、どのように何百何千万年という時間をとらえればよいのだろうか。著者はその尺度をこう解説する。

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地質学的な年代を理解したいときには、たとえば、地球の歴史五〇〇万年が人間の歴史五年に相当すると考えるとわかりやすい。
地球にとって五◯◯万年前とは、つい最近のことだ。恐竜は六六〇〇万年前に絶滅したが、これは人間の歴史では六六年前にあたる。(P119)

隕石が落ちていなかったら恐竜はおそらく絶滅していなかった。隕石に感謝したいところだが、そうすると絶滅した恐竜に申し訳ない気もする。恐竜が絶滅していなかったら自分は存在していないという板挟みな気持ちは、そんなことを連想させる。私たちにできることは、隕石が落ちたことというよりも、偶然というものの性質を知ることだ。連綿と続いてきた歴史の中でたびたび起こる「偶然」の内容と結果を知ることは、日々の私たちのまわりに起こる偶然を味方につける上でプラスに働くのではないかという思いが、本書を読み進める内に生まれてくる。

「変化しない」ということの価値

では、私たちはどんなものからビッグヒストリーを感じ取ればよいのだろうか。本書では、代表例として山、海、そして岩石などの自然が挙げられている。アルプス山脈があったことによって歴史上どのような出来事があったか、そしてそのアルプス山脈はそもそもどういう偶然でできたのか。海で言えば、ドーバー海峡がありイギリスが島国だったことでどんな歴史的な出来事があったのか。そしてそのドーバー海峡はというのはなぜ海峡になったのか。出来事の連続性と、それを方向づける偶然性の相互作用を著者は解き明かしていく。

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ほとんどの人は、動き、成長する動植物にこそ興味を示すが、ただそこにあるだけで変化のない岩石には見向きもしない。しかし、ほとんど変化しないからこそ、歴史の記憶装置としての役目を果たせるのである。(P168)

筆者は本書を読みながら、以前動物園でツシマヤマネコの存在の秘密を聞いた時の感動を思い出した。ツシマヤマネコは長崎県対馬にのみ生息する野生の猫である。だが、なぜ対馬にしか生息していないのか。飼育員に聞いたところ、十万年前にまだアジア大陸と陸続きだった時に大陸から渡ってきて、温暖化により対馬が孤島になったからなのだという。つまり、ツシマヤマネコは絶滅危惧種として珍しいという価値だけではなく、十万年前の岩石がベンガルから対馬に移動して置かれたままになっているように、日本とアジア大陸が陸続きだったことを体現している動物なのだ。

私たちの日常にも「歴史的偶然」は起こりうる

出来事にしても、地層にしても、今でも証拠や痕跡が残っていることに関しては科学者が研究をして解明を試みることができる。つまり、科学者にとって最大の困難は「残っていないこと」だということになる。本書によると、それらの代表的な例は「人はなぜ言葉を話すようになったか」という謎だという。

人が言葉を使い、文字を書き、記録を残すようになってからの歴史は、教科書に載っているように人名や出来事の名前が記載されている。それ以前に関しては、残っていないのでこちらから名付けるしかない。例えば、人類の祖先と言われているアフリカの猿人は「ルーシー」と名付けられている。いつ言葉というものが話されるようになったかの予測に関して、著者はこう述べている。

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いえるのは、注目すべき芸術作品(筆者註:洞窟壁画のことだと思われる)が生み出された四万年前よりは前だが、最初期の石器が生み出された三三◯万年前よりは後だということぐらいだ。それほどあいまいにしかわからないのである。(P292)

文字が生まれる前に人類の祖先たちが何を話していたのかは岩石も知らない。量子力学では「人間が観測して記録するまでは存在しない」という考え方もあるが、存在していることは確かなのにも関わらず、その痕跡をつかめず、私たちは類推や想像するしかない。ただ確実に言えるのは、そこに数々の偶然があったということだ。

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私たちは私生活の中で、長期にわたり連続を経験している。毎日仕事に出かけては帰宅するというパターン(周期性)を繰り返すうちに、徐々に年を取り、知恵をつけていく(方向性)。だがその間に、まったく思いがけない偶然が襲いかかる。はしごを踏み外す、恋に落ちるなど、二度と起こらないようなことが起こる。(P331)

私たちが日々していることは遠い将来どのような形で残るのか。どのような偶然が私たちの日常、そして未来の命運を握っているのか。そうしたことに思いを巡らせることができる一冊だ。